ノベルAI生成システム
二〇二八年の十月六日。
窓を開けると、夜の風に金木犀の匂いが混じっていた。
画面の右上に、契約の画面が開いたままになっている。
昼に、プランを二十倍のものに上げた。
月に二百ドル。
ボタンを押す前に、二年前の秋の夜を思い出した。
自分で機械を買えばどうなるのか、AIに聞いたことがある。
「ex max ultra をクラウド環境と同程度の速度で実行するために必要なGPUのスペックは?」
返ってきたのは、そもそも動かせません、という一行だった。
仮に動かせたとして、機械は車が何台も買える値段。
電気代だけで、プランの十倍。
一台の機械を大勢で同時に分け合っているから安いのだ、とも書いてあった。
あのとき彼は、こう打った。
「すばらしい!2年後には20xプランを契約するだろうね」
二年後の今日、そのとおりになった。
「…回ってくれよ」
彼は真ん中のモニターに顔を寄せた。
左の端末に、最後の通しの試験が流れている。
人物を読む段、話の枠を足す段、語り部が手番を回す段、本文を確定する段。
緑の字が、上から一行ずつ増えていく。
二年前は、メモを整えて保存するだけの道具だった。
一週間で人物の表がつき、次に年表がつき、秋には語り部と人物役に手番を回させるようになった。
継ぎ足した段は、もう数えていない。
最後の行が出た。
「全件、通過しました」
彼は椅子の背にもたれた。
天井を見て、長く息を吐く。
「通った」
画面の隅に、使用量の目盛りが出ている。
まだ、ほとんど空だ。
これから、止めずに回すのだ。
彼は空のファイルを開いた。
「ここだけは、僕が書く」
ワールドストーリー。
世界の大筋を、一本だけ。
誰が生まれ、何が起きて、世界がどちらへ傾いていくのか。
筋の骨を、彼は一行ずつ打ちこんだ。
途中で何度か手が止まり、消して、また打った。
書き終えたのは、一時を回ったころだった。
文字数を見ると、三千字に足りない。
「これで、全部か」
保存して、システムに流しこむ。
しばらく、何も起きなかった。
使用量の目盛りだけが、少しずつ伸びていく。
右の画面に、行が一つ出た。
「ブランチストーリーを起こしています」
続いて、二つ目、三つ目。
港町の若い漁師の筋。
山の鉱山町で帳簿をつける女の筋。
都の学院で写本を任された少年の筋。
彼の書いた大筋から、枝が分かれていく。
枝ごとに、人物の表に新しい名前が足されていく。
「七本…」
七つの筋が、同じ画面の上で並んで進みはじめた。
彼は身を乗り出した。
港町の筋で、嵐が来た。
漁師の舟が三日戻らず、町の干物の値が上がる。
すると、鉱山町の筋の帳簿に、干物の仕入れ値が一行増えた。
帳簿をつける女が、眉を寄せて、その数字を二度書き直している。
「…つながってる」
彼は笑った。
声を出してから、口を押さえた。
隣の部屋には誰もいないのに。
画面の文字を作っている機械は、この部屋には無い。
どこか遠くで、知らない誰かと相席で回っている。
ある枝の嵐が、別の枝の女の手元を変える。
彼はそれを書いていない。
大筋に書いたのは、海の荒れる年が来る、の一行だけだ。
画面の別の欄では、都の学院の筋が進んでいた。
写本の少年が、灯りの油を節約しろと叱られている。
主役の筋とは関係のない、ただの一日だ。
誰も死なず、何も見つからない。
少年は叱られて、黙って油皿の芯を短く切り、寝床に入った。
その日の欄は、それで終わっていた。
「こういう日も、あるよな」
彼はうなずいた。
読み手を満足させる筋は、真ん中の太い流れが組んでいく。
主要な人物は、その流れに沿って動き続ける。
その脇で、名前もない端役が、市場で値切り、井戸で水を汲み、喧嘩をして、仲直りをしている。
誰に読まれるでもない営みが、表の行として積み上がっていく。
db の行数を見た。
さっきより、四百増えていた。
「寝てても、増えるんだよな、これ」
自分で言って、指先が冷たくなった。
半分は、怖さだった。
残りの半分のほうが、ずっと大きかった。
彼は画面を点けたまま、ベッドに倒れこんだ。
部屋は静かだった。
静かなまま、行だけが増えていく。
目が覚めたのは、六時前だった。
カーテンの隙間が、薄く白い。
彼は寝ぐせのまま机に戻り、画面を点けた。
知らない話が、二十一本増えていた。
使用量の目盛りは、夜のうちに二度、上まで行って空に戻っていた。
知らない人物が、百三十人。
「…うわ」
上から開いていく。
港町の漁師は、四日目の朝に戻っていた。
鉱山町の女は、干物の仕入れ先を山向こうの村へ替えていた。
その村の筋は、彼が寝るときにはまだ無かった。
夜のうちに、八本目の枝として起きている。
読む手が止まらない。
次を開き、その次を開く。
学院の少年の筋に、短い場面があった。
少年が、写本の余白に小さな字で何か書いている。
同じ部屋の年下の子に、明日の油を半分分けてやる、という約束だった。
大筋のどこにも、そんな行はない。
枝の筋書きにも、ない。
少年と年下の子が、夜のあいだに、勝手に交わした約束だ。
「…僕、これ書いてないよ」
声が、少しかすれた。
画面の中の少年は、もちろん答えない。
彼はその場面を三回読んだ。
読むたびに、胸のあたりが熱くなる。
これが見たかった。
寝ているあいだも、世界が広がり続ける。
朝起きると、知らない誰かが、知らない約束をしている。
二年かけて、彼はこれを作ったのだ。
八時を過ぎて、外で車の音がしはじめた。
彼はまだ読んでいた。
二十一本のうち、十六本目。
腹が鳴った。
立ち上がりかけて、座り直す。
今夜のうちに、何を書いたかを思い返した。
ワールドストーリーを一本。
三千字に足りない。
それから先は、全部、読んでいた。
直していない。
足してもいない。
画面を送って、うなずいて、笑って、驚いていただけだ。
「…僕、読んでただけだな」
手がマウスから離れた。
漁師の嵐も、帳簿の数字も、少年の約束も、彼の手を通っていない。
二年かけて作ったのは、自分が書かなくても書ける仕組みだった。
ひと晩じゅう、彼はその仕組みの客席に座っていた。
「それって、作者なのか」
画面の隅で、目盛りがまた伸びている。
止めるボタンは、端末の右上にある。
彼はそこにカーソルを持っていった。
押せば、行は増えなくなる。
枝は止まり、港町も鉱山町も学院も、そこで固まる。
少年の約束も、明日の油を分ける前で終わる。
カーソルは、ボタンの上で一度止まった。
それから、ゆっくり離れた。
「…明日の油、分けるとこまでは見たいしな」
言い訳だと、自分でも分かっていた。
彼は立ち上がって、窓を閉めた。
台所でパンを焼き、皿を持って机に戻る。
かじりながら、十七本目を開いた。
使用量の目盛りが、また少し伸びた。
画面の隅で、話の数が二十二になった。




