みひとつ。
もう起きる時間か。
昨夜は、どうもうまくaiが動作せず、フラストレーションを抱えたままだった。
「ああ、コーヒーも切れてるじゃないか。」
コーヒー豆は自宅で焙煎から始める。
最近気づいたのは、欠点豆を取り除くのが重要だということだ。
安い豆を買うと、どうしても品質が落ちてしまう。
それでも、カビたり発酵したりした豆を取り除けば、案外いいものになる。
焙煎するときも、楽に、かつムラなく焦がさずに焼く為、工夫を凝らしている。
使うのは鉄のフライパン。
ステンレスの網をおいて、その上に豆を。
こうすることでチャフはフライパンの中に完結するし、直接鉄板に当たらないので、豆が焦げる心配も少ない、
かつ、高温で焙煎しやすくなるのだ。
とはいっても、ついつい放置してタイピングをしていると、焙煎しすぎてしまうのだが。
「ああ、今回は深煎りだな…」
コーヒーを淹れたら、PCのまえに戻ってくる。
今日は、何も画面は動かしていない。
昨夜のAIは調子が悪かった。
安いモデルを使ったからだろうか。
こちらの指示がうまく通らず、不要な実装や過剰なテスト、フローを含めて長い時間実行し続けていた。
日をまたいで遅々として進まないログの中で、これなら自分で書くべきだったかと何度も思った。
結局、モデルを良いものにして、深夜放置していたら、今日の朝には解決していたのだが。
この問題は、余分な処理を取り除ききれていないから起きてしまうものなのだろうか。
または、工程に余計な手間があるのだろうか。
そんなことを考えながら、新しいアイデアが思い浮かんだから、
エピソード画面を開いてデータを入力していく。
「あ、キーと本文が必要なのか。」
それは、期待する動作ではない。
しかし、昨日を思い出して、「今日は自分でやってみるか。簡単な修正だろう。」
と、コードを探しに行く。
未知の世界だった。
もともと、フロントのコードは専門外だったが、ai任せに生成したコードを、全く把握していなかった。
ふと、aiに頼んでしまおうかという気持ちがよぎる。
「いやいや、そろそろ把握しておかないと、改善の判断もできなくなるじゃないか」
そう思い、気を取り直す。
しかし、aiがかくコードのくせに、案外、共通化されていてシンプルな実装じゃないか。
理解しきれないし、該当の処理を見つけられないのだが、眺めていてそう感じた。
結局、修正箇所をaiに聞いたら、バックのコードで処理していることがわかった。
「結局頼ってしまったな。」
そう思いながら、一度キーボードから手を離した。
しばらくバックのコードを眺めていると、問題が見つかった。
美しくない。
ai任せにしていた部分は、美しくなく、過去の文脈が放置されていたり、
新しい処理と混ざってしまっている。
無配慮にブレンドすればいいというものでもないし、古いものは混ぜたって古いままだ。
しかしやはり、それを一から書き直すというのは、大変な労力がかかるもので、状況を整理して、
基礎だけ修正した後、結局aiに修正を依頼した。
もはや、効率を考えれば、aiを使用しないという手はない。
コーディングはいいのだ。
効率をひたすらに追い求めれば良い。
いいものができればいい。
その価値観を、小説という芸術に持ち込むことに関しては、結論が出ない。
同じテキストデータが結果だというのに、人間の価値観というのはむずかしい。
このポエムくらいは、自分の手で書き始めるべきだろう。
理解をしないままに生成させるコードに美学は生まれない。
新旧混ざり、理念も異なるコードが入り混じったシステムは、きっとうまくないだろう。
理解しなければならないし、理解させなければならない。
自分のアイデア、思想、信念。
理想を実現するためには、自分の手が届く範囲で積み上げていかなければならないし、手が届かないところは、
制御できなくなってしまう。
制御できないままでは、いずれ収束して停滞するか、発散して消滅する。
理解しないままでは、いつまでもそこにイデアはうまれない。
結果的に、一日がかりでリファクタリングタスクが実行され、適宜質問に答えたり、再要求する形で、
望む改修が実現した。
バックのコードは、完全なデータ構造で定義された、フロントと共通したインターフェースを用いることで、
aiへの直接の指示と、gui経由の操作に確実な動作、aiの指示も混乱しづらい形に持ち込めた。
文章をかくというのは難しい。
伝えたいことと表現したいことはちがう。
読んでいるだけでは気づかない、文体の癖や工夫。
そういった物を理解し、取り入れ、表現できるようにしていかなければならない。
aiに書かせるだけではなくて。
「で、結局、この徒然とした文章の締めをかんがえないとな」
そういって、また自分の不甲斐ない文章作成能力と、めのまえに生成され続けるノベルを見比べながら、
夜が更けていく。




