四話
続きです。
同じく〝勇者〟の二人――江守明日香と一瀬勇を擁する軍勢五万もまた西方との境にある砦で待機していた。
「――ふむ、ではダヴー将軍がルイ第二王子の陣営に下ったという情報は事実だと?」
エルミナ南域北西部に位置するベルンシュタイン砦、その指令室でモーリス将軍の重々しい声が発せられた。態度こそ平静さを窺わせるが、その声音には嘆きと驚愕が含まれている。
『は、そのようです。ダヴー将軍の麾下、十万の軍勢もまた同様に北方へ与したと』
進行役の武官の言葉に、居並ぶ幕僚たちは揃って顔を見合わせる。誰もがまさかと言いたげな表情を浮かべていた。
『よもやあのダヴー将軍が裏切ろうなどとは……』
『それよりも十万の軍勢が反旗を翻したということの方が問題であろう。今の中央にはまともな戦力など残されてはいないのだぞ』
元々中央――オーギュスト第一王子が集めた戦力の総数は二十万。その内十万は此度の西方征伐に赴いており、残る十万はダヴー将軍に指揮権を与えて北方への防備として中央に残していた。
後者が軒並み寝返ったのだとすれば、王都を守る兵力が存在しないことになる。一応、現在の王都には三つの騎士団が駐留しているが、そのいずれにもオーギュスト第一王子は指揮権を有していない。三つの騎士団――計三万もの大軍ではあるが、ルイ第二王子側が略奪などを行わなければ動かないのだ。彼らに対する命令権を持つのは国王のみであり、騎士団長が国王から直々に勅命を賜らない限りは決して動くことはない。
そういった背景を思い出した幕僚たちは顔を青ざめさせる。歴戦の猛将であるモーリス将軍ですら険しい表情だった。
しかし直後、進行役の武官が発した言葉で和らいだ。
『同時にもう一つ、報告が上がっています。東方にてシャルロット第三王女を御旗とする軍勢が決起。中央を経由して北へ向かっているとのこと。おそらくですがルイ第二王子を迎え撃つのではないかと思われます』
「……兵力はどれほどなのか」
『およそ十万、ですがシャルロット第三王女の陣営にはクロード大将軍が加わっているとのことで、加えて新たな〝王の盾〟となった人物もいるとのこと。そのことから単純に兵数に差があるからと決めつけるのは早計でしょう』
これには先ほどのダヴー将軍の時よりも大きなざわめきが起こった。
『あの〝王の剣〟が……!?よもやそのようなことがあろうとは……』
『ダヴー将軍よりもあり得ないぞ。クロード大将軍の忠義の厚さは筋金入りだ』
『……いや、この場合裏切ったということにはならん』
と、一人の老将が深みのある声音で言えば、若輩の幕僚が怪訝そうに尋ねる。
『何故でしょうか。クロード大将軍は元々こちら側に属していたはずですが?』
『それは違う。ダヴー将軍と違ってクロード大将軍は一度もオーギュスト第一王子を支持するとは言っておらん。彼の忠誠心は常に国王陛下にのみ捧げられておるからの』
『……つまりそもそもクロード大将軍は我々の陣営には加わっていなかったということですか』
そうじゃ、と返す老将は嘆息する。若者に対するものではなく、仕える主に対してだった。
これまでオーギュスト第一王子の命令をクロード大将軍が聞いていた――ように勘違いするのも無理はないことであった。実際、オーギュスト第一王子やアルベール大臣から口頭で命じられたとおりにクロード大将軍はこれまで動いていたからだ。
けれども実際の事情は違う。実際には彼らは病床にある国王の命令と言ってクロード大将軍を動かしていたのだ。国王の命令となれば忠誠を誓うクロード大将軍は動かざるを得ない。真偽を確かめようにも容体が悪化しかねないために面会謝絶となれば彼とて引き下がらざるを得ない。それを利用した卑劣な策だったのだ。
ともあれ――、
「いずれにせよ、我らには時間が残されたということだ。僅かではあるが、それでもあるだけマシというもの。早期にアレクシア第一王女との決着をつけ、中央へと戻る。これしかあるまい」
どのみちこのまま引き返すわけにもいかない。そのような愚行を犯せば前後に敵を作ることになりかねないからだ。そうなってしまえばいくら勇者が居ようとも勝機などありはしない。
そのようにモーリス将軍が話をまとめれば、反論など出ようはずもない。議題は次へと移りゆく。
『――では、続いて西方に関してです。アレクシア第一王女率いる十五万の軍勢はこちらの思惑通り二手に分かれて進軍中とのことです。中央へはエレノア大将軍率いる七万が、こちらにはアレクシア第一王女自ら率いる八万が向かってきています』
八万という数に幕僚たちは悩ましげな表情を浮かべる。それも無理のないことで、こちらは五万しかいないのだ。
数で劣っている、地の利も向こうにある――となれば、自然と士気も下がろうもの。
故に軍を預かるモーリス将軍は不安などないといった様子で声を高めた。
「確かに八万という数は我々よりも多い。しかし、だ。かのエレノア大将軍はおらず、対してこちらには一騎当千の勇者が二人もおる。しかもその内の一人は勇者筆頭であり、神剣に選ばれし者だ。天命は我らにこそある!」
そう言い切ったモーリスは横目で隣に座していた少年――一瀬勇に合図を送れば、彼は緊張した面持ちで立ち上がった。
「び、微力ながら僕たちも精一杯頑張らせて頂きます!ですので、どうかよろしくお願いします!明日香も――っておい、明日香っ!」
「う、ううん……?なぁに、勇くん?」
軍議中うつらうつらとしていたのは知っていたが、まさか本当に寝ていたとは……と戦慄しながらも勇が慌てて起こせば、少女――江守明日香は初めはぼんやりとした様子だったが、おかれた状況を悟るとビシッと姿勢を正した。
「――はいっ!不肖、江守明日香、頑張らせて頂きますっ!」
「明日香…………」
寝ぼけまなこ、かつ頬を赤らめた状態ではとても言葉など決まるはずもなく。
幕僚たちからは苦笑と呆れを以って受け入れられたのだった。
*
時刻は十八時。他の季節であったのなら既に世界は夜に支配されていただろう。
けれども熱気満ちる夏が迫る今日においては未だ太陽はその残滓で世界を紅く照らしていた。
「うぅ……酷いよ、勇くん!前もって起こしてくれてもいいじゃん」
茜色に染まる天空の下、ベルンシュタイン砦の胸壁に少女の非難が生まれた。
夕日が照らす明るい色合いの髪を揺らして、私は不満ですよと言わんばかりに頬を膨らませている。
「自業自得だよ、明日香。あんな緊張する場所で呑気に眠るキミがいけないんだ」
非難を向けられた勇は心外だと言わんばかりに肩をすくめて見せるが、少女――明日香は納得がいかないのかジーっと勇を見つめて。
「えいっ!そんな冷たいこと言う子はおしおきだ!」
「なっ……あ、明日香何を――っ!?」
いきなり明日香は勇に抱き着くと両手をわきわきと蠢かした。勇が身体の側面をくすぐる攻撃に対して免疫を持たないことは長い付き合いからわかっている。それ故の行動、己が不満を冗談を交えて発散しようという明日香の思惑であった。
されど、何の心構えもなく明日香に密着された勇は混乱と動揺に襲われていた。
正面から抱き着かれたことで身体同士が接触し、二つのふくらみを感じる。鼻孔に侵入してくるのは甘い香りだ。それらが齎す情動に耐えようと踏ん張っても、今度は己が弱点の一つであるくすぐり攻撃によって生じる耐えがたい衝撃が勇を激しく揺さぶった。
「くっ……ちょ、ちょっと明日香!やめろってば!」
「へへー、良いではないか~」
まるでどこぞの酔っぱらいの如き台詞である。とてもうら若き乙女が発するものではない。
静止の言葉を述べても止まらない明日香に思わず勇は肩を掴もうとして――硬直した。
何故なら、笑っていたはずの明日香の肩が震えていたからである。
「明日香……どうかしたのかい?」
と、勇が尋ねれば、明日香はピタリと動きを止めた。それでも身体を離すことはなく口だけを開く。
「勇くんは……勝手にいなくなっちゃダメだからね」
息が止まった。彼女が何を――誰を指して言っているのかを悟ったからである。
黙り込む勇の身体を明日香は強く抱きしめる。離れないで、居なくならないでといわんばかりに。
「もう、イヤなんだ。大切な人がいなくなるのも、それを止められない私自身の弱さも」
勇は明日香のことを強い人間だと認識していた。異世界に飛ばされた時も笑みを絶やさず、友人であった夜光が死んだ時も泣かずに陽和を支え続け、盗賊に襲われた時に躊躇わずに殺生をした――そんな彼女のことを。
弱く愚かな自分とは違うのだと、嫉妬と羨望の眼差しを勝手に向けていた。でも違ったのだ。彼女もまた一人の人間で、自分と同じ年齢の少女なのだ。
「……分かっていたはずなんだけどな」
勇は自嘲を口の中で呟くと、明日香を抱きしめ返そうと両腕を広げて――ゆっくりと下ろした。もはやそのような資格は自分にはないのだと知っていたからだ。
だから、代わりに言葉を返すことにした。
「きっと大丈夫だよ。キミも僕も、新も陽和さんも一人じゃない。仲間がいて、頼れる人たちが傍に居る。だからきっと……」
「……うん…………」
これから始まるのは正真正銘の戦――人同士による命の奪い合いである。殺伐の世界では人一人の命など容易く散る。それが自分たちでないなどと一体誰が保証できようか。
けれども勇にはそんな月並みな言葉以外、返す言葉を持たなかった。命をかけて守る――そう誓う相手は他にいる。しかし、だからといって友人を見捨てる気はなかった。
(見捨てる気はない、か。嘘ばっかりだな、僕は……)
既に夜光を見殺し――否、ある意味直接殺したのだ。そのような人間ではこれ以上かけれる言葉は持ちえなかった。
夕日が沈みゆく。寂しげな気配は失せて、代わりに入り込んでくるのは、古来より人々から恐れを抱かれる夜の闇だった。




