第二話 勇者からの依頼
「改めまして、私は風の勇者シルフと申します。どうぞよろしくお願いします」
シルフは穏やかな笑みを浮かべると、シグマたち四人を順番に見回した。
礼儀正しく、物腰も柔らかい。
先ほど見せていた親しげな雰囲気とは違い、今の彼女は誰もが思い描く勇者そのものだった。
「それでは、さっそく依頼の内容についてお話ししたいのですが――」
「待ちな、シルフ」
依頼の内容を話し始めようとしたシルフを、マリアが片手を上げて止めた。
「ここで話すような内容じゃないだろ。詳しい話は、あたしの部屋でしな」
「……そうですね」
シルフは素直に頷くと、シグマたちへ向き直った。
そして穏やかな表情を少しだけ引き締め、深々と頭を下げる。
「急なお話で申し訳ありません。ですが、もう一度だけ、私の話を聞いていただけないでしょうか」
勇者に頭を下げられ、シグマたちは戸惑いながら顔を見合わせた。
「食事が済んだら、あたしの部屋まで来な」
マリアはそう告げると、シルフの肩を軽く叩いた。
「ほら、戻るよ」
「はい」
シルフはもう一度シグマたちに頭を下げ、マリアと共に食堂の奥へ戻っていった。
二人の姿が見えなくなる。
それまで賑やかだったシグマたちのテーブルに、重たい沈黙が流れた。
誰もすぐには口を開かなかった。
やがて、最初に沈黙を破ったのはシグマだった。
「依頼の内容はともかく……勇者からの依頼って、正直あまりいい噂を聞かないよな」
「ああ。俺も似たような話なら、何度も耳にしてる」
紅蓮が難しい顔で腕を組む。
勇者。
本来ならば、人々を救う英雄として敬われる存在だ。
しかし、現在召喚されている勇者たちの評判は決してよくない。
自分の力を笠に着て、冒険者に無理難題を押しつける。
報酬を踏み倒す。
機嫌を損ねたというだけで、相手を傷つける。
そんな話が、各地でまことしやかに囁かれていた。
先ほどまで楽しかった食事の時間は、すっかり重苦しいものへ変わってしまった。
白鬼も黒鬼も俯いたまま、料理へ手を伸ばそうとしない。
「あの……」
遠慮がちな声が聞こえた。
四人が振り向くと、そこには食器を手にしたリリアンヌが立っていた。
「風の勇者様のことでしたら、私も少しだけ知っています」
「シルフのことを?」
シグマが尋ねると、リリアンヌは静かに頷いた。
「はい。確かに、天真爛漫で自由奔放な方です。周りを振り回してしまうこともありますし、少し自分勝手なところもあります」
「やっぱり自分勝手なんだな」
紅蓮が呟く。
リリアンヌは困ったように笑った。
「ですが、決して人を騙したり、苦しめたりするような方ではありません」
その言葉には、はっきりとした確信が込められていた。
「困っている人を見かければ放っておけない方です。少なくとも、理由もなく冒険者を危険な目に遭わせるような人ではないと思います」
シグマは少し考えた後、紅蓮たちを見る。
「……話だけでも聞いてみないか?」
「そうだな。依頼を受けるかどうかは、その後で決めればいい」
紅蓮も肩の力を抜いた。
白鬼と黒鬼も、互いの顔を見た後に小さく頷く。
「ありがとうございます、リリアンヌさん」
シグマが礼を言うと、リリアンヌは慌てて首を横に振った。
「そんな。私は知っていることをお話ししただけですから」
「それでも助かったよ。このままだったら、話を聞く前から断ってたかもしれない」
「そう言っていただけると、私も嬉しいです」
リリアンヌは柔らかく微笑んだ。
「お料理が冷めてしまいますよ。せっかくマリアさんが作ったんですから、残したら怒られます」
「それは怖いな」
紅蓮の言葉に、皆の顔へ少しだけ笑みが戻った。
リリアンヌは食器を持ち直すと、軽く頭を下げる。
「それでは、私は仕事に戻りますね」
「ああ。ありがとう」
リリアンヌはカウンターへ戻っていった。
残された四人は、先ほどよりも少し軽くなった空気の中で食事を再開する。
そして食事を終えた後、揃ってギルドマスターの部屋へ向かった。
◇
ギルドマスターの部屋へ到着したシグマは、何の疑いもなく扉へ手を掛けた。
「失礼します」
ノックをせず、そのまま扉を開く。
部屋の中央に置かれた机。
その向こうでは、シルフが食事の真っ最中だった。
大きく口を開け、皿に盛られた料理をこれでもかというほど頬張っている。
「んぐっ!?」
突然入ってきたシグマたちと、シルフの目が合った。
驚いたシルフは、口いっぱいに詰め込んでいた料理を一気に飲み込もうとしてしまう。
「んぐっ……んんんんっ!?」
シルフが喉を押さえた。
顔を真っ赤にしながら、苦しそうに胸を叩く。
「お、おい! 大丈夫か!?」
シグマは慌ててシルフへ駆け寄った。
シルフは声も出せず、涙を浮かべながら必死に首を横へ振っている。
「どう見ても大丈夫じゃねぇだろ!」
紅蓮も駆け寄り、白鬼と黒鬼は部屋の中を見回した。
「お水!」
白鬼が机の上の水差しを指さす。
「ここにあります!」
黒鬼が素早く水差しを手に取り、杯へ水を注いだ。
シグマはシルフの背中を強く叩く。
一度。
二度。
三度。
「んぐっ……げほっ!」
ようやく喉に詰まっていた料理が通った。
「げほっ! げほっ、げほっ!」
シルフは黒鬼から受け取った水を勢いよく飲み干した。
「はぁ……はぁ……」
命拾いしたシルフは机に手をつき、肩で激しく息をする。
顔は真っ赤。
目元には涙が浮かび、口元には食べかすまでついていた。
「大丈夫か?」
「…………」
シグマが声を掛ける。
しかし、シルフは答えない。
涙目のまま俯き、小刻みに肩を震わせていた。
部屋に気まずい沈黙が流れる。
やがてシルフが、ゆっくりと顔を上げた。
「あんたらなぁ……」
低い声だった。
「え?」
「ノックくらいせぇやぁぁぁぁっ!」
シルフの怒鳴り声が、部屋中に響き渡った。
「あやうく死ぬところやったんやで!? 勇者が唐揚げ詰まらせて死亡とか、笑い話にもならへんやろ!」
先ほどまでの丁寧な口調は、跡形もなく消えていた。
突然飛び出した流暢な関西弁に、シグマたち四人は揃って目を丸くする。
「……口調、変わってないか?」
シグマが思わず呟いた。
「あっ……」
シルフの動きが止まる。
怒りに染まっていた顔から、すっと血の気が引いていく。
どうやら感情的になったせいで、取り繕っていた口調が崩れてしまったらしい。
「…………」
数秒間、何とも言えない沈黙が流れた。
「そ、そんなん今はどうでもええやろ! こっちは死にかけたんやぞ!」
シルフは顔を真っ赤にし、無理やり話を押し通した。
「普通はノックするやろ! 何のために扉が付いとると思っとんねん! 飾りちゃうぞ! 出入り口やぞ!」
「扉が出入り口なのは知っている」
「そういう話ちゃうわ!」
シグマの返答に、シルフはさらに顔を赤くした。
「悪かった」
「悪かったで済むかぁ! 心臓止まるか思たわ! いや、喉詰まって別の意味で止まりかけたけどな!」
シルフは涙目のまま、早口でまくし立てる。
「そもそも、あんたが口いっぱいに詰め込みすぎなんじゃねぇのか?」
紅蓮が冷静に指摘する。
「うちはお腹空いとったんや! 勇者は体力使うから、いっぱい食べなあかんねん!」
「限度というものがあります」
白鬼が困った顔で皿を見る。
そこには、まだ山のような料理が残されていた。
「それに、食べ物を一度に口へ入れすぎるのは危ないです」
黒鬼も真面目な表情で注意する。
「今まさに、それで死にかけとったんや! 改めて言わんでも分かっとるわ!」
「だったら怒る前に反省しろよ」
「そっちがノックせぇへんかったのが原因やろ!」
「何の騒ぎだい!」
勢いよく扉が開いた。
部屋へ入ってきたのはマリアだった。
腰に手を当て、鋭い目で室内を見回している。
「廊下まで丸聞こえだよ。あんたたち、ここを酒場と勘違いしてんのかい?」
「マリア、聞いてや! こいつらがノックもせんと、いきなり入ってきて――」
「シルフ」
「な、なんや?」
「口の周り」
「え?」
マリアは自分の口元を指で示した。
シルフは慌てて口元を拭う。
指には、唐揚げの衣が付いていた。
「…………」
「まず食べ物を口いっぱいに詰め込むんじゃないよ。子供じゃあるまいし、喉を詰まらせて死にかける勇者がどこにいるんだい」
「ここにおる……」
「胸張って言うことじゃないよ!」
「はい……」
マリアに叱られ、シルフは小さくなった。
しかし、マリアの説教はそれだけでは終わらない。
「それから、あんたたち」
マリアの視線がシグマたちへ向けられる。
四人の背筋が同時に伸びた。
「人の部屋へ入る時はノックをする。それくらいの礼儀は、子供でも知ってるよ」
「すみません」
シグマが素直に頭を下げる。
「シグマだけの問題じゃないよ。後ろにいたあんたたちも、止めるくらいできただろ」
「……悪かった」
「申し訳ありません」
「すみませんでした」
紅蓮、白鬼、黒鬼も揃って頭を下げた。
「まったく。シルフは食い意地を張る。あんたたちは礼儀を忘れる。揃いも揃って何をしてるんだい」
その後、シグマたち四人とシルフは、並んでマリアの説教を受けることになった。
説教は長く続いた。
食事の作法。
部屋へ入る際の礼儀。
喉に物を詰まらせた時の対処法。
さらには、食べ物を粗末にしてはいけないという話にまで発展する。
しばらくして、ようやくマリアの説教が終わった。
「さて、と」
マリアは大きく息を吐くと、机の前に置かれた椅子を指さした。
「説教はこれくらいにしといてやるよ。全員、座りな」
五人は黙って椅子へ座る。
シルフだけは、まだ少し涙目だった。
「いつまで泣いてんだい」
「泣いてへん。これは喉に詰まった時の涙が残っとるだけや」
「はいはい」
マリアは適当に受け流すと、一枚の地図を机の上へ広げた。
その表情から、先ほどまでの呆れは消えていた。
「ここからが本題だ」
マリアが地図の一点を指さす。
「今回、シルフがあんたたちに頼みたいのは、消滅したグランディア王国跡地の調査だ」
「グランディア王国……」
紅蓮の表情が険しくなる。
「それと、もう一つ」
マリアの指が、王国跡地の中央付近へ移動した。
「跡地にある土の大聖霊石が、今も無事なのか。それを確認してきてほしい」
部屋の空気が一変した。
消滅したグランディア王国。
かつて繁栄を極めながら、突如として滅びた国。
現在は魔物が徘徊し、並の冒険者では近づくことすら難しい危険地帯だ。
「先に言っとくよ」
マリアは真剣な眼差しで四人を見る。
「この依頼は、はっきり言って危険だ。運が悪けりゃ、全員生きて帰れない可能性だってある」
白鬼と黒鬼の表情が強張る。
「だから、無理に受けろとは言わない。危険だと思ったなら、ここで断っても構わないよ」
マリアが説明を終えると、シルフは椅子から立ち上がった。
そしてシグマたちへ向かって、深く頭を下げる。
「危険な依頼やってことは、うちも分かっとる」
先ほどまでの騒がしさは消えていた。
一度素の口調を見せてしまったからなのか、シルフはもう関西弁を隠そうとはしていない。
「それでも、どうしても確認せなあかんことなんや。勝手なお願いやって分かっとるけど……力を貸してほしい」
紅蓮はしばらくシルフを見つめた後、口を開いた。
「報酬は?」
シルフは顔を上げる。
「前金として一人銀貨百枚。依頼が成功したら、一人につき金貨十枚を支払う」
「金貨十枚……」
白鬼が驚きの声を漏らす。
黒鬼も目を見開いた。
破格の報酬だった。
普通の依頼を何十件こなしても、簡単には稼げない金額だ。
だが、うまい話には相応の危険がある。
むしろ、それだけの報酬を提示しなければならないほど危険な場所ということだ。
紅蓮は白鬼と黒鬼を見た。
二人はまだアイアン等級。
経験も実力も、危険地帯へ踏み込むには足りていない。
紅蓮自身は、多少の危険なら切り抜ける自信がある。
シルバー等級のシグマも、簡単にはやられないだろう。
しかし、白鬼と黒鬼まで守りながらとなれば話は別だ。
判断を誤れば、全員が命を落とす。
「俺は受ける」
突然、シグマが口を開いた。
「なっ……」
紅蓮が驚いて振り向く。
「お前、話を聞いてたのか? ただの調査依頼じゃねぇんだぞ」
「分かってる」
「分かってねぇから言ってるんだ。下手すりゃ、本当に死ぬぞ」
「それでも受ける」
シグマの意思は揺らがなかった。
彼には記憶がない。
自分が何者なのか。
どこから来たのか。
なぜ記憶を失っているのか。
その答えを見つけるため、シグマは本来ならば旅に出たいと考えていた。
だが、旅には金が必要になる。
グラン国を出るだけでも、決して安くない費用が掛かる。
移動費。
食費。
宿泊費。
装備の修繕や、旅の道具。
日々の生活費だけでも、稼いだ金は少しずつ消えていく。
この依頼を成功させれば、旅へ出るための資金を一気に得られる。
危険を承知でも、シグマにとっては見逃せない機会だった。
「俺は、自分のことを知りたい」
シグマは静かに言った。
「そのためには旅に出なきゃならない。これは、そのための一歩になる」
紅蓮はしばらくシグマを睨むように見つめていた。
やがて大きなため息をつく。
「……言っても聞かねぇ顔だな」
「悪い」
「謝るくらいなら、少しは迷え」
紅蓮は頭を掻くと、白鬼と黒鬼へ視線を向けた。
「お前たちはどうする?」
白鬼は迷わず答えた。
「私は行きます」
黒鬼も静かに頷く。
「私も、シグマさんについていきます」
「危険なんだぞ」
「分かっています」
「怖くないのか?」
紅蓮の問いに、黒鬼は両手を胸元で握った。
「怖いです。でも……シグマさんたちだけを行かせる方が、もっと嫌です」
白鬼も力強く頷く。
「私たちだって、冒険者です。守られているだけでは終われません」
紅蓮は二人を見つめた後、もう一度深いため息をついた。
「本当に、揃いも揃って頑固者ばかりだな」
そう言いながらも、その口元には僅かな笑みが浮かんでいた。
「分かった。俺も行く」
「紅蓮」
「勘違いするなよ。お前らだけで行かせたら、本当に死にかねねぇからな」
紅蓮はシルフへ向き直る。
「ただし、無理だと判断した時はすぐに撤退する。それでいいな?」
「もちろんや!」
シルフの顔が明るくなる。
「ありがとう! ほんまにありがとう!」
再び勢いよく頭を下げるシルフを見ながら、マリアは腕を組んだ。
「決まりだね」
マリアはそう言うと、机の上の呼び鈴へ手を伸ばした。
澄んだ音が部屋に響く。
しばらくすると、扉の向こうから足音が近づいてきた。
「お呼びでしょうか、マリアさん」
部屋へ入ってきたのはリリアンヌだった。
「ああ。シルフからの依頼を、この四人が受けることになったよ」
「本当ですか?」
リリアンヌは驚いたように目を見開いた後、嬉しそうに微笑んだ。
「それじゃあ、正式な契約書を作っておくれ。依頼内容と報酬、それから危険性についても細かく記載しておいてほしい」
「承知しました」
「明日までに仕上げてくれれば十分だ」
リリアンヌは頷くと、シグマたちへ向き直った。
「契約書が完成しましたら、内容をご確認いただいた上で、皆様に署名していただきます」
「分かりました」
シグマが代表して答える。
「それでは、さっそく作成に取り掛かりますね」
リリアンヌは丁寧に頭を下げると、部屋から出ていった。
その背中を見送ったマリアは、机の上の地図を畳んだ。
「ひとまず、ここでの話は終わりだね。細かいことは食堂で話しな」
「そうさせてもらうよ」
シグマたち四人とシルフは、揃ってギルドマスターの部屋を後にした。
◇
食堂へ戻った五人は、先ほどまでシグマたちが使っていた大きなテーブルを囲んで座った。
少し離れた場所では、冒険者たちが酒を飲み、依頼の成果を語り合っている。
そんな賑わいの中、シグマが口を開いた。
「そういえば、俺たちの自己紹介がまだだったな」
「あっ、そうやったな」
シルフはそう答えた後、一度咳払いをした。
「……そうでしたね」
「もう隠さなくていいんじゃないか?」
シグマに言われ、シルフは気まずそうに頬を掻いた。
「せやけど、勇者らしく振る舞った方がええかなって……」
「さっき全部ばれたけどな」
紅蓮が容赦なく告げる。
「うるさいわ!」
シルフは反射的に言い返した後、しまったという顔で口を押さえた。
白鬼が小さく笑い、黒鬼も俯きながら口元を緩める。
先ほどまでの緊張した空気が、ほんの少しだけ和らいだ。
「これから一緒に戦うんだ。名前だけじゃなく、職業や得意なことも話しておこう」
シグマはそう言うと、最初に自分から名乗った。
「俺はシグマ。シルバー等級の冒険者だ。職業は格闘家で、基本は前衛。体術を中心に戦う」
「……ん?」
シルフがシグマの腰元へ視線を落とした。
「格闘家?」
「ああ」
「でも、刀差しとるやん」
シルフが、シグマの腰に差された刀を指さす。
「差してるな」
「剣士ちゃうん!?」
「違う」
「なんでやねん!」
シルフは思わず机を叩いた。
「格闘家やのに刀持っとるとか、ややこしすぎるやろ!」
「体術が一番得意なんだ。刀は状況に応じて使う」
「それ、もう半分くらい剣士ちゃうん?」
「格闘家だ」
「頑なやな!」
シルフは納得できない様子でシグマの刀を眺め続けた。
シグマは気にせず、自己紹介を続ける。
「それと、ハクという契約した魔獣がいる」
「魔獣?」
「レッサーフェンリルだ。普段は森で暮らしていて、必要な時にだけ呼んでいる」
「フェンリル!?」
シルフの目が輝く。
「今は一緒におらへんの?」
「ああ。詳しいことは、実際に会った時に話すよ」
「なんやそれ。余計に気になるやん……」
シルフは不満そうに頬を膨らませた。
「次は俺だな」
紅蓮が口を開き、腰に差した刀を軽く叩く。
「俺は紅蓮。ゴールド等級の剣豪だ。基本は前衛。火炎系の剣技を使う。魔法も少しなら扱える」
「おお! 今度はちゃんと刀と職業が合っとる!」
「普通はそうなんだよ」
紅蓮は横目でシグマを見た。
「俺を見るなよ」
「前衛が二人おるんは助かるな。うちが好きに動いても、守ってもらえそうや」
「好きに動く前提で話すな」
「冗談やって」
「お前の場合、冗談に聞こえねぇんだよ」
紅蓮の疑いの眼差しから逃げるように、シルフは白鬼へ顔を向けた。
白鬼は姿勢を正し、丁寧に頭を下げる。
「百目鬼白鬼です。アイアン等級の冒険者です」
「白鬼ちゃんやな。見た感じ、神官か回復術師ってところやろ?」
「いいえ。職業は黒魔道士です」
「……え?」
「攻撃魔法が得意で、後衛を担当しています」
シルフは黙ったまま、白鬼の白を基調とした装いを上から下まで見つめた。
「黒魔道士?」
「はい」
「その見た目で?」
「よく言われます」
白鬼は慣れた様子で微笑んだ。
「絶対、回復魔法使う方やと思うやん! 名前も白鬼やし!」
「ですが、回復魔法はほとんど使えません」
「見た目と中身が全然合うてへん!」
続いて、黒鬼が控えめに頭を下げた。
「百目鬼黒鬼です。白鬼の妹で、私もアイアン等級です」
「今度こそ黒魔道士やろ?」
「いいえ。職業は回復術師です」
「逆やろ!?」
シルフの叫びが、食堂に響いた。
「どう見ても黒鬼ちゃんの方が黒魔道士やん!」
「そうでしょうか?」
黒鬼は前髪の奥で首を傾げる。
「黒い服! 目ぇ隠れとる前髪! 全体から漂う怪しい雰囲気! どこからどう見ても黒魔道士やろ!」
「回復魔法と支援魔法が得意です。戦闘では後衛を担当します」
「しかも、めっちゃ真面目に説明続けるやん!」
黒鬼は困ったように両手を胸元で握る。
「姉とよく間違えられます……」
「間違えるわ! 白鬼ちゃんと黒鬼ちゃん、職業を交換した方が分かりやすいやろ!」
「そんな理由で職業は変えられませんよ」
白鬼が苦笑する。
「名前まで逆っぽいし! なんなん、この姉妹!」
シルフが頭を抱えると、シグマたちから笑い声が漏れた。
張り詰めていた空気が、少しずつ解けていく。
「最後はシルフだな」
シグマに促され、シルフは自分の胸へ手を当てた。
「改めて、うちはシルフ。風の勇者や。前衛と中衛の間くらいで戦うことが多い」
「具体的には?」
「風魔法を使った高速移動と、近距離の攻撃が得意や。敵を引きつけたり、風で援護することもできるで」
「前へ出すぎるタイプだな」
紅蓮が即座に言う。
「まだ何もしてへんやろ!」
「自己紹介だけで分かる」
「偏見や!」
「でも、当たってるんだろ?」
シグマに尋ねられ、シルフは目を逸らした。
「……ちょっとだけ」
「ちょっとじゃなさそうだな」
紅蓮が深いため息をつく。
「まあ、これから連携を確認すればいい」
シグマはそう言うと、シルフへ視線を戻した。
「次は今後の予定を教えてくれ」
「せやな」
シルフは持っていた鞄から一枚の地図を取り出した。
先ほどマリアが広げていたものよりも大きく、周辺の街道や集落まで細かく描かれている。
「まず、このアルランカを出発して南へ進む。途中で何個か街を通って、そこから山を越えてグランディア王国跡地へ入るんや」
シルフは地図の上を指でなぞっていく。
「順調に進めば、王都跡には数か月で着けると思う」
「数か月?」
紅蓮の眉がぴくりと動いた。
「うん。出発は二、三日後を予定しとる」
その言葉を聞いた瞬間、紅蓮は黙り込んだ。
表情から笑みが消えていく。
「……それだけか?」
「それだけって?」
「計画だよ」
紅蓮が地図を指さす。
「街道を進んで、山を越えて、王都跡まで行く。それで終わりか?」
「う、うん」
「馬車は?」
「歩けばええやろ」
「食料は?」
「途中の街で買えば……」
「水は?」
「川とか井戸とか……」
「回復薬や傷薬は?」
「必要になったら――」
「話にならねぇな」
紅蓮は深いため息をついた。
シルフの顔がむっとする。
「なんやねん。ちゃんと考えとるで」
「考えてねぇから言ってんだ」
紅蓮は地図を指で叩いた。
「ここからグランディア王国跡地まで、街道だけを進める保証はない。魔物の出現で道が塞がれているかもしれないし、橋が落ちているかもしれない。山道なら天候次第で何日も足止めされる」
「それは、その時に考えれば――」
「その時に考えて間に合わなかったら死ぬんだよ」
紅蓮の声が低くなる。
「数か月で行けるってのは、何も問題が起きず、全員が常に歩き続けられた場合の話だ。休息も、怪我も、道の変更も考えられてねぇ」
シルフは口を閉ざした。
「この距離なら、最短でも半年は見るべきだ。余裕を持つなら一年。準備だけでも最低十日は必要だ」
「一年は遅すぎる!」
シルフが声を上げる。
「そんなに時間をかけてたら、いつ着くか分からへんやろ!」
「だから一年かけるんじゃねぇ。一年かかっても対応できるように計画するんだ」
紅蓮は厳しい口調のまま続ける。
「馬車をどうするか。食料と水をどれだけ持つか。予備の武器や防具は必要か。回復薬、解毒薬、野営道具、地図、方位磁針。全部揃えるのに二、三日じゃ足りねぇ」
「でも、うちは早く――」
「それに、もう一つ聞きたい」
紅蓮がシルフの言葉を遮った。
「勇者のお前に、どうして護衛がいない?」
「……っ」
シルフの表情が僅かに強張った。
「この依頼は国から受けたものなんだろ?」
「なんで、そう思うん?」
「土の大聖霊石を確認する依頼だ。普通の冒険者が勝手に調べるようなもんじゃねぇ」
紅蓮はシルフから視線を逸らさない。
「国からの正式な依頼なら、兵士か騎士がつくはずだ。勇者一人で動かせるわけがない」
「…………」
「それなのに、どうしてわざわざ冒険者を雇う?」
シルフは答えない。
視線を下げ、膝の上で両手を握っていた。
何かを隠している。
それだけは、誰の目にも明らかだった。
「どういうことだよ」
紅蓮の声に苛立ちが混じる。
「俺たちは命を懸けるんだぞ。都合の悪いことを隠されたまま――」
「紅蓮」
シグマが静かに名前を呼んだ。
「なんだよ」
「少し落ち着け」
「これが落ち着いてられるか」
「紅蓮の言ってることは正しい」
シグマはそう前置きし、シルフを見る。
「でも、責め続けても話しづらくなるだけだ」
「……甘いんだよ、お前は」
「そうかもしれない」
シグマは苦笑した。
そして、俯いたままのシルフへ優しく声を掛ける。
「俺たちは、もう同じ依頼を受ける仲間になった」
シルフの肩が僅かに動いた。
「だから、隠し事はしないでほしい」
「…………」
「話したくないことまで無理に聞くつもりはない。でも、この旅に関係することなら、ちゃんと話してほしい」
責めるような口調ではなかった。
ただ、真っ直ぐに信頼を求める言葉だった。
シルフはしばらく黙り込んでいた。
やがて小さく息を吐く。
「……ほんまはな」
消え入りそうな声だった。
「うちにも、護衛はおったんや」
「やっぱりか」
紅蓮が呟く。
「国から命令を受けて、グランディア王国跡地へ向かっとった。騎士団の人たちと一緒に」
「なら、その護衛はどこへ行った?」
シルフは気まずそうに視線を逸らした。
「……置いてきた」
「は?」
「ちゃうねん。正確には、うちが先に出てきたんや」
「同じだろうが!」
紅蓮が額を押さえる。
シルフは慌てて両手を振った。
「聞いてや! うちかて最初は、ちゃんと一緒に旅しとったんや!」
「途中で嫌になったのか?」
「だって、何するにも許可が必要なんやで!」
シルフは堰を切ったように話し始めた。
「朝起きる時間も、休む場所も、食べる物も、全部決められとった。ちょっと街を見たい言うても駄目。困っとる人を助けようとしても、予定にないから駄目。少しくらい寄り道してもええやろって言うても、全部駄目や!」
話すほどに、シルフの声が大きくなる。
「勇者になったら、もっと自由に旅ができると思っとった。いろんな場所に行って、いろんな人を助けて、冒険できるって」
「観光旅行じゃねぇんだぞ」
「分かっとる!」
「分かってねぇから護衛を置き去りにしたんだろうが」
「置き去りにしたんちゃう! 先に進んだだけや!」
「それを置き去りって言うんだ!」
紅蓮の突っ込みに、シルフは言葉を詰まらせた。
詳しく話を聞けば聞くほど、事態は単純だった。
国から正式な依頼を受けた。
護衛の騎士たちと共に旅へ出た。
しかし、自由に動けないことへ不満を募らせた。
そしてシルフは、仲間を置いて勝手に一人で先へ進んでしまった。
その結果、護衛を失い、行動を共にする冒険者を新たに探していたのだ。
「呆れた……」
紅蓮は顔を覆った。
「全部、お前の自分勝手な行動の結果じゃねぇか」
「それは……分かっとる」
「分かってる奴は、そんなことしねぇよ」
「せやけど!」
シルフは立ち上がる。
「依頼が嘘ってわけやない!」
食堂に響いた大きな声に、周囲の冒険者たちがちらりと視線を向ける。
シルフは慌てて声を落とした。
「土の大聖霊石を確認せなあかんのは本当や。グランディア王国跡地を調査する必要があるのも本当」
シルフは胸元で拳を握り締める。
「護衛から離れたんは、縛られたくなかったからや。自分勝手やったことも分かっとる」
その声には、先ほどまでの軽さはなかった。
「でも、この依頼を軽く考えとるわけやない」
真っ直ぐにシグマたちを見る。
「うちは本気で調べたい。土の大聖霊石が無事なのか、王都跡で何が起きとるのか、自分の目で確かめたいんや」
「だったら、どうして騎士たちと行かなかった」
紅蓮の問いに、シルフは少しだけ視線を伏せた。
「……あの人たちは、うちを勇者としてしか見てへんかった」
「だからって――」
「紅蓮」
再びシグマが口を挟む。
紅蓮は不満そうに眉を寄せた。
「まだ庇うのか?」
「庇うっていうより、俺はシルフの言葉を信じたい」
「随分簡単に信じるんだな」
「全部を信じるわけじゃない」
シグマはシルフを見る。
「計画が甘いのも、自分勝手だったのも事実だ」
「うっ……」
「でも、依頼に対する気持ちまで嘘だとは思わない」
シルフは目を見開いた。
「紅蓮の言う通り、勝手な行動は危険だ。これから同じことをされたら困る」
シグマは白鬼と黒鬼へ視線を移す。
「だからこそ、俺たちで止めればいい」
「簡単に言うなよ」
「簡単じゃない。でも、今ならまだやり直せる」
シグマは穏やかに笑う。
「護衛を置いてきたことは変えられない。でも、この先どうするかは変えられるだろ」
「シグマ……」
「俺たちと行くなら、もう一人で勝手に動かない。それを約束してほしい」
シルフは黙ってシグマを見つめた。
そして、ゆっくりと頷く。
「約束する」
「本当か?」
紅蓮が疑わしそうに尋ねる。
「ほんまや。もう勝手なことはせぇへん」
「信用できねぇな」
「そこまで言わんでもええやろ!」
「さっそく騒ぐな」
シグマが間に入る。
白鬼はしばらく考え込んだ後、小さく口を開いた。
「私は……シグマさんの意見に賛成です」
紅蓮が白鬼を見る。
「いいのか?」
「不安はあります。でも、シルフさんが本気で依頼を果たしたいと思っているのなら、力になりたいです」
黒鬼も静かに頷く。
「私もです。ただし、本当に勝手な行動はしないでください」
「せぇへん! 絶対せぇへん!」
「その返事が軽いんだよ」
紅蓮は大きくため息をついた。
それでも、三人の顔を順番に見た後、諦めたように肩を落とす。
「……分かったよ」
「紅蓮」
「ただし、一度でも勝手なことをしたら依頼は中止だ」
紅蓮はシルフを鋭く睨む。
「お前が勇者だろうが関係ねぇ。俺たちは帰る」
「分かった」
今度のシルフの返事には、先ほどまでの軽さはなかった。
紅蓮はその様子を見て、ようやく少しだけ表情を緩めた。
「なら、計画を一から立て直すぞ」
五人は改めて地図を囲んだ。
「まず、この街を出るのは十日後だ」
紅蓮が地図の上へ指を置く。
「その間に必要な物を揃える。馬車、食料、水、回復薬、野営道具。装備の点検も必要だ」
「馬車は絶対に必要なん?」
「長旅になる。荷物を全部背負って歩く気か?」
「それは嫌や」
「なら必要だ」
紅蓮は続ける。
「それと、出発までの間に、シルフを入れた五人でいくつか討伐依頼を受ける」
「討伐依頼?」
シルフが首を傾げる。
「俺たちは、お前がどう戦うのか知らない。お前も、俺たちの戦い方を知らねぇだろ」
「確かに」
「連携を確認する。前衛と後衛の役割、合図、撤退の判断。全部決める必要がある」
シルフは素直に頷いた。
「分かった。うちも皆の戦い方を知りたい」
「旅のルートも決め直す」
紅蓮は地図上の街や街道を一つずつ指さしていく。
「補給できる街を通りながら進む。危険な山道はできるだけ避ける。予定は最短で半年」
紅蓮はそこで一度言葉を切った。
「ただし、天候や魔物、道の状態次第では一年かかることも考える」
「……一年」
シルフは小さく呟いた。
「嫌か?」
「正直、長いと思う」
シルフは地図を見つめる。
「でも、うちの計画が甘かったんは分かった」
しばらく迷った後、顔を上げた。
「皆が安全に辿り着くために必要なら、その予定で進めよう」
「最初からそう言えばいいんだよ」
紅蓮が呟く。
「せやから、反省しとるやろ」
「まだ信用はしてねぇ」
「しつこいな!」
「喧嘩するなって」
シグマが苦笑しながら二人を止める。
こうして、五人の今後の予定は正式に決まった。
アルランカを出発するのは十日後。
それまでに旅に必要な物を揃え、シルフを加えた五人でパーティを組み、いくつかの討伐依頼をこなす。
グランディア王都跡までの行程は最短で半年。
不測の事態も考え、予定には一年の余裕を持たせる。
杜撰だったシルフの計画は、紅蓮を中心に大きく作り直されることになった。
「じゃあ、今日はここまでだな」
シグマが立ち上がる。
「明日はどうする?」
「朝、ここに集合だ」
紅蓮が答えた。
「契約書を確認して署名する。その後、必要な物を洗い出す」
「分かった」
白鬼と黒鬼も頷く。
「シルフも遅れるなよ」
「分かっとるって!」
「本当に分かってるのか?」
「遅れへんわ!」
紅蓮とシルフは、最後まで言い合いを続けていた。
その様子を見ながら、シグマは小さく笑う。
こうして五人は、この日は一度解散することになった。
明日の朝、再び猫夜亭で落ち合う。
契約書へ署名し、旅へ向けた準備を始めるために。
長い旅は、まだ始まってすらいない。
それでも彼らはこの日、確かに最初の一歩を踏み出していた。




