十二話
続きです。
神聖歴千二百年六月三十日。
エルミナ王国北域南東部ブルマス砦。
この砦の歴史は比較的浅く、およそ五十年前に建てられたばかりである。
北に位置するギャルテニアの街と南に位置するジャサントの街の中間にあり、両街を繋ぐ道の治安維持を目的としている。その為、規模はそこまで大きなものではない。城壁は梯子をかけられたら簡単に登ってこられるほど低く、扉は攻城兵器を使われたらあっという間に突破されてしまうほど脆弱だ。
「まあ、治安維持が目的なのだからそれも仕方のないことなんだろうけどね」
ブルマス砦の城壁、その上から下界を見下ろすルイ第二王子が呟いた。
湿った風が頬を撫で銀髪を揺らす。ルイが煩わし気に手で払えば、魔力が迸って風を吹き散らした。
そんな彼の元へ側近がやってくる。側近はルイの傍まで寄ってくると口を開いた。
『ルイ殿下、先ほど最後の兵が到着しました』
「そうか……どれほど集まった?」
『一万五千ほどです』
「ふぅん……まあ、それくらいが妥当ってところか」
北方の戦力の大半は遠征軍として南へ向かっており、ギャルテニアから北の戦力は本拠地であるラヴィーネ防衛に回している。それらを考慮すればむしろよく一万五千も集められたものだなとルイは感心すら覚えていた。
「ところで南の戦況は相変わらずなのかい?」
『は、敵の策によって中々前進できておらず、依然としてベルデ平原を突破できていないとのことです』
遠征軍が足止めを喰らっているという報告は先日ルイの元に届けられていた。その理由を聞いた時感心半分呆れ半分の心境を抱いたのは記憶に新しい。
(テオドールの作戦は見事というほかない。まさか総司令官であるシャルを囮に使うなんて大胆にもほどがあるし、それだけの餌を吊るされれば引っかかってしまったのも無理はないだろう)
とはいえその後の対応が不味かった。あろうことかダヴー将軍に疑いの眼を向けるなどとは。
(でもそれはボクにも責任があることだ)
遠征軍は一枚岩ではない。北方軍の中ですら貴族諸侯による権力闘争が起きているというのに、そこに中央軍を参加させて上手くいく方がそもそもおかしな話なのだ。
そんな様々な思惑を持った者たちが、それでも集まって共に轡を並べたのはルイという旗頭がいたからである。
(第二王子という肩書があるからこそ人はついてくる。……ボクが本軍を離れたのは間違いだったかな)
ルイとしては中央に入るまで彼らの間で諍いが起きなかった為に自分が離れても問題ないだろうと考えたのだが……どうやらその考えを改めざるを得ないようだった。
ルイは深々と嘆息すると懐から一枚の書状を取り出して側近に手渡した。
『これは……?』
「ボクからヨハン宛の手紙さ。これにはボクからの指示が書かれている。早馬を出して届けてほしい」
『畏まりました。すぐに届けてまいります』
と言って走り去っていく側近から眼をそらすと、再び地上に向き直る。
(本当なら今すぐにでも戻りたいところだけど)
ルイが本軍に戻れば現状起きている想定外のほとんどは解決することだろう。それだけの〝力〟は持っているつもりだった。
けれどもそれはできない。北のギャルテニアの街を制圧したクロード大将軍率いる光風騎士団の存在があるからだ。
(ギャルテニアの街を制圧したって報告から数日……まったく続報が届かないのは不気味だな)
ルイにギャルテニア陥落の報を伝えてきた密偵は既に街へと戻っているはずだ。なのに追加の報告が届かないというのは奇妙と言える。
(あるいは見つかって捕らえられたか殺されたか……)
どちらにせよ報告が届かないというのは危険だ。敵が今どこで、何をしているのかを把握できなれば待っているのは敗北の二文字である。
(一応さらに密偵を送り込んではみたけど……)
何の連絡もないのを見るにあまり期待はできないだろう。
(撃って出るか。どのみちこの砦は籠城には不向きすぎる)
一千程度しか収容できないほど小さな砦なのだ。そこに一万五千もの兵を置いておく利点はほとんどない。
「参ったな……」
本来なら今頃王都を包囲、もしくは陥落させているはずだった。その予定が狂ったのはシャルロット第三王女を御旗とした東方軍が参戦してきたからであり、つけ加えるならクロード大将軍が彼女の軍門に下ったせいでもある。
「これ以上時間をかけるのは危険すぎる。やはりこちらから行くしかないかな」
現在、敵対しているオーギュスト第一王子の主力は西方に出張っている。その西方ではアレクシア第一王女率いる西方軍が迎撃に赴いているのだが、最新の報告では戦況は五分五分といった様子であった。
しかしその拮抗もいつまでもつことやら、ルイは疑問視していた。
(異世界から召喚したという〝勇者〟という存在、アレの出方次第では戦況は容易にひっくりかえせるだろう)
ルイも最近になって知ったことなのだが、オーギュスト第一王子とアルベール大臣が禁忌を破って異世界から勇者と呼ばれる存在を召喚したらしい。
彼らは一人一人が一騎当千の力――固有魔法を所持しているという。おまけに王城で保管されていた神剣をも所持しているという噂であり、もしこれが本当ならば厄介どころの話ではない。
(……ボクでも勝てるかどうか、一人だけだったなら問題なかったんだけど)
勇者は四人もいるという。彼らを適切に使えば西方での戦いは近いうちに終わることだろう。そうなる前に王都を陥落させなければ、いくらこちらが大戦力を有しているといえども危険だ。
この世界において圧倒的な力を持つ個人という存在は、時として数の暴力を粉砕する。
その代表例が〝王〟と呼ばれる神々や、神剣所持者たちなのである。
(ボクも〝力〟は手に入れたけど……)
天に手を届かせる為に力を欲した。禁忌を犯し、人であることを捨ててまでここまできた。
それでも、上には上がいる。世界は広く、強大な力を持つ存在はまだまだたくさんいることだろう。
「だけど――それでもボクは……」
小さく呟いたルイは顔を上げて地平線を見やる。
覚悟を秘めた銀眼に映りこんだのは天を覆い始めた黒雲の大群であった。
*****
同時刻――ギャルテニアの街、その南門に夜光たちはいた。
「いよいよか……」
騎士たちが出立を前に動き回る中で、夜光の呟きが漏れる。
白髪黒眼――その隻眼の下にはくまが出来ていた。ギャルテニアに来てからこの方、ずっと悪夢にうなされているためだった。
ふわ、と欠伸をする夜光に声をかける者がいた。クロード大将軍である。
「眠そうだな。きちんと睡眠を取っていなかったのか?」
「……クロードか。いや、どうにも寝つきが悪くてな」
「ふむ……急に気候が寒冷な場所に来たからかもしれぬな」
「かもね……」
悪夢の内容が内容なだけにこれ以上深く聞かれるのを嫌った夜光はそれよりも、と話題を変える。
「やっと確かな情報が届いた。これで動ける」
夜光たちが何故ギャルテニアに数日滞在したのか。その理由はこちらが仕掛けた策が上手くいったかを確かめるためであった。
敵の密偵にこちらが北方の本拠地ラヴィーネに向かうという偽の情報を流すことで戦力を分散しようとしたわけだが、昨日ようやくその作戦が成功したという報告を受けたのだ。
「ああ、中部から北部にかけての敵の戦力はすべてラヴィーネに向かっているとのことだ。ヤコウの策が上手くいったということだな」
「よせよ、俺はクロードやテオドールさんから教わったことを応用したに過ぎない。それにたとえ俺が考え付かなかったとしてもクロードなら思いついていただろうさ」
先輩であるクロードに褒められた夜光が照れ隠しにそう言えば、クロードは「それでもヤコウの功績だ」と言ってくる。
むずかゆくなった夜光は眼帯を撫でながら口を開く。
「それで……南の方はどうなってるんだっけか」
「東方軍はベルデ平原にて敵主力を釘付けにすることに成功したらしい。ルイ第二王子の姿はそこから北のブルマス砦で目撃されている」
「そっか……なら今のところは想定の範囲内ってわけだ」
「だが、問題もある。ルイ第二王子の元に集った戦力はこちらの予想を上回る数だと密偵から報告が上がってきているのだ」
「どれくらい?」
「一万五千ほどだという」
「……まじかよ」
それは完全に想定外だ。北方の戦力のほとんどは遠征軍として出張っている。だから残った兵力など治安維持をするだけの最低限度の数だけだと思っていた。
「まだそんなに残っていたとはな……」
「某も驚いている。だが、本軍よりかは戦力差は少ない。五千であれば戦術次第でなんとかなろう」
「そりゃあ本軍なんて二十万もの差があるし……確かに五千だったらやり方次第で倒せるだろうけど」
こちらはエルミナ王国において精鋭中の精鋭と評される四大騎士団の一つ、光風騎士団であるし、何より神器〝王剣〟の所持者であるクロードがいる。
全力を出した彼ならば文字通り一騎当千の武力を発揮することだろう。ならばやり方次第で戦力差を埋めることだってできるだろう。
と、ここでふと気になっていたことを思い出した夜光が白い息を吐く。
「そういえば、敵が本軍から分離してくるだろうとは思ってたけど、まさか総司令官本人が出張ってくるとは思わなかったよな」
「……それは某も疑問に思っていたところだ。ダヴー将軍やヨハン殿を差し向けてくるならまだしも、ルイ第二王子自身がやってくるとは思いもよらなかった」
報告を受けてからこの方ずっと考えていたことだ。何故、わざわざ総司令官たるルイ第二王子がやってきたのか。総司令官が討たれる危険性を考慮すれば分厚い壁に囲まれた本軍にいた方がいいに決まっているというのに。
(こちらを軽視しているのか、あるいはその逆か)
前者ならばこちらにとっては有利となりえる。戦において慢心は隙を生んでくれるからだ。
しかしもしも後者ならば――それは厄介かもしれないと夜光は考えている。
(こちらを危険視して、それを踏まえた上で出撃してきたのだとすればルイ第二王子は自身の武によっぽど自信があるってことになる)
ルイ第二王子自身の戦闘力や軍略は不明だ。これまで北方に篭りきりでほとんど表舞台に出てこなかったためである。身体の線が細く、中性的な容姿をしている彼のことを大多数の人は武官ではなく文官が似合うという感想を抱いている。
だが、能ある鷹は爪を隠すともいう。もしもルイ第二王子がずっと実力を隠したきたのだとすれば――、
(危険だな。実際に会ってみるまでは警戒を緩めないほうがいいか)
戦ってみてそれほどでもないのなら別に問題ない。しかし可能性が零ではない以上、警戒は怠らないほうがいいだろう。
(警戒するに越したことはないし、もし大丈夫そうだったら取り越し苦労ですむ)
油断はできない。こちらが失敗して敗走すれば主力――シャルロットたちに危険が及ぶ。それはなんとしても避けなければいけない事態だ。
夜光は考えをまとめると軍馬に騎乗した。
「とにかく油断はしないでいこう。確実にルイ第二王子を倒すんだ。そうすれば北方軍に降伏を促すことだってできるんだからな」
ルイ第二王子が出張ってきたことで生まれた最大の利点は、彼を捕らえるなりすれば戦わずして北方軍を撃退できるかもしれないということだ。旗頭を失った状態で戦闘を継続できるほど彼らの間に絆はないと思われる。総司令官たるルイ第二王子がいない状況になれば降伏してくれる可能性が高いと夜光たちは踏んでいた。
(今後のことを考えればそれが一番好ましい展開だからな)
この後に控えているオーギュスト第一王子陣営との戦いのことを考えれば、なるべくここで戦力を温存しておきたい。勇者という大戦力を保有している彼らとの戦いはきっと熾烈なものになるだろうという予感があるからだ。
(勇……お前に会うのが楽しみだよ)
ずっと心が求めている。このところ渇望は収まることを知らないのか、どんどん強まってきていた。
「皆、準備はいいな?……では出発だ!」
クロードの号令を聞きながら夜光は遥か南の空に眼を向ける。
荒々しい光を宿す隻眼に移りこんだのは天を覆う分厚い雲だった。




