八十一話-未来への展望
トオルは選考の野暮用で、事務所に入ろうとした。普段倉庫に使われている部屋だからか、建て付けが甘く扉が閉まっていなかった。
なんとなく、ノックをする前にトオルは隙間から部屋の中を窺う。
壁一面の棚と長机、真昼の強い光が差す中で、白昼堂々とイセラがラウに抱き着いていた。壁に押し当てるような形で力強いやつだ。
彼女は鼻を鳴らしながら、顔を擦りつけるように動かす。
「ラウはほんとにいい匂いがするよ」
イセラはそう言うと黙って、ラウの首筋、うなじに口づけをした。そのまま右手でラウの髪を引っ張り、反った首筋に左手で触れ、上から下へと撫でる。
流れるような攻めに、お見事とトオルは拍手を送りたくなった。美しい少女の触れ合いは神聖なもののように思えて、ただただ目が奪われる。ここに何をしに来たのかさえ、今のトオルの意識にはない。これからどうなるのかだけが気になる。
瞳にのみ集中していたから、トオルはラウと目が合った事にすぐ気づいた。
「あっ」
ラウは声を上げると、すぐに立ち上がって乱れた衣服を整え、髪を乱して顔を隠した。
「間が悪い」
対照的にイセラは悪びれた様子もなく、恥ずかしげもない。どこかボーイッシュぽさがあって、ネメスではあまりいないタイプだとトオルは思った。
こうも堂々とされると、トオルも底意地が悪いから突いてみたくなる。
「イセラがリードなんですね」
「火がつくまではね」
「もう」
「仕事はしとくよ、ラウ。恋人の姿は自分だけが見たいから」
イセラの言う様に、ラウの頬は火照っていたし、衣類の乱れもまだまだ直っていなかった。
その自覚はあったのだろう。ラウは頷くと、部屋から出て行った。
「それで何の用かな?」
イセラに言われ、トオルは用事を思い出す。パルレと採寸などをしたあの日から、さらにもう二日も使ってドレスを決めた。
ドレスの費用は学園から出るため、委員会に見積書の提出が必要だったのである。
トオルが見積書を提出すると、イセラは頭を抑えた。
「悪いね、これは二人のハンコが必要なんだ。ラウを待っている間、話そうじゃないか。そういえば、私たちを見ていたのに落ち着いているね。もしかして男性で慣れいるとか?」
「いいえ」
「そう、恥ずかしがらずとも」
男性と交わう。ネメスでは男性の尊厳はないに等しい。そんなモノと、と嫌悪せず大抵割り切り楽しむ。同性は夢のまた夢、憧れでしかない。子を残すためには普通の事と、ネメスの人々は考えていた。
トオルもその感覚は理解できる。日本でも誰だって理想の相手はいるが、その相手でなければならないというのは少数派だ。理想と現実、現実は現実なりの楽しみもある。
「まだ処女ですよ」
「その態度は本当に違うみたいだな」
悪かった、と言葉で詫びてからイセラは笑う。
「私もないがね。女体が昔から好きなんだ。だから、運がよかったよ。資格を得られるなんて、思いもしなかった。長女で家督を継ぐ子がいる以上、相手が必要だったからいつかは、と諦めはしていた。いや、親不孝とわかっていても、そうしなかったかもな。とにかく、資格なんてとは思っていたよ。武功を立てられるような加護も技量もないし、頭も良くはなかったし」
イセラは自分の顔に指先で柔らかく触れた。
「まさか神様の加護よりも、顔の良さに助けられるなんてね。人生わからないもんだ」
「顔の良さなんて、ハッキリ言いますね」
「君もわかるだろ。優遇されてきた。明らかに他者の反応がいい。変なトラブルもあるがね。そこそこの家柄と顔、このセットは強力だよ。目、鼻、口、輪郭、その大きさどころか、配置だけで変わる厳しい世界でもあるけど」
リーリエと違って、イセラは自分の顔の良さを理解している。
トオルと似ているのかもしれない。加護や家柄ではなく、容姿で力を得た。トオルも少し興味が湧いて質問する事にした。
「資格を得て変わりました?」
「私は一人目の彼女がラウなんだ。資格を得る前から好きだったし、変化はあまりない。成り上りたいとかもなかったからね。好きな相手と一緒に居られればいい。その反応、恋とかしたことないだろ?」
トオルは特別な反応をしたつもりはなかったが、その通りだ。でも何故かは答えられない。相手を可愛いと思う事はあっても、それが恋と言えるほどのものとは思えなかった。前世でも今世でも、強い情を抱いた事はなかった。
「良い悪いの話じゃない。勘、だよ。でも、恋は悪い物じゃないぜ。胸に刺さるのは痛いし、強烈だけど、幸せでもある。そんな経験、掴みどころのない君には難しいかもな」
「自分が掴みどころがない? リーリエじゃなくて?」
「あいつもボヤボヤしているが、無垢で頑固でわかりやすい。あまりに心が清いだけだ。時々、信じられなくなるが。こんな奴がいるのかと思うぐらい清いがね」
イセラはトオルをじっと見た。
「それに引き換え、君はわからない。少なくとも家柄でここにいるわけじゃないのに、ガツガツしてない。従者になった時も、剣術大会を辞退した時も、天使選考も選ばれて嬉しさがない。そんなやつ、リーリエぐらいかと思ったが、もう一人いるとは。でも、リーリエとは違う。あいつは本当に興味がないだけで、君はまた違うだろう? なあ、選考に通ったらどうしたい?」
トオルは頭が回らなかった。
美を多くに認められる。純粋に何がしたいんだ?
これからのビジョンもない。身の安寧だけと、確かに異常だ。漠然としたビジョンも夢もない。前世ではあった。ありとあらゆる欲。よくわからない回り道のせいか?
両性具有で、スラム出身。迫害の対象でしかなく、後ろ盾もない。おまけに加護もない。得ている原因もわからないキスによる蕩かしで上がった好感度を利用し、何人かを篭絡して寄生している。ただ、安心して生きるというスタートラインを得たいだけ。そう、その後など考えつかない。
疑問に埋め尽くされ、止まってしまう前に、トオルは質問を質問で返す事で時間を稼ぐ。
「貴方にはあったんですか?」
「あったさ、ラウが好きだったからね。でも、資格を得ても、好きになってくれるかはわからないから不安もあった。今も、これでいいのかと思うよ。他人である以上、真の正解は無理だろ。ラウに私でよかったかと思うときもある。やるしかない。選び選ばれた。悩んでも仕方ないだろう」
トオルは確信した。イセラと近しい所はあっても、似てはいない。
彼女は望みも、それをどう扱うかもハッキリしている。
未来への展望。漠然としたものすら無いことにトオルは自分自分のことながら驚くしかなかった。
そんな状況下でも、ラウが戻ってくるまでイセラとの会話をどうにかやり過ごしたのだった。




