第十二話 フォックス商会のレイラ
関所での騒動が収まった頃には、窓から差し込む光が赤みを帯び始めていた。
積荷を奪おうとした男たちは兵士たちに拘束され、フェルンが閉じ込められていた木箱も、隷属の首輪の残骸も、証拠として関所の倉庫へ運び込まれた。
ひとまず危険は去った。
しかし、シグマたちはすぐにリッドガルへ向かうことができなかった。
フェルンの首輪を外した反動と、その直前に起きた戦闘の疲労によって、シグマの身体は限界を迎えていた。
傷口は塞がりつつあるものの、身体の奥に鉛を流し込まれたような重さが残っている。
寝台から起き上がるだけでも、額に冷たい汗が浮かんだ。
「今すぐ出発するなど、許可できません」
関所に詰めている治療術師は、寝台に腰掛けたシグマを厳しい目で見つめた。
「傷が塞がったからといって、回復したわけではないのです。失った体力と魔力が戻るまで、最低でも一晩は休んでください」
「分かりました。お世話になります」
「本当に分かっていますか?」
「……無理はしません」
「その言葉を信じることにします」
治療術師は疑わしそうな顔を残しながらも、治療道具を片づけ始めた。
その間も、フェルンはシグマの服の裾を両手で掴んでいた。
治療の邪魔にならないよう少し離れることはあっても、手だけは決して放そうとしない。
誰かが病室へ入ってくるたび、銀色の獣耳がぴくりと動く。
兵士が近づけば身を強張らせ、シグマの背中へ隠れるように身体を寄せる。
「この子にも休息が必要です」
治療術師はフェルンを一瞥した。
「目立った外傷はありませんが、かなり衰弱しています。温かい食事を取らせて、今夜はゆっくり眠らせてください」
「分かりました」
「……シグマといる」
フェルンが小さく呟いた。
「ええ。あなたも大人しく休んでください」
「うん」
治療術師が退室すると、壁際で腕を組んでいたバルガスが口を開いた。
「今夜は兵舎を使ってくれ。空いている部屋をいくつか用意させる」
「助かります」
「礼を言うのはこちらだ。お前たちがいなければ、あの積荷を何も知らずに通していたかもしれん」
バルガスは寝台脇の椅子へ腰を下ろす。
「フォックス商会については、こちらでも調査を始める。だが、直接依頼を受けたお前たちから事情を聞いた方が、レイラも話しやすいだろう」
「身体が戻り次第、リッドガルへ向かいます」
「ああ。無理に今日中に動く必要はない。俺からも後日、正式に話を聞きに行く」
バルガスは立ち上がると、フェルンへ視線を向けた。
フェルンはシグマの背中へ半分ほど隠れ、警戒するように彼を見つめている。
「怖がらせて悪かったな」
「……」
「積荷の中から見つかった子供となれば、こちらも事情を確認しなければならなかった。だが、もう無理に話させるつもりはない」
フェルンは返事をしなかった。
それでも、バルガスから目を逸らさなかっただけ、先ほどよりは僅かに落ち着いているようだった。
「何かあれば兵士を呼んでくれ」
「ありがとうございます」
バルガスが病室を出る。
扉が閉まった直後、白鬼がフェルンの前へ回り込んだ。
「フェルンちゃん」
「なに?」
白鬼は腰を屈め、安心させるように微笑んだ。
「今夜は私たちと一緒に寝ませんか?」
「いや」
「まだ最後まで言っていませんよ?」
「シグマと寝る」
あまりにも迷いのない返事だった。
白鬼の笑顔が僅かに引きつる。
隣に立っていた黒鬼も、遠慮がちに声をかけた。
「む、向こうに女の子だけの部屋を用意してもらったの……。寝台も三つあるから……」
「行かない」
「私たちと一緒なら、怖くないよ……?」
「シグマといるから怖くない」
フェルンはシグマの腕へ両手を回し、白鬼と黒鬼へ背を向けた。
白鬼は頬を膨らませながらも、どうにか笑顔を保っている。
「ですが、シグマさんは男の人です。同じ部屋で寝るのは、その……あまり良くありません」
「どうして?」
「どうしてって……」
白鬼が言葉に詰まる。
助けを求めるように黒鬼を見たが、黒鬼も頬を赤らめて俯いてしまった。
「と、とにかく……良くないと思う……」
「分からない」
「私も上手く説明できませんが、良くないものは良くないのです」
白鬼はそう言うと、フェルンの右手をそっと握った。
黒鬼も反対側から左手を取る。
「ほら、向こうへ行きましょう」
「三人で寝たら、きっと楽しいよ……?」
二人がゆっくりと手を引いた。
その瞬間、フェルンの身体が大きく震えた。
「いやっ!」
フェルンは二人の手を振り払い、シグマへ激しく抱きついた。
銀色の獣耳が後ろへ倒れ、大きな尻尾が膨らむ。
「離れない!」
「フェルンちゃん……?」
「シグマから離れない! 絶対に嫌!」
フェルンの細い腕に、必死なほどの力が込められる。
先ほどまでの強情な態度とは明らかに違っていた。
目の前にいる白鬼と黒鬼を拒絶しているのではない。
誰かに手を引かれ、知らない場所へ連れていかれることそのものを恐れている。
白鬼と黒鬼もそれに気づいたのか、無理に手を伸ばすことはなかった。
二人は困ったようにシグマを見る。
「シグマさん……」
「な、なんとかして……」
シグマはフェルンの頭へ手を置いた。
「フェルン」
「……なに?」
「白鬼と黒鬼は、フェルンを困らせたいわけじゃない。心配してくれてるんだ」
「分かってる」
「二人が勝手に、知らない誰かのところへ連れていくこともない」
「でも、シグマと離れる」
「すぐ隣の部屋だ」
「嫌」
フェルンは顔を上げ、シグマをじっと見つめた。
「シグマも、わたしをどこかに連れていくの?」
「連れていく?」
「知らない人に渡すの?」
その言葉に、病室の空気が止まった。
白鬼と黒鬼も何も言えなくなり、申し訳なさそうに手を引く。
フェルンにとって、誰かの手に引かれて連れていかれることは、親切ではない。
次にどこへ売られるのか、何をされるのか分からない恐怖なのだ。
シグマはフェルンの銀髪をゆっくりと撫でた。
「誰かに渡したりしない」
「本当?」
「ああ」
「絶対?」
「約束する」
フェルンはシグマの目を見つめたまま、服を掴む手にさらに力を込めた。
「じゃあ、ここにいる」
シグマは小さく息を吐く。
「分かった。今日だけだ」
「うん」
「ただし、同じ寝台では寝ない。隣に簡易寝台を置いてもらう」
「分かった」
「それと、寝てる間に暴れないでくれ。俺はまだ怪我人だからな」
「暴れない」
「本当か?」
「たぶん」
「そこは言い切ってほしかったな……」
シグマが苦笑すると、フェルンの耳が僅かに持ち上がった。
口元にも、小さな笑みが浮かぶ。
だが、白鬼と黒鬼の表情は晴れなかった。
「それなら私たちも、ここで寝ます!」
「わ、私も……!」
二人が揃って手を挙げる。
「駄目だ」
紅蓮が低い声で一喝した。
白鬼と黒鬼の肩が同時に跳ねる。
「どうしてですか!」
「シグマを休ませるためだ。お前たちまで居座れば、病室が騒がしくなる」
「静かにします!」
「わ、私も声を出さない……」
「お前たちが一緒にいて、静かだったことがあるか?」
「あります!」
「いつだ?」
「……」
白鬼が言葉を失う。
黒鬼も何も思いつかなかったらしく、目を伏せた。
「ですが、フェルンちゃんはいいのですか?」
白鬼は納得できない様子で、シグマに抱きつくフェルンを指差した。
「フェルンはまだ、シグマ以外の人間を信用し切れていない。今夜は諦めろ」
「不公平です!」
「仕方ないだろう」
紅蓮はきっぱりと言い切った。
「今はフェルンを安心させることを優先する。お前たちも分かってやれ」
白鬼は頬を膨らませる。
黒鬼もあからさまに肩を落とした。
「まあまあ、今日だけやって」
シルフが二人の背中を軽く叩く。
「昨日まで木箱ん中に閉じ込められとったんや。知らん場所で一人になるんは怖いやろ」
「シルフさんは悔しくないのですか?」
「うちは大人やからな。そないなことで、いちいち嫉妬なんか――」
シルフはフェルンを見る。
フェルンもシルフを見返した。
フェルンはシグマの腕へさらに頬を寄せる。
「……まあ、ほんのちょっとくらいは羨ましいけどな」
「シルフ」
「冗談やって。そない怖い顔せんといてや、紅蓮」
紅蓮の鋭い視線を受け、シルフは乾いた笑みを浮かべた。
◇
日が沈み、夕食の時間になる。
紅蓮、シルフ、白鬼、黒鬼の四人は、兵舎の食堂へ向かった。
シグマは治療術師から安静を言い渡されているため、フェルンと一緒に病室で食事を取ることになった。
運ばれてきたのは、豆と根菜を煮込んだスープ。
焼いた塩漬け肉。
硬めの黒パン。
どれも兵士たちが普段口にしている、飾り気のない料理だった。
フェルンは湯気の上がるスープを覗き込む。
「熱いから気をつけろよ」
「分かってる」
木の匙でスープを掬い、何度も息を吹きかける。
慎重に口へ運んだフェルンは、しばらく味わったあと小さく頷いた。
「おいしい」
「そうか」
「シグマは?」
「悪くない」
「シグマの料理の方がおいしい?」
「自分で言うことじゃないだろ」
「みんなが言ってた」
フェルンは黒パンを小さく千切りながら、シグマを見る。
「シグマは料理が上手だって」
「たまに作るだけだ」
「食べたい」
「身体が戻ったらな」
「ほんと?」
「ああ。何が食べたい?」
フェルンは真剣な顔で考え込む。
「お肉」
「広すぎるな」
「いっぱい入ってるの」
「煮込み料理か?」
「分からない」
「食べたことがないのか?」
「お肉ならなんでもいい」
「そうか。じゃあ、柔らかく煮込んだものにするか」
「甘いのも食べたい」
「肉料理の話は終わったのか?」
「両方食べる」
「随分と欲張りだな」
「駄目?」
「駄目じゃない」
シグマが笑うと、フェルンも嬉しそうに目を細めた。
食事を終える頃には、彼女の強張っていた表情も少しずつ和らいでいた。
ほどなくして、病室の扉が開く。
食堂から戻ってきた白鬼が、部屋へ入るなり深いため息をついた。
「やはり、シグマさんの料理の方が美味しいです」
「食事を用意してもらっておいて、そんなことを言うものじゃない」
紅蓮が呆れたように注意する。
「分かっています。ですが、味が薄かったのです」
「お、お肉も少し硬かった……」
黒鬼も控えめに続けた。
「腹に入って力になれば十分やろ」
シルフはそう言いながらも、どこか不満そうに口を尖らせている。
紅蓮が横目で睨んだ。
「お前も食堂を出る時、香辛料が足りないと言っていただろう」
「あれは料理人としての意見や」
「シルフさんは料理人だったのですか?」
「野営料理なら得意やで。限られた食材で、それなりのもんを作らなあかんからな」
「シルフさんの料理は辛すぎます」
「う、うん……舌が痛くなる……」
「二人が子供舌なだけや」
言い合いを始めた三人を見て、シグマは苦笑するしかなかった。
「フェルンちゃんはどうでしたか?」
白鬼が尋ねる。
「おいしかったよ」
「そうですか?」
「うん。シグマと一緒に食べたから」
フェルンはにこやかに答えた。
「残さず食べて偉かったな」
シグマが頭を撫でる。
フェルンは気持ちよさそうに目を閉じ、耳を僅かに伏せた。
白鬼の口元が引きつる。
黒鬼も羨ましそうにフェルンの頭を見つめていた。
「黒鬼、行きましょう」
「う、うん……」
二人はくるりと背を向け、そのまま病室を出ていった。
「どうしたんだ?」
フェルンが不思議そうに首を傾げる。
「さあな……」
シグマにも分からなかった。
紅蓮とシルフは顔を見合わせ、揃って苦笑する。
「そのうち落ち着くやろ」
「そうだといいが……」
紅蓮は疲れたように息を吐いた。
「シグマ、何かあればすぐに呼べ。無理をするなよ」
「ああ」
「フェルンも、シグマを困らせるな」
「困らせない」
「その返事が一番不安だな」
「ほな、また明日な」
「おやすみ」
紅蓮とシルフも病室を出ていく。
扉が閉まると、室内は急に静かになった。
廊下を歩く兵士の足音。
遠くから聞こえる笑い声。
風に揺らされた窓枠が、時折小さな音を立てている。
フェルンは簡易寝台の端へ座り、自分の足元を見つめていた。
「眠くないのか?」
「まだ」
「そうか」
シグマは枕を背にして、寝台へ身体を預けた。
しばらく沈黙が続く。
やがて、フェルンがぽつりと尋ねた。
「シグマ」
「なんだ?」
「どうして、わたしを助けたの?」
「助けられると思ったからだ」
「それだけ?」
「ああ」
「わたしが悪い子でも?」
シグマは少しだけ考え、フェルンを見る。
「フェルンは悪い子なのか?」
「……分からない」
「じゃあ、今すぐ決めなくていい」
「みんな、わたしがいると困るって言った」
「誰に言われた?」
「いろんな人」
「その人たちが、フェルンのことを全部知っていたとは限らない」
「でも……」
フェルンは何かを言いかけ、口を閉ざした。
膝の上に置かれた小さな手が、強く握られている。
「話したくないなら、今は話さなくていい」
「聞かないの?」
「フェルンが話したくなった時でいい」
「わたし、嘘をついてるかもしれないよ」
「そうかもしれないな」
「怒らないの?」
「怒る理由がない」
「どうして?」
「話せないことは、誰にでもあるからだ」
フェルンが顔を上げる。
シグマは自分の左腕へ視線を落とした。
「俺も、自分の過去をほとんど覚えてない」
「覚えてないの?」
「ああ。覚えているのは、この一年半くらいだ」
「その前は?」
「何も分からない」
「怖くない?」
「怖いよ」
シグマは静かに答えた。
「自分が何者だったのかも分からない。知らないところで誰かに恨まれてるかもしれない。突然、知らない過去を突きつけられるかもしれない」
「シグマも怖いんだ」
「ああ」
「強いのに?」
「強さと怖さは別だろ」
フェルンはしばらくシグマの顔を見つめていた。
「シグマも、ひとり?」
「前はな」
「今は?」
「紅蓮たちがいる。ハクもいる」
「ハク?」
「白くて大きな狼だ」
「みんなが話してた。すごく大きいって」
「フェルンが乗っても、たぶん気にしない」
「乗りたい」
「アルランカに戻ったら会えるかもしれないな」
フェルンの獣耳がぴんと立ち上がる。
「約束?」
「ハクが嫌がらなければな」
「わたし、狼に嫌われない」
「随分と自信があるんだな」
「フェンリルだから」
フェルンは誇らしげに言った直後、はっとして口元を押さえた。
先ほどまで立っていた耳が、警戒するように伏せられる。
「……今の、聞いた?」
「ああ」
「誰にも言わない?」
「言わない」
「どうして?」
「フェルンが隠したいなら、俺が勝手に話すことじゃない」
「何も聞かないの?」
「聞いてほしいのか?」
フェルンは慌てて首を振った。
「じゃあ、聞かない」
「……変なの」
「そうか?」
「普通は、もっと聞く」
「話せないことを無理に聞かれるのは嫌だろ」
「うん」
「俺も嫌だからな」
フェルンは少しだけ身体の力を抜いた。
簡易寝台から下り、シグマの寝台の横まで歩いてくる。
「明日も一緒にいていい?」
「ああ」
「明後日も?」
「皆と相談は必要だが、勝手に誰かへ渡したりはしない」
「ずっと一緒じゃないの?」
シグマはすぐには答えられなかった。
フェルンの家族がどこにいるのか。
彼女を狙った者が誰なのか。
なぜ彼女が、奴隷として木箱へ入れられていたのか。
何も分かっていない。
無責任に、ずっと一緒だと約束することはできなかった。
それでも、一つだけは言える。
「フェルンが安心して暮らせる場所を見つけるまでは、一人にしない」
「本当?」
「ああ」
「約束?」
「約束する」
フェルンはシグマの目をじっと見つめた。
嘘を見抜こうとしているようだった。
やがて、僅かに笑う。
「じゃあ、信じる」
「ありがとう」
「でも、今日はここで寝る」
「簡易寝台でな」
「分かってる」
フェルンは簡易寝台へ戻り、毛布の中へ潜り込んだ。
しばらくすると、小さな寝息が聞こえ始める。
その夜。
フェルンは何度か、何かに怯えるように身体を震わせた。
そのたびに目を開き、隣の寝台にシグマがいることを確かめる。
シグマが消えていないと分かると、安心したように再び目を閉じた。
◇
翌朝。
胸元に感じる重みに、シグマはゆっくりと目を覚ました。
「……重い」
視線を下げる。
そこには、シグマの身体へ抱きつくようにして眠るフェルンがいた。
昨夜は確かに、隣の簡易寝台で眠っていたはずだ。
いつ移動してきたのか、まったく気づかなかった。
フェルンはシグマの胸元へ頬を押しつけ、安心し切った表情で眠っている。
両腕は胴へ回され、銀色の尻尾はシグマの脚に巻きついていた。
「どうしたものか……」
少し身体を動かす。
するとフェルンの腕に力が入り、逃がさないとでも言うようにさらに強く抱きついてきた。
無理に引き離せば、起こしてしまうだろう。
昨日まで怯えていた少女が、今は穏やかに眠っている。
そう考えると、起こすこともできなかった。
シグマが身動きできずにいると、病室の扉がゆっくりと開く。
隙間から白鬼が顔を覗かせた。
その下から、黒鬼もそっと顔を出す。
「まだ寝ていますか?」
「し、静かにね……」
二人は扉を静かに閉めると、忍び足で寝台へ近づいてきた。
足音を立てないようにしているつもりなのだろうが、動きが大きすぎて逆に目立っている。
白鬼はシグマが起きていることに気づき、小さく手を振った。
「おはようございます、シグマさん」
「おはよう」
「傷の具合は――」
黒鬼がシグマの胸元を見た。
そのまま、ぴたりと動きを止める。
「黒鬼?」
白鬼も視線を向ける。
次の瞬間。
「な、何をしているのですかぁっ!」
白鬼の叫び声が、病室中に響き渡った。
「んぅ……」
フェルンが身体を動かす。
ゆっくりと顔を上げ、眠たそうに目を擦った。
「おはよう、シグマ」
「おはよう」
「よく寝た」
「それはよかったが、どうして俺の寝台にいるんだ?」
「寒かったから」
「毛布はあっただろ」
「シグマの方が温かい」
フェルンは当然のように答えると、再びシグマへ抱きついた。
頭を胸元へ押し当て、左右へ擦りつける。
「ちょっと待ってください!」
白鬼が寝台へ詰め寄った。
「朝から何をしているのですか!」
「マーキング」
「まーきんぐ?」
「シグマに、わたしの匂いをつけてる」
フェルンは悪びれる様子もなく答えた。
昨日まで周囲の人間に怯えていた少女とは思えないほど、堂々とした態度だ。
少なくともシグマのそばでは、本来の勝ち気な性格を隠さなくなっているらしい。
「そ、それなら……」
黒鬼が何かを決意したように、一歩前へ出る。
「黒鬼?」
「わ、私も……」
黒鬼はシグマの右腕へ抱きついた。
そのままフェルンの真似をして、頭を腕へ擦りつけ始める。
「黒鬼まで何をしてるんだ?」
「だ、だって……ずるいから……」
「黒鬼だけずるいです!」
白鬼は寝台の反対側へ回り込み、シグマの左腕へ抱きついた。
「でしたら、私もマーキングします!」
「白鬼まで……」
正面にはフェルン。
右には黒鬼。
左には白鬼。
三人の頭がシグマの身体へ押しつけられる。
白鬼と黒鬼の小さな角が、何度も肩や胸へ当たっていた。
「痛い……三人とも、少し離れてくれ」
「まだ終わってない」
「わ、私も……」
「私もです!」
「何が終わってないんだ……」
シグマの顔が見る見る赤くなっていく。
両腕を掴まれ、身体を動かすこともできない。
恥ずかしさのあまり、全身が石のように固まっていた。
その時、病室の扉が勢いよく開く。
「さっきの声、なんや――」
シルフが部屋へ飛び込んできた。
その後ろには紅蓮もいる。
二人は寝台の上を見た。
シグマの胸元へ抱きつくフェルン。
右腕へ頭を擦りつける黒鬼。
左腕を抱え込む白鬼。
数秒の沈黙。
「ぶはっ!」
シルフが腹を抱えて笑い始めた。
「あはははっ! なんやこれ! 朝からえらい人気者やな、シグマ!」
「笑ってないで助けてくれ!」
「無理や! 顔真っ赤やん! 身体も固まっとるし!」
「シルフ……!」
一方、紅蓮の顔も耳まで赤くなっていた。
「お、お前たち……」
肩を震わせながら寝台へ近づく。
「年端もいかない娘が、朝から男の寝台で何をしている!」
紅蓮は白鬼の襟を掴み、シグマから引き剥がした。
続いて黒鬼。
最後にフェルンも持ち上げる。
「破廉恥だ!」
「わたしはマーキングしただけ」
「わ、私も……」
「私は二人を止めようとしていました!」
「白鬼、お前が一番大きな声で参加していただろう!」
「誤解です!」
「どこに誤解の余地がある!」
「もうあかん! お腹痛い!」
「シルフはいつまで笑っている!」
早朝の兵舎に、紅蓮の怒声とシルフの笑い声が響き渡った。
◇
紅蓮の説教は、四半刻ほど続いた。
白鬼、黒鬼、フェルンの三人には、しばらくの間、必要以上にシグマへ近づくことを禁じる命令が下された。
白鬼と黒鬼は不満そうながらも、渋々シグマから距離を取っている。
しかし、フェルンだけはまったく守る気がなかった。
シグマの服の裾をしっかりと握り、離れようとしない。
「フェルン」
「なに?」
「紅蓮の話を聞いてたか?」
「聞いてた」
「だったら、少し離れないと」
「嫌」
「聞いただけで、守る気はないのか……」
フェルンは返事をせず、シグマの後ろへ半分ほど隠れた。
「どうしてフェルンちゃんだけ許されるのですか!」
「ふ、不公平です……」
白鬼と黒鬼が紅蓮へ詰め寄る。
「仕方ないだろう。今のフェルンを無理に引き離すわけにはいかん」
「私たちも不安です!」
「何がだ」
「フェルンちゃんに、シグマさんを取られてしまいます!」
「知らん!」
紅蓮の一喝に、二人は揃って肩を落とした。
今度は助けを求めるように、シグマを見つめる。
「二人とも、今は分かってくれ」
シグマは白鬼と黒鬼の前へ立つ。
「フェルンがもう少し落ち着くまでだ」
「……本当ですか?」
「ああ」
「その後は、私たちにも同じようにしてくれますか?」
「同じように?」
「頭を撫でたり、一緒に座ったりです」
「それくらいなら、いつでもいいだろ」
シグマは白鬼と黒鬼の頭を優しく撫でた。
白鬼は嬉しそうに目を細め、黒鬼は頬を赤くしながら俯く。
それを見たフェルンが、シグマの服を引っ張った。
「わたしも」
「さっきまで十分くっついてただろ」
「頭を撫でるのは別」
「仕方ないな」
シグマがフェルンの頭も撫でる。
「やはり不公平です!」
白鬼の抗議が、再び病室へ響き渡った。
◇
治療術師による朝の診察を受けた結果、シグマは激しく身体を動かさなければ歩いてもよいと許可された。
そこでシグマとシルフは、兵舎へ泊めてもらった礼として、朝食作りを手伝うことにした。
厨房へ入ると、恰幅のよい料理長が驚いた顔で振り返る。
「怪我人が何をしに来た?」
「昨夜のお礼に、朝食作りを手伝わせてもらえませんか?」
「寝ていろ」
「重い物は持ちません」
「怪我人は皆、そう言う」
「料理くらいやらせたってや」
シルフが二人の間へ入った。
「うちら、このまま何もせんと出ていくんは落ち着かへんねん」
「風の勇者様に料理などさせられるか」
「勇者かて腹は減るし、料理もするで」
「本当にできるのか?」
「なんや、その疑いの目は」
シルフが頬を膨らませる。
料理長は二人を交互に見たあと、諦めたように息を吐いた。
「分かった。ただし、倒れたらすぐに追い出す」
「ありがとうございます」
「任せとき」
厨房には、豆、芋、玉葱、卵、塩漬け肉、数種類の香草が用意されていた。
シグマは塩漬け肉を薄く切り、水へ浸して余分な塩気を抜いていく。
「先に水へ浸けるのか?」
若い料理人が、興味深そうに手元を覗き込む。
「そのままだと塩気と臭みが強すぎます。短い時間だけ水へ浸けて、香草と一緒に火を通せば食べやすくなります」
「だが、味まで抜けないか?」
「長く浸けすぎなければ大丈夫です」
若い料理人は慌てて紙と炭筆を取り出した。
「今のは書いたか?」
「もう書いてます!」
料理人たちは、見慣れない調理方法を一つも逃すまいと、次々に手順を書き留めていく。
一方、シルフは薄く切った芋を、大きな鉄板の上へ並べていた。
「火ぃ、もう少し強くしてくれるか?」
「焦げるぞ」
「大丈夫や」
シルフが指先を動かす。
弱い風が鉄板の上を滑り、熱を均等に広げていった。
芋の表面から余分な水分が飛び、外側だけが香ばしく焼き上がる。
「風魔法を料理に使うのか!」
「火加減を整えるんに便利なんよ。肉を焼く時も、一か所だけ焦げるんを防げるで」
「それも書け!」
「魔法を使えへん人は真似できんやろ!」
厨房に笑い声が広がった。
シグマは豆と玉葱を煮込み、そこへ下処理した塩漬け肉を加える。
肉から出た旨味を使いながら、香草で臭みを整えていく。
さらに卵を溶き、刻んだ香草と細かく切った肉を混ぜ合わせ、小さく焼いて柔らかいパンへ挟んだ。
料理人たちは二人の作業を興味津々で眺め、ときには質問しながら手伝っていく。
「この香草は入れないのか?」
「香りが強いので、入れるなら少しだけですね。肉の味まで消えてしまいます」
「なるほど……」
「その赤い実は何に使うんですか?」
「こいつは鳥肉の臭み消しだ。この辺りじゃ、乾燥させて粉にする」
「少し分けてもらっても?」
「ああ。代わりに、その肉の下処理をもう一度見せてくれ」
「分かりました」
互いの知らない調味料や、臭みを消す方法を教え合う。
フェルンもシグマのそばを離れず、皿や香草を運びながら手伝っていた。
「フェルン、その皿を向こうへ頼めるか?」
「分かった」
「走るなよ」
「走らない」
そう答えた直後、フェルンは小走りで料理人のもとへ向かう。
「走っとるやん」
シルフが笑う。
「早歩き」
「便利な言い訳覚えたなあ」
しばらくして、完成した料理が兵舎の食堂へ並べられた。
豆と塩漬け肉の香草スープ。
表面を香ばしく焼いた薄切り芋。
卵と肉を挟んだ焼きたてのパン。
兵士たちは見慣れない朝食へ興味深そうに近づき、次々と口へ運ぶ。
「うまい!」
「昨日と同じ塩漬け肉なのか?」
「この芋、外は香ばしいのに中は柔らかいぞ!」
「スープをもう一杯くれ!」
「卵を挟んだパンは、まだ残っているか!」
食堂のあちこちから絶賛の声が上がる。
料理人たちも自分たちで作った料理を口へ運び、満足そうに頷いた。
「同じ材料でも、調理の仕方だけで随分と変わるものだな」
「下処理と火加減で、かなり変わります」
「香草の組み合わせも大事やで。癖の強い肉でも食べやすくなるからな」
食事が終わったあとも、シグマとシルフは料理人たちとの会話を続けた。
関所周辺で採れる香草。
肉を長持ちさせる方法。
乾燥させた野菜を戻す時の工夫。
野鳥の臭みを消す木の実。
シグマたちは料理人から知らない調味料の使い方を教わり、料理人たちは二人の調理法を夢中になって書き留めていった。
「お前たち、この関所に残らないか?」
料理長が真剣な顔で言った。
「給金も出す。寝床も用意するぞ」
「申し訳ありませんが、お断りします」
「うちも遠慮しとくわ」
二人はほとんど同時に答えた。
「少しくらい悩め!」
料理長の悲痛な声に、食堂中から笑いが起こった。
◇
出発の準備を終えると、関所の兵士や料理人たちが門の前まで見送りに集まった。
バルガスは一通の封書と、フェルンの身元を一時的に保証する書面をシグマへ差し出す。
「この書面があれば、リッドガルの門は通れるはずだ」
「ありがとうございます」
「ただし、あくまで一時的なものだ。正式な身分証は、早めに用意した方がいい」
「分かりました」
「レイラには、俺からも事情を聞きに行く。この封書には、こちらで確認したことを書いてある」
バルガスは封書を軽く叩く。
「木箱と首輪の残骸は、証拠として関所で保管する。積荷を送り出した者についても調査を続けるつもりだ」
「お願いします」
「何か分かれば、アルランカのギルドへ知らせよう」
「助かります」
バルガスはフェルンへ視線を向けた。
フェルンはシグマの後ろへ半歩隠れながらも、逃げることなく彼を見つめている。
「昨日は怖がらせて悪かったな」
「……うん」
「もう、お前を箱へ戻そうとする者はいない。少なくとも、この関所にいる者がお前を荷物として扱うことはない」
「ほんと?」
「ああ」
フェルンはしばらくバルガスの顔を見つめたあと、小さく頭を下げた。
「ありがとう」
バルガスの厳しい表情が、僅かに和らぐ。
「元気でな」
シグマたちが馬車へ乗り込もうとすると、料理人たちが声を上げた。
「本当に残らないのか!」
「いつでも戻ってきてくれ!」
「せめて料理だけでも教えに来い!」
「機会があったらな!」
シルフが笑いながら大きく手を振る。
兵士たちと料理人たちに惜しまれながら、馬車はゆっくりと関所を離れていった。
◇
リッドガルへ続く街道を、ノクスとソルが軽快に走っていく。
御者台にはシグマが座り、その隣にはフェルンがいた。
「手綱を強く引きすぎないようにな」
「こう?」
「もう少し力を抜いていい。ノクスとソルは賢いから、声でも伝わる」
シグマはフェルンの手元を確認しながら、馬車の扱い方を教えていく。
「右へ曲がる時は、いきなり手綱を引かない。先に声をかけて、少しずつ右へ誘導する」
「ノクス、ソル。右」
フェルンが声をかける。
ノクスが短く鳴き、ソルも明るい声を上げた。
二羽は速度を僅かに落とすと、息を合わせて緩やかに右へ曲がる。
「上手だ」
「ほんと?」
「ああ。初めてとは思えない」
フェルンの尻尾が勢いよく左右へ揺れた。
「もう一回やる」
「次は左だな」
ノクスとソルも、フェルンを気に入ったらしい。
普段よりも素直に指示へ従っている。
特にソルは何度も後ろを振り返り、褒めてほしそうに鳴き声を上げた。
ノクスも涼しい顔をしているが、フェルンの指示には一度も逆らわない。
客室の小窓から、白鬼と黒鬼がその様子をじっと見つめていた。
「私もシグマさんに教えてもらいたいです」
「わ、私も……」
「二人とも、前に練習したやろ」
シルフが呆れたように言う。
「私たちは、あんなに優しく褒められていません」
「せやな。うちも一回も頭撫でてもろてへん」
「シルフさんも不満なのですか?」
「当たり前や。うちかて頑張ったんやから、もう少しくらい褒めてくれてもええやろ」
「お前たちは何歳だ」
紅蓮が深いため息をつく。
「年齢は関係ありません」
「そ、そうです……」
「せやせや」
三人が揃って頷いた。
「フェルンを睨むな。怖がるだろう」
紅蓮が注意する。
しかし、当のフェルンはまったく怯えていなかった。
御者台から三人を振り返り、得意そうに胸を張る。
「わたし、褒められた」
「わざわざ言わなくてもいいです!」
「フェルンちゃん、意外と意地悪です……」
「シグマ、次は?」
「まず前を見ろ。運転中によそ見は駄目だ」
「はーい」
フェルンは楽しそうに前へ向き直った。
昨日までの怯えた姿が嘘のようだった。
その変化に安心しながらも、白鬼と黒鬼は複雑そうに頬を膨らませていた。
◇
他愛もない会話を続けながら街道を進み、昼前には道の先に、リッドガルを囲む大きな石壁が見えてきた。
街の門には、商人や旅人が長い列を作っている。
荷馬車に積まれた果物。
籠の中で鳴く家畜。
遠方から運ばれた布や香辛料。
交易で栄える街らしく、門の外まで多くの人々で賑わっていた。
シグマたちも列へ並び、順番を待つ。
やがて門番が馬車へ近づいてきた。
「身分証を確認する」
シグマたちはギルドカードを順番に提示する。
しかし、フェルンには身分証がない。
「その子は?」
門番の視線を受けた瞬間、フェルンの身体が強張った。
先ほどまで浮かべていた勝ち気な表情が消える。
すぐに顔を伏せ、怯えた奴隷の少女を演じるように口を閉ざした。
身分証を持たないフェルンにとって、門番から身元を問われることは、自分が再び捕らえられるのではないかと思うほど恐ろしいことだった。
シグマはバルガスから預かった書面を門番へ差し出す。
「関所のバルガス隊長が発行した、臨時の身分保証書です」
門番は書面を開き、署名と印章を確認した。
もう一人の門番も呼ばれ、二人で内容を読み進めていく。
「事件の保護対象者か」
「はい」
「……確かにバルガス隊長の印だ」
門番はフェルンへ視線を向けた。
フェルンは顔を上げず、シグマの服の裾を掴んでいる。
「街で問題が起きた場合は、衛兵の詰所へ申し出ろ。この書面は長く使えるものではない。早めに正式な身分証を用意するように」
「分かりました」
「通っていいぞ」
門が開かれる。
馬車がリッドガルの中へ入ると、フェルンは小さく息を吐いた。
「大丈夫か?」
「……うん」
「怖かったか?」
「少しだけ」
フェルンは周囲を確認し、誰も自分を見ていないと分かると、ようやく顔を上げた。
「シグマがいたから、大丈夫」
「そうか」
シグマが頭を撫でると、フェルンは安心したように身体の力を抜いた。
◇
フォックス商会は、リッドガルの商業区でもひときわ大きな建物だ。
普段であれば、白鬼やシルフが真っ先に店へ入っていたかもしれない。
だが、今日に限っては誰も軽口を叩かなかった。
店の前で馬車を止める。
六人の表情には、隠し切れない緊張が浮かんでいた。
シグマはフェルンの前へ屈み、目線を合わせる。
「本当に一緒に入るのか?」
「うん」
「無理をしなくていい。馬車で待っててもいいんだぞ」
「シグマと一緒に行く」
「中で怖くなったら、すぐに言ってくれ」
「分かった」
フェルンはシグマの服の裾を掴んだ。
全員がそれぞれ深く息を吸い、フォックス商会の扉を開く。
「いらっしゃいませ」
店員がすぐに近づいてきた。
シグマたちの顔を見て、先日の護衛依頼を受けた冒険者たちだと気づいたらしい。
「レイラさんにお会いしたいのですが」
「お約束はございますか?」
「ありません。ただ、先日の積荷について、至急お話ししなければならないことがあります」
店員はシグマたちの張り詰めた表情を見回した。
「少々お待ちください」
一礼し、店の奥へ姿を消す。
しばらくして戻ってくると、シグマたちは店の奥にある応接間へ案内された。
応接間では、以前と変わらぬ姿でレイラが椅子に腰掛けていた。
「お帰りなさいませ」
レイラは穏やかな笑みを浮かべたが、シグマたちの姿を見た瞬間、その視線がフェルンの上で止まった。
見覚えのない銀髪の少女が、シグマの服の裾を掴み、そのすぐ隣に立っている。
レイラは僅かに目を見開いた。
「そちらのお嬢さんは……?」
知らない大人から声をかけられたフェルンは、反射的にシグマの後ろへ半歩隠れた。
銀色の獣耳が伏せられ、シグマの服を掴む手にも力が入る。
その様子を見たレイラの表情から、穏やかな笑みが薄れていった。
「そのことも含めて、お話ししなければならないことがあります」
シグマが静かに答える。
レイラはシグマの顔を見たあと、紅蓮、シルフ、白鬼、黒鬼へと順番に視線を向けた。
誰も笑っていない。
依頼を終えて戻ってきた者たちの表情ではなかった。
「……分かりました。まずはお掛けください」
レイラは向かいの席を手で示した。
椅子には紅蓮、シグマ、フェルンが座った。
その後ろにはシルフ、白鬼、黒鬼が立つ。
フェルンは椅子へ座ってからも、シグマの服を離そうとはしなかった。
レイラはその様子を注意深く見つめる。
「予定より遅いお帰りですね。道中で、何かあったのですか?」
シグマは膝の上で手を組んだ。
どこから話すべきか考えたあと、ゆっくりと口を開く。
「レイラさん」
「はい」
「俺たちは、預かった一つの積荷を運び、関所へ向かいました」
「ええ。問題なく届けられましたか?」
「いいえ」
レイラの笑みが消えた。
「関所には、フォックス商会から積荷が届くという話は伝わっていませんでした。受け入れの記録も、依頼の記録もありません」
「記録が……ない?」
「それだけではない」
紅蓮が低い声で続ける。
シグマは隣に座るフェルンを見る。
「木箱の中には、この子が入れられていました」
フェルンの手が、シグマの服を強く掴んだ。
「隷属の首輪を着けられ、荷物として閉じ込められていたんです」
レイラの顔から、急速に血の気が引いていく。
「隷属の……首輪?」
「はい」
「まさか……中に、人が……?」
「積荷を奪おうとする者まで現れた」
紅蓮の声には、抑え切れない怒りが込められていた。
「こちらに犠牲者は出なかった。だが、一歩間違えれば死者が出ていた」
「首輪はどうしたんですか?」
シルフがレイラを鋭く睨む。
「まさか、まだこの子に着いたままやと思っとったんか?」
「私は……首輪のことも、箱の中に人がいることも知りません」
「首輪は既に外れています」
シグマが答えた。
「積荷を奪おうとした者との戦闘で術式の一部が壊れ、その後、完全に機能を失いました。詳しい原因までは分かりません」
左腕が首輪の魔力を吸収したことは伏せる。
義手の秘密を、ここで明かす必要はない。
「木箱と首輪の残骸は、関所が証拠として保管しています」
シグマはバルガスから預かった封書を卓上へ置いた。
「バルガス隊長も、後日こちらへ事情を聞きに来るそうです」
レイラは震える手で封書を受け取った。
表面の印章を確認し、ゆっくりと顔を伏せる。
「……申し訳ございません」
そのまま深く頭を下げた。
「本当に、申し訳ございませんでした」
誰も答えなかった。
重い沈黙が応接間を包む。
やがてレイラが、頭を下げたまま口を開いた。
「あの積荷は、ある有力者からフォックス商会へ持ち込まれたものです」
「その人物は誰だ?」
紅蓮が尋ねる。
「今、この場でお名前を明かすことはできません」
紅蓮の眉が吊り上がった。
「この状況でもか?」
「商会の信用に関わる契約です。私の判断だけで、お名前をお伝えすることはできません」
「子供が隷属の首輪を着けられ、箱へ詰められていたのだぞ!」
紅蓮が卓上へ拳を叩きつける。
大きな音に、フェルンの肩が跳ねた。
シグマはすぐにフェルンの背中へ手を添える。
紅蓮も驚かせてしまったことに気づき、目を伏せた。
「……すまない」
フェルンへ謝ったあと、再びレイラを睨む。
「だが、契約を理由に隠し通せる話ではない」
「承知しています」
レイラは顔を上げた。
「バルガス隊長による正式な調査には、相手のお名前、契約書、取引記録のすべてを提出します」
「私たちには話せないのに、兵士には話すのですか?」
白鬼が厳しい口調で尋ねる。
「皆様をこれ以上、危険へ巻き込まないためでもあります」
「守るためだと言いたいのですか?」
「そう言えば聞こえはよいでしょう」
レイラは静かに首を振った。
「ですが、商会の契約を優先している部分があることも否定しません」
言い訳をせず、自らの落ち度を認める。
その態度が真実なのか、商人として計算されたものなのか、今のシグマには判断できなかった。
「あの箱の中身は、危険な魔物だと聞いていました」
レイラが続ける。
「特殊な処理が施されているため、決して開けず、そのまま関所へ届けるようにと」
「それを確かめずに信じたのか?」
「相手は長年、フォックス商会と取引を続けてきた人物です」
「だから、中身も確認しなかった?」
「はい」
レイラは小さく頷いた。
「商人として、あまりにも軽率でした」
「軽率という言葉では足りん」
紅蓮は険しい表情を崩さない。
「我々が気づかなければ、この子は再び何者かの手へ渡っていた」
フェルンの身体が僅かに震える。
「関所には受け入れの記録すらなかった。あのまま積荷を渡そうとすれば、我々が犯罪者として拘束されていた可能性もある」
「はい」
「積荷を奪おうとした者との戦いで、誰かが命を落としていたかもしれん」
「はい」
「知らなかったという言葉で終わらせられる話ではない」
「その通りです」
レイラは再び深く頭を下げた。
「知らなかったとしても、皆様に積荷を託した責任は私にあります」
「謝って終わりやと思っとらんやろな?」
シルフが腕を組み、レイラを睨みつける。
普段の明るい表情はなかった。
「うちらが危険な目に遭ったことも、この子が受けたことも、ちょっとした手違いで済ませられる話やないで」
「承知しております」
「この子は荷物やない」
「はい」
「金を払って終わりやと思うたら、大間違いや」
シルフはフェルンを見る。
「まず謝る相手が違うんとちゃうか?」
レイラはフェルンへ視線を向けた。
フェルンはシグマの腕へ身体を寄せる。
レイラは椅子から立ち上がると、フェルンの前へ歩み寄った。
その場で膝をつき、フェルンと目線の高さを合わせる。
「フェルンさん」
「……なに?」
「フォックス商会の積荷として、あなたを運ばせてしまいました」
レイラは床へ手をつき、深く頭を下げる。
「私は箱の中身を知りませんでした。ですが、知らなかったから許されるとは思っていません」
フェルンは黙ってレイラを見つめている。
「あなたを怖い目に遭わせてしまい、本当に申し訳ございませんでした」
「あなたが、わたしを箱に入れたの?」
「いいえ」
「首輪を着けた?」
「いいえ」
「わたしを売った?」
「いいえ」
「嘘じゃない?」
「嘘ではありません」
レイラはフェルンの目から視線を逸らさなかった。
「じゃあ、誰がやったの?」
「今はお答えできません」
「どうして?」
「私にも、まだ確かなことが分からないからです」
フェルンの獣耳が僅かに伏せられる。
「分からないのに、荷物を運ばせたの?」
「はい」
「ばか」
フェルンが小さく言った。
レイラは否定しなかった。
「おっしゃる通りです」
「……まだ信じない」
「それで構いません」
「謝っても、すぐには許さない」
「はい」
「でも、わたしを箱に入れた人を見つけて」
フェルンの青い瞳に、強い光が宿る。
怯えているだけではない。
シグマのそばにいることで、本来の勝ち気な性格が顔を覗かせていた。
「必ず調べます」
レイラはもう一度、深く頭を下げた。
椅子へ戻ると、シグマたちへ向き直る。
「今回の護衛依頼については、当初のお約束通り、皆様一人につき一点、魔法具を無償で提供いたします」
「それだけか?」
シルフの表情は変わらない。
「それでは誠意が足りへん」
レイラはすぐには答えなかった。
しばらく考えたあと、真剣な表情で口を開く。
「追加の補償として、銀貨百枚をお支払いします」
銀貨百枚。
一般的な護衛依頼の報酬としては、破格と言っていい金額だった。
「さらに、フェルンさんに必要な衣服、旅道具、護身用の装備をすべて提供いたします。正式な身分証を得るまでに必要な費用についても、フォックス商会が負担します」
「金で許しを買うつもりか?」
紅蓮が尋ねた。
「いいえ」
レイラは首を振る。
「これで許していただけるとは思っておりません。これは、私が今すぐ果たせる最低限の責任です」
「最低限、か」
「はい」
「今後の調査は?」
「バルガス隊長に全面的に協力します。今回の積荷を持ち込んだ人物との取引も、調査が終わるまで停止します」
シグマはレイラの表情を観察した。
驚きも、動揺も、後悔も、演技には見えない。
だが、商人であるレイラが表情を作ることに長けている可能性もある。
彼女もまた何者かに利用された被害者なのか。
それとも、すべてを知ったうえで知らないふりをしているのか。
今の段階では、どちらとも断定できなかった。
「補償は受け取ります」
シグマが口を開く。
「ただし、これで終わったとは考えないでください」
「承知しております」
「説明に嘘があった場合は、改めて話を聞かせてもらいます」
「はい」
「バルガス隊長の調査にも、必ず協力してください」
「お約束いたします」
シグマたちは完全に納得したわけではない。
それでも、今はレイラの申し出を受け入れ、バルガスの調査を待つことにした。
◇
レイラの指示により、応接間の大きな卓上へ数多くの魔法具が並べられた。
鞄、袋、腕輪、指輪、外套、短剣、矢筒、ランタン。
見ただけでは用途の分からない品も多い。
「こちらにある物から、お好きなものを一点ずつお選びください」
「ほんまに、どれでもええんか?」
シルフの目が僅かに輝く。
「はい」
「シルフ」
「分かっとる。高いもんから選ぼうなんて思ってへん」
「顔に書いてあるぞ」
紅蓮に指摘され、シルフはさりげなく視線を逸らした。
最初に品物を選んだのはシグマだった。
手に取ったのは、飾り気のない黒い袋だ。
「それは所有者登録型の魔法袋です」
レイラが説明する。
「最初に登録した者以外は、中身を取り出すことができません」
「中には、どれくらい入りますか?」
「袋の口を通る物であれば、ほぼ際限なく収納できます。少なくとも、容量を使い切ったという話は聞いたことがありません」
「重さは?」
「外にはほとんど影響しません」
「これにします」
シグマは迷わず魔法袋を選んだ。
旅の荷物や食料。
魔物から得た素材。
袋の口を通る大きさなら、何でも収納できる。
さらに登録者以外は中身を取り出せないため、防犯面でも優れていた。
「イシュタリカさんが使っていたものと同じですか?」
白鬼が尋ねる。
「同じ仕組みの品です」
「では、私もそれにしようかな……」
「白鬼様には、こちらのアイテムバッグもおすすめです」
レイラが別の鞄を手に取る。
「魔法袋ほどの容量はありませんが、中身を種類ごとに自動で整理できます。取り出したい物を思い浮かべれば、すぐに手元へ移動します」
「こちらにします!」
白鬼は迷わずアイテムバッグを抱えた。
「色や形は選べますか?」
「もちろんです」
「白地に金色の刺繍を入れてください。留め具は花の形で、肩紐は少し細めがいいです」
「白鬼、遠慮がないな」
「長く使う物ですから、見た目は大切です」
白鬼は胸を張って答えた。
黒鬼は、シグマが選んだものと同じ魔法袋を手に取る。
「黒鬼様も同じ物にされますか?」
「う、うん……便利そうだから……」
「お揃いだな」
シグマが言うと、黒鬼の頬が一気に赤くなった。
「お、お揃い……」
黒鬼は魔法袋を胸元へ抱え、大切そうに見つめる。
「色や装飾は、どうされますか?」
「黒色で……青い糸を少しだけ……」
「承りました」
白鬼がにやにやしながら黒鬼を見る。
「な、なに……?」
「別に、何でもありません」
紅蓮が選んだのは、濃い赤色をした瓢箪だった。
「これは何だ?」
「液体専用の魔法容器です」
レイラが説明を始める。
「水や酒、油、薬液などを大量に保存できます」
「異なる液体を入れた場合は?」
「中で混ざることはありません。飲みたい物を思い浮かべれば、それだけを注ぐことができます」
「品質は落ちるか?」
「入れた時の状態を保ち続けます」
「これにする」
紅蓮の決断は早かった。
「絶対、酒を入れるつもりやろ」
シルフが言う。
「水も入れる」
「最初に酒を否定せえへん時点で答え出とるやん」
「うるさい」
シルフは深緑色の矢筒へ手を伸ばした。
「これは?」
「素材生成型の魔法矢筒です」
「素材生成?」
「木材、金属、羽根などの素材を中へ入れておけば、所有者の弓に合った矢を自動で作り出します」
シルフの目が大きく見開かれた。
「これや!」
「早いな」
「当たり前やろ! 矢を一本ずつ作る手間がなくなるんやで!」
「ただし、素材がなければ作ることはできません」
「素材くらい自分で集めるわ。これにする!」
シルフは大事そうに矢筒を抱えた。
最後に、フェルンの番となる。
レイラは通常の補償品とは別に、フェルンのための品を用意させた。
衣類や日用品を収めるアイテムバッグ。
所有者以外が開けられない魔法袋。
小柄な身体でも扱える護身用の魔法短剣。
さらに店員たちが、何着もの服を応接間へ運び込んでくる。
旅用の服。
寝間着。
外套。
下着。
靴。
帽子。
次々と並べられる品を見て、フェルンは目を丸くした。
「こんなに?」
「必要な物を、すべてお選びください」
「全部、わたしの?」
「はい」
フェルンは衣服を一つずつ眺めた。
かわいらしい服に目を奪われながらも、すぐに手を伸ばそうとはしない。
「選んでいいんだぞ」
シグマが声をかける。
「でも……」
「フェルンのために用意されたものだ」
「本当に?」
「ああ」
フェルンは恐る恐る、銀色の糸で小さな狼が刺繍された外套を手に取った。
「これ、かわいい」
「似合うと思う」
「ほんと?」
「ああ」
フェルンは嬉しそうに外套を胸へ抱えた。
店員に手伝われながら、動きやすい旅装や柔らかな寝間着、歩きやすい靴を選んでいく。
最初こそ遠慮していたものの、途中からは白鬼と黒鬼も加わった。
「フェルンちゃん、こちらも似合うと思います!」
「こ、この服もかわいいよ……」
「これは?」
「それもいいですね!」
「髪飾りも選びましょう!」
先ほどまでシグマを巡って張り合っていたことなど忘れたように、三人は楽しそうに服を選び始める。
魔法袋については、フェルンもシグマと同じ形のものを選んだ。
「シグマとお揃い」
「フェルンちゃんもですか!」
白鬼が声を上げる。
「うん」
「黒鬼だけでなく、フェルンちゃんまで……」
「白鬼は自分でアイテムバッグを選んだだろ」
「そうですけど!」
白鬼は納得できないように頬を膨らませた。
フェルンへ渡された短剣には、勝手に抜けないよう魔法式の留め具が付けられている。
所有者本人と、あらかじめ登録された保護者だけが鞘から抜くことができる仕組みだった。
「短剣の扱い方は、私が教える」
紅蓮が言う。
「勝手に抜くことは禁止だ」
「分かった」
「返事だけで終わらせるなよ」
「紅蓮、しつこい」
「お前のために言っている!」
フェルンは短剣を腰へ下げ、少しだけ誇らしそうに胸を張った。
◇
全員が品物を選び終えると、レイラは店の裏から二組の装備を運ばせた。
「こちらは、馬車を引く騎鳥たちへお使いください」
店の外へ出る。
店員たちはノクスとソルの身体に、順番に装備を取り付け始めた。
胸当てと胴輪には、走行中の風圧や外部からの衝撃を和らげる魔法が込められている。
脚を保護する装具には、長時間走り続けた際の疲労を軽減する効果もあった。
ソルは新しい装備が気になるのか、何度も首を動かして胸当てを覗き込んでいる。
ノクスは涼しい顔をしたまま、堂々と装具を取り付けられていた。
「似合ってる」
フェルンがノクスの首元を撫でる。
ノクスは短く鳴き、誇らしげに胸を張った。
「絶対、自分でも似合っとると思っとるやろ」
シルフが笑う。
ソルも負けじと、大きな鳴き声を上げた。
「ソルも似合ってる」
フェルンがソルの頭を撫でると、ソルは嬉しそうに翼を小さく揺らした。
「なぜフェルンちゃんには、あんなに素直なのですか?」
「ノクスもソルも、完全に気に入っとるな」
「わ、私も撫でたい……」
白鬼、シルフ、黒鬼が不満そうに呟く。
「今まで何度も撫でてるだろ」
シグマが言うと、白鬼は首を横へ振った。
「自分から撫でるのと、向こうから懐かれるのは違うのです」
「難しいな……」
◇
すべての準備が終わる頃には、日が大きく西へ傾き始めていた。
最後にレイラは、小さな金属板をフェルンへ差し出した。
表面にはフォックス商会の紋章と、フェルンという名前が刻まれている。
「これは、行商人見習い用の身分証明書です」
「わたしの?」
「はい」
フェルンは両手で金属板を受け取った。
「フォックス商会が、あなたの身分を保証します。正式な身分登録を行うまでの、一時的な身分証明書です」
「これがあれば、門で止められない?」
「必ずとは言えませんが、身元を証明できないという理由だけで拘束されることはなくなります」
「シグマと一緒に行ける?」
フェルンがシグマを見上げた。
「ああ」
「よかった」
フェルンは自分の名前が刻まれた金属板を、胸元へ大切そうに抱えた。
昨日まで彼女の首にあったのは、誰かの所有物であることを示す隷属の首輪だった。
今、手の中にあるのは、フェルン自身の名前と存在を証明するものだ。
レイラはその姿を見つめ、改めて深く頭を下げた。
「本当に、申し訳ございませんでした」
誰もすぐには返事をしなかった。
「バルガス隊長の調査には、全面的に協力いたします」
レイラは顔を上げる。
「積荷を持ち込んだ人物についても、契約書や取引記録をすべて提出します」
「お願いします」
シグマが答えた。
「今後は、たとえ信頼する取引相手からの依頼であっても、中身を確認できない荷物を受け入れません」
「その言葉、絶対に忘れんといてや」
シルフが念を押す。
「はい」
紅蓮は最後まで厳しい表情を崩さなかった。
「真相が分かれば、我々にも知らせてほしい」
「必ずお伝えします」
「バルガス隊長にも、今話したことをすべて話せ」
「お約束いたします」
シグマたちはレイラへ別れを告げ、馬車へ乗り込んだ。
「アルランカへ戻るか」
シグマが御者台へ座る。
フェルンは当然のように、その隣へ上った。
「今度は、わたしが運転する」
「街を出てからだ」
「約束?」
「ああ」
ノクスとソルが元気よく鳴き声を上げる。
新しい装備を身につけた二羽が歩き始め、馬車はゆっくりとフォックス商会の前を離れていった。
客室の小窓から、白鬼と黒鬼が御者台に並ぶ二人を見つめる。
「アルランカまでに、絶対に交代してもらいます」
「う、うん……」
「うちもや。次は絶対、シグマの隣に座るで」
「お前たちは、本当に懲りないな……」
紅蓮の呆れた声が馬車の中から聞こえてくる。
フェルンはそれを聞きながら、楽しそうに尻尾を揺らした。
昨日まで木箱の中で怯え、隷属の首輪に繋がれていた少女。
その首に、冷たい鉄はもうない。
代わりに手の中には、自分の名前が刻まれた身分証明書がある。
まだ、すべての恐怖が消えたわけではない。
自分を箱へ入れた者がどこにいるのかも分からない。
これから先、自分がどうなるのかも分からない。
それでも今は、隣にシグマがいる。
後ろには、騒がしくも自分を守ろうとしてくれる者たちがいる。
フェルンは胸元の身分証明書を強く握り締め、青く広がる空を見上げた。
馬車はアルランカへ向け、ゆっくりと街を離れていった。




