第12話 烏爪の冠
───少女たちは、しばらくは声を出すことができなかった。
深刻な顔つきで連れてこられたのは真っ暗な空間。
小さな灯りを頼りに座った直後、突然視界が眩み、次に現れたのは爆音で轟くトランペット。
低い女性の声が負けず劣らずの音量で響いたかと思うと、次から次へと目を疑う催しが繰り広げられる。
高い天井から降りる細い糸を頼りに空中を縦横無尽に駆けまわる者。
瞬きする間に点火した無数の火の輪を踊るようなジャンプで潜り抜ける者。
大きなナイフを何十個もジャグリングし、最後には相方と思しき相手に向けて投げつける。
それを大袈裟な挙動で回避し続けるも、最後には壁に貼り付けになって動けなくなってしまう者。
何よりも少女らの度肝を抜いたのが、それが一目で獣人だと分かったことだった。
艶やかな毛並みに派手な衣装をまとい、長いマズルに飾りを付け、白い牙を剥き出し笑う。
驚愕、疑問、衝撃、狂騒。
気付けば幕引きの挨拶ともに落ち着いていく照明と共に、彼女らは言いようのない虚脱感に包まれていった。
それこそ、下方にある舞台から少女らの座る客席まで、一人の獣人が跳んで来たのに反応できないくらい。
「お疲れ様、ダイアナ。みんな大盛り上がりだったわよ♪」
「はははっ!じゃあそこで伸びてるのは楽しみすぎってことかい!」
「そうよ~ほら、みんな起きて」
「……」
「……ははっ」
ダイアナ、と呼ばれた獣人がせせら笑う。
あるいは侮りの意図など無かったのかもしれないが、ともかく彼女は笑みをこぼした。
怒涛の勢いで押し寄せた情報をなんとか処理し終えて、少女が真っ先に取った行動。
顔を引きつらせる聖女の前に、冷や汗を浮かべながらも二人が立ちふさがったことに。
「魔女サマ、どうやらアイスブレイクはイマイチだったみたいだねぇ?」
「そ、そんなことないわよ!ただ、それですぐに打ち解けるとも思っていなかったけれども……」
少女たちは何も言えない。
魔女が和やかに話していることから見ても、目の前の獣人が少なくとも敵ではないことは理解できた。
しかし、敵でないだけでは不十分。
突如として平穏を乱し、ケイシアの腹を裂き、聖女を攫い、地下深くに幽閉した。
圧倒的な身体能力と統率の取れた行動を得意とする、連邦外からの来訪者。
彼女らにとっては先ほどの雑技も、自身との身体能力の差を見せつけるデモンストレーションにすぎなかった。
そんな獣人が、腕一本分も離れていない距離にいる。
聖女は怯え、騎士と秘書は身を固める。
香水か何かで覆われているのだろうが、どうしてもその臭いが鼻につく。
汚辱と憎悪で塗り広げられた、彼女ら特有の獣の臭いが。
「アタシはダイアナ。この雑技団、烏爪の冠のリーダーをやっている」
「……ケイシア。こっちがモーラ」
「アンタらの話は魔女サマから聞いてる。随分酷い目にあったってね」
「誰のせいだと……!」
「すまなかった」
するりとダイアナの背が折れるのを見て、練っていた敵意が指の間をこぼれ落ちる。
頭頂を見せて微動だにしない姿は無防備そのもので、今なら反応されても首に手が届くだろう。
だが、二人は動けない。
「アタシの同胞……とはいっても、知ってる支族かは分からないが、アンタらからしたら、まあ全部一緒だろ。きっとリリアル邦じゃ、あたしら獣人は神の宿敵みたいに扱われてるんだろうさ」
「……そこまでじゃ、ないけど」
「アタシが謝ってどうこうなる問題でもないのは分かってる。だが、それでもだ」
許すべきかもしれない、そんな囁きが脳裏をよぎる。
そんな謝罪で納得できるわけがない、と脳髄が叫び上がる。
分からない、どちらに転んでもきっと、心にしこりが残る気がしていた。
聖女を守れなかったケイシアは。
ケイシアが生死の境を彷徨ったと聞いたモーラは。
そして、
「ゆるっ、し、ます……」
「聖女様……?」
「だっ、ダイアナしゃ……さん、顔を、あ、上げてください……」
聖女が、自身の胸を握りしめながら、詰まる呼吸を押しのけて、その言葉を呟いた。
顔を上げ、冷たい視線を向けるダイアナに対して、聖女はなんとか正面から向き合う。
呼び起こされる暗い記憶。
足蹴となって土を噛む逆光の光景。
毛並みも顔も覚えていないから、もしかすると彼女がそうだったのかもしれないとさえ思う。
強張る手足、縮む指先。
そこに深呼吸を入れながら、聖女はゆっくりと話し出す。
「獣人のしたことは、許されないこと、です……シデロリオの、多くの人が、恐怖に脅かされました」
「聖女様……」
「で、ですが……」
聖女はこわごわと舞台を見下ろす。
先ほどのリハーサルの片付けの為に、沢山の獣人が汗を垂らして働いている姿が見える。
その姿は、少なくとも毛皮にさえ目を瞑れば、今まで見てきた人の営みと何ら変わらないように見えた。
聖女はゆっくりと魔女の方を見る。
彼女は先ほどから何も言わず、ただ黙って成り行きを見守っている。
喜びも、悲しみも、期待も、何も、染まらぬ目が、まっすぐ聖女を見つめていた。
「魔女様のお知り合い……なら、きっと、人々に害を成すようなことはしないはず。先ほどの謝罪も、そう……。自分ではない、お仲間のために謝っていた」
「ああ」
「きっと貴女は、私たちと獣人の不和を望まない。なら……」
聖女は立ち上がり、前の二人に視線を送る。
その眼にケイシアとモーラは力を緩め、聖女が通るための道を空けた。
聖女は小さな歩みで、ダイアナの前に立つ。
そしてそっと、手を差し伸べた。
「私も、同じ気持ちのはず、ですから」
「……感謝するよ」
ダイアナは爪と毛の生え揃った手で華奢な手を握り返した。
聖女の身体は未だ固い。
冷や汗は流れ、触り慣れぬ感触に鳥肌が立つ。
一刻も早くこの恐ろしい存在から逃げ出したいと、腰は引けっぱなし。
それでも、手を離すことだけはしなかった。
真っすぐに相手を見つめ、己が内に吹く逆風を堪え、結んだ口で笑顔を繕う。
それを見てようやく、獣人の表情は先ほどの柔らかさを取り戻した。
「もういいよ。聖女サマ」
「あ、はい……」
「いやあ大したお嬢さんだねぇ、魔女サマ」
「……そうね。本当に」
「そっちのアンタらも、とりあえずアタシらに槍を向けたりはしないってことでいいんだね?」
「……別に、悪いことしなきゃ敵対する理由ないし」
「同じく」
ダイアナは一歩退き、全員を視界に収める位置に立つ。
まだ不安の抜けない聖女、ひとまずは敵意を鎮めたケイシアとモーラ。
そしてそれを俯瞰で見守る魔女。
一通りを見回した後、彼女は大きく腕を開いて高らかに宣べた。
「明後日はシティの誇る豊作謝肉祭!もちろんアタシらも一席設けてるよ!!しかも、魔女サマの計らいで大トリさ!!」
「そうよ。シティをパレードが一周したあと、ここでお祭りの最後を飾るの。あんな事件があった後だもの、獣人と人間がまた手を取り合えるように、ね♪」
「それは素敵ですね」
「アンタ、じゃなくて、聖女サマご一行には……コイツさ!」
ダイアナは懐から大袈裟に何かを取り出し、天井の照明に掲げて見せる。
ひらりとはためいたそれを、今度は恭しい礼をを以て聖女の目の前に差し出した。
黄色と赤で彩られた、一枚のチケットを。
「特等席のチケットさ。これ一枚で4席分、今日はいないみたいだが、当日は教主サマと一緒に来なさいな」
「わあ……!ありがとうございます!」
「あれ、一席足んなくない?」
「聖女様、センセイ、あたし、ケイ、魔女様……モニカは……来るのか?」
「わたくしもモニカちゃんも当日は別の場所にいるわ。終わったら感想を聞かせて頂戴ね」
「分かりました。楽しみですね」
「ええ、とっても」
こうして、魔女のサプライズの顔合わせは無事成功した。
ダイアナはまたも前触れなく飛び上がり、舞台の中央に着地して客席に大きく礼をした。
すっかり寂しくなった壇上に拍手を送ると、彼女は満足そうに手を振って舞台裏へとはけていった。
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「ふう……全く、肝が冷えるったらないね」
ダイアナは暗い舞台裏を歩く。
通りすがる団員から挨拶をされるも、今の彼女に返事をする余裕は無い。
生死の境目、一瞬たりとも気の抜けない空間から帰ってきて、興奮が冷めやらない。
当て所なくあちこちをうろついた後、彼女は人通りの少ない一角へ足を運ぶ。
そこは使わないものを置いておく倉庫で、ダイアナが直接管理している場所だった。
「ちょっとでも殺気を漏らしたら先にアタシの頭が吹き飛ぶんだ。別に聖女サマとかはどうでもいいが、クセってのは抜けないからね」
「……」
「この黒いバッジ……付けてると魔女に嘘がバレなくなるって触れ込みだけど、まあ、一応効果があるってことでいいんだろうさ。何事も無かったんだからね」
「…………」
「知ってる支族かは分からない……?はっ、ンなワケあるまいさ、お互いよ~く知った仲だ」
「だろ、ウロ?」
「……愚痴なんか聞かねえぞ、なぁ」
倉庫の片隅、布をかけて隠されたボロボロの檻の中にいた獣人。
ウロ、あるいはウロシオ。
勇者事件の裏でケイシアを倒し、聖女を攫い、奪還されて逃げ出した、その人である。




