第15話 依頼
数日後の深夜。青海野県新都心ウォーターフロント区にそびえ立つ商業ビルの一室。
匠は、間接照明だけが点灯する薄暗い個人オフィスで、数台のモニターと向き合っていた。画面に映し出されているのは、一般のブラウザでは決して到達できないダークウェブの深層だ。
(澪の始末は、絶対に足がついてはならない。確実に、かつ僕の身元が完全に守られる完璧な方法が必要だ)
匠は、かねてより密かに親交を結んでいた悪徳弁護士のブローカーを通じて、ある暗号化された専用アクセスキーを入手していた。それは、青海野の裏社会で暗躍する流動型犯罪グループ『エクリプス・シンジケート』が運営する、完全匿名の請負犯罪プラットフォームへの入り口だった。
「……よし、繋がったな」
匠は冷たい笑みを浮かべ、キーボードを叩いた。画面上には、無機質なチャットウィンドウが開かれている。
『標的のプロファイルは確認した。対象が警察庁のキャリア警察官であっても問題ない。だが、リスクに見合うだけの報酬が必要だ』
『金額は言い値で構わない。ただし、依頼者の身元が絶対に漏れない匿名の窓口であることが絶対条件だ』
『我々のシステムは完全前払いのブラインド方式だ。お互いの顔を知ることはない』
匠は一切の躊躇なく、自身が経営するゆがわら開発の裏帳簿に紐づく、複数のペーパーカンパニー(ダミー会社)の口座を操作した。そして、指定されたウォレットへ、莫大な額の暗号資産を送金する。
(これで終わりだ、澪。親父の遺産を独り占めするためには、お前は邪魔なんだよ)
送金完了の文字が画面に点灯した瞬間、匠は深く背もたれに寄りかかり、勝利を確信したような歪んだ歓喜の息を吐き出した。高額な手数料を払い、絶対に依頼者の身元が漏れない匿名の窓口を仲介してもらったことで、彼の目論む完全犯罪は静かに動き出したのだ。
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一方その頃、湯我原家の本邸では、深夜にもかかわらず澪が冷たい廊下を歩いていた。
手には、父・京次郎の毎日の薬が乗せられたトレイが握られている。
「遅いぞ、澪。ワシの薬の管理一つ満足にできんのか」
寝室に入ると、病床の父が苛立たしげに睨みつけてきた。表向きは立派な資産家だが、実は匠以上に冷酷で、澪の人生を思い通りに支配しようとする毒親だ。
「申し訳ありません、お父様。少しお湯の温度を調整しておりました」
澪は、そんな父の暴言にも一切逆らわず、甲斐甲斐しく看病する優しい娘を完璧に演じきっていた。
「遺言書の作成も急がせろ。ワシの資産をどうするかはワシが決める」
「はい。弁護士の先生とは、私が責任を持って調整を進めております」
澪は厳しい父にも尽くす優しい娘として、遺言書の作成まで手伝っていた。
(この家は狂っている。父も、兄も。……だけど、私だけは理性を保ってみせる。狂気に飲まれてたまるものですか)
澪は父に薬を飲ませながら、自らの立場を狙う敵と、内なる敵との戦いに向けて、静かに、しかし強靭な執念を燃やしていた。
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翌日の午後。警察庁組織犯罪対策部。
澪は、自身のデスクで青海野の裏社会に関する捜査資料に目を通していた。
「澪さん、お疲れ様です。エクリプス・シンジケートの資金洗浄ルートの件、新しい情報が入りましたよ」
人懐っこい声と共に、缶コーヒーを片手に近づいてきたのは、刑事としてバディを組んでいる磯嶋成樹だった。無精髭を生やし、少し伸びた髪が特徴的な、検挙率トップクラスの若手ホープだ。
「ありがとう、成樹くん。どこからの情報?」
「情報屋からです。どうやら組織の中で、かなり高額な『排除依頼』が匿名の窓口から出されたらしくて」
成樹の言葉に、澪の指先がわずかに止まった。
「……そう。引き続き、その依頼の動向を追ってちょうだい。対象が誰であれ、組織の尻尾を掴むチャンスよ」
澪は動揺を一切見せずに指示を出した。
「了解です。俺に任せてくださいよ」
成樹は明るく笑って自席へと戻っていった。
しかし、背を向けた成樹の顔からは、先ほどまでの人懐っこい笑顔が完全に消え失せていた。
(情報屋の話が確かなら……組織が受けた殺害依頼のターゲットは、まさかのバディである澪本人だった。さて、どうしたものか)
成樹は野心家で上昇志向が強く、警察という組織の理不尽さに絶望していた。恩義や情よりも自らの利益を優先する裏切り体質の彼は、この情報を前にして、黒い欲望を抱き始めていた。
(警察で燻っているより、澪の情報を組織に流せば……組織の幹部ポストが手に入るかもしれない)
成樹は、澪の殺害依頼を組織が受けたことを聞きつけ、組織の幹部ポスト欲しさに寝返って、相棒である澪を売るという最悪の皮算用をしていた。
誰一人として信じられる者のいない、嘘と欲望に塗れた舞台が、いよいよ惨劇の幕を開けようとしていた。




