第7話 指輪を巡る追及
「ただいま、匠さん」
玄関の電子錠が軽快な音を立てて開き、もみじが二泊三日の地方出張から帰宅した。キャリーケースを転がし、肩から提げた大きめのハンドバッグを抱えるようにしてリビングに入ってきた彼女は、少し疲れたような、それでも私に会えた喜びを隠しきれないような、明るい笑顔を浮かべていた。
「おかえり、もみじ。長旅お疲れ様」
私は立ち上がり、彼女を出迎えた。もみじはハンドバッグをソファの脇にそっと置き、私に向かってふわりと微笑んだ。
「ただいま。留守にしてごめんなさいね。寂しかった?」
「ああ。君がいないこの部屋は、ひどく広く感じられたよ」
私は完璧な恋人の顔を作り、優しく応えた。もみじは嬉しそうに目を細めると、キャリーケースを壁際に寄せてから、私を見上げた。
「ふふ、約束していた青海野黒紫葡萄のワイン、開けましょうか。出張中、ずっと楽しみにしていたの」
無邪気な声で提案する彼女に、私は静かに頷いた。
「ああ、用意するよ。君はそこに座って少し休んでいなさい」
私はキッチンへ向かい、棚からクリスタルガラスのワイングラスを二つ取り出した。しかし、セラーに入っているワインボトルには手を伸ばさなかった。
グラスだけを手に持ち、リビングの中央にあるローテーブルに戻る。そして、ソファに腰を下ろした彼女の目の前に、二つのグラスをゆっくりと並べて置いた。
もみじはワインボトルがないことに気づき、不思議そうに首を傾げた。
「匠さん?ワインは……」
その言葉が終わる前に、私はズボンのポケットから「ある物」を取り出し、二つのグラスの間にコトリと音を立てて置いた。
ルームライトの光を浴びて、それは妖しく七色の光を放った。青海野オパールが埋め込まれた、繊細な細工の指輪だ。
それを見た瞬間、もみじの顔からスッと血の気が引いていくのがわかった。彼女の唇が微かに震え、大きく見開かれた瞳が指輪と私の顔を交互に彷徨う。
「……匠さん、これは?」
かろうじて絞り出されたその声は、ひどく上擦っていた。
「質問するのは僕だ。大切な話がある。もみじ、隠さずに答えてくれ」
私は彼女の隣には座らず、テーブルを挟んだ向かい側のソファに深く腰掛けた。これまでの甘い同棲生活の空気が、足元から音を立てて崩れ去っていくのを感じていた。
「僕は、湯我原匠。青海野で不動産開発の会社を経営している若手実業家。ここまでは君も知っている通りだ。だが、もう一つ、君に伝えていなかったことがある」
私の低く冷たい声が、静まり返ったリビングに響く。もみじは息を呑み、ソファーの背もたれに身を硬くした。
「僕には、五ヶ月前に亡くなった妹がいた。名前は、澪という」
その名前を口にした瞬間、もみじの肩がビクッと大きく跳ねた。
「テーブルの上のそれをよく見てくれ。それは、澪がいつも右手の薬指に身につけていた指輪だ。青海野の職人による特注品でね、内側には『MIO』と刻まれている」
私はテーブルの中央にある指輪を指差し、鋭い視線を彼女に突き刺した。
「どうして君の荷物の奥底、あの固い結び目で厳重に封をされたボックスの中に、これがあったんだ?」
「勝手に私の荷物を漁ったの!?そ、それは……何かの間違いよ!私、そんなもの知らないわ!」
もみじは首を激しく横に振り、必死に取り繕おうとした。しかし、その顔には明らかな動揺と恐怖が浮かび上がっている。
「間違いなわけがない!僕は自分の手で君の荷物を確かめたんだ!」
私は声を荒げ、テーブルを強く叩いた。グラスが甲高い音を立てて揺れる。
「警察は澪の死を病死として処理した。だが、遺品の中からこの指輪と、もう一つ、大切なペンダントが消えていたんだ!そして、君がこの指輪を隠し持っていた。澪の手帳にも君の名前があった。もみじ、君が澪を殺したのか!?」
私の怒声に、もみじは両手で顔を覆い、小さく悲鳴を上げた。
数秒の重苦しい沈黙の後、彼女の指の隙間から、ポロポロと大粒の涙が零れ落ち始めた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
もみじはソファーに崩れ落ちるようにして泣き崩れた。その華奢な肩が、しゃくりあげるたびに激しく震えている。逃げ場を完全に失った彼女は、ついに観念したように震える声で口を開いた。
「私が……私が過ちを犯してしまったの……!」
その言葉を聞いた瞬間、私の目の前が真っ赤に染まった。やはり、この女が妹の命を奪ったのだ。
「どうしてだ!なぜ澪を殺した!」
「違うの、私だってあんなことしたくなかったわ……!」
もみじは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、首を振り続けた。
「私がコンサルタントとして関わっていた企業の不正取引を、警察官だった澪さんに嗅ぎつけられてしまったの。それで、企業の上層部から……脅しのような指示があったのよ。逆らえば、私がどうなるかわからないって……」
彼女は両手で自分の腕を強く抱きしめ、恐怖に怯えるように身を縮めた。
「でも、殺すつもりなんてなかった!渡された薬は、少し体調を壊す程度のもので、単なる脅しだと聞かされていたの……!まさか、死ぬとは思わなかったのよ!」
「ふざけるな!体調を崩す程度で済む薬?そんな言い訳、信じるわけがないだろう!」
身勝手な言い訳に、私は激昂して立ち上がった。
「どうやって澪に飲ませた!」
「……澪さんと親しくなるように近づいて、何度か会ううちに、バーに呼び出したの。そして、彼女が席を外して目を離した隙に……グラスへ薬物を混入したわ……」
もみじはうわ言のように犯行の手口を自白し、再び泣き崩れた。
「私、ずっと後悔していたの……本当に、本当にごめんなさい……!」
彼女の嗚咽だけが、冷え切った部屋の中に虚しく響き渡っていた。嘘で塗り固められた私たちの同棲生活は、今、最悪の形で終わりを告げようとしていた。




