第22話 地下への潜伏
数日後。青海野新都心の高級マンションの一室。
羽元もみじは、スマートフォンに表示された短いニュース記事を見つめ、微かに肩を震わせていた。
『警視庁組織犯罪対策部の若手警部・湯我原澪氏、重篤な指定感染症により急逝』
「本当に……病死として処理されたのね」
もみじの口から、乾いた声が漏れた。
あのバーで、彼女自身の手で即効性の毒を飲ませたのだ。それにもかかわらず、警察の公式発表は完全な病死。検視や解剖のプロセスさえも、見えざる手によって完全にねじ曲げられている。
「成樹が関わっている組織……警察内部にまであんな強力な協力者がいるなんて。一体どれほどの隠蔽力を持っているのよ……」
もみじは自身の背後にいる巨大な闇の力に、底知れぬ恐怖を感じて震え上がった。逆らえば、自分も同じように「病死」として片付けられるに違いない。
しかし、彼女はただ怯えるだけの女ではなかった。
もみじは化粧ポーチの奥から、あの日澪の指から奪い取った青海野オパールの指輪を取り出した。
七色に輝く美しい石を光にかざし、彼女の瞳に狡猾な欲望の光が宿る。
「でも、これだけは私のもの。ブランド物のダイヤじゃないけど、裏ルートで売ればかなりの金になるはずだわ」
恐怖を強欲さが上書きしていく。泥水の中を這いつくばって生きてきたもみじにとって、金こそが唯一の身を守る盾であった。
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翌日。青海野県内の火葬場に併設された控室。
佐久本管理官の手配により、即座に火葬手続きが完了していた。
静まり返った室内で、黒い喪服に身を包んだ匠の前に、白木の箱に納められた「ダミーの遺骨」と、「遺品(荷物)」が引き渡された。
「湯我原さん。妹さんの突然の死、警察組織としても痛恨の極みです」
佐久本は厳粛な面持ちで一礼すると、桐の箱に入った一枚の賞状を匠に向けて差し出した。
「澪くんは勤務中の殉職でしたので、階級特進の賞状が授与されます」
匠はその賞状を受け取ると、肩を震わせ、大粒の涙をボロボロとこぼし始めた。
「こんなものを貰っても澪は帰ってこないじゃないですか……!あんなに健康だった妹が、なぜこんな目に遭わなきゃならないんだ!」
匠は顔を両手で覆い、人目を憚らず泣き崩れた。
(完璧だ……。警察の人間も、僕が深い悲しみに暮れる哀れな遺族だと完全に信じ込んでいる)
匠は悲しみの涙を流して演技し、自分が出した殺害依頼が絶対にばれないように装っていた。
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火葬を終えたその日の夜。湯我原家の本邸。
匠は遺骨と遺品の入った段ボール箱を抱え、薄暗い廊下を歩いていた。彼が向かったのは、病床の父・京次郎の寝室である。
「……お父様、起きていらっしゃいますか」
匠が静かに声をかけると、ベッドの上で酸素マスクをつけた京次郎が、鋭い眼光だけで匠を睨みつけた。
「匠か……。澪はどうした。あいつの顔が見えんが」
「実は、お父様にお伝えしたいことがありまして。澪は警察の仕事が忙しいらしく、しばらくの間、警察署に泊まり込みとなったそうです」
匠は、微塵の動揺も見せずに淀みなく嘘を吐いた。
匠の家族は、澪が死んでしまったことを、死の直前の父の耳に入れ悲しませないよう、父には内緒にしたのであった。
(もし澪が死んだと知れば、この疑い深い老いぼれのことだ。遺言書を急いで書き換え、僕以外の誰かに財産を譲るよう手配するかもしれないからな)
莫大な遺産。それを完全に独り占めするためには、父が息を引き取るその瞬間まで、澪の死を隠蔽し続ける必要があったのだ。
「そうか……。警察の犬め、ワシの看病より仕事が大事か。忌々しい……」
京次郎は苛立たしげに呟き、再び目を閉じた。匠は恭しく一礼し、冷たい笑みを張り付けたまま寝室を後にした。
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自分の書斎に戻り、一人きりになった途端、遺骨と遺品を持ち帰った匠は堪えきれずに笑みをこぼした。
「ふふ……ははははっ!」
抑えきれない笑い声が、静かな部屋に響き渡る。
紳士的な仮面を完全に脱ぎ捨てた匠は、机の上に置かれた遺骨と遺品の箱を愛おしそうに撫でた。
「親父も警察も、見事に騙されてくれた。澪、お前が死んだおかげで、遺産はすべて僕のものだ」
笑みをこぼす匠の目は、底知れぬ強欲さと狂気に満ちていた。
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一方、青海野の山間部に位置する、警察の極秘セーフハウス。
窓も無く、外部からの接触を完全に断たれた地下の空間で、澪はモニターの前に座っていた。
「偽装死の手続きは、すべて滞りなく完了した」
背後から佐久本管理官が声をかけると、澪は静かに頷いた。
「ありがとうございます。これで私は、公式に存在しない人間になりました」
偽装死をした時点では、澪は「誰かが自分を殺そうとしている」ことしか確定していなかった。依頼主が実の兄である匠だということも、殺害の実行犯を手引きしたのがバディの成樹であるということも、特命班はまだ何も知らない。
「ここからが本番です。私が死んだと安心した敵は、必ず動き出します」
澪は冷たい瞳でモニターに映る青海野の地図を見つめた。
澪たちは地下に潜伏したまま、匠ら関係者全員がボロを出す瞬間を待ち続ける。嘘と欲望にまみれた彼らが、勝手に潰し合いを始めるその時を。




