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ナイン ―忘却の咎人と九人の勇者―   作者: 空色唐辛子
第一章 グラン国編 ―旅立ちの始まり―

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第二十九話 繋がる力

 ミルザードを出発してから、半刻ほどが過ぎた。


 街を囲んでいた外壁は、すでに遠く小さくなっている。


 鍛冶場から立ち昇る煙も空へ溶け込み、やがて雲との見分けがつかなくなった。


 シグマは御者台で手綱を握りながら、真っ直ぐに延びる街道を見つめていた。


 次の目的地はエルム村。


 その先にあるハイン村を経由すれば、アルステラ王国の王都アルスラへ辿り着く。


 ミルザードでは予定以上に長く滞在した。


 そのため、二つの村では必要な物資の補充と宿泊だけを済ませ、先を急ぐ予定だった。


「シグマ」


 隣に座っていたフェルンが、街道の左側を指差した。


「あそこ」


 緩やかな丘の上に、白銀の大きな狼が立っていた。


 風になびく長い毛。


 遠くからでも、その姿を見間違えることはない。


「ハクだな」


 シグマが手綱を引く。


 ノクスとソルがゆっくりと歩みを止めた。


 馬車が止まりきると同時に、フェルンは御者台から飛び降りる。


「ハク!」


 名前を呼ばれたハクが丘を駆け下りた。


 フェルンも街道の端まで走り、そのまま白銀の首元へ飛びつく。


「待たせてごめんね」


『気にするな。近くの森で休んでいた』


「寂しくなかった?」


『数日離れていただけだ』


「少し寂しかったって」


『言っていない』


 フェルンが笑いながら通訳する。


 その声を聞きつけ、客室から白鬼が勢いよく飛び出してきた。


「ハク!」


 白鬼も反対側から首元へ抱きつく。


「久しぶり!」


『まだ数日しか経っていない』


「数日でも久しぶりだよ!」


 白鬼は気にすることなく、ハクの毛へ頬を擦り寄せた。


「うちも混ぜてや!」


 続いて馬車から降りてきたシルフが、両腕を広げて駆け寄る。


 ハクは僅かに後退した。


「何で逃げるん?」


『お前まで来ると思った』


「来ると思ってたんやったら、待ってたんやな!」


『そういう意味ではない』


 シルフは聞き流し、逃げようとするハクの首へ抱きついた。


「数日も街の外で待ってたんやから、これくらいええやろ」


『待っていたことと、抱きつかれることに何の関係がある』


「ハクも嬉しいって」


「それは嘘」


 白鬼が即座に言う。


「何や、それ!」


 シルフが抗議する横で、ハクは三人を振りほどこうとはせず、その場へ伏せた。


「朝から騒がしいな」


 紅蓮が馬車から降りてくる。


「いつまでそうしているつもりだ?」


「あと少し!」


「白鬼の『あと少し』は長い」


 遅れて降りてきた黒鬼が、ハクの鼻先を優しく撫でる。


「ハク、怪我してない?」


『問題ない』


「怪我はないって」


 フェルンが通訳する。


「ご飯は食べた?」


『森で角兎を二頭ほど狩った』


「角兎を二頭食べたって」


「それだけで足りる?」


『待っている間は、ほとんど動いていなかったからな』


「ずっと寝てたから大丈夫だって」


『そこまで怠けてはいない』


 ハクは困ったようにシグマを見た。


「フェルンは悪気があって言っているわけじゃない」


『分かっている』


 シグマが近づくと、ハクの目が両義手に取り付けられた制御リングへ向けられた。


『見慣れない物が増えているな』


「義手の力を抑える制御具だ。ミルザードで作ってもらった」


『それほど危険な力だったのか』


「ああ。昨日、実際に使って分かった」


 シグマは左義手を持ち上げた。


「この左腕で魔法を吸収し、魔石弾へ変える。右腕は、その魔石弾を撃ち出せる」


『また妙な力を使えるようになったのか』


「使えるようになっただけだ。扱えるとは言い切れない」


 シグマの答えを聞き、ハクが僅かに目を細める。


『自分で分かっているなら、少しは安心した』


「制御リングもある。それに、これから練習するつもりだ」


『一人でか』


「仲間たちと一緒にだ」


「みんなで見張る」


 フェルンがシグマより先に答えた。


「シグマが無茶をしたら、止めるって約束した」


『それなら安心だ』


「ハクも見張ってくれるって」


『そこまでは言っていない』


「でも、シグマが無茶したら止める?」


『当然だ』


「止めてくれるって」


「俺はそこまで信用がないのか?」


『ない』


 ハクは迷いなく答えた。


「ないって」


「通訳しなくても、今の顔で分かった」


 シグマがため息をつくと、白鬼たちから笑い声が上がった。


「再会を喜ぶのは、そのくらいにしておけ」


 紅蓮が皆へ声をかける。


「今日中に進めるだけ進むんだろ?」


「ああ。ハク、行けるか?」


『問題ない』


 ハクが立ち上がる。


 フェルンはその背へ乗り、首元の毛をしっかりと掴んだ。


「今日はハクと行く」


「疲れたら馬車へ戻れ」


「うん」


 白鬼たちも客室へ戻る。


 シグマが御者台へ座り、再び手綱を握った。


「行くぞ、ノクス、ソル」


 二羽がゆっくりと歩き始める。


 馬車の横にはハクが並び、その背ではフェルンが気持ちよさそうに風を受けていた。


 ミルザードの街並みは、今度こそ完全に見えなくなった。


 昼を過ぎた頃。


 シグマたちは街道沿いにある休憩場所へ馬車を止めた。


 大きな木が数本並び、その下には旅人が自由に使える石造りの竈が設置されている。


 近くには水場もあり、ノクスとソルを休ませるには十分な場所だった。


 先客はいない。


 紅蓮と白鬼がノクスとソルを水場へ連れていく。


 黒鬼とフェルンは、竈の近くで昼食の準備を始めた。


 シルフはハクと共に周囲を確認するため、街道の先へ向かう。


 シグマは馬車から必要な荷物を下ろし終えると、茜から渡された秘伝書を取り出した。


 一番上にある『気術基礎』。


 その下には、術式の描かれた札で封じられた数冊の秘伝書がまとめられている。


 シグマは二冊目へ指をかけた。


 僅かに力を込めてみたが、表紙は動かない。


 札だけではない。


 本そのものが、一つの塊になっているようだった。


「本当に開かないな」


「茜が開かないって言ったんだから、開かないでしょ」


 後ろから声をかけられ、シグマが振り返る。


 水の入った桶を持った白鬼が立っていた。


「分かってはいたが、どの程度なのか気になった」


「無理に開けたら、茜に怒られるよ」


「茜はここにいない」


「秘伝書が教えるかも」


「持ち主の行動まで記録するのか?」


「分からないけど、茜ならやりそう」


「それは否定できないな」


 シグマは二冊目を元へ戻し、『気術基礎』を開いた。


 最初の頁には、人の体を正面と背後から描いた図がある。


 何本もの線と矢印によって、体内を巡る気の流れが示されていた。


 図の下には、茜の字と思われる注意書きが記されている。


『最初から気を一か所へ集めるな』


『呼吸を乱すな』


『力を絞り出そうとするな』


『全身を流れている気を感じろ』


『分からなくなったら最初へ戻れ』


 どれも、ミルザードの道場で何度も注意されたことだった。


「茜の声が聞こえてきそうだな」


「何て書いてあるの?」


 白鬼がシグマの隣へ座り、秘伝書を覗き込む。


「最初から気を一か所へ集めるな、と書いてある」


「昨日、シグマがやってたこと?」


「ああ」


「なら、今日はやらない方がいいね」


「今日は全身へ気を巡らせる練習だけにする」


「右脚には集めない?」


「ああ」


「右腕も?」


「集めない」


「左腕は?」


「同じだ」


「約束できる?」


「約束する」


 白鬼は満足そうに頷いた。


「黒鬼にも教えてくる!」


「そこまでしなくても――」


 白鬼は最後まで聞かず、桶を持ったまま走っていった。


 昼食を作っている黒鬼の近くまで行き、何かを話し始める。


 黒鬼がシグマの方を見た。


 本当に約束したのか確かめるように首を傾げる。


 シグマは仕方なく頷いた。


「全員に見張られることになりそうだな」


『当然だろう』


 いつの間に戻っていたのか、ハクがシグマの後ろへ立っていた。


「ハクまで言うのか」


『昨日も無理をしたのだろう』


「フェルンから聞いたのか?」


『地面へ大穴を開けたことも、右脚を使いすぎたことも聞いた』


「大穴を開けたのは、義手の力を確かめるためだ」


『必要だったと言うつもりか』


「ああ」


『右脚を使いすぎたこともか』


「それは……」


『違うのだろう』


 ハクはシグマの隣へ伏せる。


『茜という者は、なぜ最初に全身へ気を巡らせろと言った』


「一部だけを強化すると、そこへ負担が集中するからだ」


『分かっているではないか』


「分かっていることと、できることは違う」


『なら、できるようになるまで余計なことをするな』


「ハクも茜と同じことを言うんだな」


『正しいからだ』


 シグマは反論するのを諦め、秘伝書へ目を戻した。


 次の頁には、呼吸について書かれている。


 ただ大きく息を吸い、長く吐き出せばいいわけではない。


 歩いているときも、攻撃するときも、敵の攻撃を受けるときも、呼吸を止めてはいけない。


 一定の呼吸を保ちながら、全身に存在する気を感じ取る。


 気術とは、何もないところから力を生み出す技ではない。


 誰の中にもある生命力と魔力を体内へ巡らせ、今ある力を無駄なく使うための技。


 昨日、茜から言われた言葉と同じだった。


 シグマは秘伝書を地面へ置き、胡坐をかいた。


「やってみる」


 背筋を伸ばし、目を閉じる。


 ゆっくりと息を吸う。


 胸が膨らみ、空気が体内へ入る。


 鼓動に合わせ、胸の奥にある魔力が僅かに揺れた。


 魔法を使うときなら、魔力の存在を簡単に感じ取ることができる。


 だが、気術で扱うものは、それだけではない。


 魔力よりも弱く、温かい流れ。


 体の奥にある生命力を意識し、その二つが混ざる場所を探す。


 胸から肩へ。


 肩から腕へ。


 気が右義手へ触れた瞬間、炎帝石が強く脈打った。


 流れ込んできた力を、そのまま吸い込もうとしている。


 シグマは右腕へ向かう気を止めようとした。


 その瞬間、右肩へ力が入り、呼吸が乱れる。


「違うな……」


 目を開け、息を吐く。


 気を抑え込もうとすると、体まで固くなる。


 茜からは、力を絞り出そうとするなと言われている。


 流れを無理に止めることも、同じなのかもしれない。


「もう一度だ」


 目を閉じ、呼吸を整える。


 今度は、右義手へ向かう気を止めようとはしなかった。


 炎帝石へ流れる量だけを減らし、残りを胸から腹へ下ろす。


 だが、意識が右腕へ引かれたことで、左腕と両脚への流れが弱くなる。


『右腕を気にしすぎている』


 ハクの声が聞こえた。


「見て分かるのか?」


『右肩だけ上がっている』


「力を抜いているつもりだった」


『つもりでは意味がない』


 ハクが立ち上がり、シグマの右肩へ鼻先を押し当てる。


『ここだ』


「分かった」


『背中も固い』


「背中も?」


『戦う前のように力が入っている。今は敵などいない』


 シグマは右肩だけでなく、背中からも力を抜いた。


 今は義手を使うわけではない。


 炎帝石を抑え込む必要もない。


 その存在を意識しすぎず、全身の流れを探る。


 胸から腹へ。


 腹から腰へ。


 腰から左右の脚へ。


 足先まで届いた温かな感覚を、今度は背中へ上げていく。


 右肩と左肩。


 そこから両義手へ。


 炎帝石と獣王石へ触れた気を、すべて吸い込ませる前に胸元へ戻す。


 途中で細くなりながらも、流れは途切れなかった。


 一周。


 気が初めて全身を巡り、胸へ戻ってきた。


「今のは……」


『先ほどより自然だった』


 ハクが鼻先を離す。


「もう一度やってみる」


『好きにしろ』


 ハクは再びシグマの隣へ伏せた。


 昼食ができるまで、シグマは何度も気を巡らせた。


 最初は一周させるだけで、何度も流れを見失った。


 右腕へ偏る。


 左脚まで届かない。


 背中を上がる途中で消える。


 失敗するたびに呼吸を整え、最初からやり直す。


 回数を重ねるうちに、僅かずつ全身の流れが安定し始めた。


 目を閉じなくても、体内を巡る気を感じられるようになる。


 ハクが立ち上がっても、白鬼たちの話し声が聞こえても、すぐに流れを見失うことはなくなった。


「シグマ、ご飯」


 フェルンの声に、シグマは目を開けた。


 木の器を両手で持ったフェルンが立っている。


「ありがとう」


「できた?」


「何がだ?」


「気術」


「全身へ巡らせることはできた」


「一回だけ?」


「途中で失敗したものを含めれば、何度も試した」


「右脚には集めてない?」


「ああ」


 フェルンはハクを見る。


「本当?」


『右脚には集めていない』


「本当だって」


「俺の言葉だけでは信用できないのか?」


「ハクにも聞いた方が安心」


「そうか……」


 フェルンはシグマの隣へ座る。


「私も腕輪の練習をしていい?」


「まずは昼食だ」


「食べたあと?」


「ああ。少し休んでから、みんなで試そう」


「短剣も?」


「短剣はまだ使わない」


「どうして?」


「刃がついている。扱い方を覚えるなら、最初は木で作られた短剣を使う」


「本物を持ってるのに?」


「本物だからこそ、最初から使ってはいけない」


 フェルンは腰に下げた短剣へ目を向けた。


「木の短剣は、どこにあるの?」


「エルム村で探す。見つからなければ、木材を買って作る」


「シグマが教えてくれる?」


「基本的な持ち方と、相手から離れる方法だけならな」


「戦い方は?」


「教えない」


「どうして?」


「その短剣は、相手を倒すための武器ではない。誰も助けに来られないとき、一度だけ相手の動きを止めて逃げるためのものだ」


 フェルンは少しだけ不満そうな顔をした。


 それでも、ミルザードを出る前に交わした約束を思い出したのか、素直に頷く。


「分かった。逃げるための練習だけにする」


「ああ」


「私も一緒に練習していい?」


 白鬼が自分の器を持って近づいてきた。


「白鬼も短剣を使うのか?」


「使わないけど、フェルンの相手ならできるよ」


「本物の短剣を向けさせるつもりか?」


「木の短剣でしょ?」


「木でも当たれば怪我をする」


「なら、シグマが見てるときだけ!」


「どうしてそこまで参加したいんだ?」


「一人より二人の方が楽しいもん!」


「遊びじゃない」


「分かってるよ。それに、フェルンも一緒の方がいいよね?」


「うん。白鬼とやりたい」


 フェルンがすぐに答える。


「フェルンまで……」


「危ないことはしない。約束する」


「私も!」


 二人が同時にシグマを見つめる。


 シグマはしばらく考え、仕方なく息を吐いた。


「木の短剣が見つかってからだ。それまでは、腕輪の使い方だけを練習する」


「やった!」


 白鬼とフェルンが嬉しそうに顔を見合わせた。


「白鬼も何か練習するの?」


 黒鬼が鍋を持って近づいてくる。


「フェルンの相手をするの!」


「遊ばないでね」


「遊ばないって!」


「白鬼の『遊ばない』は信用できない」


「どうして!?」


「さっき、新しい杖を持って森へ行こうとしてた」


「見てたの?」


「岩を探してくるって言ってたでしょ」


「少しだけ試したかったのに……」


「森へ火が移ったらどうするの?」


「小さい火球にするつもりだったもん」


「小さくても火は火」


 黒鬼に注意され、白鬼は言い返せなくなった。


「昨日もらったばかりだから、使いたくなる気持ちは分かる」


 紅蓮が二人の近くへ腰を下ろす。


「だが、試すなら周囲を確認してからだ」


「なら、紅蓮も一緒に来て!」


「昼食のあとにな」


「本当?」


「ああ。俺も新しい大剣の感覚を確かめたい」


「なら決まり!」


 白鬼の表情が一瞬で明るくなる。


「食べ終わったら、みんなで練習しよう!」


「全員でやるとは言っていない」


「シグマも気術の続きをするでしょ?」


「全身へ巡らせたまま、動く練習はするつもりだ」


「シルフも新しい弓を使いたいよね?」


「そら使いたいけど、いつの間にか巻き込まれたなぁ」


 周囲の確認を終えたシルフが、苦笑しながら戻ってくる。


「近くに旅人も魔物もおらへん。少しくらいなら試せるで」


「黒鬼も、新しい杖を使わないと!」


「わたしは必要になってからでいい」


「必要になったときに使えなかったら困るよ」


 白鬼に言われ、黒鬼は手にした杖へ目を落とした。


「それは……そうかもしれない」


「でしょ?」


「でも、白鬼の火球を防ぐ練習はしないからね」


「まだ何も言ってない!」


「言わなくても分かる」


「少しくらいなら大丈夫だよ!」


「駄目」


「黒鬼の障壁も強くなったんでしょ?」


「だからといって、試作品同士をぶつける必要はない」


 双子のやり取りを聞き、紅蓮が声を上げて笑った。


「まずは食べろ。練習をするかどうかは、そのあと決める」


 白鬼はまだ何か言いたそうだったが、黒鬼から器を渡されると、大人しく焚き火の前へ座った。


 全員が揃ったところで、少し遅い昼食が始まる。


 新しい武器。


 フェルンの腕輪。


 シグマの義手と気術。


 ミルザードで手に入れた力を、ただ持っているだけでは意味がない。


 それぞれが使い方を覚え、互いの動きを知らなければ、実戦で仲間を巻き込む危険さえある。


 シグマは昼食を取りながら、仲間たちが持つ新たな装備へ順番に目を向けた。


 まずは個々の力を確かめる。


 その次に、互いの力を繋げる方法を探す。


 焦る必要はない。


昼食を終えると、シグマたちは焚き火から少し離れた草地へ移動した。


 大きな岩がいくつか並んでいるが、周囲に背の高い木はない。


 街道からも十分に離れており、少しくらい大きな音を立てても、通行する旅人を驚かせる心配はなさそうだった。


「周りに人も魔物もおらへんで」


 先に確認を済ませていたシルフが、草地の奥から戻ってくる。


「しばらくは誰も来そうにない。試すなら今やな」


「一人ずつ確認するぞ」


 シグマは全員を見回した。


「最初は紅蓮だ」


「ああ」


 紅蓮が新しい大剣を鞘から抜く。


 普段使っている大剣より僅かに短いが、紅蓮の体格に合わせて作られているため、構えに不自然さはなかった。


 紅蓮が柄を握り締め、魔力を流す。


 刃の根元へ埋め込まれた赤い魔石が光り、刀身の表面を薄い炎が覆った。


「出た!」


 白鬼が目を輝かせる。


「すごい! 格好いい!」


「まだ炎を出しただけだ」


 紅蓮は大剣を横へ振る。


 刃に纏った炎が空中へ赤い軌跡を残した。


 続けて縦に振り下ろし、下から斜めに切り上げる。


 何度振っても炎が遅れることはなく、大剣の動きへ正確に追従していた。


「重さは変わらないのか?」


 シグマが尋ねる。


「ああ。普段の大剣とほとんど同じだ」


「魔力は?」


「炎を出している間、少しずつ減り続けている」


 紅蓮が魔力を止める。


 刃を覆っていた炎が消え、赤い魔石の光も弱まった。


「最初から出し続けるより、攻撃を当てる直前に使った方がよさそうだな」


「すぐに出せるのか?」


「やってみる」


 紅蓮は最も近くにある岩から距離を取った。


 炎を出さないまま大剣を構え、大きく踏み込む。


 刃を振り下ろす途中で、赤い魔石が光った。


 岩へ命中する直前、大剣を炎が包み込む。


 燃え上がった刃が岩の表面を削り、黒い焦げ跡と大きな亀裂を残した。


「できた!」


 白鬼が声を上げる。


「さっきより炎が強かった!」


「短い時間へ魔力を集中させたからだろう」


 紅蓮は大剣を引き抜き、すぐに炎を消した。


「だが、少し遅いな。実戦なら、相手へ当たる前に動きを読まれるかもしれない」


「もう一度やるか?」


「いや。今日は感覚を確かめるだけだ」


 紅蓮は刃の根元へ埋め込まれた魔石を確認する。


「続けて使うより、一度休ませた方がいい」


「紅蓮は慎重だね」


 白鬼が言う。


「ドルドたちが作った試作品だからな。最初から壊すわけにはいかないだろ」


「次は私!」


 白鬼は新しい杖を持ち、紅蓮と入れ替わるように前へ出た。


「一番弱い魔法からだ」


 シグマが念を押す。


「分かってる!」


「最初から数を増やすなよ」


「増やさないって!」


 白鬼が杖を岩へ向ける。


 柄に埋め込まれた複数の小魔石が、順番に青白く輝いた。


 杖の前に小さな魔法陣が現れ、一本の氷の矢が作り出される。


「いくよ!」


 白鬼が杖を振る。


 氷の矢は真っ直ぐに飛び、紅蓮が傷をつけた岩へ突き刺さった。


 命中した場所から冷気が広がり、亀裂の周囲が白く凍りつく。


「いつもより作りやすい!」


 白鬼は嬉しそうに杖を見つめた。


「少ない魔力でも、途中で形が崩れなかった!」


「同じものを、もう一度作れるか?」


「やってみる!」


 二本目の氷の矢が生み出される。


 長さも太さも、最初の一本とほとんど変わらない。


 白鬼が放つと、一本目のすぐ隣へ突き刺さった。


「できた!」


「魔法を安定させるという説明どおりだな」


 シグマは二本の氷の矢を見比べる。


「同じ威力の魔法を、続けて使いやすくなっている」


「これなら、もっとたくさん出せるよ!」


 白鬼が再び杖を構えた。


「今日はそこまでだ」


「まだ二回しか使ってないよ?」


「二回とも問題なく使えた。だからこそ、異常が出る前に確認する」


「もう一回だけ!」


「駄目だ」


「シグマは昨日、何回も魔石弾を撃ったのに」


「あのときは、ドルドとヒルメアが近くで状態を確認していた」


「でも――」


「白鬼」


 黒鬼が静かに名前を呼ぶ。


「最初から使いすぎないって約束したでしょ」


「回数は約束してないもん」


「杖が壊れてからでは遅い」


「……分かった」


 白鬼は渋々、杖を下ろした。


「夕方なら、もう一度使っていい?」


「杖に異常がなければな」


「約束だよ?」


「ああ」


 白鬼は杖を大切そうに抱え、黒鬼と入れ替わった。


「わたしは障壁を試す」


 黒鬼が紅蓮の前へ立つ。


「紅蓮、少し手伝って」


「何をすればいい?」


「障壁を叩いてほしい。最初は弱く」


「分かった」


 黒鬼が杖へ魔力を流す。


 先端に埋め込まれた淡い緑色の魔石が光り、紅蓮の前へ半透明の障壁が現れた。


 人一人を守れる程度の大きさだが、これまで黒鬼が使っていたものより僅かに厚い。


「叩くぞ」


「うん」


 紅蓮が大剣の柄で障壁の中央を軽く打つ。


 金属同士を打ち合わせたような高い音が響いた。


 障壁は僅かに揺れただけで、亀裂は入っていない。


「もう少し強くても大丈夫」


 紅蓮は一歩下がり、今度は大剣の平らな部分を障壁へ打ちつけた。


 先ほどより大きな音が響き、表面へ波紋が広がる。


 それでも障壁は砕けなかった。


「硬いな」


「使っている魔力は、今までと同じくらい」


 黒鬼も驚いたように、自分が作った障壁を見つめる。


「守る範囲を狭くしたから、その分だけ厚くなってる」


「もう一枚出せるか?」


「たぶん。でも、今日はやめておく」


 黒鬼は自分から魔力を止め、障壁を消した。


「黒鬼は聞き分けがいいな」


 シグマが言う。


「白鬼と違って慎重だから」


「どうして私を見るの!?」


「事実だから」


「黒鬼は慎重すぎるの!」


「白鬼が大雑把すぎる」


「大雑把じゃないよ!」


 二人の言い合いを聞き、紅蓮が声を上げて笑った。


「足して二で割れば、ちょうどよさそうだな」


「無理だよ。私は私で、黒鬼は黒鬼だもん」


「同じ顔なのにな」


「性格は違う!」


「そこまで違わないと思う」


 黒鬼が控えめに笑う。


「今は黒鬼の方が意地悪!」


 白鬼が頬を膨らませる横で、シルフが新しい弓を構えた。


「次はうちやな」


 狙うのは、二百メートルほど離れた場所にある細い枯れ木。


 草地には横風が吹き、矢の進む方向を遮るように草を揺らしている。


「試すには、ちょうどええ風や」


 シルフが一本の矢を番える。


 弓へ埋め込まれた風属性の魔石が淡く光り、矢の周囲を薄い風が包んだ。


 弦が放たれる。


 矢は横風を受けながらも軌道を変えず、枯れ木の幹へ突き刺さった。


「当たった!」


 白鬼が遠くを見ながら声を上げる。


「真ん中より、少しだけ右やな」


 シルフは神の目を使い、命中した場所を確かめる。


「風に逆らって飛ばしとるんやなくて、矢の周りの流れを整えとるみたいや」


「魔力の消耗は?」


「今まで自分で矢へ風を纏わせたときより、かなり少ないで」


「もう少し遠くも狙えるか?」


「大型の相手ならな」


 シルフは二本目の矢を取り出し、三百メートルほど離れた岩へ目を向けた。


「人や魔物がおらんことは確認しとる。あの岩を狙ってもええ?」


「ああ。ただし、これで最後だ」


「分かっとる」


 シルフは弦を引き絞った。


 呼吸を整え、狙いを定める。


 放たれた矢は草地の上を真っ直ぐに進み、遠くにある岩の上部へ突き刺さった。


「どうだ?」


「少し左へずれたけど、岩には当たったで」


 シルフは弓から魔力を抜いた。


「大型の魔物なら、この距離でも十分狙える。人間くらいの相手なら、もう少し近い方が確実やな」


「新しい弓でも、無理に射程を伸ばさないのか?」


「届くことと、狙った場所へ当てられることは別やからな」


 シルフは弓を背負う。


「遠くへ届くようになったからって、うち自身の腕まで急に上がったわけやない。そこを間違えたら、仲間に当ててまうかもしれん」


「白鬼、聞いたか?」


 シグマが振り返る。


「どうして私を見るの?」


「使えることと、使いこなせることは違うという話だ」


「ちゃんと聞いてたよ!」


「ならいい」


「シグマも聞いた方がええで」


 シルフが笑う。


「なぜ俺まで?」


「昨日、新しい機能が使えると分かった途端、地面に大穴を開けたやろ」


「あれは威力を確認するためだ」


「白鬼と同じことを言うとるで」


 シグマと白鬼は、思わず互いの顔を見た。


「私は、あんなに大きな穴を開けてないよ」


「俺と比べるな」


「なら、シグマも私と比べないで!」


「そういうところまで似とるなぁ」


 シルフが楽しそうに笑った。


 全員が新しい武器の感触を確かめたあと、フェルンも腕輪を試すことになった。


 フェルンは草地の中央へ立ち、両腕を胸の前へ近づける。


「ドルドの説明を覚えているか?」


 シグマが正面へしゃがむ。


「自分を守りたいって考える」


「ああ。無理に魔力を押し込む必要はない。少しずつ腕輪へ流すんだ」


「分かった」


 フェルンが目を閉じる。


 両腕輪に埋め込まれた透明な魔石が、淡く光り始めた。


 しかし、何度も明滅するだけで、障壁にはならない。


 フェルンの眉間へ力が入り、両腕も僅かに震え始める。


「一度止めよう」


「まだできる」


「力を入れすぎている」


「でも、みんなは使えた」


 フェルンが目を開け、紅蓮たちを見る。


「紅蓮も、白鬼も、黒鬼も、シルフも使えた」


「みんなは今まで使っていた武器に近い物を渡されたんだ」


「腕輪も、私のために作ってくれた」


「ああ。だが、フェルンは障壁を使ったことがない」


「なら、私には無理?」


「そうは言っていない」


 シグマはフェルンの両手へ、自分の手を重ねた。


「今すぐ使えなくても、練習すればいい」


「でも、危ないときに使えなかったら?」


「今は俺たちがいる」


「また離れたら?」


 フェルンの声が小さくなる。


 これまでの旅でも、予想していなかった出来事によって、フェルンが一人になりかけたことがある。


 絶対に離れないと約束することはできない。


「なら、一人になったときも落ち着けるように覚えよう」


 シグマはフェルンの目を見つめる。


「まずは、自分を守らなければならないと考えるのをやめる」


「障壁を出すのに?」


「出さなければならないと思うほど、体へ力が入る。目を閉じて、普段の馬車の中を思い出してみろ」


「馬車?」


「ああ。隣には誰がいる?」


「シグマ」


「ほかには?」


「紅蓮、白鬼、黒鬼、シルフ」


「外には?」


「ハク。ノクスとソルもいる」


「そこは怖い場所か?」


 フェルンは小さく首を横へ振った。


「怖くない」


「なら、その安全な場所が、自分の周りにあると考えるんだ」


 フェルンは再び目を閉じた。


 強く握られていた指から、少しずつ力が抜けていく。


「みんながいる」


「ああ」


「シグマも、ハクもいる」


 透明な魔石が光る。


 先ほどのような不規則な明滅ではない。


 淡い光が腕輪からフェルンの体へ広がっていく。


 やがて半透明の薄い膜となり、その全身を包み込んだ。


 形は僅かに歪み、一部は今にも消えそうなほど薄い。


 それでも、確かに障壁が生まれていた。


「できた……?」


「ああ」


 フェルンが目を開ける。


 自分を囲む光を見た瞬間、耳と尻尾が勢いよく持ち上がった。


「できた!」


 喜んだことで集中が切れ、障壁は光の粒となって消えていく。


「あ……」


「最初はそれでいい」


「もう一回やる」


「今日はここまでだ」


「全然疲れてない」


「初めて使ったんだ。自分では分からなくても、魔力を消耗しているかもしれない」


「白鬼は二回使った」


「白鬼と比べるな」


「でも――」


「フェルン」


 黒鬼が近づき、フェルンの手を取った。


「少しだけ、魔力を見てもいい?」


「うん」


 黒鬼が弱い魔力を流し、フェルンの状態を確認する。


「ほんの少しだけど、疲れてる」


「もう使えない?」


「使えると思う。でも、今は休んだ方がいい」


「明日は?」


「体に問題がなければ、また練習できる」


「二回使ってもいい?」


「最初は一回ずつ」


 黒鬼にまで言われ、フェルンは残念そうに耳を伏せた。


「分かった」


「その代わり、初めてなのに上手だった」


「本当?」


「うん。ちゃんと自分で障壁を出せた」


 黒鬼が優しく笑う。


 フェルンもようやく表情を明るくした。


「明日は、もっと長く出す」


「長く出すことより、必要なときに出せるようになる方が大切だ」


 シグマが頭を撫でる。


「焦らなくていい」


「うん」


 最後に、シグマが義手の機能を試すことになった。


 ただし、魔物を相手にするわけではない。


 白鬼の魔法を左義手で吸収し、魔石弾へ変える。


 その後、周囲に何もないことを確かめたうえで、右義手から岩へ撃ち出す。


「私の魔法を使うの?」


 白鬼が嬉しそうに杖を持ち上げる。


「ああ。ただし、さっきと同じ大きさの氷の矢を一本だけだ」


「分かった!」


「魔法を放ったら、すぐに杖から魔力を切ってくれ」


「どうして?」


「左義手が、放たれた魔法だけを吸収するとは限らない。魔力が杖や白鬼へ繋がったままだと、そこからも吸収する可能性がある」


「私の魔力まで取られる?」


「その可能性がないとは言えない」


 白鬼は少し緊張したように杖を握り直した。


「放ったら、すぐに止める」


「ああ。黒鬼は白鬼の隣にいてくれ」


「分かった」


 黒鬼が白鬼の肩へ手を置く。


 異常が起きれば、すぐに魔力を遮断するためだった。


 紅蓮とシルフは二人から離れ、フェルンもハクの近くへ下がる。


「シグマは大丈夫?」


 フェルンが尋ねる。


「ああ。制御リングは一段階目のままだ」


「無理だと思ったら、すぐに止めて」


「分かっている」


「本当に?」


「本当だ」


 シグマは左義手を前へ出した。


「白鬼、頼む」


「うん。いくよ!」


 白鬼が杖を振る。


 一本の氷の矢が放たれた。


 同時に、杖から魔力の光が消える。


 氷の矢だけが、シグマへ向かって真っ直ぐに飛んでくる。


 シグマは避けず、左の掌で正面から受け止めた。


 氷の矢が触れた瞬間、獣王石が大きく脈打つ。


 砕けるはずだった氷の矢が、細かな光へ変わった。


 冷気と共に左義手へ吸い込まれていく。


 制御リングに埋め込まれた小魔石が、一つずつ青く光った。


 左義手の内部で、何かが形を変えていく。


 数秒後、硬い物が掌へ落ちる感覚が伝わった。


 シグマが左手を開く。


 掌には、淡い青色をした細長い魔石弾が載っていた。


「できた!」


 白鬼が声を上げる。


「黒鬼、白鬼は?」


「大丈夫。魔力は吸われてない」


 黒鬼が白鬼の体と杖を確認する。


「杖にも異常はないと思う」


「放った直後に魔力を切ったことがよかったのかもしれないな」


 シグマは魔石弾を持ち上げ、内部を確認する。


 白鬼が生み出した氷の矢より遥かに小さい。


 しかし、透明に近い弾丸の中には、青白い冷気が圧縮されていた。


「それを右腕に入れるの?」


 フェルンが尋ねる。


「ああ」


 シグマは魔石弾を右義手へ装填した。


 右腕の内部で弾丸が固定され、制御リングが僅かに光る。


「狙うのは、あの岩だ」


 シグマが指差したのは、百メートルほど離れた場所にある大きな岩だった。


 周囲に木や背の高い草はなく、その先にも人や魔物はいない。


「制御は一段階目。出力も最低まで抑える」


「うちらは、どこまで下がればええ?」


 シルフが尋ねる。


「念のため、黒鬼の後ろにいてくれ」


「分かった」


 黒鬼が全員の前へ障壁を展開する。


 ハクもフェルンの前に立ち、岩へ向かって身を低くした。


 シグマは右義手を構える。


 火焔熊との戦いでは、風属性の魔石弾を地面へ撃ち込み、敵の動きを止めた。


 今回は、魔石弾そのものの威力を確かめる。


 右義手へ力を流す。


 制御リングに埋め込まれた小魔石が順番に光り、内部へ集まる魔力を一定以上に高まらないよう抑え込んだ。


「撃つぞ!」


 全員が身構える。


 シグマは岩の中央へ狙いを定め、右義手から魔石弾を撃ち出した。


 淡い青色の弾丸が、空気を裂くように飛ぶ。


 岩へ命中した瞬間、乾いた音が響いた。


 大きな爆発は起こらない。


 代わりに青白い冷気が弾け、岩の表面を一気に覆った。


 白い霜が中心から外側へ広がり、岩の半分ほどを凍りつかせる。


「すごい……」


 白鬼が障壁の後ろから顔を出す。


「私の氷の矢より、ずっと広く凍ってる」


「魔法そのものが強くなったのか?」


 紅蓮が尋ねる。


「氷の力を魔石弾の中へ圧縮したからだと思う」


 シグマは右義手を下ろした。


「撃ち出した瞬間、閉じ込めていた冷気が一気に広がった」


「右腕は大丈夫?」


 黒鬼がすぐに近づいてくる。


「ああ。前より熱も少ない」


 黒鬼は制御リングに埋め込まれた小魔石を一つずつ確認した。


「ひびはない。魔力の流れも乱れてないと思う」


「一段階目なら、これくらいの魔石弾を安全に撃てるということか」


「でも、今日は一回だけにして」


「ああ。もう撃たない」


「本当に?」


 フェルンもシグマの右義手を見つめている。


「ああ」


「もう一発、作らない?」


「作らない」


「なら、約束を守った」


「最初から破るつもりはない」


「シグマは、できると分かると、もう一回やりたくなるから」


「それは白鬼だろ」


「私だけじゃないよ!」


 白鬼が抗議する。


「シグマも同じだって、みんな言ってた!」


「全員で言う必要はないだろ」


「事実やから仕方ないなぁ」


 シルフが笑いながら、凍りついた岩を眺める。


「でも、これなら戦いでも使えそうやな」


「どう使う?」


「敵の足元へ撃って凍らせる。そこへ白鬼が氷を重ねたら、大きな魔物でも動きを止められるかもしれへん」


「私の魔法も使うの?」


「ああ。ただ、近くに紅蓮やハクがおったら、一緒に凍らせてまう危険があるな」


 シルフの言葉に、紅蓮が凍った範囲を確認する。


「合図を決める必要がある」


「ああ」


 シグマも頷く。


「俺が氷の魔石弾を使う前に、紅蓮とハクが離れる。そのあと、白鬼が氷を重ねる」


「黒鬼は、敵の逃げ道を障壁で塞げる」


 紅蓮が続ける。


「シルフは風で敵を中央へ押し戻す」


「うちが追い込むんやな」


「その形なら、全員の力を繋げられる」


「すぐにやってみる?」


 白鬼が期待したように尋ねる。


「今日はやめておく」


 シグマが答える。


「まだ、自分たちの武器を一度試しただけだ」


「なら、明日?」


「ああ。明日は魔石弾を使わず、最初に全員の動きだけを合わせる」


「魔法も使わないの?」


「最初は使わない。誰がどこへ動くのか、それぞれが理解してから力を使う」


「地味やなぁ」


 シルフが苦笑する。


「だが、必要だ」


 紅蓮が大剣を担ぐ。


「白鬼とシルフの攻撃が重なっても、俺やハクが前に残っていたら巻き込まれる。黒鬼の障壁も、出す位置を間違えれば、俺たちの退路を塞ぐことになる」


「わたしも、みんなの位置を見ながら使わないと駄目なんだね」


「ああ。敵だけを見ていても連携はできない」


 紅蓮はシグマを見る。


「シグマは気を全身へ巡らせながら、俺たちへ合図を出せ」


「戦わず、指示だけか?」


「全部を一度にやろうとするな。茜にも言われただろ」


「分かった」


「本当に?」


 紅蓮だけではない。


 白鬼、黒鬼、シルフ、フェルンまで、同時にシグマへ尋ねた。


「……本当に分かった」


 その答えを聞き、笑い声が草地へ広がった。


 練習を終えたあと、一行は再び街道へ戻った。


 午後は紅蓮が御者を務め、シグマは馬車の横を歩く。


 座っている状態で気を巡らせることには、少しずつ慣れてきた。


 次は、歩きながら同じ流れを維持しなければならない。


 呼吸を整える。


 胸から腹へ。


 腹から腰へ。


 気を左右の脚へ均等に流す。


 足先へ届いた感覚を背中へ上げ、両肩から左右の義手へ。


 炎帝石と獣王石へ吸い込まれすぎないように、再び胸へ戻す。


 右足を出した瞬間、気が右脚へ偏った。


 シグマは速度を落とし、全身へ戻す。


 次は左足。


 今度は腰の部分で流れが弱くなった。


「どうした?」


 馬車の反対側を歩くハクが、シグマを見る。


「歩くと、気が片方の脚へ偏る」


『ならば、無理に歩幅を広げるな』


「普段と同じように歩いているつもりだ」


『右足だけ、強く地面を踏んでいる』


 シグマは自分の足元へ目を向けた。


 確かに右足を出すときだけ、僅かに歩幅が広い。


 格闘で踏み込むときと同じように、無意識に右脚を軸にしていた。


「長年の癖か」


『お前は右腕で殴ることが多い。右脚へ力を入れることも多かった』


「ああ。ジークから教わった格闘術も、右拳を使うときは右足で地面を踏む」


『それを直すのか』


「直す必要はない。ただ、右だけに頼らず動けるようにしたい」


 シグマは歩幅を狭めた。


 右足で強く地面を蹴らず、重心を前へ移した結果として足を出す。


 右足。


 左足。


 もう一度、右足。


 全身を巡る気が、少しずつ安定していく。


『先ほどよりはましだ』


「ハクにも分かるのか?」


『足音が変わった』


「気は見えていないんだな」


『見えなくても、お前の動きは分かる』


 ハクは前を向いたまま歩き続ける。


 シグマも、その歩調へ合わせた。


 無理に速く進もうとしない。


 一歩ずつ、気の流れを確かめる。


 しばらく歩き続けると、足を出すたびに流れを意識しなくても、全身へ巡らせられるようになってきた。


 街道の小さな凹凸を避けても、気は途切れない。


 馬車から聞こえる白鬼たちの話し声へ意識を向けても、すぐに流れを見失うことはなかった。


「少し分かってきたな」


『まだ歩いているだけだ』


「ああ。それでも、昨日まではできなかった」


『ならば、そのまま続けろ』


 ハクの言葉に、シグマは静かに頷いた。


 日が沈む前に、街道沿いの野営地へ到着した。


 石を積んだ竈と、雨風を避けるための簡素な屋根がある。


 ほかに旅人はいなかったため、シグマたちはそこで夜を過ごすことにした。


 夕食の準備をしている間、シグマはフェルンの腕輪を確認する。


 透明な魔石に濁りはなく、金属部分にも異常はなかった。


「もう一回、使っていい?」


 フェルンが尋ねる。


「体に異常はないか?」


「ない」


「頭も痛くない?」


「大丈夫」


「なら、一度だけだ」


 フェルンは両腕を胸元へ近づけた。


 今度は目を閉じず、近くにいる仲間たちを順番に見る。


 黒鬼と白鬼が夕食を作っている。


 紅蓮は焚き火へ薪を足し、シルフはノクスとソルの状態を確かめていた。


 ハクもフェルンのすぐ後ろへ伏せている。


「みんながいる」


「ああ」


「今は、思い出さなくても近くにいる」


 フェルンが腕輪へ魔力を流す。


 透明な魔石が光り、半透明の障壁が体の周囲へ広がった。


 昼間よりも形が整っている。


 薄い部分も少なく、フェルンの全身を囲んでいた。


「できた」


「ああ。そのまま、呼吸を続けろ」


 障壁が僅かに揺れる。


 フェルンはすぐに魔力を抜き、光を消した。


「今、自分で止めたな」


「揺れたから」


「よく気づいた」


「無理をする前にやめた」


「ああ。上手だった」


 シグマが頭を撫でると、フェルンは嬉しそうに目を細めた。


「明日は、歩きながら使っていい?」


「まだ早い」


「少しだけ」


「立ったまま安定して出せるようになってからだ」


「……分かった」


「その代わり、エルム村で木の短剣を探そう」


「白鬼の分も?」


「ああ」


 少し離れた場所で話を聞いていた白鬼が、嬉しそうに振り返る。


「私のも忘れてなかった!」


「相手へ向けて勝手に振り回さないことが条件だ」


「分かってる!」


「その返事が心配だ」


「今度は本当に守るもん!」


「わたしも見てるから大丈夫」


 黒鬼が鍋を混ぜながら答える。


「黒鬼まで見張るの?」


「白鬼が怪我をしないため」


「フェルンの練習なのに!」


「白鬼の方が夢中になりそうだから」


「ならないよ!」


 白鬼が抗議し、フェルンが隣で小さく笑った。


 翌日も、旅は順調に進んだ。


 シグマは御者を紅蓮と交代しながら、気術の基礎を続ける。


 馬車を降りて歩くときも、全身を巡る気を意識した。


 休憩中には立ち方を確認し、左右どちらかへ力が偏らないようにする。


 座っているときなら、気の流れはほとんど途切れなくなった。


 歩いているときも、一定の速度であれば維持できる。


 まだ走ることはできない。


 急に方向を変えれば流れは崩れ、右脚へ気が集まりそうになる。


 それでも、どこで乱れたのかを自分で感じ取り、すぐに全身へ戻せるようになっていた。


 日が傾き始めた頃。


 街道の先に、木造の柵と小さな見張り台が見えてきた。


 柵の向こうには低い屋根の家々が並び、村の中央には周囲の建物よりも高い楡の木が枝を広げている。


「あれがエルム村やな」


 御者台に座るシルフが、遠くを眺める。


「日が沈む前に着けたで」


「宿に泊まれるね!」


 白鬼が客室の窓から顔を出した。


「お風呂、あるかな?」


「村の宿だから、大きな風呂はないかもしれないぞ」


 紅蓮が答える。


「温かいお湯があればいい!」


「うちも早く髪を洗いたいわ」


 シルフが自分の髪へ触れる。


「ほとんど馬車に乗っていたのに、汚れたのか?」


「風で砂埃が入るんや」


「気にするほどには見えない」


「見た目だけの問題やないねん」


「そういうものか」


「シグマには分からへんやろなぁ」


 シルフは呆れたようにため息をついた。


 村へ近づく前に、馬車を一度止める。


 ハクがフェルンを降ろし、その場へ伏せた。


「明日の朝、来る?」


『村を出る頃には戻る』


「遠くへ行かないでね」


『近くの森にいる』


「約束?」


『ああ』


 フェルンはハクの首元へ抱きついた。


「私も!」


 白鬼が反対側から飛びつく。


「明日の朝まで会えないから、今のうち!」


『半日も経たないだろう』


「寝てる時間を入れたら長いよ!」


「うちもまだやで!」


 シルフまで加わる。


『またか……』


 ハクは逃げるのを諦め、地面へ顎をつけた。


「ハク、嫌そうじゃないよ」


 フェルンが言う。


『諦めているだけだ』


「諦めただけだって」


「それなら、もう少しええな!」


『なぜそうなる』


 シグマは三人を止めようとしたが、すぐには離れそうになかった。


「日が沈む前に宿を探すんだろ」


「あと少し!」


「その言葉は昼にも聞いたぞ」


 しばらくして、ようやく三人が離れる。


 ハクは二度と捕まらないようにするかのように、素早く立ち上がった。


『明日の朝、迎えに来る』


「待ってる!」


 フェルンが大きく手を振る。


 ハクは一度だけシグマへ視線を向けると、そのまま近くの森へ走っていった。


 門で身分証牌を見せると、大きな問題もなく村へ入ることができた。


 エルム村はミルザードと比べれば遥かに小さい。


 中央を通る大通りの両側に宿や商店が並び、村の周囲には広い畑が広がっている。


 シグマたちは村を見て回ることなく、先に宿を確保した。


 その後、食料とノクスたちの餌を買い足し、フェルンが練習に使う木製の短剣を探す。


 武器屋の片隅に、子供へ護身術を教えるための木製武器が置かれていた。


 その中から、フェルンの短剣と同じくらいの長さのものを二本購入する。


「私の分もある!」


 白鬼は木製短剣を受け取ると、その場で抜こうとした。


「白鬼」


「まだ振ってないよ?」


「店の中では抜くな」


「抜こうとしただけ!」


「それを止めたんだ」


 白鬼は不満そうにしながら、木製短剣を腰の帯へ差した。


 フェルンも自分のものを受け取り、本物の短剣とは反対側へ下げる。


「明日、教えてくれる?」


「ああ。ただし、本物の短剣は使わない」


「分かってる」


「白鬼も、勝手に相手へ向けないこと」


「分かってるって!」


「黒鬼、見ていてくれ」


「うん」


「何で黒鬼に頼むの!?」


「白鬼が夢中になる可能性があるからだ」


「ならないよ!」


「それなら、見られていても問題ないだろ」


「そうだけど……」


 白鬼は納得できない様子だったが、それ以上は言い返さなかった。


 宿へ戻ると、全員で夕食を取った。


 エルム村には一泊だけして、翌朝には次のハイン村へ向かう。


 村で依頼を受ける予定もなかったため、食事を終えたあとはそれぞれ早めに休むことになった。


 翌朝。


 日が昇る前に宿を出たシグマたちは、村の門で身分証牌を見せ、エルム村を後にした。


 滞在したのは、僅か一夜だけだった。


 街道では、すでにハクが一行を待っている。


 フェルンと白鬼が同時に走り出し、再びハクの首元へ抱きついた。


『昨日と何も変わっていないな』


「ハクも会いたかったって」


『言っていない』


「違うの?」


『昨日と何も変わっていないと言った』


「昨日と同じくらい元気だって」


『なぜそうなる』


 フェルンの通訳に、ハクが困ったようにシグマを見る。


「俺に助けを求めるな。フェルンが楽しそうなら、それでいいだろ」


『お前まで適当になっていないか』


 シグマは答えず、馬車の準備を確認した。


 エルム村を出発してから、昼前まで旅は順調に進んだ。


 街道は次第に緩やかな丘陵地へ入り、周囲の草も低くなっていく。


 見通しのよい場所が続いているため、連携訓練を行う場所を探すには都合がよかった。


「この辺りなら、動きを合わせられそうだな」


 紅蓮が街道の先にある広い空き地を指差す。


 古い採石場の跡らしく、大きな岩がいくつも転がっている。


 街道からは十分に離れており、周囲に人の姿もない。


「一度、止めよう」


 シグマが馬車を空き地へ移動させる。


 シルフとハクが周囲を確認し、危険がないことを確かめた。


 ノクスとソルを休ませたあと、全員が馬車の前へ集まる。


「最初は魔法も武器の機能も使わない」


 シグマは地面へ簡単な配置を描いた。


「紅蓮とハクが前。俺は二人の少し後ろに立つ」


「シグマは前に出ないの?」


 白鬼が尋ねる。


「最初は指示に集中する。白鬼とシルフは左右へ分かれてくれ」


「私は右!」


「なら、うちは左やな」


「黒鬼は中央だ。前衛と後衛の両方へ障壁を出せる位置にいてくれ」


「分かった」


「フェルンは馬車の近くから全体を見る。ハクが何か見つけた場合は、すぐに俺たちへ伝えてくれ」


「うん。ちゃんと見る」


「最初は、あの岩を敵だと思って動く」


 シグマが採石場の中央にある大岩を指差す。


「紅蓮とハクが左右から近づき、敵の注意を引く。白鬼とシルフは二人を巻き込まない位置へ移動する」


「黒鬼は?」


「紅蓮たちが下がるための場所を残しながら、敵の左右へ障壁を出す」


「逃げ道を狭くするんだね」


「ああ。そのあと、白鬼とシルフが攻撃する。最後に紅蓮とハクが再び前へ出る」


「シグマは、ずっと指示だけ?」


 フェルンが尋ねる。


「全員が動きを理解するまではな」


「気術は?」


「全身へ巡らせたまま動く」


「右脚には集めない?」


「ああ。今日は基礎だけだ」


「なら、いい」


 フェルンが納得したように頷いた。


 全員が決められた場所へ移動する。


 シグマは一度、呼吸を整えた。


 胸から腹へ。


 腹から腰へ。


 気を左右の脚へ流し、背中から両肩へ上げる。


 左右の義手へ触れた気を再び胸へ戻す。


 気が全身を一周したことを確かめ、シグマは仲間たちを見回した。


「始めるぞ」


 その声を合図に、全員が一斉に動き出した。


紅蓮は正面にある最も大きな岩へ向かい、白鬼とシルフはその左右へ分かれた。


 黒鬼は三人を見渡せる位置まで下がり、白い杖を構える。


「白鬼、岩の根元を凍らせろ!」


「うん!」


 白鬼が短い杖を地面へ向ける。


 青白い魔法陣が広がり、岩の根元から氷が這い上がった。


 だが、氷は必要以上に広がり、正面から近づいていた紅蓮の足元へ迫る。


「紅蓮、止まれ!」


 シグマの声に、紅蓮が踏み出しかけた足を引いた。


「白鬼、広げすぎだ! 岩の周りだけに抑えろ!」


「分かった!」


 白鬼が杖を持ち直し、魔力を絞ろうとする。


 しかし、一度広がった氷はすぐには消えない。


「シルフは岩の右上を狙え! 紅蓮が近づく前に撃つんだ!」


「任せとき!」


 シルフが弓を引き絞った。


 風の魔石が淡く光り、矢の周囲に細い風が集まる。


 放たれた矢は真っ直ぐに飛び、岩の右上へ突き刺さった。


 硬い岩肌に亀裂が走る。


「紅蓮、今だ!」


「ああ!」


 紅蓮は氷を避けて大きく右へ回り込み、岩へ近づいた。


 大剣の根元に埋め込まれた魔石へ魔力を流す。


 刃を包んだ炎が強くなる。


 紅蓮はシルフの矢によって生まれた亀裂へ、大剣を振り下ろした。


 岩の表面が砕け、大小の破片が周囲へ飛び散る。


「黒鬼!」


「大丈夫!」


 黒鬼はすでに杖を向けていた。


 紅蓮と白鬼の前へ光の障壁が広がり、飛んできた破片を受け止める。


 小さな石が障壁へ当たり、次々に地面へ落ちていった。


 大きな岩には深い亀裂が残っていたが、完全には砕けていない。


「止めるぞ!」


 シグマが声を上げた。


 紅蓮たちが武器を下ろし、岩から離れる。


「惜しかったね」


 白鬼は凍りついた地面を見下ろした。


「もう一回やったら壊せそう」


「壊すことだけが目的ではない」


 シグマは岩の周囲に残った跡を確かめる。


「最初に白鬼の氷が広がりすぎた。そのせいで、紅蓮は予定していた正面から近づけなかった」


「紅蓮なら、氷の上を走れると思ったのに」


「走れなくはないが、大剣を振るう瞬間に足を滑らせる危険がある」


 紅蓮が答える。


「俺が転べば、近くにいる白鬼まで巻き込む」


「なら、次はもっと狭くする」


「ああ。それでいい」


 シグマは次に、岩へ刺さった矢を見た。


「シルフの矢は狙いどおりだった。ただ、紅蓮が動きを止めたあとも、そのまま撃ったな」


「あかんかった?」


「実戦なら、紅蓮の位置が変わった時点で敵の動きも変わる。最初に決めた場所だけを見るのではなく、周囲も確認した方がいい」


「確かになぁ。今回は岩が動かへんから、そのまま撃ってもうたわ」


「次は、俺が途中で指示を変える」


「了解や」


「黒鬼の障壁は早かった。だが、紅蓮だけでなく白鬼の前まで広げたことで、魔力を多く使ったはずだ」


「二人とも近くにいたから、まとめて守った方がいいと思った」


「判断は間違っていない。どのくらい消耗した?」


「ほとんど減ってない。でも、何度も続けたら負担になると思う」


「なら、次は破片が飛ぶ方向だけに小さく出してくれ」


「分かった」


 シグマは全員の位置をもう一度確認した。


 個々の力は、すでに確かめている。


 今必要なのは、誰かの攻撃が次の者の邪魔をせず、さらにその次の攻撃へ繋がる動きだった。


「もう一度、同じ順番で行う」


 シグマが元の位置へ戻る。


「白鬼は岩の根元だけを凍らせる。シルフは俺の合図を待ち、岩に亀裂を作る。紅蓮はその亀裂を狙って攻撃。黒鬼は飛んだ破片だけを防いでくれ」


「今度こそ壊すよ!」


「壊すことを優先するな」


「分かってるって!」


 白鬼は杖を構え直した。


「始めるぞ。白鬼!」


「うん!」


 今度の氷は、岩の根元だけを囲むように広がった。


 紅蓮が進む場所には届いていない。


「シルフ、左上へ変更!」


「左やな!」


 シルフは弓を僅かに動かした。


 放たれた矢が岩の左上へ突き刺さり、表面へ新しい亀裂を作る。


「紅蓮!」


「ああ!」


 紅蓮が正面から踏み込んだ。


 炎を纏った大剣が、矢によって生まれた亀裂へ叩き込まれる。


 熱せられた岩が大きく割れ、砕けた上半分が前方へ崩れ落ちた。


 破片が左右へ飛び散る。


 黒鬼は杖を横へ振り、紅蓮の左側へ小さな障壁を展開した。


 白鬼へ向かっていた破片だけが障壁に当たり、残りは誰もいない場所へ落ちる。


「今度はできた!」


 白鬼が杖を掲げる。


「さっきより魔力も使ってないよ!」


「うちも、途中で狙いを変えられたで」


 シルフが岩へ刺さった矢を見ながら笑う。


「黒鬼の障壁も小さかったな」


 紅蓮が大剣を下ろす。


「うん。必要な場所だけなら、すぐに出せる」


「悪くない」


 シグマは砕けた岩と、仲間たちが立っている位置を順番に見た。


「今の動きなら、互いの邪魔にはなっていない」


「なら成功?」


「ああ。ただし、岩は動かない。実際の魔物を相手にすれば、同じようにはいかないだろう」


「それなら、次は動く相手でやる?」


 白鬼がハクを見る。


『断る』


 ハクは白鬼が何も言う前から、低い声で答えた。


「まだお願いしてないよ?」


「ハクは嫌だと言っている」


「走ってもらうだけなのに」


『お前たちに魔法と矢を向けられながら走るつもりはない』


「当てないよ?」


『信用できん』


「信用できないって」


「シグマと同じこと言ってる!」


「白鬼の普段の行動を考えれば当然だ」


「シグマまで!」


 白鬼が頬を膨らませる横で、フェルンはハクの首元を撫でた。


「ハクは、みんなが怪我しないように見ててくれる?」


『それくらいなら構わん』


「見ててくれるって」


「それなら十分だ」


 シグマは残る岩へ目を向けた。


「次は俺も加わる。ただし、義手の機能は使わない。気を全身へ巡らせたまま、仲間の攻撃へ繋げる動きを確認する」


「もう指示役は終わりか?」


 紅蓮が尋ねる。


「ああ。全員の動きは分かった。今度は、その中へ俺が入った場合を試したい」


「指示は誰が出す?」


「紅蓮に頼む」


「俺が?」


「前にいる紅蓮なら、標的と仲間の位置を同時に確認できる。それに、俺まで指示を出しながら動けば、気術への意識が疎かになる」


「分かった。やってみる」


 紅蓮は砕けていない別の岩へ向き直った。


 白鬼とシルフが左右へ分かれ、黒鬼は後方へ下がる。


 シグマは紅蓮より僅かに後ろへ立った。


「行くぞ!」


 紅蓮の声と共に、シグマは呼吸を整えた。


 胸から腹へ。


 腹から腰へ。


 腰から左右の脚へ。


 両脚へ流れた気を、背中から肩へ戻す。


 全身を一周した気が、胸元へ戻ってきた。


「白鬼、根元を止めろ!」


「任せて!」


 岩の根元へ氷が広がる。


「シルフ、右上!」


「行くで!」


 風を纏った矢が、岩の右上へ突き刺さった。


「シグマ、先に入れ!」


「ああ!」


 シグマが走り出す。


 右脚だけへ気を集めない。


 両脚で地面を踏み、腰から上体へ力を繋ぐ。


 岩の前へ入ったシグマは、矢の刺さった場所より低い位置へ左義手を打ち込んだ。


 硬い音が響き、岩へ細い亀裂が走る。


「下がれ!」


 紅蓮の声を聞き、シグマが左へ跳ぶ。


 入れ替わるように紅蓮が踏み込んだ。


 炎を纏った大剣が、シグマの拳で生まれた亀裂へ振り下ろされる。


 岩が大きく砕けた。


 破片がシグマと紅蓮へ向かう。


「黒鬼!」


「出してる!」


 二人の前へ斜めに障壁が広がった。


 破片は光の壁に当たると、その傾きに沿って誰もいない右側へ流れていく。


「成功だな」


 紅蓮が大剣を下ろす。


「ああ」


 シグマは右脚の状態を確かめた。


 痛みはない。


 動きが重くなった様子もなかった。


「気術はどうだった?」


 黒鬼が近づいてくる。


「走っている間も、全身の流れは途切れなかった」


「右脚だけに集めてない?」


「ああ。左右の脚を同じように使った」


「本当?」


 白鬼が尋ねる。


「本当だ」


 白鬼はハクを見る。


「ハク、どうだった?」


『俺に聞くな。シグマの体内までは見えん』


「分からないって」


「当然だろ」


「でも、右脚だけ強く踏んでなかった?」


『先ほどよりは自然だった』


「自然だったって!」


「それなら大丈夫そうだね」


「俺の言葉だけでは足りないのか?」


「みんなで確認するって決めたでしょ?」


「そうだったな」


 シグマは右脚を軽く動かした。


 一か所だけに残る重さはない。


 全身に薄い疲労を感じるだけだった。


「次は義手の機能を組み込む」


 シグマが告げると、黒鬼がすぐに両義手へ目を向けた。


「魔石弾を作るの?」


「ああ。ただし、一発だけだ。制御リングも一段階目から変えない」


「何の魔法を使う?」


 白鬼が楽しそうに尋ねる。


「氷を使う。威力は、さっき岩の根元へ使ったものより弱くしてくれ」


「弱くていいの?」


「目的は強い魔石弾を作ることではない。吸収から発射までを、仲間の動きへ繋げることだ」


「分かった!」


「紅蓮とシルフは、白鬼の魔法を吸収している間の護衛を想定してくれ」


「何から守ればいい?」


 紅蓮が周囲を見る。


「今は魔物がいない。左右から敵が来ていると考え、それぞれの方向を警戒してくれ」


「俺が左、シルフが右だな」


「了解や」


「黒鬼は俺と白鬼を障壁で囲めるか?」


「二人だけなら大丈夫」


 黒鬼はシグマと白鬼の周囲を見回した。


「でも、完全に囲うと、シグマが魔石弾を撃てない」


「魔石弾が完成するまででいい。装填したら障壁を消してくれ」


「分かった」


 役割を決め、全員が位置につく。


 フェルンとハクは馬車の近くから訓練を見守っていた。


「始めるぞ!」


 紅蓮が左側へ。


 シルフは右側へ回り、それぞれ外へ向かって武器を構える。


 シグマと白鬼の周囲へ、黒鬼の障壁が展開された。


「白鬼、撃て」


「行くよ!」


 白鬼は杖の先へ、小さな氷の矢を作った。


 狙うのはシグマの左掌。


 放たれた氷矢が、真っ直ぐに飛んでくる。


 シグマが左義手を向けると、獣王石が淡く光った。


 氷矢は掌へ触れる直前で形を崩し、冷気を含んだ魔力へ変わる。


 渦を巻いた魔力が、左義手の中へ吸い込まれていった。


「白鬼、止めろ!」


「うん!」


 白鬼が魔法との繋がりを切る。


 左義手の内部から低い作動音が響いた。


 吸収した魔力が圧縮され、別の形へ変わっていく。


 制御リングへ埋め込まれた小魔石が、一つずつ淡く光る。


 やがて作動音が止まり、左手首の外側にある細い継ぎ目が開いた。


 隠されていた排出口から、乾いた音と共に魔石弾が半分ほど押し出される。


 小指ほどの長さをした、淡い青色の細長い結晶。


 シグマは右手の指で魔石弾を摘まみ、排出口から引き抜いた。


「魔石弾ができた。黒鬼、まだ障壁を維持してくれ」


「分かった」


 シグマが右掌を上へ向ける。


 掌を覆う装甲が花びらのように開き、内部から装填部がせり出した。


 中央の溝へ氷属性の魔石弾を収める。


 装填部が右義手の中へ戻り、開いていた装甲が閉じた。


 内部から重い音が一度だけ響く。


「装填完了。黒鬼、障壁を消してくれ!」


「はい!」


 周囲を囲んでいた光の壁が消えた。


「正面の岩を敵と想定する!」


 紅蓮が向きを変え、大剣を構える。


 シルフも右側から弓を向けた。


「シグマ、先に撃て! 狙いは根元だ!」


「ああ!」


 シグマは全身へ気を巡らせる。


 気術で義手の力を強めようとはしない。


 呼吸を保ち、右義手の制御に必要な魔力だけを流す。


 制御リングは一段階目。


 右掌の中央が開き、青白い光が漏れた。


「撃つ!」


 氷属性の魔石弾が放たれる。


 岩の根元へ命中した瞬間、冷気が周囲へ広がった。


 岩の下半分が氷に覆われ、地面へ固く固定される。


「白鬼、氷を重ねろ!」


「任せて!」


 白鬼の杖から放たれた冷気が、魔石弾によって生まれた氷へ重なる。


 氷は岩の中央まで一気に広がった。


「シルフ、中央!」


「行くで!」


 風を纏った矢が、凍った岩の中央へ突き刺さる。


 急激に冷やされて脆くなった岩へ、深い亀裂が走った。


「紅蓮!」


「これで終わりだ!」


 紅蓮が正面から大剣を振り下ろす。


 刃に集められた炎が氷を溶かし、熱と冷気の差によって亀裂が大きく広がった。


 次の瞬間、岩が内側から割れるように崩れ落ちる。


 大きな破片が左右へ飛んだ。


 黒鬼は二枚の小さな障壁を作り、シグマと白鬼へ向かってきたものだけを防いだ。


「できた!」


 白鬼が歓声を上げる。


「今度は全員で壊したよ!」


「ああ」


 シグマは右義手を下ろした。


 魔石弾で岩を凍らせる。


 白鬼が氷を重ねる。


 シルフが亀裂を作り、紅蓮が砕く。


 黒鬼は攻撃の準備中と、最後に生じる危険から仲間を守った。


 一人の攻撃で終わらず、次の者の力へ繋がっている。


「シグマ、腕を見せて」


 黒鬼が近づいてくる。


「異常はない」


「確認するまで分からない」


 黒鬼は制御リングと右掌を順番に調べた。


 小魔石にひびはなく、魔銀線も切れていない。


「右腕は少し温かい。でも、昨日ほどじゃない」


「出力を抑えたからだろう」


「左腕は?」


「吸収した魔法が弱かったから、ほとんど熱を持っていない」


 黒鬼は左義手にも触れ、異常がないことを確認した。


「今日は、続けて作ったら駄目だからね」


「ああ。今は作らない」


「今は?」


 黒鬼が聞き返す。


 シグマは砕けた岩へ目を向けた。


「魔石弾を作っている間は、白鬼と黒鬼が動けなくなる。紅蓮とシルフにも護衛を任せることになった」


「実戦で毎回作るんは無理やな」


 シルフが弓を下ろす。


「敵が待ってくれるわけやないし、途中で別の魔物が来ることもある」


「ああ。だから、魔石弾は戦いが始まる前に用意しておく」


「作り置きするの?」


 白鬼が尋ねる。


「休憩中や野営中に、一発ずつ作る。義手と制御リングの状態を確かめ、問題がなければストックホルダーへ収める」


 シグマは馬車の荷台から、魔石弾用のストックホルダーを取り出した。


 硬い革で覆われた細長い箱。


 蓋を開くと、内部には魔石弾を一本ずつ固定するための溝が並んでいる。


 衝撃で魔石弾同士がぶつからないよう、それぞれが薄い魔獣革で仕切られていた。


「ここに氷や風の魔石弾を少しずつ貯めておく。使った分は、次の安全な休憩場所で補充する」


「いっぱい作ればええんちゃう?」


「長く保管したときに、魔力がどのくらい安定するか分からない。それに、作りすぎればシグマの左腕へ負担がかかる」


 黒鬼が答える。


「せやな。持っとるだけで危ないもんを、ぎっしり詰める必要もないか」


「一度に作るのは一発だけにする」


 シグマはストックホルダーの溝を指でなぞった。


「作る前と作ったあとに義手を確認する。魔石弾も毎日見て、ひびや変色があれば使わない。古いものから先に使う」


「氷だけじゃなくて、うちの風も使うんやろ?」


「ああ。必要な属性を偏らせないようにする。ただし、全種類を無理に揃えるつもりはない」


「なら、次の休憩でうちの魔法を吸わせたるわ」


「私の氷も、使ったらまた作るよ!」


「二人とも、一度に強い魔法を渡そうとしないでね」


 黒鬼が注意する。


「分かってるって!」


「白鬼は、分かっていても強くするから心配なの」


「しないよ!」


「今度から俺も確認する」


 紅蓮がストックホルダーを覗き込む。


「魔石弾を作るなら、俺と黒鬼のどちらかが見ているときだけにしろ」


「一人では作らない」


「約束だぞ」


「ああ」


『お前の場合、約束を増やした方がいい』


 離れた場所にいたハクが言う。


「ハクも一人で作るなって」


 フェルンが通訳する。


「聞こえていたのか?」


『お前が無茶をしないか見ておけと言われたからな』


「誰にだ?」


 シグマが尋ねると、フェルンと白鬼と黒鬼が同時に手を挙げた。


「三人もいたのか……」


「うちも頼んだで」


 シルフまで手を挙げる。


「なら四人だな」


 紅蓮が笑う。


 シグマは反論を諦め、ストックホルダーの蓋を閉じた。


「魔石弾は、戦うための準備として作る。作ること自体を目的にはしない。それでいいな?」


 全員が頷いた。


 連携の練習を終えたシグマたちは、砕けた石を街道から離れた場所へまとめた。


 ノクスとソルにも十分な休息を取らせ、出発の準備を整える。


「フェルンの腕輪は?」


 フェルンが両手首を持ち上げる。


「今日は練習しないの?」


「出発まで少し時間がある。障壁を一度だけ出してみよう」


「短剣も?」


「今は腕輪だけだ。木の短剣は、次の休憩場所で使う」


「二本とも持ってきた?」


「ああ。エルム村で買った二本が馬車に積んである」


 一つはフェルンが使うためのもの。


 もう一つは、練習相手が持つためのものだ。


 刃先は丸く、当たっても深い傷を負わないように作られている。


「白鬼が相手をしてくれる?」


「最初は俺が教える。持ち方と逃げ方を覚えてからだ」


「私もやりたい!」


 白鬼がすぐに手を挙げる。


「相手をするのは、フェルンが基本を覚えてからだ」


「遊ばないよ!」


「その言葉を信用できるようになったら頼む」


「また信用されてない!」


 白鬼の抗議を聞き流し、シグマはフェルンへ向き直った。


「今は腕輪だ」


「うん」


 フェルンは胸の前で腕輪を合わせた。


 透明な魔石へ魔力を流す。


 最初は何も起こらなかった。


 フェルンは目を閉じ、自分を守ることだけを考える。


 腕輪が淡く光り、その体を包むように小さな障壁が現れた。


 表面は僅かに揺れている。


 それでも、一人を守るには十分な大きさだった。


「できた!」


「そのまま呼吸を続けろ」


「うん」


「腕が重くなる前に止めるんだ」


「まだ大丈夫」


 フェルンは目を開けたまま、しばらく障壁を維持した。


 やがて表面の揺れが大きくなり始める。


 フェルンは自分で気づき、魔力を止めた。


 障壁が消える。


「今のはどう?」


「よかった。言われる前に止められたな」


「無理したら駄目だから」


「ああ。その感覚を忘れるな」


「シグマもね」


「俺もか?」


「さっき約束したでしょ?」


「そうだったな」


 フェルンは嬉しそうに笑い、ハクの背へ乗った。


 シグマたちは再び、ハイン村へ続く街道を進み始めた。


 御者台には紅蓮が座り、シグマは馬車の横を歩く。


 全身へ気を巡らせたまま、体を動かすための練習を続ける。


 先ほどは短い距離を走ることができた。


 だが、歩き始めてしばらくすると、気の流れが少しずつ右脚へ偏り始める。


『右足だけ強く踏んでいる』


 隣を歩いていたハクが伝える。


「分かっている」


『分かっているなら直せ』


「直そうとしているところだ」


 シグマは歩幅を小さくした。


 右足を出すときだけ、呼吸を止めていたことにも気づく。


 歩みと呼吸を合わせ、左右の足を同じ強さで地面へつく。


 気を無理に動かそうとしない。


 呼吸を続けていれば、胸から腹へ下りた気が自然に両脚へ流れていく。


「さっきよりよくなった?」


 ハクの背に乗るフェルンが尋ねる。


『まだ右へ偏っている』


「まだ右が強いって」


「少しくらいは認めてくれてもいいんじゃないか?」


『できていないものを認める必要はない』


「ハクは厳しいね」


「茜と同じだ」


『正しいことを言っているだけだ』


 シグマは苦笑しながらも、歩みを止めなかった。


 日が傾き始めた頃、街道沿いの野営地へ到着した。


 ハイン村までは、まだ半日以上かかる。


 夜の街道を無理に進まず、今日はここで休むことになった。


 夕食の準備が始まる前に、シグマはストックホルダーを取り出した。


「本当に作るの?」


 黒鬼が尋ねる。


「ああ。決めたとおり、一発だけだ」


「今日は氷の魔石弾を使ったから、次は風やな」


 シルフが前へ出る。


「弱めにするで。左手を出してや」


 紅蓮と黒鬼が見守る中、シルフは掌の上へ小さな風の塊を作った。


 シグマが左義手を向ける。


 獣王石が光り、風を含んだ魔力を吸収した。


「もう止めていい」


「了解や」


 シルフが魔力を止める。


 左義手の内部で、吸収した魔力が圧縮されていく。


 やがて排出口から、淡い緑色をした魔石弾が押し出された。


 シグマは慎重に取り出し、ひびや濁りがないことを確かめる。


 黒鬼も制御リングと左義手を調べた。


「熱はほとんどない。制御リングも大丈夫」


「魔石弾も問題なさそうだな」


 紅蓮が結晶を確認する。


 シグマはストックホルダーの蓋を開き、風属性の魔石弾を溝へ収めた。


 魔獣革の留め具を被せる。


 魔石弾は動くことなく固定された。


「これで一本やな」


「ああ。次は明日以降だ」


「氷は作らないの?」


 白鬼が尋ねる。


「今日は作らない」


「もう一本くらい大丈夫だよ」


「一度の休憩で一発と決めた」


「ちゃんと守ったね」


「当然だ」


「少しだけ信用してあげる!」


「少しだけなのか?」


 白鬼は笑いながら、黒鬼の手伝いへ戻っていった。


 夕食を終えると、フェルンが二本の木製短剣を抱えてシグマの前へ来た。


「短剣の練習をする」


「もう眠くないか?」


「大丈夫」


「なら、少しだけだ」


 シグマは一本を受け取り、残る一本をフェルンへ渡した。


「まずは持ち方からだ。強く握りすぎるな」


 フェルンは右手で柄を握る。


 短剣の先が正面へ向いていた。


「刃先を相手へ向けたままにする必要はない。腕を掴まれたとき、すぐに抜けるように持て」


「こう?」


「親指を少し下げろ。そうだ」


 シグマはフェルンの手首と指の位置を直した。


「短剣を使うのは、腕輪の障壁で逃げる時間を作れなかったときだけだ」


「最初に障壁?」


「ああ。障壁を出して、相手から離れる。それで逃げられるなら、短剣は抜かない」


「逃げられなかったら?」


「短剣を抜く。相手を倒そうとするな。腕か脚へ一度だけ当てて、すぐに離れろ」


「一回だけ?」


「二度目を狙えば、逃げるのが遅れる」


「分かった」


「やってみよう。俺が前から近づく」


 シグマは木製短剣を腰へ差し、ゆっくりとフェルンへ近づいた。


 フェルンは両手首を胸の前で合わせる。


 腕輪が光り、小さな障壁が現れた。


 シグマが右手を伸ばす。


 その手が障壁に触れる直前、フェルンは後ろへ下がった。


「そこで障壁を消せ」


「うん」


「そのまま背を向けずに、もう一歩下がる」


 フェルンが指示どおりに動く。


「ここまで離れられれば、短剣は必要ない。ハクか、近くにいる仲間のところへ走れ」


「ハクのところ?」


『俺を目印にするのは構わん』


「ハクもいいって」


「なら、今度は障壁を出せなかった場合だ」


 シグマはフェルンの腕輪へ手を伸ばす。


「相手に手首を押さえられたと思え」


 右手首を軽く掴む。


 フェルンは空いている左手で木製短剣を抜こうとした。


 だが、途中で柄が服へ引っかかる。


「止めろ」


 シグマが手を離した。


「短剣を抜くときに、下を見たな」


「引っかかったから」


「相手から目を離せば、その間にもう一方の手も掴まれる。柄の位置を手で探せ」


「見ないで?」


「ああ」


 短剣を腰へ戻し、もう一度始める。


 今度のフェルンは前を見たまま、左手で柄を探った。


 木製短剣を引き抜く。


「相手の腕へ一度だけ当てろ」


 フェルンはシグマの腕へ、短剣の平らな部分を軽く触れさせた。


「そのまま離れろ」


 短剣を向けたまま一歩下がり、すぐに向きを変える。


 フェルンはハクのところまで走った。


「できた!」


「途中まではな」


「何が駄目だったの?」


「短剣を当てたあとも、相手の腕を見ていた。見るのは逃げる方向だ」


「もう一回する」


「焦るな。繰り返せば、動きが雑になる」


「もう一回だけ」


 フェルンが真剣な顔で頼む。


「分かった。最後だ」


「今度は私が相手をする!」


 白鬼が木製短剣へ手を伸ばした。


「白鬼は動きが速すぎる」


「ゆっくり近づくよ」


「本当にできるか?」


「できる!」


「相手へ触れるときも、力を入れるな」


「分かってるって!」


 白鬼はシグマから短剣を受け取り、フェルンの正面へ立った。


「行くよ」


「うん」


 白鬼は大股で一歩踏み出す。


「速い」


「これでもゆっくりだよ!」


「もっとゆっくりだ」


 白鬼は不満そうに歩幅を小さくした。


 フェルンが障壁を出す。


 白鬼は障壁へ触れると、右へ回り込もうとした。


 フェルンは白鬼の動きに合わせ、左へ下がる。


「そのまま離れろ!」


 シグマの声を聞き、フェルンは障壁を消した。


 白鬼に背を向けず、二歩下がる。


 十分な距離が開いたところで向きを変え、ハクへ向かって走った。


「今度は短剣を使わなかったよ!」


「ああ。使わずに逃げられるなら、それが一番いい」


「私、何もできなかった」


 白鬼が残念そうに木製短剣を見る。


「フェルンに何もさせなかったなら、練習相手としては成功だ」


「そうなの?」


「白鬼が回り込んだから、フェルンは正面だけを見ずに動けた」


「なら、役に立った!」


 白鬼は満足そうに木製短剣をシグマへ返した。


「今日はここまでだ。二本とも馬車へ戻す」


「明日もできる?」


「休憩のときにな」


 フェルンは頷き、短剣をシグマへ渡した。


 翌朝。


 シグマたちは朝食を終えると、ハイン村へ向けて出発した。


 街道を進み始めて一刻ほどが過ぎたところで、シルフが前方へ目を凝らす。


「何かおるで」


 声から、いつもの軽さが消えている。


「人か?」


「ちゃう。魔物や」


「数は?」


「三体。牙猪やな」


 街道の先にある丘の陰から、大きな猪型の魔物が姿を現した。


 その後ろから、二体が続く。


 三体とも街道の中央へ立ち、地面を牙で掘り返していた。


 ノクスとソルが足を止める。


 牙猪の一体が顔を上げ、馬車へ鼻先を向けた。


 低い唸り声が響く。


 残る二体もシグマたちへ気づき、前脚で地面を掻き始めた。


「岩と違って、今度は向こうから来るな」


 紅蓮が大剣を抜く。


「ああ。倒すことを優先する。決めた順番に拘るな」


 シグマはストックホルダーを取り出した。


 中にあるのは、昨夜作った風属性の魔石弾が一本だけ。


 使えば、次の安全な休憩場所で補充することになる。


「魔石弾を使うの?」


 白鬼が尋ねる。


「ああ。作る必要がない分、すぐに動ける」


 シグマは魔石弾を取り出し、右義手の装填部へ収めた。


「紅蓮は正面の一体を止めろ。白鬼は左。シルフは右から回り込め。黒鬼は馬車を守ってくれ」


「シグマは?」


「紅蓮と白鬼の間へ入る」


『フェルンは俺が守る』


「ハクはフェルンを頼む」


 フェルンはハクの背から馬車へ移った。


 両手首の腕輪を胸の前へ持ち上げ、いつでも障壁を作れるようにしている。


 シルフが右側の草地へ走る。


 それを合図にしたように、三体の牙猪が地面を蹴った。


「来るぞ!」


 紅蓮が正面へ出る。


 中央の牙猪が、太い牙を向けたまま突進してくる。


 紅蓮は正面から受け止めず、大剣の腹を牙へ当てて軌道を左へ逸らした。


「白鬼!」


「分かってる!」


 白鬼が杖を振る。


 左から来た牙猪の前へ氷が広がった。


 牙猪は急に止まろうとしたが、勢いを殺しきれない。


 前脚が氷の上を滑り、体勢を崩す。


 だが、倒れる直前に踏み直し、白鬼へ向きを変えた。


「止まってない!」


「黒鬼、白鬼を守れ!」


「出してる!」


 白鬼の前へ障壁が現れる。


 牙猪の牙が光の壁へ衝突した。


 障壁が大きく揺れる。


「白鬼、そのまま右へ離れろ!」


「うん!」


 白鬼が障壁の陰から飛び出す。


 牙猪は白鬼を追おうとしたが、黒鬼の障壁に牙を押し当てたまま、すぐには向きを変えられない。


「シルフ!」


「右は任せとき!」


 シルフの矢が右側の牙猪の前脚へ突き刺さった。


 風に押された矢が脚を外側へ弾く。


 牙猪は体勢を崩し、草地へ横倒しになった。


「紅蓮、中央を右へ押せ!」


「ああ!」


 紅蓮が大剣を返し、中央の牙猪の肩へ刃の腹を叩きつける。


 炎は纏わせていない。


 強い衝撃を受けた牙猪が右へよろめき、起き上がろうとしていた一体の進路へ入り込む。


 二体の動きが重なった。


「シグマ、今や!」


 シグマは右義手を二体の手前へ向けた。


 制御リングは一段階目。


「撃つ!」


 風属性の魔石弾が放たれた。


 弾丸は牙猪ではなく、その足元へ命中する。


 圧縮されていた風が地面から吹き上がった。


 二体の牙猪が下から押し上げられ、前脚を浮かせる。


「白鬼、動きを止めろ!」


「任せて!」


 白鬼の冷気が二体の足元へ重なる。


 風によって体勢を崩していた牙猪は避けられない。


 四肢が氷に覆われ、地面へ固定された。


「シルフ、右の一体を!」


「行くで!」


 風を纏った矢が、右側の牙猪の肩へ突き刺さった。


 厚い毛皮が裂け、その下にある肉へ矢が食い込む。


「紅蓮!」


「これで終わりだ!」


 紅蓮の大剣が炎を纏う。


 振り下ろされた刃が、シルフの矢によって傷ついた場所へ叩き込まれた。


 牙猪が地面へ倒れる。


 隣にいた一体が氷を砕き、紅蓮へ牙を向けた。


「後ろだ!」


 シグマが踏み込む。


 全身へ巡らせた気を保ったまま、牙猪と紅蓮の間へ入る。


 左右の脚で地面を踏み、突き出された牙を左義手で受け流した。


 真正面からは止めない。


 力の向きを僅かに外側へ変える。


 牙猪の巨体がシグマの横を通り過ぎた。


「白鬼、追うな!」


 すでに杖を向けていた白鬼が動きを止める。


 シグマの正面を魔法が横切ることはなかった。


「シルフ、進路を変えろ!」


「了解や!」


 牙猪の右側へ矢が突き刺さる。


 風に押され、牙猪が左へ向きを変えた。


 その先には紅蓮が待っている。


「繋げるぞ!」


 紅蓮が大剣を横へ振る。


 刃の腹が牙猪の顔へ当たり、巨体が地面へ転がった。


「白鬼!」


「今度こそ止める!」


 転がった牙猪の周囲へ氷が広がる。


 今度は紅蓮の足元まで届かない。


 牙猪の胴体だけが地面へ凍りついた。


「シルフ!」


「そこや!」


 矢が牙猪の肩へ刺さる。


「紅蓮!」


「ああ!」


 炎の大剣が同じ場所へ振り下ろされた。


 二体目の牙猪が動かなくなる。


「残り一体!」


 黒鬼の声が響く。


 最初に障壁へ牙を突き立てた牙猪が、白鬼へ向かって走っていた。


 黒鬼は馬車の前から動けない。


 白鬼は牙猪へ杖を向けたが、すぐ後ろにはシルフがいる。


 このまま広い範囲を凍らせれば、シルフまで巻き込む。


「白鬼、右へ撃て!」


「右?」


「牙猪を狙うな! 右側の地面だ!」


「分かった!」


 冷気が牙猪の右側へ広がる。


 進路を塞がれた牙猪が左へ逸れる。


「シルフ、白鬼の後ろへ!」


「行くで!」


 シルフが白鬼の後方へ回る。


 二人が直線上に並んだ。


「黒鬼、二人の前へ障壁!」


「はい!」


 白鬼とシルフの前へ、斜めに傾いた障壁が現れる。


 牙猪が障壁へ衝突した。


 正面から止めるのではなく、傾きに沿って左へ流される。


 その先へ紅蓮が踏み込んだ。


「これで三体目だ!」


 炎を纏った大剣が、牙猪の首元へ振り下ろされた。


 牙猪の体が地面へ沈む。


 土煙が収まったあと、立っている魔物はいなかった。


「終わった……?」


 白鬼が杖を下ろす。


「ああ」


 シグマは周囲を見回した。


 新たな魔物の姿はない。


 紅蓮とシルフにも目立った怪我はなく、黒鬼の障壁も消えている。


「岩のときと同じにはならなかったな」


 紅蓮が大剣についた血を拭う。


「牙猪が動いたから、順番は何度も変わった」


「でも、ちゃんと次の人へ繋がったよ」


 白鬼が言う。


「うちの氷で止めて、シルフが矢を当てて、紅蓮が倒した!」


「最後は黒鬼の障壁も使ったで」


 シルフが白鬼の隣へ戻ってくる。


「あの角度がなかったら、牙猪を正面から受け止めることになっとった」


「二人が同じ場所へ集まったから、守りやすかった」


 黒鬼は馬車の近くから離れずに答えた。


「シグマも、右脚だけで動いてなかったよね?」


「ああ。全身へ気を巡らせていた」


 シグマがハクを見る。


『先ほどよりはましだった』


「ましだったって」


「褒めているのか?」


『事実を言っただけだ』


「でも、悪くなかったってことだよ」


 フェルンが客室から顔を出す。


 両手首の腕輪が淡く光っていた。


「フェルンも障壁を出していたのか?」


「牙猪が走ってきたときだけ。すぐに消したよ」


「腕は重くないか?」


「少しだけ。でも、痛くない」


「なら大丈夫だ。短剣は?」


「抜かなかった。ハクと黒鬼が守ってくれたから」


「ああ。それでいい」


 フェルンは嬉しそうに頷いた。


 シグマは右義手を確認する。


 魔石弾を撃ったあとの熱は僅かに残っているが、制御リングに異常はない。


 ストックホルダーの中は空になった。


「次の休憩で補充するんやろ?」


 シルフが尋ねる。


「ああ。ただし、義手が冷えてからだ」


「今日は何を作る?」


 白鬼が顔を輝かせる。


「氷だ。だが、休憩して黒鬼に確認してもらってからにする」


「風は?」


「次の休憩だ。一度に一発という決まりは変えない」


「ちゃんと覚えとるな」


「決めたばかりだからな」


 シグマたちは牙猪から使える素材を回収し、残ったものを街道から離れた場所へ運んだ。


 その後、少し離れた休憩場所まで進む。


 右義手の熱が引き、制御リングに異常がないことを黒鬼が確かめてから、シグマは白鬼の弱い氷魔法を吸収した。


 完成した淡い青色の魔石弾を調べ、ストックホルダーへ収める。


 使った分を、安全な場所で一発だけ補充する。


 それが旅の間に続ける、新しい習慣となった。


 休憩の最後には、フェルンの短剣の練習も行った。


 木製短剣は二本。


 一本をフェルンが持ち、もう一本をシグマが持つ。


 腕輪で障壁を作り、相手の動きを一度止める。


 距離を取れたなら、そのまま逃げる。


 障壁を使えず腕を掴まれたときだけ短剣を抜き、相手の腕へ一度当てて離れる。


 何度か繰り返したあと、白鬼も練習相手になった。


 最初は速く動きすぎてシグマに止められたが、次からはフェルンが動きを確認できる速さに合わせる。


 白鬼が正面から近づく。


 フェルンが障壁を出す。


 白鬼が左右へ回り込もうとすれば、フェルンも位置を変える。


 逃げ道が開いた瞬間に障壁を消し、ハクのところまで走る。


 短剣を抜かずに逃げられた回数の方が多かった。


「もっと短剣を使う練習をした方がいいんじゃない?」


 白鬼が尋ねる。


「使わずに逃げられるなら、その方がいい」


 シグマが答える。


「でも、買ったのに」


「使わずに済むなら、それが一番だ」


 フェルンは木製短剣を腰へ戻した。


「本物も使わない方がいい?」


「ああ。必要になるまで抜くな」


「分かった。抜いたら、一回だけにする」


「忘れるなよ」


「うん」


 短剣の練習を終え、再び街道を進む。


 太陽が傾き始めた頃、遠くにハイン村を囲む柵が見えた。


「見えてきたで」


 シルフが前方を指差す。


「日が暮れる前に着けそうやな」


「予定どおり、今日はハイン村で休む」


 紅蓮が御者台から答える。


「明日の朝、王都へ向けて出発だ」


 ハイン村へ着く前に、シグマたちは一度だけ馬車を止めた。


 フェルンが最後の短剣練習を行うためだった。


 今度はシグマから細かな指示を出さない。


 白鬼がゆっくりと近づく。


 フェルンは障壁を出して動きを止め、その横を抜けようとした。


 だが、白鬼が素早く回り込む。


 逃げ道を塞がれたフェルンは障壁を消し、木製短剣を抜いた。


 白鬼が伸ばした腕へ、短剣の平らな部分を一度だけ当てる。


 白鬼が腕を引いた瞬間、フェルンは背を向けてハクのところまで走った。


「今のは?」


 フェルンが振り返る。


「よかった」


 シグマが答える。


「短剣を当てることに拘らず、白鬼が腕を引いた瞬間に逃げられた」


「もう本物を持ってもいい?」


「持っているだけならな。まだ練習で使うのは木製短剣だ」


「うん」


 フェルンは素直に頷いた。


「私も上手に相手できたよね?」


 白鬼が尋ねる。


「ああ。最後は少し速かったが、フェルンの反応を確かめるにはちょうどよかった」


「なら成功!」


 白鬼とフェルンが嬉しそうに笑い合う。


 シグマは二本の木製短剣を受け取り、馬車へ戻した。


 腕輪と短剣。


 どちらも、フェルンを戦わせるためのものではない。


 仲間のところまで逃げ延びるための手段だった。


 やがて、馬車はハイン村の入口へ辿り着いた。


 見張りへ身分証牌を見せ、村の中へ入る。


 通りには一日の仕事を終えた村人たちが行き交い、宿の窓からは温かな明かりが漏れていた。


 シグマは馬車から下りると、最初に右義手とストックホルダーを確かめた。


 氷属性の魔石弾が一本。


 制御リングにも異常はない。


 明日の休憩では、シルフの風魔法から一発作る。


 使えば補充し、使わない日にも状態を確かめる。


 必要な力を、必要なときに使えるよう備えておく。


 そして、その力を一人で終わらせず、次の仲間へ繋げる。


 岩を相手にしたときよりも、牙猪を相手にしたときの方が、全員の動きは自然になっていた。


 ハイン村を越えれば、次はいよいよ王都アルスラ。


 そこへ続く街道で何が待っているのかは、まだ誰にも分からない。


 それでも、ミルザードを出たときより、仲間たちの力は確かに繋がり始めていた。


翌朝。


 ハイン村の空に朝日が昇る頃には、シグマたちは出発の準備を終えていた。


 水と食料を馬車へ積み、ノクスとソルの体調を確かめる。


 村の外では、ハクが街道脇に伏せて待っていた。


「おはよう、ハク」


『ああ』


 フェルンが首元へ抱きつくと、ハクは何も言わずに立ち上がった。


「今日は王都まで行ける?」


『何も起きなければな』


「行けるって」


「ハクは、そんな言い方をしていないだろ」


 シグマが言うと、ハクが静かに頷いた。


「また二人で分かってる!」


 白鬼が不満そうに声を上げる。


「何て言ったの?」


「何も起きなければ、と言った」


「なら、起きても倒せばいいよ!」


「最初から起きることを前提にするな」


 紅蓮が御者台から注意する。


 白鬼たちが客室へ乗り込んだあと、シグマはストックホルダーを腰へ取り付けた。


 中には氷属性の魔石弾が一本収められている。


 昨日使った分を補充したばかりだ。


「次の休憩で風の魔石弾を作るんやろ?」


 シルフが尋ねる。


「ああ。義手と制御リングに異常がなければな」


「忘れんといてや」


「自分の魔法から作った弾を使わせたいだけじゃないのか?」


「そら、どんな効果になるか気になるやろ」


「戦闘では一度使っているだろ」


「動く魔物に当てたら、また違うかもしれへん」


「試すために撃つつもりはない。必要な場面で使う」


「分かっとるって」


 シルフは笑いながら客室へ乗り込んだ。


 ハイン村の柵を離れ、馬車が街道を進み始める。


 王都アルスラまでの道は、これまでより広く整備されていた。


 二台の馬車が並んでも十分に通れるほどの幅があり、深く刻まれた車輪の跡が王都へ向かって真っ直ぐ延びている。


 行き交う旅人や商人の姿も増えていた。


 シグマは御者台で手綱を握りながら、一定の呼吸を続ける。


 胸から腹へ。


 腹から腰へ。


 腰から両脚へ。


 全身を巡った気を、背中から肩へ上げて胸へ戻す。


 座ったままでも流れは途切れない。


 ノクスとソルが道の窪みを踏み、馬車が揺れても、呼吸が乱れることはなかった。


「今も気術を使ってるの?」


 隣に座るフェルンが尋ねる。


「ああ」


「右脚に集めてない?」


「集めていない」


 フェルンが馬車の横を歩くハクを見る。


「ハク、本当?」


『俺に聞くな』


「分からないって」


「聞かなくてもいいと言われたんじゃないか?」


「どうして分かったの?」


「これまで何度も同じやり取りをしたからだ」


 シグマが答えると、フェルンは楽しそうに笑った。


 昼前。


 街道沿いの休憩場所へ馬車を止める。


 ノクスとソルへ水を与えている間に、黒鬼がシグマの両義手と制御リングを調べた。


「熱はない。小魔石にも異常はないよ」


「なら、一発作る」


「昨日の氷と続けてだけど、大丈夫?」


「一晩空けている。それに、今日も一発だけだ」


 黒鬼は少し考えたあと、頷いた。


「作ったあとは、もう一度確認させて」


「ああ」


 シルフが弓を置き、右手を前へ出す。


「弱い風でええんやな?」


「昨日と同じ程度で頼む」


「了解や」


 シルフの掌の上に、小さな風の塊が生まれた。


 砂粒と草の葉を巻き込みながら、一定の速さで回転している。


 シグマは左義手の掌を向けた。


 獣王石が淡く光る。


 風の塊が形を崩し、魔力となって左義手へ吸い込まれていった。


「止めてくれ」


「これでええか?」


「ああ」


 シルフが魔力を止める。


 左義手の内部から低い作動音が響いた。


 吸収した魔力が圧縮され、細長い結晶へ変わっていく。


 やがて左手首の外側にある排出口が開き、淡い緑色の魔石弾が半分ほど押し出された。


 シグマは右手で魔石弾を引き抜く。


「できた」


「見せて」


 黒鬼が魔石弾を受け取り、日の光へ翳した。


 内部の色は均一で、ひびや濁りもない。


「問題なさそう」


 シグマはストックホルダーの蓋を開いた。


 氷属性の魔石弾の隣へ、風属性の魔石弾を収める。


 魔獣革の留め具を被せると、二本の魔石弾は互いに触れることなく固定された。


「氷と風が一本ずつだね」


 白鬼がストックホルダーを覗き込む。


「次は何を作るの?」


「使って減った属性を補充する。それまでは作らない」


「炎は?」


「炎は必要ないだろ。紅蓮がいる」


「黒鬼の障壁は魔石弾にできる?」


「障壁は攻撃魔法ではない。吸収できたとしても、どんな魔石弾になるか分からない」


「なら、試してみれば――」


「試さない」


「まだ最後まで言ってない!」


「言わなくても分かる」


 白鬼が頬を膨らませる。


 その横で、黒鬼は再びシグマの左義手へ触れた。


「少し温かくなってる。でも、これなら大丈夫」


「制御リングは?」


「異常なし。今日はもう作らないでね」


「ああ」


「明日の朝も、必要がなければ作らない」


「分かっている」


「本当に?」


「作らない」


 黒鬼はようやく納得し、左義手から手を離した。


 休憩を終えた一行は、再びアルスラへ向けて出発した。


 その日は何事も起こらず、日が沈む前に街道沿いの野営地へ到着する。


 王都までは、あと一日ほど。


 明日の夕方には、アルスラの外壁が見えてくる予定だった。


 夕食のあと、フェルンは木製短剣を使った練習を続けた。


 白鬼が正面から近づき、フェルンが腕輪の障壁を出す。


 白鬼が右へ回り込めば、フェルンは左へ下がる。


 逃げ道が開いた瞬間に障壁を消し、ハクのところまで走る。


 何度目かの練習では、白鬼が障壁へ触れる直前に方向を変えた。


 フェルンも動こうとしたが、足元の石へ踵を乗せてしまう。


 体勢を崩したところへ、白鬼が手を伸ばした。


 フェルンは右手首を掴まれる前に後ろへ引き、左手で木製短剣を抜いた。


 白鬼の腕へ一度だけ当てる。


 そのまま追撃せず、すぐに距離を取った。


「できた!」


「まだ終わっていない」


 シグマの声に、フェルンが表情を引き締める。


 白鬼から目を離さずに二歩下がる。


 十分な距離が開いてから向きを変え、ハクの首元へ抱きついた。


「今度こそできた?」


「ああ。短剣を当てたあと、すぐに離れられた」


「本物の短剣だったら、白鬼は痺れて動けなくなる?」


「刃が掠れば、その可能性はある。だが、必ず効くとは考えるな」


「どうして?」


「厚い服や鎧を着ていれば、刃が届かない。麻痺が効きにくい魔物もいる。それに、一度使えば短剣を奪われるかもしれない」


「だから、当てることより逃げることが大事?」


「ああ」


「分かった」


 フェルンは木製短剣を鞘へ戻した。


「もう一回する?」


 白鬼が尋ねる。


「今日は終わりだ」


「まだできるよ!」


「フェルンの足が疲れている」


 白鬼がフェルンの足元を見る。


 何度も後ろへ下がったことで、フェルンの呼吸は少し速くなっていた。


「本当だ。ごめんね」


「白鬼が謝ることじゃない。私が、もう一回って言ったから」


「二人とも、続きは明日だ」


 シグマは二本の木製短剣を受け取り、馬車へ戻した。


 夜が深まる。


 見張りの順番が回ってくると、シグマは焚き火の近くへ腰を下ろした。


 仲間たちの寝息。


 薪が爆ぜる音。


 木々の間を抜ける風。


 周囲の気配を探りながらも、全身を巡る気は途切れていない。


 以前なら、意識を外へ向けた瞬間に体内の流れを見失っていた。


 今は違う。


 呼吸を続けている限り、気は無理に動かさなくても全身を巡っている。


『随分と自然になったな』


 野営地の外側に伏せていたハクが言う。


「珍しく褒めるんだな」


『右脚ばかり使っていた頃よりはましだ』


「素直に褒められないのか?」


『事実を言っただけだ』


 シグマは自分の右脚へ目を向けた。


 強くしようとはしていない。


 力を集めてもいない。


 それでも、地面へ立ち上がれば、以前より軽く動けることが分かる。


「気を一か所へ集めなくても、体は動く」


『最初から茜という者に言われていただろう』


「ああ。ようやく意味が分かってきた」


『分かっただけでは足りん』


「使えるようになれ、だろ?」


『そのとおりだ』


 ハクは目を閉じる。


 それ以上、言葉を交わすことはなかった。


 翌朝。


 シグマたちは日の出と共に野営地を出発した。


 街道を行き交う旅人の数は、さらに増えていた。


 荷物を積んだ馬車。


 王都から村へ向かう商人。


 鎧を着た冒険者や、家族を連れた旅人。


 道の先へ進むほど、アルスラが近づいていることを感じられる。


 昼を少し過ぎた頃。


 シルフが御者台の屋根へ上り、前方を見渡した。


「おかしいな」


「何がだ?」


 手綱を握る紅蓮が尋ねる。


「さっきから、向こうから来る馬車がおらへん」


 王都へ向かう者はいる。


 しかし、反対側から来る者の姿が途絶えていた。


「街道の先で何か起きているのか?」


「分からへん。けど、鳥が一斉に飛んでったで」


 シルフが街道の左側にある森を指差す。


 木々の上から、何十羽もの鳥が飛び立っていた。


 続いて、低く重い音が響く。


 地面が僅かに揺れた。


 ノクスとソルが足を止め、落ち着かない様子で翼を動かす。


『前方から魔物の臭いがする』


 ハクが鼻先を上げる。


「どのくらい離れている?」


『遠くはない。血の臭いもする』


「血?」


 フェルンの表情が強張る。


「シルフ、見えるか?」


「もう少し高い場所に行けば――」


 シルフが近くの木へ跳び移った。


 枝を蹴り、瞬く間に上まで登る。


 しばらく前方を見つめていたシルフの顔から、笑みが消えた。


「馬車が一台、横倒しになっとる」


「人は?」


「三人おる。二人は動いとるけど、一人は倒れたままや」


「魔物は?」


「でかいのが一体。鎧角獣や」


 鎧角獣(がいかくじゅう)。


 四本の脚と巨大な角を持ち、全身を岩のように硬い外殻で覆われた魔物。


 動きは単純だが、その巨体から繰り出される突進は、小さな家なら一撃で崩すと言われている。


「急ぐぞ!」


 紅蓮が手綱を強く握る。


「ノクス、ソル! 走れ!」


 二羽が街道を蹴った。


 馬車が速度を上げる。


 シグマはストックホルダーを開き、氷と風の魔石弾を確かめた。


「使うの?」


 白鬼が尋ねる。


「必要になるかもしれない。すぐに取り出せるようにしておく」


「作らなくていいんだね」


「ああ。そのために貯めてきた」


 大きな揺れが再び伝わってきた。


 前方から、木が折れる音が聞こえる。


 森の切れ目を越えると、横倒しになった馬車が見えた。


 車輪は一つ外れ、荷物が街道へ散乱している。


 その近くで、二人の男が倒れた仲間を庇うように立っていた。


 正面には、四メートルを超える鎧角獣。


 灰色の外殻に覆われた巨体が、前脚で地面を掻いている。


 額から伸びた一本角には、馬車の破片が突き刺さっていた。


「来るぞ!」


 男の一人が叫ぶ。


 鎧角獣が地面を蹴った。


「黒鬼!」


「はい!」


 紅蓮が馬車を止めるより早く、黒鬼が客室から飛び降りる。


 白い杖を正面へ向けると、三人の旅人の前へ障壁が広がった。


 鎧角獣の角が光の壁へ突き刺さる。


 激しい衝突音。


 障壁の表面へ幾つもの亀裂が走った。


「止まらない!」


 黒鬼が両手で杖を支える。


「紅蓮、左から角を逸らせ!」


「任せろ!」


 紅蓮が大剣を抜き、鎧角獣の左側へ走る。


 炎を纏わせず、刃の腹を角へ叩きつけた。


 鎧角獣の頭が僅かに左へ向く。


 障壁へ加わっていた力が外れ、巨体が旅人たちの横を通り過ぎた。


「白鬼、旅人を馬車まで!」


「分かった!」


 白鬼が倒れていた男へ駆け寄る。


 意識はあるが、右脚から血を流していた。


「肩を貸すよ。立てる?」


「あ、ああ……」


 白鬼が男の腕を肩へ回す。


 残る二人も反対側から体を支えた。


「フェルン、障壁を出せるか?」


「うん!」


 フェルンはノクスとソルの前へ立ち、胸元で腕輪を合わせる。


 小さな障壁が、フェルンと二羽を覆った。


「ここまで来て!」


 旅人たちがフェルンの障壁へ向かう。


『俺が運ぶ』


 ハクが駆け出し、白鬼たちの横へ体を寄せた。


「ハクが背中に乗せろって!」


 フェルンの声を聞き、白鬼が負傷した男をハクの背へ乗せる。


 ハクは男を落とさない速さで馬車へ戻った。


「黒鬼、旅人を守れ!」


「分かった!」


 黒鬼もフェルンの近くまで下がる。


 鎧角獣が大きく旋回した。


 その全身を覆う外殻には、紅蓮の大剣を受けた傷がほとんど残っていない。


「硬いな」


 紅蓮が大剣を構え直す。


「炎を使えば切れるかもしれない。だが、正面から当てる時間はなさそうだ」


「脚を凍らせる!」


 白鬼が杖を向けた。


 冷気が地面を這い、鎧角獣の前脚を覆う。


 だが、魔物が一度脚を持ち上げるだけで氷は砕けた。


「全然止まらない!」


「同じ場所へ重ねろ!」


 シグマが右側から回り込む。


「シルフ、後脚の継ぎ目を狙え!」


「見えとるで!」


 シルフが矢を放った。


 風を纏った矢が、外殻と外殻の間にある細い隙間へ突き刺さる。


 鎧角獣の右後脚が僅かに沈んだ。


「白鬼、矢の刺さった脚だ!」


「うん!」


 白鬼の冷気が右後脚へ集中する。


 矢の周囲から氷が広がり、外殻の隙間へ入り込んだ。


 鎧角獣が脚を振る。


 氷は砕けたが、右後脚の動きが鈍くなった。


「紅蓮!」


「ああ!」


 紅蓮が正面へ踏み込む。


 炎を纏った大剣を、鎧角獣の角へ振り下ろす。


 激しい金属音と共に火花が散った。


 角の表面へ細い亀裂が走る。


 だが、折れるまでには至らない。


 鎧角獣が頭を振り上げた。


「下がれ!」


 紅蓮は大剣で角を受けたが、巨体の力を止められない。


 体ごと持ち上げられ、後方へ飛ばされた。


「紅蓮!」


 黒鬼が紅蓮の背後へ障壁を出す。


 紅蓮は光の壁へ背中を打ちつけ、地面へ下りた。


「助かった」


「怪我は?」


「問題ない!」


 鎧角獣が再び地面を蹴る。


 狙いは紅蓮だった。


「シルフ、紅蓮を右へ誘導しろ!」


「こっちや!」


 シルフが紅蓮の右側にある地面へ矢を放つ。


 風が草を巻き上げ、逃げる方向を示した。


 紅蓮が右へ走る。


 鎧角獣もそのあとを追う。


 だが、傷ついた右後脚の影響で、巨体が僅かに左へ傾いていた。


「シグマ、何かあるのか?」


「風の魔石弾を使う!」


 シグマはストックホルダーから、淡い緑色の魔石弾を取り出した。


 右掌の装甲が開く。


 せり出した装填部へ魔石弾を収めると、内部から重い音が響いた。


「制御リングは一段階目のままにして!」


 黒鬼が声を上げる。


「ああ!」


 シグマは全身へ気を巡らせる。


 右脚だけへ力を集めない。


 両脚で地面を蹴り、鎧角獣の左側へ走る。


 胸から肩へ流れた気を右義手へ通す。


 炎帝石が脈打った。


 だが、その力を無理に引き出そうとはしない。


 右義手を鎧角獣の前脚へ向ける。


「紅蓮、離れろ!」


 紅蓮が横へ跳ぶ。


「撃つ!」


 風属性の魔石弾が、鎧角獣の左前脚の手前へ命中した。


 圧縮されていた風が地面から吹き上がる。


 鎧角獣の左前脚が大きく浮いた。


 右後脚は、シルフの矢と白鬼の氷によって動きが鈍っている。


 二本の脚で支えきれなくなった巨体が、左側へ傾いた。


「ハク!」


『分かっている!』


 ハクが森の脇から飛び出した。


 鎧角獣の右側へ体当たりする。


 傾いていた巨体が完全に均衡を失い、地面へ横倒しになった。


 重い衝撃で土煙が上がる。


「白鬼、腹側を凍らせろ!」


「任せて!」


 白鬼の杖から冷気が放たれる。


 外殻の薄い腹部と脚の付け根を、厚い氷が覆っていく。


「シルフ、同じ場所を狙え!」


「行くで!」


 シルフが矢を連続で放つ。


 一本目が腹部の外殻へ突き刺さる。


 二本目が同じ矢へ当たり、さらに深く押し込んだ。


「紅蓮!」


「これで割る!」


 紅蓮が走り込む。


 炎を纏った大剣を、シルフの矢が刺さった場所へ振り下ろした。


 氷に覆われて冷え切った外殻へ、強い炎が叩きつけられる。


 急激な温度の変化に耐えられず、外殻へ亀裂が走った。


「割れた!」


 白鬼が叫ぶ。


 しかし、鎧角獣はまだ動いていた。


 氷を砕きながら前脚を持ち上げ、巨体を起こそうとする。


「まだや!」


 シルフが次の矢をつがえる。


 鎧角獣の外殻が、茶色い光を放った。


 周囲の土と小石が浮かび上がる。


『離れろ!』


 ハクの声が響く。


「全員、下がれ!」


 シグマが叫ぶ。


 次の瞬間、浮かび上がった小石が全方向へ弾け飛んだ。


「黒鬼!」


「守る!」


 黒鬼は旅人とフェルンの前に立ち、大きな障壁を広げた。


 飛んできた石が次々に衝突する。


 障壁の表面へ細い亀裂が増えていく。


「駄目、広すぎる……!」


 守る人数が多い。


 障壁を小さくすることはできなかった。


 白鬼が黒鬼の前へ走る。


「私も支える!」


「白鬼は下がって!」


「一人じゃ割られるよ!」


 白鬼は黒鬼の杖を持つ手へ、自分の手を重ねた。


 魔力を直接渡すことはできない。


 それでも、二人で杖を支えることで、黒鬼の腕へかかる負担を減らす。


「フェルン、障壁を重ねられる?」


「やってみる!」


 フェルンが腕輪へ魔力を流す。


 小さな障壁が、負傷した男の前へ現れた。


 黒鬼が守る範囲が僅かに狭くなる。


「できてるよ、フェルン!」


「まだ大丈夫!」


「無理はしないで!」


「うん!」


 飛来する石の数が減っていく。


 最後の一つを受け止めると、黒鬼は障壁を消した。


 肩で息をしながらも、杖を下ろさない。


「黒鬼、休め!」


「まだ動ける」


「旅人を守っていてくれ。あとは俺たちが倒す」


「分かった。でも、シグマも無茶しないで」


「ああ」


 鎧角獣が起き上がった。


 シルフの矢が刺さっていた腹部には、深い亀裂が残っている。


 紅蓮の炎によって外殻が黒く焼け、その隙間から赤い光が漏れていた。


 だが、鎧角獣は倒れない。


 怒りに満ちた声を上げ、正面にいるシグマへ角を向けた。


「来るで!」


 シルフが叫ぶ。


「もう一度、転ばせる?」


 白鬼が杖を構える。


「同じ動きは通じない」


 シグマはストックホルダーへ手を伸ばした。


 残っているのは、氷属性の魔石弾が一本。


「俺が正面で引きつける」


「無茶だ!」


 紅蓮が声を上げる。


「正面から止めるつもりはない。紅蓮は亀裂を狙える位置へ移動してくれ」


「だが――」


「ハクが左、シルフが右。白鬼は俺の合図で前脚を凍らせろ」


「黒鬼は?」


「最後まで旅人を守ってくれ」


 黒鬼が頷く。


「分かった」


 鎧角獣が前脚で地面を掻く。


 シグマは氷属性の魔石弾を右義手へ装填した。


 これを使えば、ストックホルダーは空になる。


 それでも、今使わなければ意味がない。


「来い」


 鎧角獣が地面を蹴った。


 巨体が真っ直ぐに迫る。


 シグマは動かない。


 呼吸を止めず、全身を巡る気だけを感じ取る。


 右脚へ力を集めれば、以前より速く避けられる。


 だが、その動きでは次へ繋がらない。


 胸から腹へ。


 腹から腰へ。


 腰から両脚へ。


 気が足先まで届く。


「シグマ!」


 白鬼の声が聞こえた。


 鎧角獣の角が目前へ迫る。


 シグマは左右の脚で同時に地面を蹴た。


 大きく跳ぶのではなく、角の横を滑るように半歩だけ移動する。


 左義手を角へ添えた。


 正面から受け止めない。


 鎧角獣の突進する力を、僅かに右へ逸らす。


「今だ、白鬼!」


「止まって!」


 冷気が鎧角獣の前脚を覆う。


 走っている途中で凍らされた脚が、地面へ固定された。


 鎧角獣の巨体だけが前へ進もうとする。


 体が大きく傾いた。


「ハク!」


『任せろ!』


 ハクが左側から肩へ体当たりする。


「シルフ!」


「こっちもや!」


 右側から放たれた風の矢が、鎧角獣の右前脚へ突き刺さる。


 左右から加わった力によって、正面を向いていた巨体が横へ回った。


 腹部の亀裂が、紅蓮のいる方向へ向く。


「紅蓮!」


「見えている!」


 紅蓮が大剣を構えた。


 だが、鎧角獣は倒れながらも、前脚の氷を砕こうとしている。


 このままでは、紅蓮が近づく前に体勢を立て直す。


 シグマは右義手を亀裂へ向けた。


 制御リングは一段階目。


 右掌の中央から青白い光が漏れる。


「撃つ!」


 氷属性の魔石弾が、鎧角獣の腹部へ命中した。


 冷気が亀裂の奥へ入り込み、赤く熱を持っていた外殻を一気に冷やす。


 亀裂が縦へ広がった。


「白鬼、重ねろ!」


「うん!」


 白鬼の冷気が、魔石弾によって生まれた氷へ重なる。


 亀裂の内側まで、青白い氷が入り込んでいく。


「シルフ!」


「そこや!」


 風の矢が亀裂へ突き刺さった。


 矢を包む風が内部で弾け、外殻を内側から押し広げる。


「紅蓮!」


「終わらせる!」


 紅蓮が大剣を振り上げた。


 刃を包む炎が激しく燃え上がる。


 振り下ろされた大剣が、氷と矢によって広げられた亀裂へ叩き込まれた。


 外殻が大きく割れる。


 それでも刃は、鎧角獣の体を完全には断ち切れない。


「まだ浅い!」


 紅蓮が叫ぶ。


 鎧角獣が紅蓮へ角を向けようとする。


「ハク、押さえろ!」


『早くしろ!』


 ハクが鎧角獣の首元へ噛みつき、頭を地面へ押さえ込む。


 紅蓮は大剣を亀裂へ食い込ませたまま、動かせない。


 白鬼は氷を維持し、シルフは次の矢をつがえている。


 今、動けるのはシグマだけだった。


 全身を巡る気が、僅かに乱れる。


 右脚へ集めて、一気に踏み込もうとする意識が生まれた。


 シグマは息を吐く。


 違う。


 一か所だけを強くする必要はない。


 両脚で地面を踏む。


 腰を回す。


 背中から肩へ。


 肩から左義手へ。


 全身の力を、一つの流れとして繋げる。


 シグマは鎧角獣へ向かって走った。


 右脚だけが前へ出ることはない。


 一歩ごとに左右の脚へ気が流れ、途切れることなく胸へ戻ってくる。


「紅蓮、そのまま押さえろ!」


「ああ!」


 シグマは大剣が食い込んだ亀裂の前へ立った。


 左義手を握る。


 獣王石が強く脈打つ。


 だが、その力だけには頼らない。


 両脚。


 腰。


 背中。


 肩。


 全身から伝わった力を、左拳へ繋げる。


「これで――終わりだ!」


 シグマの左拳が、大剣の峰へ叩き込まれた。


 紅蓮の大剣が、さらに深く鎧角獣の体へ沈む。


 白鬼の氷。


 シルフの矢と風。


 紅蓮の炎と大剣。


 ハクが押さえ込む力。


 そして、シグマの気術による一撃。


 すべての力が同じ場所へ繋がった。


 大きな破砕音が響く。


 鎧角獣の外殻が完全に割れ、大剣の刃がその下へ届いた。


 巨体が激しく震える。


 やがて、四本の脚から力が抜けた。


 鎧角獣が地面へ倒れる。


 しばらく待っても、再び立ち上がることはなかった。


「倒した……?」


 白鬼が杖を下ろす。


「ああ」


 紅蓮は大剣を引き抜き、鎧角獣から離れた。


「終わった」


 緊張が解けた瞬間、白鬼がその場へ座り込んだ。


「疲れた!」


「魔力を使いすぎたんじゃない?」


 黒鬼が旅人たちのそばから歩いてくる。


「少しだけだよ」


「最後まで氷を維持してたでしょ」


「でも、途中で止めたら鎧角獣が動いちゃうから」


「だからって、限界まで使わないで」


「限界までは使ってないよ!」


「なら、立ってみて」


「それくらいできるよ!」


 白鬼は勢いよく立ち上がった。


 しかし、僅かに足元が揺れる。


 黒鬼がすぐに腕を支えた。


「ほら」


「今のは地面が悪かっただけ!」


「座って休んで」


「はーい……」


 白鬼は黒鬼に支えられながら、道の端へ座った。


「シグマも腕を見せて」


「先に旅人を――」


「旅人の傷は確認した。命に関わるものじゃない」


 黒鬼はシグマの返事を待たず、右義手を取った。


 制御リングと掌を順番に調べる。


「右腕が熱を持ってる。でも、制御リングに異常はない」


「出力は一段階目から変えていない」


「分かってる。左腕は?」


「拳を一度使っただけだ」


「気術は?」


「最後まで全身へ巡らせていた」


「右脚だけに集めてない?」


「ああ」


 黒鬼はシグマの右脚へ目を向けた。


「痛みは?」


「ない」


「重くない?」


「少し疲れているが、右脚だけではない」


 シグマはその場で数歩歩いた。


 右脚が遅れることはない。


 左右の脚へ同じように疲労が残っているだけだった。


『先ほどの動きは悪くなかった』


 ハクが近づいてくる。


「今度は褒めているのか?」


『少なくとも、右脚だけで走ってはいなかった』


「ハクも大丈夫だったって」


 フェルンが駆け寄る。


 腕輪の光は、すでに消えていた。


「フェルンは?」


「障壁を出したけど、腕は重くないよ」


「短剣は使わなかったのか?」


「うん。黒鬼の後ろから動かなかった」


「それでいい」


 フェルンはシグマの左腕へ抱きついた。


「シグマも無茶しなかった?」


「ああ。約束は守った」


「本当?」


「今回はハクにも褒められた」


「なら、本当だね」


「俺よりハクを信用するんだな……」


 少し離れた場所で、紅蓮とシルフが鎧角獣の状態を確かめていた。


「こいつ、街道の近くに棲む魔物やないで」


 シルフが外殻へ触れる。


「もっと岩山に近い場所にいるはずや」


「何かに追われてきたのか?」


「そこまでは分からへん。ただ、外殻に古い傷がある。何日か前にも戦っとるみたいやな」


「王都へ着いたら報告した方がよさそうだ」


「ああ。近くにもう一体おるかもしれへん」


 その会話を聞き、シグマは森の奥へ目を向けた。


 今のところ、別の魔物が近づいてくる気配はない。


 それでも、長く留まるべきではなかった。


「動けるようになったら出発する。鎧角獣については、王都のギルドへ報告しよう」


「なら、素材はどうする?」


 紅蓮が尋ねる。


「持っていける分だけ回収する。残りは場所を伝えれば、ギルドが回収するだろう」


「外殻は高く売れそうやけど、全部積んだら馬車が動かへんな」


「必要な分だけでいい」


 シグマたちは割れた外殻の一部と角の先端を回収した。


 助けた三人は、王都から周辺の村へ道具を運ぶ商人だった。


 負傷した男の脚を黒鬼が治療し、壊れた馬車から必要な荷物だけをシグマたちの馬車へ積み替える。


「本当に助かった」


 商人の一人が深く頭を下げた。


「もう駄目かと思った」


「王都へ戻るなら一緒に乗ってくれ」


 シグマが答える。


「だが、荷物をすべて運ぶことはできない」


「命が助かっただけで十分だ。残りは、あとで人を連れて回収する」


 商人たちを客室へ乗せ、ノクスとソルを休ませてから出発する。


 馬車が動き始めると、フェルンは後方の窓から鎧角獣を見つめた。


「みんなで倒したね」


「ああ」


 隣に座る白鬼が頷く。


「私の氷がシルフの矢に繋がって、シルフの矢が紅蓮の大剣に繋がったの!」


「ハクも押さえてくれた」


「黒鬼とフェルンは、後ろのみんなを守ったよ!」


「シグマは?」


「最後に殴った!」


「随分と簡単にまとめたな」


「でも、本当でしょ?」


「間違ってはいない」


 シグマは空になったストックホルダーを確かめた。


 氷と風。


 二本の魔石弾は使い切った。


 だが、事前に用意していたからこそ、戦いの中で仲間の動きを止めずに済んだ。


「次の休憩で、また作るの?」


 フェルンが尋ねる。


「今日は作らない」


「空っぽなのに?」


「義手を二度使っている。王都へ着いて、十分に休んでからだ」


「約束を守ってるね」


「ああ」


「偉い!」


「子供扱いするな」


 フェルンと白鬼が声を上げて笑った。


 馬車は王都へ続く街道を進んでいく。


 日が傾き始めた頃。


 シルフが御者台の屋根へ上がり、前方を見つめた。


「見えてきたで!」


 弾んだ声に、客室にいた全員が窓へ集まる。


 遠くの平原に、巨大な外壁が延びていた。


 幾つもの尖塔。


 空へ高く突き出した城。


 夕日を反射して輝く白い建物が、外壁の内側に幾重にも並んでいる。


 アルステラ王国の中心。


 王都アルスラ。


「あれが王都……」


 フェルンが窓から身を乗り出す。


「大きい!」


「落ちるから気をつけろ」


 シグマが服の背を掴み、客室へ戻した。


「まだ遠いのに、建物が見えるよ!」


「アルランカより大きそうだね」


 白鬼も反対側の窓から顔を出す。


「王都だからな」


 紅蓮が御者台から答える。


「人も多い。着いたら勝手に動くなよ」


「私じゃなくて、白鬼に言って」


「どうして私だけ!?」


「最初に走っていきそうだから」


 黒鬼の言葉に、シルフが笑う。


「否定できへんなぁ」


「シルフまで!」


 賑やかな声を聞きながら、シグマは腰の秘伝書へ手を伸ばした。


 僅かな震えが伝わってくる。


 取り出した『気術基礎』の下で、二冊目を封じていた札が淡く光っていた。


 これまで文字のように浮かんでいた術式が、一つずつ消えていく。


「シグマ、本が光ってる」


 フェルンが気づく。


「ああ」


 最後の術式が消え、札が白い紙へ変わった。


 固く閉ざされていた二冊目の表紙が、僅かに浮き上がる。


「開くようになったんじゃない?」


 白鬼が手を伸ばす。


 シグマは、その前に秘伝書を閉じた。


「開けないの?」


「王都へ着いてからだ」


「少しくらい見てもいいのに!」


「基礎が終わったからといって、すぐに次へ進む必要はない」


「茜みたいなこと言ってる」


「そうかもしれないな」


 気を全身へ巡らせる。


 呼吸を止めずに歩く。


 仲間の声を聞きながら動く。


 右脚だけへ頼らず、全身の力を次の一撃へ繋げる。


 ようやく、その基礎を身につけることができた。


 だが、できたのは始まりに過ぎない。


 シグマは秘伝書を腰へ戻した。


 馬車が王都へ近づくにつれ、外壁の大きさが増していく。


 街道には多くの馬車が並び、門の前では王国兵が一台ずつ身分証牌と荷物を確認していた。


 列へ加わる前に、ハクが足を止めた。


『俺はここまでだ』


 フェルンの表情から笑みが消える。


「王都には入らないの?」


『あの中には人が多すぎる』


「でも、また外で待つの?」


『近くの森にいる。用があれば呼べ』


「離れすぎたら、声が届かないよ」


『お前たちが王都を出る頃には、ここへ戻る』


「約束?」


『ああ』


 フェルンはハクの背から下り、その首元へ両腕を回した。


「寂しくても、遠くに行かないでね」


『寂しがるのはお前の方だろう』


「ハクも少し寂しいって」


『言っていない』


 いつものやり取りに、フェルンが笑う。


 白鬼もハクの首元へ抱きついた。


「ちゃんと戻ってきてね!」


 ハクは返事をしない。


 白鬼には声が届かないことを分かっている。


 それでも、逃げずにその場へ伏せた。


「ハクは戻ると言っている」


 シグマが伝える。


「本当?」


「ああ」


「なら、信じる!」


 黒鬼が鼻先を撫で、紅蓮が背中を軽く叩く。


 最後にシルフが抱きつこうとしたところで、ハクは素早く立ち上がった。


「何でうちだけ逃げるん!?」


『これ以上は付き合いきれん』


「もう行くって」


「絶対、今のは違うやろ!」


 ハクはシルフから距離を取り、そのまま草原を走り出した。


 白銀の姿が夕日に照らされる。


 近くの森へ入る直前、一度だけ足を止めて振り返った。


 フェルンが大きく手を振る。


「またね、ハク!」


 ハクは小さく頭を下げ、木々の奥へ姿を消した。


 シグマたちは王都へ続く列へ加わった。


 順番が来るまでには、半刻ほどかかった。


 王国兵へ身分証牌を見せ、商人たちから鎧角獣について説明してもらう。


 回収した外殻と角も確認された。


「負傷者はこちらで預かる。鎧角獣については、すぐに冒険者ギルドへ伝えよう」


 兵士が仲間を呼び、商人たちを門の内側へ案内する。


「お前たちも、明日ギルドへ来てくれ。詳しい場所と状況を聞きたい」


「分かった」


「救助への礼と、鎧角獣の素材についても、そのときに話す」


 確認を終え、大きな門がシグマたちの前に開かれた。


 馬車がゆっくりと進み出す。


 門を越えた瞬間、これまでとは比べものにならないほど大きな喧騒が押し寄せた。


 石畳の道を走る馬車。


 通りの両側に並ぶ店。


 客を呼び込む商人の声。


 鎧を着た騎士や冒険者。


 異なる種族の者たちが行き交い、遠くには王城へ続く大通りが真っ直ぐ延びている。


「着いた……」


 フェルンが呟く。


「ああ」


 シグマは御者台から王都の街並みを見渡した。


 ミルザードで手に入れた新しい力。


 全身を巡る気。


 魔法を吸収し、魔石弾へ変える左義手。


 魔石弾を撃ち出す右義手。


 それらは、シグマ一人の力だけで成り立つものではなかった。


 白鬼とシルフの魔法。


 仲間を守る黒鬼の障壁。


 道を切り開く紅蓮の大剣。


 敵を押さえるハクの力。


 そして、後ろで自分を守りながら待つフェルン。


 誰かの力が、次の誰かへ渡っていく。


 一人では届かない場所まで、全員の力を繋げて進む。


「まずは宿を探すぞ」


 紅蓮が言う。


「そのあと、ご飯!」


 白鬼がすぐに続ける。


「先に馬車とノクスたちを休ませる」


 黒鬼が訂正する。


「うちは王都の武器屋も見たいなぁ」


「今日は行かない」


「まだ何も言うてへんで?」


「顔を見れば分かる」


 シルフが不満そうに肩を落とす。


「シグマ」


 フェルンが袖を引いた。


「どうした?」


「王都に来たら、何をするの?」


 シグマは王都の中心に建つ城へ目を向けた。


 アルスラへ辿り着くことは、旅の終わりではない。


 ここから先へ進むための、新たな始まりだった。


「まずは、俺たちがここへ来た目的を果たす」


「それが終わったら?」


「次へ進む」


「みんなで?」


「ああ。みんなでだ」


 フェルンは満足そうに頷いた。


 馬車が大通りを進んでいく。


 夕暮れの王都に、ノクスとソルの足音と車輪の音が響く。


 ミルザードから続いてきた道は、王都アルスラへ辿り着いた。


 その道の途中で得た力は、もう誰か一人だけのものではない。


 互いに支え、補い、次の一撃へ繋げる力。


 それこそが、シグマたちが手に入れた新たな強さだった。

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