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第19話 偽装死計画

 青海野《あみの》新都心。高層オフィスビルと高級ブティックが立ち並ぶエリアの一角で、澪《みお》は身を潜めながら、ある人物の動向を監視していた。


 ターゲットは、羽元《はねもと》もみじ。彼女は表向きはフリーランスの経営コンサルタントとして活動している女だ。

(私に『組織から抜けたい』と涙ながらに助けを求めてきた裏で、闇サイトから即効性の毒を購入していた。彼女の狙いは間違いなく私の命……)


 澪は少し離れた場所から、優雅にカフェでパソコンを開くもみじの姿を双眼鏡で捉え、小さくため息をついた。

 もみじの警戒心は異常なほど高かった。通信機器は頻繁に変えられているようで、尾行していても組織の人間と直接接触している気配を一切見せない。澪はもみじの周囲を探るが、ガードが固く引っかからない状況が続いていた。

 末端の動きをいくら監視しても、彼女に毒を購入させ、警察官である自分の殺害を指示した黒幕へと繋がる決定的な尻尾がどうしても掴めないのだ。


+++


 翌日、警視庁組織犯罪対策部。

「澪さん、例の裏カジノの資金洗浄の件、何か進展はありました?」

 デスクで資料に目を通していた澪に、人懐っこい笑顔で話しかけてきたのは、バディの磯嶋《いそじま》成樹《なるき》だった。

「……ええ。資金洗浄に関わっている疑いのある人物の身辺を洗っているところよ。でも、なかなか隙を見せないの」


 澪はパソコンのモニターから目を離さず、淡々と答えた。何者かにはめられたと感じている澪だが、この時はまだ黒幕が目の前にいる成樹だとはわかっていない。


「へえ、どんな奴なんです?特捜部の応援の合間に、俺も手伝いましょうか?」

「ありがとう。でも、成樹くんは急遽呼ばれた特捜部の仕事で忙しいでしょう?そっちに集中して。それに、今は下手に動いて、背後にいる大きな組織に勘付かれたくないから」

「なるほど。さすが澪さん、相変わらず慎重で隙がないですね。何かあったらすぐ俺に言ってくださいよ」


 成樹は屈託のない笑顔で頷いたが、その背中が自席へ戻っていく際、彼の目の奥に一瞬だけ冷ややかな光が宿ったのを、澪は見逃さなかった。


(成樹くん……なぜ今、そんな目をしたの?)


 わずかな違和感が澪の胸をかすめる。長年バディを組んできた勘が、周囲の人間すべてを疑うよう警告を発していた。しかし、見えない敵の正体を突き止めるためには、まだ証拠が足りなすぎた。


 +++


 数日後の夜。警視庁内の人気のない会議室。

 澪は、組織犯罪対策部の管理官である佐久本《さくもと》正人《まさと》と密かに向かい合っていた。


「よく来てくれた、湯我原《ゆがわら》警部」

 銀縁メガネの奥で、佐久本の鋭い眼光が光る。彼は沈着冷静で、法と警察の任務を冷徹に遂行するプロフェッショナルだ。過去に優秀な部下を組織の裏切りで失った経験があり、警察内部の不正や内通者に対して並々ならぬ怒りと執念を抱いている人物でもあった。


「佐久本管理官、お話とは一体……」

「単刀直入に言おう。警察内部の腐敗分子と巨大組織を一網打尽にするための極秘特命捜査を立ち上げる」


 佐久本は静かに、しかし力強い声で宣言した。青海野県警は地元財閥や開発利権と長年癒着しており、捜査の握りつぶしや情報漏洩が常態化しているのだ。

「君の類まれな能力は高く評価している。だからこそ、私が信頼している君をこの特命チームに入れたい」


 澪はあこがれていた管理官からの突然の申し出に戸惑うも、現在自分が抱えている案件との繋がりが使えると考え、それを受けた。


「光栄です。実は私の方でも、組織の資金洗浄に関わる女と接触しています。ただ、彼女は私を殺すための即効性の毒をすでに入手しており、背後に警察内部の人間が関与している可能性が極めて高いです」


 澪の報告を聞き、佐久本は険しい表情を浮かべた。


「君の命が狙われているということか。すぐにその女を拘束し、尋問するべきだが……」

「いえ、それでは末端を切り捨てられて終わります。黒幕を炙り出すためには、向こうの計画にわざと乗るしかありません」

 澪の理知的な瞳に、冷徹なリアリストとしての強靭な執念が宿る。


「どういうことだ?」

「組織の壊滅と警察内部の裏切り者を炙り出すため、自らの『偽装死』を計画します」

 澪は佐久本を真っ直ぐに見据え、衝撃的な作戦を口にした。


「偽装死だと……?正気か、湯我原警部」


 佐久本は驚愕の表情で身を乗り出した。

「ええ。私が死んだと思わせれば、警戒を解いた敵は必ずボロを出します。近日中に、ターゲットの女とバーで接触する予定です。毒を盛られる瞬間に、こちらのチームで用意した薬とすり替え、一時的な仮死状態を作り出せば可能なはずです」


「……危険すぎる。もしすり替えに失敗すれば、君は本当に命を落とすことになるんだぞ」

「覚悟の上です。警察内部の腐敗分子と組織の幹部を完全に引きずり出すには、私が一度死ぬしかないんです」

 澪の揺るぎない決意を前に、佐久本はしばらく沈黙し、やがて深く頷いた。


「わかった。君の覚悟に懸けよう。医療チームの配備や、検視の公的文書の偽装工作は、私が全面的に主導する」

「ありがとうございます、管理官」

 澪は深く一礼した。こうして、青海野の裏社会を揺るがす前代未聞の極秘潜入捜査が、静かに幕を開けた。


 +++


 極秘会議を終え、誰もいない深夜の執務室に戻った澪は、窓ガラスに映る自分自身の顔をじっと見つめていた。

(ついに動き出す。私の死をもって、すべての嘘を暴き出すための計画が)


 澪はブラウスの胸元から、首にかけられたペンダントをゆっくりと引き出した。

 それは、数日前に父・京次郎《きょうじろう》から渡されたばかりの、青海野オパールの特注ペンダントだ。薄暗い部屋の光を受けて、オパールが七色の妖しい輝きを放っている。


 冷たい石の表面を指先でなぞりながら、澪は亡き母の面影と、父の歪んだ愛情、そして遺産に執着する兄・匠の強欲な顔を思い浮かべた。

(お父様、お兄ちゃん……そして、今の私を罠にはめ、命を狙おうとしている見えない黒幕。私は絶対に、誰の思い通りにもならない)

 ペンダントを強く握りしめる澪の手に、ギリッと力がこもる。


(私の命を狙う者たち全員、この手で地獄の底まで引き摺り下ろしてやるわ)


 澪は暗闇の中で、冷たく、だが決して消えることのない復讐の炎を瞳に宿した。

 死を偽装して地下に潜り、関係者全員がボロを出す瞬間を待つこととした澪。

 すべてを欺く壮絶な騙し合いの夜明けは、もうすぐそこまで迫っていた。

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