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第18話 姉弟の密約

 四月。

 青海野《あみの》グランドカジノリゾート特区へ続く埋立地。その一角にある人気のないコンテナ群の陰で、磯嶋《いそじま》成樹《なるき》はタバコの煙をゆっくりと吐き出した。

 やがて、カツカツとヒールの音を響かせて、羽元《はねもと》もみじが姿を現した。


「呼び出すなんて珍しいわね、成樹。私、忙しいのよ」

「姉貴に頼みがある。俺のバディである湯我原《ゆがわら》澪《みお》を殺してくれ」


 単刀直入な成樹の言葉に、もみじは少し目を丸くした。


「現役の警察官を?冗談でしょう。いくら私でも、そんなリスクの高いこと……」

「あんたの得意な悲劇のヒロインを演じて懐に潜り込めばいい。警戒心の強いあの女も、助けを求める哀れな女には油断するはずだ」

「……それで、私にはどんな見返りがあるの?」


 もみじは冷ややかな目で弟を見つめた。


「俺がこの件を片付ければ、組織の幹部ポストが手に入る。俺が組織の上になったら、姉貴にも必ずおいしい思いをさせてやるよ」

「ふふ、いいわ。その約束、絶対に守ってよね」


 もみじは妖艶な笑みを浮かべた。互いに血の繋がった姉弟でありながら、相手を己の利益のための「道具」としか見ていない、歪んだ絆がそこにはあった。


 +++


 同じ頃、ゆがわら開発株式会社の社長室。

 湯我原《ゆがわら》匠《たくみ》は、苛立ちを隠せない様子でノートパソコンの画面を睨みつけていた。

 画面に映し出されているのは、ダミー会社の裏帳簿と、ダークウェブを通じたブローカーとの暗号化されたチャット履歴だ。


「遅い……。莫大な金を積んだというのに、奴らは一体何をやっているんだ」


 匠はデスクをドンッと強く叩いた。

 澪への殺害依頼を出してから数日が経過したが、未だに「目標を排除した」という報告はない。


(親父の命はもう長くはない。あの老いぼれが死ぬ前に、確実に澪を消しておかなければ、遺産を独り占めする計画が狂ってしまう)


 焦燥感が匠の胸を焦がす。彼は爪を噛みながら、ブローカー宛てに催促のメッセージを打ち込んだ。澪を狙う匠の黒い欲望は、成樹たちの企みとは全く別の場所で、確実に暴走を始めていた。


 +++


 数日後。青海野新都心にある落ち着いた雰囲気のカフェ。

 澪は、向かいの席に座るもみじを静かに観察していた。


「澪さん……お願い、私を助けて」


 もみじは両手で顔を覆い、肩を震わせて泣き崩れていた。その華奢な体は怯えきっているように見え、目からは大粒の涙がポロポロと零れ落ちている。


「落ち着いて、羽元さん。私が話を聞くわ」


 澪が穏やかな声で促すと、もみじは涙を拭いながら、震える声で語り始めた。


「私、コンサルタントの仕事の延長で、裏カジノの資金洗浄を手伝わされてしまったの。でも、もうこんな恐ろしい組織からは抜けたい……!警察官のあなたなら、私を助けてくれると思って……」


 悲惨な状況に追い込まれ、決死の覚悟で内部告発を決意した哀れな女。組織から抜けたいと嘘をつくもみじの演技は完璧だった。


(組織の資金洗浄役……。彼女の情報があれば、巨大組織を一網打尽にできるかもしれない)


 澪は、組織壊滅に協力してくれる人物を見つけ出したことで、密かに心がはずんでいた。


「わかったわ。私が必ずあなたを守る。だから、組織の情報をすべて教えてちょうだい」


 澪が手を差し伸べると、もみじは「ありがとうございます」と泣きながらその手を握り返した。しかし、澪の視線から外れた一瞬だけ、もみじの口角がわずかに吊り上がったのを、誰も知る由はなかった。


 +++


 警視庁組織犯罪対策部。

 自席に戻った澪は、パソコンに向かい、念のためにもみじの背景を洗い直す作業を進めていた。

 卓越した情報収集能力を持つ澪は、もみじの過去の通信記録や資金の流れを徹底的に解析していく。


 そして、あるデータにぶつかった瞬間、澪の指先がピタリと止まった。


(これは……)


 澪の涼しげな目が、驚きに大きく見開かれる。

 画面には、もみじがダークウェブを通じて、ある物品を購入した履歴が映し出されていた。


(『口にしたら数分後に心不全を引き起こす即効性の毒』……?どうして、彼女がこんなものを)


 毒物や薬理学に関する深い知識を持つ澪は、もみじが闇サイトで即効性の毒を購入していた情報を掴んだ。


(私に助けを求めておきながら、裏で即効性の毒を調達している……。自殺?いや、そんな子には見えない。これは、私を殺すためのもの?)


 澪の背筋に冷たい汗が伝った。もみじのあの涙も、怯えた姿も、すべては自分を油断させるための罠だったのだ。


(私は何者かにはめられている。私を殺すように仕向けた黒幕がいるはずだわ)


 この時点では、その黒幕が自分のバディである成樹だとは、澪はまだ気づいていなかった。ましてや、依頼主が実の兄であるということも。しかし、見えない敵の悪意が、すぐそこまで迫っていることだけは確信していた。


 澪は、数日前に父から渡されたばかりの、胸元で揺れる青海野オパールのペンダントを服の上から強く握りしめた。

 冷たい石の感触が、彼女の理性を呼び覚ます。


(誰の思い通りにもならない。私を殺そうとする奴ら全員、地獄へ引き摺り下ろしてやる)


 澪は冷徹な思考を研ぎ澄ませ、次なる一手へ向けて静かに覚悟を決めた。

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