第17話 ホーリーボール
「着方は、これで合っているでしょうか……?」
更衣室から出てきた聖女は、用意された衣装に全身を包んでいた。
赤とオレンジを基調とし、ラミアルスの活気をそのまま纏ったような色合いの薄布が折り重なり、彼女のあどけなさを彩る。
イヤリング、ネックレスは金で細工され、清楚な雰囲気の中に、お祭りらしい華やかな雰囲気を足していた。
普段履いているタイツを脱いだせいか、スカートから覗く脚はもじもじとやや落ち着かない。
「おお!よくお似合いですよ、聖女様!」
「あ、ありがとうございます……頭のこれも、衣装の一部なのですね?」
「ベールには日差しの熱を遮る魔術が施されております。被っていれば、暑い思いをすることはないでしょう」
「おお……」
「……さて、モーラ様も、そろそろ着替えが終わった頃なのではないですか?」
マルキアが声をもう一つの更衣室に向けた途端、中からバタンと何かがぶつかるような音がした。
直後に微かな呻き声が漏れ聞こえ、蚊の鳴くような声で弁明が続いた。
「ま、まだもうちょっとかかるかな~……なんて」
「2分ほど前に衣擦れの音が止んだのでもう着替えは終わっているものかと」
「なんでわか……じゃなくて、ほら、この服珍しいから、着方が分からなくってさ」
「私が聖女様に着方を教えている間に一人で構造を確かめていたように見えたのですが。納得したように何度か頷いておりましたし」
「……あんた、たまに気持ち悪いって言われない?」
最後にため息がカーテンの隙間から逃げて行き、ゆっくりとそれが開かれる。
中から現れたのは、紫紺の衣装に身を包んだモーラの姿。
聖女に比べて飾り気は少ないが、同じシースルーの構造から、肉付きの良い四肢が覗いている。
ヘッドベールではなくフェイスベールであることからも、聖女の引き立て役としての意図を感じる作りになっていた。
「よくお似合いです。魔女様の見立てに間違いはありませんね」
「とっても素敵です!」
「これ着て表歩くのマジぃ……?どこもかしこもスッケスケなんだけど……」
「皆が思い思いに着飾るので、不自然なことはありませんよ」
「……そういうマルキアさんは普段通りじゃん」
「騎士としての職務中ですので」
「うぐ……」
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「らっしゃいらっしゃい、カクテルコンテストやってるよ!」
「オリジナルのお人形、いかがですかー」
「整理券はこちらになります!!あっ、飲み物は隣の屋台で割引に……」
マルキアに連れられて歩く市街の雰囲気は、既に活気から熱気の域に達していた。
明日の本番で仕事のある者、人込みを嫌って今のうちに楽しもうと勤しむ者、様々な思惑から、この祭典は前日から盛り上がる。
ところどころまだ営業していない屋台もあるが、それでも戴冠式の時に負けず劣らず人が行き交う。
「これでまだ本調子じゃないの……?」
「明日はこの倍は賑わいますよ。異邦からわざわざ馬車を乗り付けてくる人もいますからね」
「マジかー……はぐれないようにちゃんと手、繋いでなね」
「はい。それにしても……色んなものを売っているのですね」
「他の邦はよく存じ上げませんが、シティにいるのは生粋の芸能気質ばかりですからね。相手を楽しませる、感動させることに執心せずにはいられない」
ケファレオで行われた戴冠式に伴う祭典では、屋台に並ぶのは食べ物が多かった。
次いでお土産品で、大道芸は片手で数える程度しか聖女は見ていない。
しかし、今回の豊作謝肉祭では、屋台のうち三つに一つは芸を振舞っていた。
歌、踊り、絵画に彫刻。それもただ並べるだけではなく、路上で実際に制作を行ったり、客に参加させたりとバリエーションに富む。
団子より花、金銭ではなく称賛を、この日は普段から積み重ねた自らの研鑽を、多くの相手に披露する絶好の機会でもあった。
「試しに、一つやってみましょうか。どれでも良いですよ」
「え、えっと……」
「聖女様が選んでいいよ。あたしにゃよく分からん」
「私も分かりませんが……えっと、じゃあ……」
聖女がおずおずと指差したのは、カラフルなボールが飾られている屋台。
マルキアが声をかけると、裏で作業に勤しんでいた婦人が大きな声を上げた。
「あらまあマルちゃん!いつの間に子供ができたの!?」
「彼女らはお客人ですよ。ミゼさん」
「やだもう冗談よぉ!いらっしゃい、何にするかい?」
「あ、あの、このお店は何を……」
「うちは昔っからホーリーボール一筋さ!好きな絵の具を詰め込んで最高のやつを作るのさ!」
「ほーりーぼーる……?」
「習うより慣れろってね、そっちのお姉さんもやって行きな!」
「あっはいどうも」
婦人がテーブルに台紙を広げ、パレットに色とりどりの粘土を並べていく。
台紙は太陽のような尖った放射形をしており、表面がやけにデコボコしていた。
「好きな色を乗せて伸ばしていくんだ。二色までなら混ぜてもいいよ。三色以上は汚いからね」
「いきなりやれって言われてもなあ……」
「ならそこのお手本を真似するといい。大丈夫、上手くいくよ」
二人が苦心しながらも台紙に色を並べ終えると、婦人はそれを手元へ引き上げた。
続いて謎の液体を小さなブラシで塗りたくり、小さく呪文を唱え始める。
それに呼応して指先に淡い光が集まると、それを見計らったように、婦人は紙の端を指で小さく弾いた。
すると台紙が剥離してくるりと丸くなり、みるみるうちに三つの紙玉が彼女の手の中に納まる。
「ほい、一丁上がり」
「っ……えっ、すごっ……!」
「ちょ、今の魔術だよね!?具体的には分からんけどプロすぎん!?」
「だから言ってるだろ、この道一筋30年だよ!」
にかりと歯を見せながらモーラの分も手早く仕上げた婦人が、呆気に取られた二人に作品を手渡す。
さらさらと手触りのよい紙質からは、粘土油の匂いと香料が微かに混じって漂っている。
聖女は手渡されたそれをしげしげと眺めていたが、やがて、きょとんとした顔で婦人に尋ねた。
「それで、これは一体どういうものなのでしょう……?選んだ色が見えませんし……」
「ああいいとも、お手本を見せてあげよう。マルちゃん、いいかい」
「いつでもどうぞ」
「一体何を……?」
足元の在庫から適当にホーリーボールを見繕った婦人は、それを手の上で弄びながらマルキアをじっと見据えた。
対する騎士は余裕のある表情を崩さず、じっとその場に立ち尽くす。
そして婦人が僅かに口元を笑ませると、それをマルキア目掛け思い切り投げつけた。
顔に正面から直撃したホーリーボールは炸裂し、端正な顔に先ほどの粘土と同じ色をべったりと塗りつける。
手のひらに収まるサイズとは思えない量の塗料が撒き散り、通路や屋台を汚す。
あまりの出来事に絶句していた二人は、頬に付いた赤い塗料を拭うと、それを指で広げ、本物らしいことを確認する。
した上で、ようやく声が出た。
「ななななななにしてんのあんた!?」
「マルキア様!お召し物が……ああっ、白いからとてもよく目立ちます……!」
「っはははは!いいねえ、美人がもっと映えるようになったさね!」
慌てふためく二人と比べ、外野の反応は対照的だ。
行き交う人は塗料まみれになったマルキアを指差して笑い、婦人は腹を抱えてテーブルを叩く。
自分達がおかしいのかと不安になる二人に、騎士は声をかけた。
「大丈夫ですよ。聖女様、モーラ様」
「んなこと言ったって……ねえおばちゃん、水くらいないの!」
「ああ、目を閉じてないと、塗料が目に……」
「ですから、大丈夫です。ほら」
ぱちん、と彼女が指を弾いた瞬間、マルキアを汚していた色とりどりの塗料が一瞬のうちに消滅した。
まるで何事も無かったかのように騎士の顔は肌色に輝き、道や服に散った飛沫も、跡形もなくなっていた。
またしても言葉を失う二人に、マルキアが説明する。
「ホーリーボールに使う塗料は特殊なもので、簡単な魔術を使えば分解することができるんです。とはいえ、嫌がる人もいるので、ぶつける際は先ほどのように許可を取るのがよろしいでしょう」
「───っそういうことは先に言えよぉっ!?」
へなへなとへたり込む聖女の肩を、がっくりと項垂れながらモーラが叩いた。
その様子に、またしても周囲から笑い声が響き渡る。
何も知らない人間が慌てふためく様子を見るのも、ホーリーボールの文化の一つ。
とはいえ、二人の中にふつふつと湧き上がるものがあるのも、また確かである。
「…………ふっ」
「………モーラさん」
「ああ、多分考えてることは同じだねえ」
「お任せしてもいいですか」
「いいよ。おばちゃん、追加で20個」
「あいよ。マルちゃんにツケとくからね」
モーラは追加の弾を受け取ると、ゆらりと椅子の上に立った。
聖女は物陰に隠れ、その様子をじっと見守る。
周囲の人たちも、顔に浮かべる笑みがいつしか不敵なものに変わっていた。
「オメーらよくも笑いやがったなこのやろぉ!!!このモーラ様の一投を甘んじて受けやがれぇ!!!」
「お嬢ちゃん、俺たちがホリボ一個も持ってねえなんて思ってねえだろうなぁ!?」
「上等じゃオラァアアアアアアアア!!!!!!」
路上をホーリーボールが飛び交い、被弾した人が次々と極彩色に染まって倒れていく。
紫色の髪にマーブル模様をたなびかせ、それでもモーラは鬼気迫る表情でボールを投げ続けた。
一人、また一人と撃墜されていく惨状に、聖女は若干気圧されている。
「……どうしましょう。お願いしたのはいいのですが思ったより大変なことに」
「大丈夫ですよ。ミゼさんの店は有名ですし、ホーリーボール合戦を禁止している区画もあるので、苦手な人はそっちに出店しています」
「あっ!モーラさんにまた……ほ、本当に魔術を使えば全部消えるのですよね?」
「消えはしますが……」
「しますが?」
「あんまり飲み込むとお腹を下す可能性はあり……ああでもフェイスベールがありますね。おっと危ない」
「きゃっ」
マルキアが軽く伸ばした手に流れ弾がぶつかり、極彩色が弾ける。
遠くから顔を青くして謝る姿に手を振ると、彼女は聖女を屋台の奥へ促した。
「ミゼさん、お客人を避難させておきますね」
「あいよー」
…
「はあ……はあ……」
「やるじゃねえかお嬢ちゃん、一人で、戦い抜くとは、な……」
死屍累々、屍山血河の合戦を一人制したモーラは粘土油の匂いが染みついた袖で頬を拭った。
服の素材は薄いが、それでも重く感じるのは塗料が染みたせいか、あるいは汗か。
……色は消えるけど匂いは消えるのだろうか、と考えていると視界の端に蠢く影を捉える。
「最後に一矢報いるぜぇ……」
「しぶとい……ラスいち……!」
息を切らしながらも、不意の一投を体を捩って避ける。
そして返しの一投を最後の一人目掛け、全力を込めて投げつけた。
それは凄まじい勢いで直進していき、正確に彼の顔の正面を捉えている。
しかし、直撃する数秒前に限界を迎えた男は、糸が切れたようにその場に倒れた。
更に悪いことは、ホーリーボールの軌道上にあるのがそれでもなお壁では無いことで。
「げっやべ!避け───」
「え?」
結果的に暴投となったホーリーボールは、少し離れたところで屋台を物色していた白い服の少女の胴体に直撃した。
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「ほんっとーに申し訳ありませんでした……」
「構わないのだわ。ホーリーボールの文化は承知しているの」
近くの喫茶にて、深々と頭を下げるモーラに少女は澄ました顔で応じた。
頼んだ紅茶を優雅に飲む彼女の服装は、ハレの日でもよく目立つ。
黒い髪とは対照的なフリルたっぷりの白い服で全身を包み、日傘まで白い徹底ぶり。
本人もまるでその白さのように、何も寄せ付けないような近寄りがたい雰囲気を纏っていた。
「まあ、どうしてもお詫びをしたいというのなら、私にも案内を付けていただけないのかしら。シティ・マジョラムには初めて来たのだわ」
「ふむ……私は公務の一環で彼女らを案内していまして……」
「騎士団長様が、ね。なら、もしかして貴女が噂の聖女様なのだわ?」
「あっ、えっと……」
「別に吹聴して回るつもりはないのだわ。騒がしいのは、私も苦手なの」
市街では聖女の身分をみだりにあかさないように、というのが教主から受けていたアドバイスだった。
幸いなことに顔はあまり割れておらず、マルキアが見知らぬ人間を連れていても、祭典の間ならそういうこともあるかという雰囲気はある。
しかし、少女はそれを聖女と見抜いた。
「私は行商人の娘で、色々な邦を渡り歩いているのだわ。リリアルにもよく行くから、聖女の顔も把握していたの」
「そうだったのですね。案内の話ですが、私たちと一緒に行くのはいかがですか?」
「ちなみに、次はどこへ行くのだわ?」
「ああ、次はパレードの準備地点を見に行く予定ですね」
「いいじゃないの。お詫びとしては十分なのだわ」
「では、よろしくお願いします。あ、お名前を聞いていませんでしたね」
聖女がそういうと、白い少女は椅子を降り、優雅に一礼を見せる。
そして日傘を片手に、もう片手を胸に当てた。
「私はティアラ。短い間だけど、よろしくお願いするのだわ。聖女様」




