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ナイン ―忘却の咎人と九人の勇者―   作者: 空色唐辛子
第一章 グラン国編 ―旅立ちの始まり―

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第三話 悪夢

 紅蓮たちと別れたシグマは、猫夜亭の二階にある自室へ戻った。


 部屋の中は狭い。


 置かれているのは、簡素なベッドと小さな机、それから荷物を置くための木箱くらいだ。


 しかし、旅を続けてきたシグマにとっては、雨風をしのげるだけで十分だった。


 扉を閉めたシグマは、肩に掛けていた外套を外す。


 続いて腰に下げていた刀と二つの鬼面を外し、ベッドの横へ静かに立て掛けた。


 身体には、一日の疲れが重く残っている。


 今日だけでも、ゴブリンの集落を壊滅させ、風の勇者と出会い、さらにはグランディア王国跡地の調査依頼を受けることまで決まった。


 あまりにも多くのことが起こりすぎた一日だった。


 シグマがベッドの縁に腰を下ろした、その時だった。


 コンコン。


 部屋の扉を控えめに叩く音が響く。


「はい」


 シグマが扉を開けると、そこには大きな木桶を両手で抱えた少女が立っていた。


 まだ十代半ばほどだろうか。


 猫夜亭で掃除や雑用を手伝っている少女で、何度か廊下ですれ違ったことがある。


 桶の中からは白い湯気が立ち上っていた。


「お、お湯をお持ちしました」


「ありがとう。重かっただろう」


「いえ、これも仕事ですから」


 少女はそう答えたものの、細い腕は桶の重さで小刻みに震えていた。


 シグマはすぐに桶を受け取る。


「助かった」


「あっ、はい」


 少女はどこか緊張した様子で、シグマの顔を見上げる。


 シグマは机の上に桶を置くと、革袋から銅貨を数枚取り出した。


「これを」


「えっ?」


「お礼だ」


「で、でも、お湯を運ぶのも宿代に含まれていますから……」


「階段を上るのは大変だっただろう。受け取ってくれ」


 シグマが銅貨を差し出すと、少女はしばらく困ったように視線を泳がせた。


 だが、やがて両手を差し出し、銅貨を受け取る。


「ありがとうございます!」


 先ほどまでの緊張した表情が、一瞬にして明るくなる。


「大切に使います!」


「ああ」


「それでは、おやすみなさい」


「おやすみ」


 少女は深く頭を下げると、何度も銅貨を確かめながら嬉しそうに廊下を歩いていった。


 その後ろ姿を見送ってから、シグマは静かに扉を閉める。


 湯気の立つ桶に布を浸し、身体に付着した土や汗を拭い落としていく。


 冷えかけていた身体に、温かな湯が染み込んだ。


 義手の隙間に入り込んだ泥も丁寧に拭き取る。


 一通り身体を清めた頃には、桶の湯はすっかり濁っていた。


 シグマは濡れた布を桶の縁に掛ける。


 そして薄い服に着替えると、ベッドへ横になった。


 瞼を閉じた途端、全身を包んでいた疲労が一気に押し寄せてくる。


 明日は忙しくなる。


 馬車を選び、依頼書を確認し、シルフを加えた五人で連携を確かめなければならない。


 考えるべきことは多かった。


 だが、シグマの意識はそれ以上考えることを許さず、すぐに深い眠りへと落ちていった。


     ◇ ◇ ◇


 何も見えない。


 光の一つも存在しない、真っ暗な世界。


 上も下も分からない。


 どこに立っているのかすら分からない。


 シグマは闇の中で、ただ一人立っていた。


 やがて、闇の中に一つの目が浮かび上がる。


 血走った目。


 憎しみを込め、シグマを睨みつけている。


 その隣に、もう一つ。


 さらにその隣にも。


 気付けば、無数の目がシグマを取り囲んでいた。


 老若男女、異なる色と形をした目。


 だが、そこに宿る感情だけは同じだった。


 憎悪。


 嫌悪。


 怒り。


 そして、恐怖。


 目の下から口だけが浮かび上がる。


 何かを叫んでいる。


 怒鳴りつけている。


 しかし、その言葉を聞き取ることはできない。


 音が歪み、幾重にも重なり、意味のない騒音となって頭の中へ流れ込んでくる。


「……やめろ」


 シグマが呟く。


 だが、口々に何かを叫ぶ声は止まらない。


 闇の中から無数の手が現れる。


 指を差す手。


 石を握る手。


 棒を振り上げる手。


 そして、刃物を握った手。


 次の瞬間、冷たい痛みが全身を貫いた。


 剣が肩を斬り裂く。


 短剣が腹部へ突き立てられる。


 背中を、腕を、脚を。


 何度も。


 何度も。


 何度も。


 肉が裂け、血が流れる。


 それでも、シグマの身体は倒れることを許されない。


 助けを求めようとしても、声が出なかった。


 口を開いても、息だけが漏れていく。


 やがて視界が大きく揺らいだ。


     ◇ ◇ ◇


 二人の女性が、大勢の人影に囲まれていた。


 服は乱れ、身体を押さえつけられている。


 泣きながら必死に手を伸ばしていた。


 助けを求めている。


 誰かの名前を叫んでいる。


 だが、その声も聞き取れない。


 顔も見えない。


 シグマは二人のもとへ駆け寄ろうとする。


 しかし、足が動かなかった。


 地面から伸びた黒い手が、シグマの両脚をつかんでいる。


「離せ……!」


 必死にもがく。


 それでも、手は離れない。


 二人の女性の姿が、闇に飲み込まれていく。


 伸ばされていた手が、見えなくなる。


     ◇ ◇ ◇


 頬を膨らませた幼い少女。


 その隣には、身体の大きな男が立っている。


 二人とも何かを話している。


 少女は不満そうな顔をしていたが、男は穏やかに笑っていた。


 どこか懐かしい。


 知っているはずなのに、名前が思い出せない。


 二人がシグマへ近づいてくる。


 少女が手を伸ばす。


 あと少しで、その指先が触れる。


 そう思った瞬間だった。


 二人の身体が、突然燃え上がった。


「やめろ!」


 少女も男も、声を上げることはなかった。


 ただ静かに燃え続ける。


 皮膚が焼け、服が崩れ、身体が黒く炭化していく。


 シグマは必死に手を伸ばした。


「やめろ! やめてくれ!」


 炎は止まらない。


 二人の身体は、やがて灰となって崩れ落ちた。


 風が吹く。


 灰が舞い上がり、闇の中へ消えていく。


 何一つ残らない。


「待て……」


 シグマの声だけが、暗闇の中に響いた。


「待ってくれ……」


 再び無数の目が現れる。


 無数の口が、シグマを責め立てる。


 今度は、はっきりと聞こえた。


 ――お前のせいだ。


 その言葉が、幾重にも重なる。


 ――お前が殺した。


 ――お前が奪った。


 ――お前さえいなければ。


「違う……」


 シグマは首を横に振る。


 ――咎人。


「違う」


 ――人殺し。


「違う!」


 ――化け物。


「違う!」


 無数の手が伸びてくる。


 身体をつかみ、闇の底へ引きずり込もうとする。


 シグマは必死に抵抗した。


 だが、次第に身体が闇へ沈んでいく。


 最後に見えたのは、炎の向こう側で自分を見つめる、頬を膨らませた少女の顔だった。


「――っ!」


 シグマは勢いよく身体を起こした。


 荒い呼吸が、静かな部屋に響く。


 胸が激しく上下していた。


 全身から大量の汗が流れ、服が肌に張り付いている。


 シグマはしばらく呆然と正面を見つめていた。


 そこに闇はない。


 無数の目も、燃える少女もいない。


 薄暗い自室があるだけだった。


「……夢か」


 震える声で呟く。


 頭を押さえ、深く俯いた。


 また同じ夢だ。


 見るたびに、内容は一つも変わらない。


 睨みつける無数の目。


 怒鳴りつける口。


 何度も刃物で傷つけられる自分。


 助けを求める二人の女性。


 そして、炎に包まれ灰となる少女と男。


 数か月前までは、頻繁に見ていた。


 それが、ここ最近は一度も見ていなかった。


 もう見なくなったのだと思っていた。


「なぜ、今になって……」


 昨日、風の勇者と出会ったからか。


 グランディア王国の名を聞いたからか。


 それとも、失った記憶が何かに反応しているのか。


 考えても答えは出ない。


 むしろ考えれば考えるほど、頭の奥に鈍い痛みが広がっていく。


 シグマは汗です濡れた服を脱ぎ捨てた。


 上半身裸のまま、部屋の隅にあった使い古しのタオルを手に取る。


 肌に触れる部分はすり切れ、ところどころ糸がほつれている。


 それを肩に掛け、部屋を出た。


 廊下には誰もいない。


 窓の外はまだ薄暗く、朝日は完全には昇りきっていなかった。


 シグマは足音を殺しながら階段を下り、猫夜亭の裏口から外へ出た。


 裏庭には洗濯物を干すための縄と、食材を保管する小屋。


 その奥に、古びた井戸がある。


 空は夜と朝の境目にあった。


 東の空がわずかに白み始めているものの、街全体はまだ青黒い闇に包まれている。


 シグマは井戸へ近づくと、縄を引き、桶を底へ落とした。


 やがて水をすくった感触が伝わってくる。


 縄を引き上げ、冷たい井戸水の入った桶を持ち上げる。


 そして迷うことなく、頭から水をかぶった。


「……っ」


 冷たさが全身を突き刺す。


 眠気など一瞬で消え去るほど冷たい。


 だが、夢の中で感じた炎の熱は消えなかった。


 シグマは再び桶を井戸へ落とす。


 水をくみ上げ、もう一度頭からかぶる。


 さらに、もう一度。


 何度も。


 何度も。


 身体が冷え、指先が震え始めても、シグマは水を浴び続けた。


 頭の中にこびりついた夢を洗い流そうとするように。


 炎に焼かれる二人の姿を消し去ろうとするように。


「何をしてるんですか……?」


 背後から聞こえた声に、シグマは勢いよく振り返った。


 裏口の近くに、昨夜お湯を運んできた少女が立っていた。


 寝間着の上から薄い上着を羽織っている。


 髪は寝癖で少し跳ねており、裸足に近い簡素な履物を履いていた。


 少女は驚いたように目を見開き、ずぶ濡れのシグマを見つめている。


「君か……」


 シグマは桶を地面へ置いた。


「すまない。水の音で起こしてしまったか」


「ち、違います」


 少女は慌てて両手を振る。


「そろそろ朝の仕事が始まるので、起きていたんです。そうしたら外から何度も水の音が聞こえて……」


 少女は言葉を止める。


 濡れた銀白色の髪。


 冷え切った身体。


 そして、普段よりも険しいシグマの表情。


 心配そうに眉を寄せる。


「こんなに寒いのに、何度も水を浴びたら風邪をひきます」


「平気だ」


「平気には見えません」


 思いのほか強い口調で言われ、シグマは少し驚いた。


 少女自身も、自分が強く言いすぎたと思ったのか、すぐに頬を赤らめる。


「ご、ごめんなさい。生意気なことを……」


「いや。君の言う通りだ」


 シグマは地面に腰を下ろし、肩に掛けていたタオルで髪を拭いた。


 少女は少し迷った後、シグマから離れた場所にちょこんと座る。


「眠れなかったんですか?」


「夢をちょっと...」


「怖い夢ですか?」


「ああ」


 短い返事だった。


 少女はそれ以上、夢の内容を尋ねなかった。


 ただ、膝を抱えたまま薄暗い空を見上げる。


「私も、怖い夢を見ることがあります」


「君も?」


「はい。父と母がいなくなった時の夢です」


 少女は笑おうとした。


 しかし、その笑顔はどこか寂しそうだった。


「夢の中では、いつも追いかけるんです。でも、どれだけ走っても追いつけなくて。目を覚ました時には、すごく疲れています」


「……そうか」


「だから、怖い夢を見た後に一人でいるのが嫌な気持ちは、少しだけ分かります」


 少女は恥ずかしそうに俯く。


「シグマさんには、いつも親切にしてもらっていますから」


「俺が?」


「はい。荷物を運んでいる時も手伝ってくれましたし、昨日も銅貨をくれました。それに、他の冒険者さんみたいに怒鳴ったりしません」


「それくらい、普通のことだ」


「普通にできない人も多いです」


 少女は静かに答えた。


 そして、ちらりとシグマを見る。


「だから、少し心配になって来てしまいました」


 その言葉を口にした途端、少女の顔がさらに赤くなった。


「べ、別に、変な意味ではなくて……!」


「分かっている」


 シグマはわずかに笑った。


「ありがとう」


 その笑顔を見た少女は、一瞬言葉を失ったように口を閉じる。


 そして、慌てて正面を向いた。


「そ、そろそろ中へ戻った方がいいです。身体も冷えていますし」


「ああ」


「温かい飲み物を用意します」


「そこまでしなくてもいい」


「駄目です」


 少女は立ち上がると、腰に手を当てた。


「今度は私の言うことを聞いてください」


 シグマは少し驚いた後、素直に頷く。


「分かった」


 二人は並んで猫夜亭へ戻った。


     ◇ ◇ ◇


 朝。


 猫夜亭の一階は、すでに多くの客で賑わっていた。


 仕事へ向かう職人。


 依頼を探しに来た冒険者。


 旅立ちの準備をする商人。


 さまざまな人々がテーブルを囲み、朝食を取っている。


 その一角に、すでに旅支度を整えたシグマの姿があった。


 黒い外套を身にまとい、腰には刀と二つの鬼面を下げている。


 目の前の皿には、焼いたパンと卵、それから薄切りの肉が盛られていた。


 しかし、食事はほとんど減っていない。


 シグマはパンを一口だけかじり、長い時間をかけて噛んでいた。


 夢の中で見た光景が、頭から離れない。


 助けを求める二人の女性。


 燃え上がる少女と男。


 そして、自分を責める無数の声。


 食べ物を口に入れるたびに、胸の奥から不快感が込み上げてくる。


「シグマ、どうしたの?」


 突然声を掛けられ、シグマは顔を上げた。


 テーブルの横に、給仕服姿のシルビアが立っていた。


 虎耳を心配そうに伏せ、シグマの皿を見ている。


「全然食べてないじゃない。料理が口に合わなかった?」


「いや、料理は美味しい」


「じゃあ、身体の具合が悪いの?」


 シグマは少し迷った。


 だが、シルビアがこのままでは引き下がらないことを知っている。


「少し、夢見が悪かった」


「また悪夢を見たの?」


「ああ」


 シルビアは、シグマが時折悪夢にうなされることを知っていた。


 以前も夜中に物音を聞き、様子を見に来たことがある。


 その時のシグマも、全身を汗で濡らし、ひどく苦しそうな表情を浮かべていた。


「夢は夢よ」


 シルビアは、シグマの前の椅子を引いて腰を下ろした。


「怖い夢を見ても、今ここにいるシグマは無事でしょ。朝ご飯もあるし、仲間も来る」


「仲間……」


「そう。今日はみんなで出かけるんでしょ?」


「ああ」


「だったら、しっかり食べないと。お腹が空いたら力が出ないわよ」


 シルビアは真剣な顔で言う。


「それに、シグマが倒れたら、みんな心配するから」


 シグマはしばらく黙っていた。


 そして、ほんの少しだけ口元を緩める。


「ありがとう、シルビア」


 いつもの硬い表情ではない。


 穏やかで、優しい笑顔だった。


「……っ」


 シルビアの頬が一気に赤くなる。


 彼女は目を見開いたまま、しばらくシグマの顔を見つめていた。


「シルビア?」


「な、なら良かった!」


 シルビアは勢いよく立ち上がる。


「ちゃんと全部食べるのよ!」


「ああ」


「絶対だからね!」


 そう言い残すと、シルビアは逃げるようにカウンターへ戻っていった。


 途中で椅子に足を引っ掛け、転びそうになっている。


 シグマは不思議そうに、その後ろ姿を眺めていた。


 やがてシルビアの姿がカウンターの奥へ消えると、シグマの笑顔もゆっくりと消えていく。


 再び、暗い表情が浮かぶ。


 だが、いつまでも沈んではいられない。


 シグマは息を吐き、残っていたパンを口へ運んだ。


 先ほどまでよりは、少しだけ食事が喉を通る。


 急いで朝食を済ませたシグマは、空になった食器を返却口へ持っていった。


 そして元の席へ戻った、その時だった。


 猫夜亭の扉が勢いよく開く。


「おはよう!」


 最初に入ってきたのは紅蓮だった。


 大剣を背負い、すでに装備を整えている。


 その後ろから、白鬼と黒鬼も続いて入ってきた。


「おはようございます!」


 白鬼は店内をきょろきょろと見回す。


 そしてシグマを見つけると、顔を明るくした。


「あっ、シグマさん!」


 白鬼は小走りでシグマのもとへ駆け寄る。


「おはようございます!」


「おはよう」


 紅蓮と黒鬼もテーブルへやってくる。


「早いな」


 紅蓮が椅子を引きながら言う。


「少し前に起きた」


「その割には、もう準備万端じゃねえか」


「準備する物は少ないからな」


 四人はそれぞれ椅子に腰を下ろす。


 白鬼は上機嫌に足を揺らしていた。


「今日からシルフさんも一緒なんですよね」


「ああ」


「勇者と一緒に依頼を受けるなんて、少し緊張しますね」


「白鬼が緊張するようには見えねえけどな」


「失礼ですね。私だって緊張くらいしますよ」


 紅蓮と白鬼がいつものように言い合う。


 その隣で、黒鬼は黙ってシグマを見ていた。


「……シグマさん」


「どうした?」


「少し、顔色が悪いです」


 黒鬼の言葉に、紅蓮と白鬼もシグマを見る。


「そうか?」


「はい。いつもより、少しだけ」


 前髪に隠れて表情はほとんど見えない。


 それでも、黒鬼が心配していることは声で分かった。


「大丈夫だ」


 シグマは笑顔を作る。


「少し寝不足なだけだ」


「本当に?」


「ああ」


 黒鬼はしばらく黙っていたが、それ以上は追及しなかった。


「……無理はしないでください」


「分かった」


 紅蓮は腕を組み、テーブルへ身を乗り出す。


「シルフが来るまで、先に今日の予定を確認しておくか」


「そうだな」


 四人は、昨日決まった内容を簡単に整理していく。


 まずは旅に必要となる馬車を見に行く。


 ただし、すでに完成している馬車を購入するのではない。


 長旅に耐えられる大きさや頑丈さを確認し、五人に合った馬車を新しく作ってもらう予定だった。


 その後、猫夜亭へ戻り、完成したグランディア王国跡地調査の依頼書を確認する。


 内容に問題がなければ、全員で署名する。


 さらに出発前の連携確認として、近場の討伐依頼を一つ受ける。


「こんなところか」


 紅蓮の言葉に、三人が頷く。


 その時、再び猫夜亭の扉が開いた。


「ふぁぁ……」


 大きなあくびと共に、シルフが店内へ入ってくる。


 目を半分閉じ、何度も目元をこすっていた。


 髪はところどころ跳ねており、昨日見せた勇者らしい姿はどこにもない。


 背中には弓を背負っているものの、歩き方はひどく頼りなかった。


 紅蓮の眉がぴくりと動く。


 シルフは四人に気付くと、眠そうな顔のまま手を上げた。


「おはよぉ……」


 そのまま、のろのろとテーブルへ近づいてくる。


 空いていた椅子に腰を下ろすと、同時に上半身を倒し、テーブルへ頬をつけた。


「だるいぃ……」


 紅蓮のこめかみに青筋が浮かぶ。


「お前な……」


「んー?」


「昨日、自分から一緒に行きたいって言ったんだよな?」


「言ったでぇ……」


「だったら、初日くらいまともに来い!」


 紅蓮が勢いよくテーブルを叩いた。


 周囲の客たちが驚いて振り返る。


「だいたい、勇者なら勇者らしく――」


「紅蓮」


 シグマが静かに名前を呼ぶ。


 紅蓮は何かを言いかけたまま、シグマを見る。


「店の中だ」


「……分かってる」


 紅蓮は不満そうに舌打ちし、再び椅子へ座った。


 まだ言いたいことはあるようだったが、それ以上は口にしなかった。


 シグマはテーブルに突っ伏すシルフを見る。


「今日の予定を決める」


「聞いてるでぇ……」


「顔を上げてくれ」


「うぅ……」


 シルフは嫌そうな声を漏らしながら、ゆっくりと身体を起こした。


 しかし、目はまだ半分閉じたままだ。


「まず、依頼書が完成するまでの間に馬車工房へ行く」


「馬車ぁ?」


「ああ。完成品を買うのではなく、これから作ってもらう。五人と荷物を乗せられて、長旅に耐えられる物が必要だ」


「なるほどなぁ」


「馬車を決めた後は、ギルドへ戻って依頼書を確認する。問題がなければ全員で署名する」


「うんうん」


「その後、討伐依頼を受ける。実際に戦って連携を確かめたい」


「了解やぁ……」


 返事だけはしている。


 だが、頭は何度も前へ落ちかけていた。


 見かねたシグマは、シルフの額を指先で軽く押す。


「寝るな」


「わっ!」


 シルフは驚いて背筋を伸ばした。


「ね、寝てへんで!」


「今にも寝そうだった」


「ちょっと目を休ませてただけや!」


 紅蓮が低い声で言う。


「同じだろ」


 シルフは紅蓮と目が合い、気まずそうに視線を逸らした。


 しばらくして、申し訳なさそうに両手を膝の上へ置く。


「……ごめん」


 先ほどまでとは違い、素直な声だった。


「昨日な、嬉しくて全然寝られへんかってん」


「嬉しくて?」


 白鬼が首を傾げる。


「久しぶりに誰かと一緒に依頼へ行けると思ったら、いろいろ考えてもうて」


 シルフは恥ずかしそうに頬をかく。


「何持っていこうとか、どんな馬車になるんやろとか、旅の途中で何食べようとか……気付いたら朝になってた」


 紅蓮は呆れたように額を押さえた。


「子供か、お前は」


「しゃあないやろ。楽しみやったんやから」


「二十二歳だよな?」


「そうやけど?」


「白鬼と黒鬼より子供っぽいぞ」


「紅蓮さん。それは私たちにも失礼です」


 白鬼が頬を膨らませる。


「私はしっかりしていますから」


「昨日、料理を詰め込みすぎて喉に詰まらせてただろ」


「あれは事故です!」


 白鬼が即座に反論する。


 シルフは目を丸くした。


「喉に詰まらせたん?」


「詰まらせていません!」


「死にかけてたな」


「紅蓮さん!」


 黒鬼が小さく肩を震わせる。


 笑っているようだった。


 やがてシグマも、ほんの少しだけ口元を緩めた。


 先ほどまで重く沈んでいた空気が、くだらない会話によって少しずつ軽くなっていく。


「とにかく」


 紅蓮は大きく息を吐く。


「次からはちゃんと寝てこい」


「はーい」


「返事が軽い!」


「分かったって。次はちゃんと寝るわ」


 シルフはそう言うと、再びあくびをした。


 紅蓮はまた怒りそうになったが、シグマが視線を向けると、何も言わずに諦めた。


 五人はしばらくの間、他愛のない会話を交わした。


 そしてシルフが軽い朝食を済ませるのを待ち、猫夜亭を出発した。


     ◇ ◇ ◇


 馬車工房は、アルランカの大門に近い場所にあった。


 広い敷地には、大小さまざまな馬車が並べられている。


 荷物の運搬に使う大型の荷馬車。


 二、三人で移動するための小型馬車。


 貴族が使用するような装飾の施された箱型馬車。


 さらに奥では、何人もの職人が木材を削り、車輪を組み立てていた。


 金槌の音と木を削る音が、絶え間なく鳴り響いている。


「すごい数ですね」


 白鬼は興味深そうに周囲を見回す。


「全部売り物なんかな?」


 シルフが並べられた馬車を眺めながら言う。


「完成品だけじゃねえだろ。修理中のも混じってる」


 紅蓮が答えた。


 五人が敷地の中へ入ると、腰に革の前掛けを巻いた男が近づいてくる。


 四十代ほどの、腕の太い職人だった。


「いらっしゃい。馬車を探してるのか?」


「ああ」


 シグマが答える。


「五人で長旅に使える馬車が欲しい。ただし、すぐに持ち帰るわけじゃない。こちらの希望に合わせて作ってもらいたい」


「注文制作か」


 職人は五人の装備を順番に見る。


 紅蓮の大剣。


 シルフの弓。


 黒鬼と白鬼の荷物。


 そしてシグマが腰に下げた刀。


「冒険者用なら、見た目より頑丈さを優先した方がいいな。街道は平らな場所ばかりじゃねえし、魔物に襲われる可能性もある」


「荷物も多くなる」


「だったら、この辺りの型が近い」


 職人は工房の横に置かれていた馬車へ五人を案内する。


 そこには、作りの異なる三台の馬車が並んでいた。


 一台目は、小さく軽い二輪の馬車。


「これが一番安い。銀貨三十枚だ。軽いから馬一頭でも引ける」


「五人乗れるか?」


 紅蓮が尋ねる。


「乗るだけならな。ただ、荷物を積んだらかなり窮屈になる」


「却下ですね」


 白鬼が即答した。


「私たちだけならともかく、食料や野営道具も必要です」


「それに、大剣もある」


 シグマが紅蓮の背中を見る。


「壊したら弁償だからな」


「俺の大剣を何だと思ってんだ」


「重い物」


「間違ってねえけどよ」


 職人は笑いながら二台目を示す。


「こっちは四輪。銀貨四十枚だ。五人と荷物なら、このくらいがいい」


 一台目より大きく、側面もしっかりとした木材で作られている。


 座席の下や後部に荷物を入れる場所もあった。


「中も広いな」


 紅蓮が馬車の中をのぞき込む。


「雨が降った時は、上に幌を張れる。側面も必要なら板で補強できるぞ」


「これ、寝られるん?」


 シルフが尋ねる。


「全員同時は無理だな。二人くらいなら横になれる」


「順番で休むには十分か」


 シグマは馬車の車輪を確認する。


 太く、丈夫そうな木材が使われていた。


 三台目は、さらに大きな箱型の馬車だった。


「こいつは銀貨六十枚。広さも頑丈さも上だが、その分重い。馬も最低二頭、場合によっちゃ三頭必要になる」


「そこまではいらないな」


 紅蓮が言う。


「目立ちすぎる」


 シグマも同意した。


 豪華な馬車は、盗賊に狙われる可能性を高める。


 旅をするなら、頑丈でありながら目立ちすぎない物の方がいい。


 五人は再び二台目の馬車を見る。


「これを基準に作ってほしい」


 シグマが言った。


「五人分の荷物を積めるようにして、車輪と側面をできるだけ頑丈にしてほしい。装飾はいらない」


「後ろに大剣を固定できる場所も欲しい」


 紅蓮が付け加える。


「弓が雨に濡れへん場所もあると助かるな」


「薬草や薬瓶を入れる小さな棚も欲しいです」


 白鬼も希望を口にする。


 黒鬼は少し考えた後、控えめに手を上げた。


「……揺れを、少し抑えられますか?」


「できる。ただし追加で銀貨が必要になる」


「どれくらいだ?」


 シグマが尋ねる。


「全部合わせて銀貨四十枚でいい。過剰な装飾を付けるわけじゃねえからな」


「完成までどのくらいかかる?」


「材料はある。早ければ三日、遅くても五日だ」


「分かった。頼む」


 シグマは革袋を取り出した。


 中から銀貨を数え、職人へ渡していく。


 紅蓮がすぐに腕を伸ばした。


「待て」


「どうした?」


「五人で使う馬車だ。五等分するぞ」


 白鬼も頷く。


「私たちも払います」


「……私も」


 黒鬼も小さく言う。


「うちも出すで」


 シルフも腰の革袋に手を伸ばした。


 しかし、シグマは首を横に振る。


「必要ない」


「必要あるだろ」


「この馬車は、依頼が終わった後も俺が使う」


 紅蓮が眉を寄せる。


「一人で旅を続けるつもりか?」


「今のところは、そのつもりだ」


 シグマの目的は、失われた記憶を取り戻すことだ。


 グランディア王国跡地の調査が終わった後も、旅が終わるとは限らない。


 むしろ、そこから新たな手掛かりを追うことになる可能性の方が高い。


「だから、これは俺自身に必要な物だ。今回の依頼だけのために買うわけじゃない」


「でもよ……」


「それに、馬車の所有者が複数いると後で面倒になる」


 シグマが淡々と告げる。


「だから俺が買う。それでいい」


 紅蓮は何か言いたそうだった。


 だが、シグマの考えが変わらないと分かったのか、大きく息を吐く。


「分かったよ。ただし、旅の途中で必要になる食料や消耗品は全員で出す。それは譲らねえぞ」


「ああ。それでいい」


 白鬼と黒鬼も頷く。


 シルフはシグマの横顔をしばらく見つめていた。


 やがて、小さく笑う。


「ほんま、頑固やな」


「よく言われる」


「誰に?」


 シルフの問いに、シグマは一瞬言葉を止めた。


 誰に言われたのか。


 自分でも分からない。


 ただ、昔からそう言われていたような気がした。


「……覚えていない」


「あ……」


 シルフは失言に気付いたように表情を曇らせる。


 シグマは気にするなというように、わずかに首を振った。


 職人は銀貨を数え終えると、木板に注文内容を書き込む。


「完成したら猫夜亭に知らせればいいんだな?」


「ああ」


「馬はどうする?」


「馬車が完成してから決める」


「それがいい。馬との相性もあるからな」


 職人に礼を告げ、五人は馬車工房を後にした。


     ◇ ◇ ◇


 猫夜亭へ戻ると、受付にいたリリアンヌがすぐに五人へ気付いた。


「あっ、皆さん!」


 桃色の猫耳を立て、こちらへ手を振る。


「ちょうどよかったです。依頼書が完成しましたよ」


 五人は受付へ向かう。


 リリアンヌは机の下から一枚の羊皮紙を取り出した。


「こちらが、グランディア王国跡地調査の正式な依頼書になります」


 羊皮紙には、依頼の目的と条件が細かく記されていた。


 目的地は、消失した旧グランディア王国領。


 主な調査対象は、王都跡地と土の大聖霊石。


 大聖霊石の状態を確認し、可能であれば周辺の異変についても調査する。


 報酬は前金として一人銀貨百枚。


 依頼成功時には、一人につき金貨十枚。


 危険と判断した場合の撤退権限は、紅蓮に与えられている。


 シグマは最初から最後まで目を通す。


「問題ない」


「私も大丈夫だ」


 紅蓮も頷く。


 白鬼と黒鬼も内容を確認する。


「大丈夫です」


「……私も」


 最後にシルフが羊皮紙を見る。


 先ほどまでの眠そうな様子は消え、勇者らしい真剣な表情を浮かべていた。


「うちも問題ないで」


 リリアンヌは羽根ペンとインクを用意する。


「それでは、こちらへ署名をお願いします」


 最初に紅蓮が署名する。


 続いて、白鬼。


 黒鬼。


 シグマ。


 最後にシルフが自分の名前を書いた。


 五人分の署名を確認したリリアンヌは、依頼書を丁寧に巻く。


「これで正式に受注となります」


 紅蓮は受付台に肘をついた。


「出発前に、一つ討伐依頼を受けたい」


「討伐依頼ですか?」


「ああ。五人で戦うのは初めてだ。実際の戦闘で連携を確かめておきたい」


 リリアンヌはすぐに意図を理解したらしく、何度か頷いた。


「分かりました。少々お待ちください」


 受付の奥に置かれた依頼書を確認し、数枚を取り出す。


「現在受けられる討伐依頼はこちらです」


 受付台の上に、四枚の依頼書が並べられた。


 一枚目は、農地を荒らす大猪の討伐。


 二枚目は、街道付近に現れた狼型魔物の討伐。


 三枚目は、小規模なゴブリン集団の討伐。


 そして四枚目は、旅人や商人を襲う盗賊団の討伐だった。


 紅蓮は順番に依頼書を確認する。


「ゴブリンは昨日やったばかりだな」


「大猪では、連携を確かめる前に終わりそうです」


 白鬼が言う。


「狼型魔物は動きが速い。連携確認には向いているかもしれない」


 シグマが依頼書を見る。


 紅蓮は最後の一枚を持ち上げた。


「盗賊討伐……」


 アルランカから西へ続く街道。


 そこから少し外れた森に、十人前後の盗賊が潜伏しているらしい。


 すでに複数の商人が襲われ、荷物や金品を奪われている。


 幸い、今のところ死者は出ていない。


 しかし、被害は次第に大きくなっていた。


「報酬は銀貨二十五枚か」


 シルフが依頼書をのぞき込む。


「少ないなぁ」


「盗賊の人数が正確じゃねえからだろ」


 紅蓮が答える。


「情報より多い可能性もある」


 シグマが言った。


「それに、盗賊なら魔物よりも考えて動く。連携の確認には向いている」


「どうだ?」


 紅蓮が四人を見る。


「私は構いません」


 白鬼が答える。


「……私も」


 黒鬼も頷いた。


「うちもええで」


 シルフも同意する。


 シグマは依頼書に書かれた場所を確認した。


「遠くはない。日が落ちる前には戻れるだろう」


「なら、これにするか」


 紅蓮は盗賊討伐の依頼書をリリアンヌへ渡した。


「これを受ける」


「分かりました」


 リリアンヌは受注手続きを始める。


 依頼書へ必要事項を書き込み、ギルドの印を押す。


「盗賊は西門から街道を進み、森へ入った辺りで目撃されています。正確な拠点は分かっていません」


「逃げた商人から詳しい話は聞けるか?」


 シグマが尋ねる。


「昨日のうちに街を出てしまいました。ただ、盗賊の中には弓を使う者がいたそうです」


「人数は?」


「確認できたのは八人です。ただし、他にも仲間がいる可能性があります」


「分かった」


 紅蓮は全員を見回す。


「準備はできてるな?」


「はい!」


「……はい」


「いつでもええで」


 シグマも静かに頷いた。


 リリアンヌは依頼書を紅蓮へ手渡す。


「それでは、皆さんお気を付けて」


 五人は猫夜亭を出た。


     ◇ ◇ ◇


 アルランカの大通りには、すでに多くの人々が行き交っていた。


 商品を載せた荷車。


 大声で客を呼び込む商人。


 仕事場へ向かう職人たち。


 その間を縫うように、五人は西門へ向かって歩く。


 先頭を歩くのは紅蓮。


 その隣にシグマ。


 少し後ろを、白鬼と黒鬼が並んで歩いている。


 シルフは最後尾で、まだ少し眠そうにあくびをしていた。


「本当に大丈夫か?」


 シグマが振り返る。


「大丈夫やって。歩いてたら目ぇ覚めてきた」


「戦闘中に寝るなよ」


 紅蓮が言う。


「寝るわけないやろ!」


「どうだか」


「紅蓮、うちのこと信用してへんな?」


「初日に寝不足で来る奴を、どう信用しろってんだ」


「でも戦う時はちゃんとするで」


「当然だ」


 シルフは頬を膨らませる。


「ほんま、厳しいなぁ」


「紅蓮さんは、真面目ですから」


 白鬼が笑う。


「融通が利かないだけだ」


 シグマが付け加える。


「シグマまで言うのかよ!」


 紅蓮の声に、白鬼が笑う。


 黒鬼も口元をわずかに緩めているようだった。


 シルフは楽しそうに笑いながら、シグマの隣まで駆け寄る。


「なんや、ええ感じやん」


「何がだ?」


「仲間って感じがして」


 シグマは返事をしなかった。


 ただ、周囲を歩く四人を静かに見た。


 仲間。


 その言葉は、どこか胸の奥へ引っ掛かった。


 自分にも、かつて仲間がいたのだろうか。


 夢の中に現れた二人の女性。


 少女と大柄な男。


 彼らは、自分にとって何者だったのか。


 思い出そうとすると、また頭の奥が痛む。


「シグマ?」


 シルフの声に、意識が現実へ戻る。


「どうしたん?」


「いや、何でもない」


「またそれか」


「また?」


「何でもない顔してへん時に、何でもないって言うやつ」


 シルフは不満そうにシグマを見る。


 シグマは少し驚いた。


 出会って間もないはずなのに、よく見ている。


「今は、本当に問題ない」


「今は、ってことは、何かあったんやろ?」


「シルフ」


 紅蓮が前を向いたまま声を出す。


「無理に聞くな」


「……分かってる」


 シルフは少しだけ表情を曇らせた。


 だが、すぐに明るい声で言う。


「まあ、話したくなったら聞いたるわ」


「ああ」


「勇者様は聞き上手やからな」


「昨日は自分の話ばかりしてただろ」


「細かいことは気にしたらあかん」


 話しているうちに、西門が見えてきた。


 巨大な石壁に設けられた門。


 朝から多くの旅人や荷馬車が出入りしている。


 門の前では、武装した兵士たちが通行人を確認していた。


 五人が近づくと、兵士の一人が紅蓮の姿を見て手を上げる。


「討伐依頼か?」


「ああ。西の森にいる盗賊だ」


「例の連中か」


 兵士の表情が険しくなる。


「昨日も、荷物を奪われた商人が戻ってきた。気を付けろよ。弓を持っている奴がいるらしい」


「ギルドでも聞いた」


「人数も分かっていない。深追いはするな」


「分かってる」


 紅蓮は依頼書を見せる。


 兵士はギルドの印を確認し、門の外へ続く道を指差した。


「街道を西へ進め。半刻ほど歩いた場所に、森へ続く細い道がある。盗賊を見た商人は、そこから襲われたと言っていた」


「助かる」


「無事に戻ってこいよ」


 兵士はそう言って道を開ける。


 門の向こうには、どこまでも続く街道が広がっていた。


 朝日が昇り、遠くの草原を明るく照らしている。


 シグマは足を止め、門の外を見つめた。


 胸の奥には、未だに悪夢の残滓がこびりついている。


 自分は何者なのか。


 何をしたのか。


 本当に、記憶を取り戻していいのか。


 もし過去の自分が、夢の中で責められていた通りの咎人だったなら。


 知らない方が、幸せなのかもしれない。


 だが、今は立ち止まるわけにはいかない。


「シグマさん?」


 黒鬼が心配そうに声を掛ける。


 シグマは四人を見た。


 紅蓮。


 白鬼。


 黒鬼。


 シルフ。


 昨日までは、シルフを除く三人と行動していた。


 今日からは、新たに五人となる。


「行こう」


 シグマが静かに言った。


「まずは、俺たちがどう戦えるのか確かめる」


「ああ」


 紅蓮が力強く頷く。


「盗賊なんて、すぐに捕まえてしまいましょう!」


 白鬼は明るく笑う。


「……頑張ります」


 黒鬼も小さく拳を握った。


 シルフは背負っていた弓を軽く持ち上げる。


「ほな、初仕事といこか」


 五人は並んで門をくぐった。


 アルランカの街を背にし、朝日に照らされた街道へ踏み出していく。


 こうして、シルフを加えた五人による、初めての共同任務が始まった。

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