五話
続きです。
穏やかな日差しが大地に降り注いでいる。
輝ける太陽が見下ろす地上には村々が点在している。そこでは人々が日々の営みを過ごしており、穏やかな雰囲気が流れていた。
村の傍には小麦畑があって、ひしめく豊穣の黄金色は今年も豊作であったことを表していた。
そんな平和な風景を破る物々しい音が唐突に響き渡った。大地を揺らすのは無数の馬蹄と大勢の兵士だ。
総勢七万もの大軍勢が東へと進軍している光景である。これほどの数の武装した集団が近くを通過しようものなら村人たちも怯えてしまうのが常であるが、今回に限ってはそのようなことはなかった。
理由は風にはためく紋章旗にあった。掲げる紋章旗は二つ。一つは白地に天秤が描かれたエルミナ王国の国旗だ。しかしこれはエルミナ王国に属する軍勢なら誰でも掲げられるため、内乱が発生している現在ではあまり信用されない。
では、何故村人たちは平然としているのか。その訳は国旗の隣で揺らめくもう一つの旗にあった。
――白地に百合の花が描かれた紋章旗。
この旗を掲げることのできる軍勢――騎士団はエルミナ広しといえどもたった一団だけしか存在しない。
その名は〝水簾騎士団〟。大将軍しか指揮権が持てないエルミナ四大騎士団の一つであり、軽装歩兵中心で構成されているのが特徴だ。
当代の指揮官の名はエレノア・ド・ティエラ。王国が誇る〝四騎士〟の一人であり、〝潔癖〟の異名を持つ女傑である。
彼女はしばしば騎士の鏡とも評される人柄を持つ者であり、その高名はエルミナ全土に知れ渡っている。
エレノアが指揮する軍勢ではこれまでたった一度も軍規違反が起きていないというのは有名な話だ。それは彼女の指揮能力の高さや高潔さを物語っている。
そのような事情からエレノアが指揮官だとわかった村人たちはむしろ安堵の息をついて騎士たちを見つめているのだった。
『まもなく西域東部へと入ります、エレノア大将軍』
「そうか、報告ありがとう」
馬を寄せてきた部下に短く返答するのは金髪碧眼の女性――エレノア大将軍だ。
鎧姿の彼女は兜だけ身に纏っておらず、その凛々しくも美しい素顔は外気に晒されている。これはエルミナ王国の騎士にありがちなことなのだが、弓矢や魔法を恐れないという自信を持つ者や武勇に優れたる者、または敢えて素顔を晒すことで味方の士気を上げる目的のために兜をつけないという者がそうしている。
エレノアは後者であり、大将軍たる者としての自負がそうさせていた。
そんな彼女は出立前には所持していなかった剣の柄に触れて嘆息した。
(必要ないと申し上げたのだけれどね……)
腰に吊るしてある剣は〝魔剣〟と呼ばれる武器の一振りである。〝魔石〟と呼ばれる魔力が凝縮された特殊な鉱石の欠片を用いて生み出された剣であり、大きな特徴としては無詠唱で魔法が使えるという点が挙げられる。もっとも、それは万能ではなく、一振りにつき一種類の魔法しか宿せないということや、製造方法が特殊すぎて貴重かつ高価であるという欠点も存在していた。
しかし無詠唱で魔法が使えるというのはそれら欠点を補って余りあるもので、多くの貴族諸侯や騎士が求めてやまない逸品といえよう。
されど、エレノアはこれまで魔剣を使ってこなかった。その役職や抱える財産があれば楽に手に入れられるにも関わらずにだ。
それは何故かというと、
(強大な力に頼りすぎるのは危険なのよ)
彼女がそう言った不安や危機感を抱いているからであった。
確かにエレノアの言うことも尤もな話であるのは歴史が証明している。
今よりおよそ二百年前までこの世界には〝神器〟や〝魔器〟といった超常の武器、武具が存在していた。
しかしそれらは二百年前の〝解放戦争〟が終結した後にほとんどが自壊してしまった。その際にそれら超常に頼ることで権勢を誇っていた者たちは軒並み下克上されるか、もしくは第二代〝人帝〟によって征伐されてしまっている。
そういった過去を踏まえた考えを持つエレノアとしてはいつ壊れるかもわからない武器に頼りたくはなかったのだ。
けれども――、
『今回、あなたが相手をする敵は〝勇者〟と呼ばれる存在。情報によればその全員が固有魔法を所持しているとのことよ。そういった尋常ならざる存在を相手にするのであればこの魔剣が必要になってくるはずだわ』
このように主であるアレクシア第一王女に言われてしまえば断れるはずもなかった。故にエレノアは渋々受け取ったわけだが、出立して二日目にはもう気持ちを切り替えており、使える物は何でも使おうと行軍の合間に鍛錬を積んでいた。
その結果〝魔剣〟を使いこなせるようになったエレノアだったが、周囲の騎士たちは揃って驚嘆したものだ。
『流石はエレノア大将軍、もう使いこなしておられるとは……』
『我らが〝潔癖〟だぞ、むしろ当然だろう』
といった風にだ。
これにはきちんとした理由がある。魔剣という武器はその希少性もさることながら、扱いづらさもまた有名であった。
通常、魔法というものは自己の体内にある魔力と、世界に漂う魔力――この二つに働きかけ、更に発現させたい現象を強く想像することで発動する。
しかし魔剣というものは自己の体内にある魔力を直接剣に流し込むことで起動する。一見すると魔法よりも発動難易度が低いように感じられるが、実際には逆である。
何故なら魔剣という代物は繊細であり、ただ雑に魔力を流し込めば良いというものではないからだ。
耐久度を上回る量の魔力を流し込んでしまうと宿している魔法が暴発したり、最悪自壊してしまう。その逆に流し込む魔力の量が少なすぎれば今度は魔法が発動せず、単なる剣と変わりない存在へと堕してしまうのだ。
この調整が酷く難しいのだ。慣れるには平均して三年はかかる。
入手難易度の高さ、手に入れてから慣れるまでの期間の長さ――こういった事情があるから魔剣は裕福かつ余裕のある者しか手に入れられない、あるいは手に入れたとしても持て余してしまうのだ。
だというのにエレノアはたった数日間で扱いこなして見せた。故に誰もが驚き、畏敬の念を抱いたのだ。
しかも当の本人はその事実を殊更に自慢したりなどせず、何時もの平然とした態度を崩さないのだから部下たちからの評価は上がる一方だった。
部下たちからそのような評価を受けていることなど知らないエレノアは手綱を握ったまま天を仰いだ。雲一つない蒼穹では鳥たちや翼龍などが思うが儘に飛んでいる。普通の光景にも思えるが、かつてはそれさえ許されなかった時代があるというのだから驚きだ。
(〝天の王〟――〝黒天王〟が居た時代、か)
千二百年よりも昔、空は一匹の黒龍と一柱の〝王〟によって支配されていたという。眷属である黒龍は咆哮一つで木々をなぎ倒し、その吐息は街一つを容易く滅ぼした。その背で哄笑する黒き〝王〟は腕の一振りだけで天地を割り、世界に死と絶望を振りまいたといわれている。その〝王〟の怒りを買った大国はたった一晩で滅ぼされ、王都の跡地には巣が作られた。
最強にして最恐――圧倒的な武力を前に誰もが屈するしかなく、故に誰もが怒りを買うことを恐れて巣に近づくことはなかった。
触らぬ神に祟りなし――けれども度々黒き〝王〟は巣から出て天空を駆け、地上に災厄を齎した。そんな〝王〟はいつしか〝天の王〟と呼ばれ、時代が進むと〝黒天王〟と呼ばれ恐れられるようになる。
まさに絶望の時代――だが、ある時を境に〝黒天王〟は姿を消し、空は黒から解放されたと伝承では伝えられている。
黒き〝王〟は一人の〝英雄〟の前に敗れ去ったのだ。
(そしてその〝英雄〟とやらが――初代〝勇者〟だという)
ノクト・レン・シュバルツ・フォン・アインス――世界を救った〝英雄〟であり、その功績を称えられて隣国では〝軍神〟として神格化されている。
その〝英雄〟は――〝白黒乃書〟という書物の中でこう書かれている。
――〝異世界〟より召喚されし始まりの〝勇者〟。起源にして終焉の者。
もし伝承が真実であるのならば、オーギュスト第一王子陣営が召喚したという〝勇者〟もまた同様の〝力〟を有している可能性がある。
その可能性をエレノアは憂慮していた。
(もし本当にそのような〝力〟があるのなら、私では勝てないかもしれない)
同僚であるクロード大将軍のように固有魔法を持つわけでもなければ、クラウス大将軍のように〝神剣〟に選ばれたわけでもない。そのような非才なる身では〝勇者〟という存在は手に余るのではないか。
〝魔剣〟を与えられたからといって他の大将軍たちに勝てるとはエレノア自身思っていない。何も持たないエレノアが大将軍になれたのは血のにじむような努力と――幸運に恵まれたからに過ぎない。
「アンネ……あなたならこんな時どうしたのだろうか」
同期――かつて同じ道を歩んでいた友人を思い出したエレノアは呟いた。その声からは何時もの覇気が感じられない。
それも当然で、これから戦う敵軍の中にその友人の姿があると報告を受けていたからだ。
「私は……」
内乱とはこういうことだ。仲間を、家族を、友を――敵として殺すことになる。
分かってはいた。けれども実感がわかなかった。
手元に視線を落としたエレノアは深いため息をつく。
前方の空は厚い雲で覆われていた。




