↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/43

第6話 不在時の捜索

 季節は移ろい現在に戻り、九月を迎えた。


「ごめんなさい、匠さん。急に二泊三日の地方出張が入ってしまって」

「気にしなくていいさ。君のコンサルタントとしての手腕が評価されている証拠じゃないか」


 朝の玄関先。キャリーケースを手にしたもみじが、申し訳なさと名残惜しさが入り混じったような顔で私を見上げた。私は彼女の頬を優しく撫で、安心させるように微笑みかけた。


「でも、せっかくの週末なのに。匠さんとゆっくり過ごしたかったわ」

「僕も同じ気持ちだよ。君がいないと、この広い部屋がひどく寂しく感じられそうだからね」

「もう、匠さんったら。……私も寂しいわ。向こうに着いたら、必ず連絡するわね」

「ああ、待っているよ。気をつけて行ってきなさい」

「行ってきます。……あ、そうだわ」


 もみじは何かを思い出したように、悪戯っぽく微笑んだ。


「帰ってきたら、前に二人で買った青海野黒紫葡萄《あみのこくしぶどう》の特醸ワインを開けましょう。それまでお預けよ」

「わかった。最高のおつまみを用意して待っているよ」


 軽く唇を重ねた後、彼女はドアの向こうへと消えていった。

 電子錠がカチャリと冷たい音を立てて施錠される。


 その瞬間、私の顔から甘い恋人としての微笑みを完全に消し去った。


 足音を忍ばせてリビングに戻ると、ダイニングテーブルの上に可愛らしい付箋が残されているのが見えた。


『出張中もずっと匠さんのことを考えてるわ。無理しないでね。大好きよ、もみじ』


 愛情にあふれたその甘いメモ書きを一瞥し、私は冷たく鼻で笑った。


「嘘ばかりだ。お前は、僕の目を盗んで一体どこで何をしている?」


 独り言が、静まり返った部屋に虚しく響く。

 私は洗面所へ向かい、引き出しの奥に隠しておいた薄手のゴム手袋を取り出して、両手にはめた。

 もみじが仕事で留守をするたびに、私はこうして完璧な恋人の顔から冷徹な追跡者の顔へと切り替わる。彼女が妹の澪《みお》を殺した証拠を探し出すためだ。


「今日こそ、お前のメッキを剥がしてやる」


 私は静かに、だが手際よく彼女の私物の捜索を慎重に始めた。

 リビングの共有スペースはとうに調べ尽くしている。クローゼットの中の衣類、化粧台の引き出し、本棚の隙間、果てはゴミ箱の中身に至るまで徹底的に探る。

 元の位置をミリ単位で記憶し、一切の痕跡を残さないように細心の注意を払いながら。


「……ここにもない。あの女、一体どこに隠しているんだ」


 捜索が二時間を超え、苛立ちが募り始めた頃だった。

 私はふと、寝室のウォークインクローゼットの最上段に置かれた、大きめのレザー製収納ボックスに目を留めた。

 それは、引っ越しの日に彼女が『自分の物がどこに行ったのかわからなくなるから』と、頑なに私の手伝いを断り、自らしまい込んでいた重い荷物の一つだった。


「あれほど不自然に僕を遠ざけた荷物……怪しいな」


 踏み台を持ってきて、そのボックスを静かに下ろす。

 南京錠などの鍵はかかっていないが、ファスナーの引手が複雑に交差しており、他人が開けたかどうかが一目でわかるような細密な結び目が施されていた。

 私はスマートフォンでその結び目の写真を様々な角度から撮り、構造を完全に頭に叩き込んだ上で、慎重にファスナーを開いた。


 中には、彼女の古い写真や手紙、見慣れないブランド物の小物などが無造作に詰め込まれている。

 一見するとただの思い出の品のようだが、私はその底のほうに、不自然な固い感触があるのを見逃さなかった。

 衣服の束をそっと持ち上げると、奥から手のひらサイズの小さなアンティーク調の木箱が出てきた。


 直感的に、血の巡りが早くなるのを感じた。


「これは……何かある」


 震える手で木箱の小さな留め具を外し、ゆっくりと蓋を開ける。

 黒いベルベットのクッションの中央に、一つの指輪が鎮座していた。

 それを見た瞬間、私は雷に打たれたように全身を硬直させた。


「これは……澪の……!」


 青海野オパールが埋め込まれた、繊細な細工の指輪。青海野特有の遊色効果を持つその宝石の輝きには、絶対に見覚えがあった。

 私は指輪をつまみ上げ、内側の地金を光に透かして確認した。

 そこには、『MIO』というアルファベットが確かに刻み込まれている。


 間違いない。それは、五か月前に何者かに殺害された澪が、生前いつも右手の薬指に嵌めていた愛用の指輪だ。青海野の職人の細工技術が使われた、世界に一つしかない一点もののジュエリーだった。


「……見つけたぞ、もみじ」


 地の底から響くような低い声が、無意識に口から漏れた。

 澪の遺品の中にあの特注のペンダントが無かっただけでなく、この指輪も現場から消えていたのだ。

 それを、羽元《はねもと》もみじがこうして厳重に隠し持っていた。


 私はもみじの荷物から、殺害されたであろう澪の愛用していた指輪を発見した。これこそが、彼女が妹の死に深く関わっている決定的な証拠だ。


「警察は病死だと片付けたが、やはり澪は殺されたんだ。そして、その実行犯はこの女だ……!」


 澪の息の根を止め、身につけていた指輪やペンダントを奪い去ったに違いない。

 手の中にある冷たい金属の感触が、私の中にどす黒い怒りを激しく燃え上がらせた。

 これまで押さえ込んでいた冷静な自分が、抑えきれない感情となって全身を駆け巡る。


「羽元もみじ……やはりお前が、妹を殺したんだな」


 証拠は押さえた。もはやこれ以上の泳がせは不要だ。

 出張から帰ってきた時、この女を問い詰め、すべての真実を吐かせてやる。すべてだ。


 窓の外を見ると、青海野湾の水面が秋の冷たい日差しを反射してギラギラと光っていた。

 私の心の中に渦巻く、どす黒い炎のように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。