第5話 真の目的
私がもみじと出会う三か月前。
警察の霊安室で分厚いガラス越しに対面した妹の澪は、ひどく青ざめ、生気を失っていた。
「残念ですが、彼女は特殊な指定感染症の疑いによりお亡くなりになりました」
警察の担当官が、無機質な声で告げた。
「ちょっと待ってください。澪の首筋にある、あの赤い痕跡は何ですか!まるで何かで首を絞められたか、擦れたような跡じゃないですか!」
私は血走った目で担当官を睨みつけた。
「澪は本当に病死なんですか!?誰かに殺されたんじゃないのか!」
激昂する私に対し、担当官は表情一つ変えずに冷静に答えた。
「ネックレスかペンダントのようなもので擦れた跡でしょう。遺族としてのお悲しみはわかりますが、これ以上の調査は行われません。彼女の病気とは無関係で事件性は一切認められません」
その言葉で、警察の捜査は完全に打ち切られた。私がどれだけ声を荒げても、警察は事件性はないと断定して処理し、真相は闇に葬られたのだ。
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数日後。
火葬を終え、実家に届けられた遺品が入った段ボール箱を前に、私は一人静かに座っていた。
箱を開けると、澪の衣服や手帳など、見慣れた品々が整然と詰められている。しかし、澪が肌身離さず身につけていたはずの特注のペンダントだけは、どこにも見当たらなかった。
私は遺品を一つひとつ取り出し、何かの手がかりがないか慎重に探った。
やがて、鞄の奥底から一冊の黒い革張りの手帳を見つけ出した。澪が仕事で使っていたものだ。ページをパラパラと捲っていくと、亡くなる直前の四月の記録に、ある特定の人物の名前が何度も登場していることに気がついた。
『四月三日 青海野の裏カジノに関する新たな情報を入手。依然として資金洗浄の全容は不明』
『四月十日 資金洗浄ルートの調査。羽元もみじと接触』
『四月十四日 羽元もみじ、極めて危険。警戒が必要。次回、バーにて再接触の予定』
ページに震えたような筆跡で記された「もみじ」という名前。
私はその文字をじっと見つめ、手帳を強く握りしめた。
キャリア警察官であった澪は独自に青海野の裏社会を調べ、この女に行き着いていた。手帳の記述は、もみじという人物が澪と親交を持ち、死に深く関わっていることを強く示唆している。
「こいつが、澪を……」
奥歯を強く噛み締める。だが、私がどれほど怪しいと睨んでも、ただ手帳に名前があるというだけでは警察を動かすための証拠にはならない。彼らはすでに病死だと決めつけているのだ。
ならば、私が直接この女に近づき、真実を暴き出すしかない。
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季節は巡り、七月。
青海野国際空港へ向かう便のファーストクラスで、私はウェルカムドリンクのシャンパンを口に含みながら、静かにその時を待っていた。
「湯我原様、間もなく手筈通りに。羽元様を隣のお席へご案内いたします」
「頼んだよ。あくまでエコノミークラスのブッキングがあったことによる、自然な無料アップグレードを装ってくれ」
「かしこまりました。怪しまれないよう、慎重に対応いたします」
「ああ。それから彼女が席に着いたら、少し遅れて私と同じシャンパンを持ってきてほしい。二人の出会いを祝うためにね」
事前に多額の報酬を渡し、協力者として雇い入れた客室乗務員が、恭しく一礼して去っていく。
もみじがコンサルタントとしての仕事柄、定期的に飛行機を使って地方へ移動していることは、事前の身辺調査で把握していた。私は彼女の搭乗スケジュールを調べ上げ、自分用のファーストクラスの席と、その隣の席をあらかじめ確保しておいたのだ。
やがて、客室乗務員に案内されて、上品な装いの女性が現れた。
一般席のはずが、まさかのファーストクラスに案内され、彼女は明らかに驚いた表情で座席の番号を確認している。しかも隣には、この高級な空間にふさわしい身なりの男が座っている。
私はグラスをテーブルに置き、洗練された大人の笑みを浮かべて声をかけた。
「アップグレードですか?奇遇ですね、私もよくこの席を利用するのですが、今日は一段と素敵な時間が過ごせそうです」
突然の幸運と、紳士的な男からの柔らかな問いかけ。
それが計算し尽くされた罠だとは露知らず、もみじはふわりと微笑みを返してきた。
私は運命的な出会いを装って彼女に近づき、機内での会話を通して警戒心を少しずつ解きほぐしていった。連絡先を交換し、青海野に戻ってからは何度も食事に誘い、デートを重ねた。
青海野スカイタワーでのディナーも、マリーナの夜景を見ながらの告白も、すべては「もみじ」という女の懐に潜り込むための計算だ。
『君も飛行機での移動が多いだろうし、僕も都心のセキュリティが万全なマンションの方が都合がいいんだ』
『でも、急に一緒に住むなんて……』
『屋敷は少し不便だから、利便性の高い部屋を借りて一緒に暮らそう。君との将来を真剣に考えているんだ』
『匠さん……嬉しいわ』
実用的な理由を並べて同棲を持ちかけたのは、不自然さを消すためだ。
一つ屋根の下で暮らし、彼女の行動を二十四時間監視する。そして、彼女が隠し持っているであろう「澪を殺した決定的な証拠」と「奪われたペンダント」を、最も近い場所から探り出す。
愛の言葉も、毎日の優しい気遣いも、この甘い同棲生活も、すべては私の目的を達成するための嘘に過ぎない。
深い恋人関係になったと錯覚させ、完全に油断させる。彼女がボロを出すその瞬間を、私は手ぐすねを引いて待っていた。




