第41話 生還した妹
成樹の肩がピクリと動き、足音のする方向を鋭く睨みつける。搬入口に隠れていた匠ともみじも息を呑み、その暗闇を凝視した。
足音はゆっくりと、だが確かな足取りでこちらへと近づいてくる。
やがて、薄暗い電球の光の境界線に、一つの人影がふらりと現れた。
その人物の顔は、まだ暗闇に沈んで見えない。
しかし、その首元で、微かな光を反射して七色に妖しく光るものがあった。
(あ、あれは……!)
匠の心臓が激しく跳ねた。
青海野オパールのペンダント。二十億円の暗号資産を引き出すための、世界に一つしかない鍵だ。殺し屋がそれを身につけて現れたのだと、匠は狂喜しかけた。
だが、光の中にその人物の全身が完全に浮かび上がった瞬間、匠の全身から一気に血の気が引いていった。
そこに立っていたのは、組織の殺し屋などではない。
八ヶ月前、確実に病死として葬られたはずの妹。
湯我原澪、その人だったのだ。
「澪……?馬鹿な、なぜ……!」
匠は信じられない思いで目を凝らした。黒いジャケットに身を包み、凛とした立ち姿でこちらを見つめる澪の顔には、生者の血色がはっきりと通っている。
「澪……!」
倉庫の中央にいた成樹が、思わずといった様子で叫んだ。かつて警察官としてバディを組んでいた相棒の姿を前に、彼の声には明らかな驚愕と動揺が混じっていた。
しかし、澪は成樹の呼びかけには一切応えようとしなかった。彼女は感情をまったく読ませない涼しげな目元のまま、ただ無言で右手を軽く挙げ、指先で小さな合図を送った。
その瞬間だった。
バチバチッという激しい音と共に、倉庫内に設置されていた無数の大型照明が一斉に点灯した。
「動くな!警察だ!」
眩い光に視界を奪われる中、四方八方から怒号が飛び交った。
開いたままになっていた搬入口や、奥の通路から、防弾ベストに身を包んだ多数の刑事たちが雪崩れ込んでくる。
佐久本管理官に率いられた特別捜査班は、あっという間に倉庫を完全包囲し、中央にいる成樹を制圧するように取り囲んだ。
「なんだと……!どういうことだ!」
成樹は舌打ちをし、周囲を囲む刑事たちを信じられないという目で睨みつけた。自分が呼び出したはずの組織のヒットマンではなく、警察の特殊部隊が現れたのだから。
隠れていた匠ともみじの元にも、複数の足音が容赦なく近づいてきた。
「そこの二人!隠れていても無駄だ、両手を出せ!」
屈強な刑事たちに腕を掴みかかられ、強引に倉庫の中央へと引きずり出される。
「離して!なんなのよ!」
「もみじ!大丈夫だ、抵抗するな!」
もみじの悲鳴に対し、匠は必死に取り繕いながら、澪の目の前へと誘導された。
煌々と照らされた倉庫の中央。
匠、もみじ、成樹の三人は、完全に逃げ場を失い、ひどく混乱して取り乱していた。周囲には何十人もの刑事たちが重苦しい威圧感を放っている。
匠は荒い息を吐きながら、目の前に立つ妹へともう一度視線を向けた。
「澪……本当に、澪なのか……?」
匠は震える声で言葉を紡ぎ、歓喜の涙を流す『心優しい兄』の演技を瞬時に再開させた。
「生きていたのか……!ああ、よかった……本当によかった……!」
顔を両手で覆い、肩を震わせて泣き崩れる匠。しかし、その指の隙間から覗く目は、澪の首元で輝くオパールのペンダントに強欲なまでに釘付けになっていた。
匠の声に呼応するように、成樹もまた、ひどく震えた声で澪に語りかけた。
「澪……お前、無事だったんだな。俺はてっきり、あの組織に殺されたんだと……!」
警察を辞めてまで真犯人を追っていたという悲劇のバディを装い、成樹は必死に言葉を並べ立てた。
だが、もみじだけは違った。
彼女は血の気を失った真っ青な顔で、目の前の澪を指差し、ガタガタと全身を激しく震わせていた。その目は限界まで見開かれ、純粋な恐怖と絶望に染まっている。
「嘘よ……」
もみじは力なく後ずさりをし、ひきつった声で叫んだ。
「私はあの時確かに、あなたが死んだのを確認したのに……!」
彼女の驚愕に満ちた叫び声が、広い倉庫の中に響き渡った。
自分が確実に即効性の毒を盛り、脈が止まったことをこの手で確認したのだ。生きているはずがない。もみじの頭の中は、完全にパニックに陥っていた。
澪は、そんな三人の取り乱す姿を、まるで滑稽な舞台劇でも見ているかのように冷たい瞳で見下ろしていた。
その表情には、再会を喜ぶような温かさも、人間らしい感情も、微塵も存在しない。
やがて、澪は静かにジャケットの懐へと手を入れた。
チャキッ、という冷たく無機質な金属音が鳴った。澪の手には、黒光りする警察用の拳銃が握られていた。
「澪……?何をするつもりだ」
匠が怯えたような声で尋ねると、澪は拳銃の銃口をゆっくりと持ち上げ、三人の方へと真っ直ぐに向けた。
そして、一切の感情を排した氷のような声で、冷徹に宣告した。
「茶番はやめて。全員、両手を挙げて跪きなさい」
その声は、倉庫内の凍てつくような空気よりもさらに冷たく、三人の鼓膜を鋭く打ち抜いた。




