九話
続きです。
その日の夜。
夜光はエルミナ北方の都市の一つであるギャルテニアにいた。
『ほ、報告はちゃんと行った。今頃はルイ第二王子の元に届けられていることだろう』
「そうか……」
『言われたことはやった。だ、だから――ッ!?』
ゴトリ――という音色を奏でて一人の男の頭が床に転がった。吹き上がる鮮血を避けながら室内を見渡せば、今しがた死んだ男以外にも複数人の死体が倒れているのが見える。
「……用済みだ」
知人が見たら驚愕するであろうほど冷淡な表情で呟いた夜光はこの場から立ち去ろうと扉へ向かう。道中、窓に映りこんだ蝋燭の火に照らされた己が顔を見て舌打ちをする。視線を彷徨わせ鏡台を見つけるとその引き出しを漁って布を取り出し頬を拭う。赤く染まったそれを捨て去って今度こそ外へと出た。
「もう夜か……」
二日前、夜光の提案によりクロード大将軍率いる光風騎士団はギャルテニアの街を訪れ開門を迫った。
常ならば敵対勢力である夜光たちを通すわけもないのだが、現在この街の兵力のほとんどはルイ第二王子と共に南へと向かっていた。残存する兵力は僅か、加えてクロード大将軍の武威に抗えるほど気骨のある指揮官ではなかったことも要因してあっさりと降伏したのだった。
それからクロードたちには長旅の疲れを取ってもらいつつ補給を行ってもらった。この先に待つ戦闘に備えるためである。
一方、夜光はというと、食事を取らなくても良いという体質と睡眠を限界まで取らずに活動したという経験を活かして街中を巡り監視し、間者を片っ端から捕らえて街の外周付近にあったこの空き家に放り込んだ。
その中から素早さに長ける一人を選び出し、夜光たちがラヴィーネに進撃するという欺瞞情報を街の外で待機していた密偵に届けさせた。それから必要な情報を間者たちから引き出すと処理したというわけだった。
「さて、これでルイ第二王子は戦力を分散せざるを得なくなったことだろう」
北方を重要視しているかの王子ならばきっと見過ごせないはずだ。
(これで袋叩きにあう危険性を減らせたし、兵力差も少しは埋まったことだろう)
夜光たちがいる北方の大地は敵の領域。地の利や兵站は圧倒的に向こうが有利である。あのまま何もせずに中央にいる北方軍の背後を取っても北から援軍が来てしまう可能性があった。そうなれば挟撃の憂き目にあってしまうことだろう。だからこそ夜光は一計を案じたというわけだ。
「後はこのまま南へ向かうだけだ」
そろそろシャルロット率いる東方軍と北方軍が会敵している頃だろう。限界まで衝突を避けるとはいえどこまで時間を稼げるか。何より相手は北方四大貴族レオーネ家当主と、クロードやクラウスといった大将軍たちですらその腕前を認めているダヴー将軍だ。全く油断はできない。
「シャル…………」
主のことが心配だった。一刻も早く駆け付けたい。けれどもその前に立ちふさがる障害共を排除しなくてはならなかった。
冷気を孕んだ風が吹く。夜光の前髪が揺れて、露になる素顔――まるで感情を感じさせない冷たいものだ。
黒き隻眼も冷酷な光を湛えている。
夜光は己が手――拷問によって返り血を浴びて赤く染まった掌を見つめた。
それから顔を上げると黙々と歩を進めその場を後にする。降り積もった雪を踏みしめて歩くその小柄な体躯からは鋭く空気を切り裂く殺気が放たれていた。
*****
翌日――神聖歴千二百年六月二十六日。
この日、遂に北方軍と東方軍が邂逅した。
場所はエルミナ中域北部ベルデ平原。この地は比較的平らな地形が続くプノエー平原と違って至る所に丘が点在しているのが特徴だ。
「遂に会敵しましたな。しかしなるほど、あれが名高き東方軍というわけですか」
北方軍副司令官であるヨハン・ド・レオーネが遠眼鏡をのぞき込みながら言えば、傍に居た禿頭の男――ジョルジュ・ド・ダヴー将軍が深い声音を出す。
「常日頃からベーゼ大森林地帯での魔物との戦闘で鍛え抜かれた精兵だ。こちらよりも練度は上と見た方が良いだろう」
付け加えるならば彼らは国境防衛の大任を背負う身だ。その責務に耐えられるよう過酷な訓練を受けているという。いくら厳しい環境下で育った北方人で構成されたこちらの軍であろうともまったく油断はできない。
しかも相手はあのクラウス大将軍が鍛え上げた強者たちでもある。それ故かこちらの兵士たちは数で勝っているといえども緊張感を隠せない様子だった。
それは長年戦場から離れていたヨハンも同様で、彼は緊張から唾を飲み込んだ。
そんなヨハンを一瞥したダヴー将軍は淡々と告げる。
「では軍議で決まった通り我が中央軍と貴殿らの北方軍を分けるということでよろしいか」
「ええ、宜しくお願い致します」
今回の遠征軍は三十万という大軍であるが、その内十万はダヴー将軍が引き連れてきた中央軍だ。残る二十万の北方軍とは練度も違えば得意とする戦法さえも違う。加えて連携のための演習をする時間もなかったことを考慮すれば自ずと別々に行動した方が良いとなるわけだ。
馬を操って中央軍と共に左翼へと向かうダヴー将軍の背を見送るヨハンに副官が声をかけてくる。
『よろしいのですか、ダヴー将軍の指揮に従って』
今回の作戦はほとんどがダヴー将軍の提案によるものだった。それ故か北方軍に所属する武官たちからは少なくない反感を買っている。
けれどもヨハンは問題ないと首肯した。
「構わんさ。ダヴー将軍は我々よりも戦慣れしている御仁だからな。餅は餅屋ともいうであろう」
『しかし彼らはつい先日合流したばかり……こういう言い方はしたくはありませんが、彼らは所詮外様でしょう。いつ裏切るかもわかりません』
「そう言うな。ダヴー将軍はルイ殿下に忠誠を誓った身――すなわち我々の同士といえる存在だ。確かに共に轡を並べたのは最近のことだが、だからと言ってルイ殿下のご期待に背くような真似はすまい」
そう言って部下を宥めるヨハンだが、その心中では同様の懸念を抱いていた。
(確かにダヴー将軍はこちら側についた。しかしそれは言い換えればオーギュスト第一王子を裏切ったということにもなる)
寝返り――一度でも主を裏切った者というのは中々信用されない傾向にある。何故ならそういった手合いは所属する陣営が劣勢になった途端にまた寝返る可能性が高いからである。
(実力は申し分ないだけに厄介といえるな。オーギュスト第一王子には使いこなせなかったが……ルイ殿下ならば)
と自らの主を信じて懸念を振り払ったヨハンは正面を見やる。
ベルデ平原――その一角に存在する小高い丘を挟むようにして布陣する東方軍の姿があった。
『しかし奇妙ですな。何故敵はあの丘の上に布陣しないのでしょうか。地形の有利を自ら捨て去っているようにしか私には見えませんが』
「ふむ……確かにそうだな」
怪訝そうにつぶやく副官の言葉にヨハンもまた同様の疑問を抱いていた。
丘の上というのは防御に適した場所であり、通常ならばそこに本陣を置いてその周りに兵を配置するのが定石だ。かく言うヨハンたちも本陣は平原に点在する一つの丘の上に敷いている。
だというのに敵はその有利を捨てた配置をしている。丘の上に何も配備していないのである。
「……敵方の本陣が見当たらないが、何か報告は届いておるか?」
『斥候からの報告によりますと丘の向こう側に本陣らしき姿があったとのことです』
「そうか……丘を盾に利用する作戦か?」
確かに丘を盾にすればこちらの正面突撃は避けられるだろう。しかしそうだとしても丘の上が空というのは解せない。遠距離攻撃ができる弓兵部隊かもしくは魔法使いの部隊を配置して攻撃させ、いくらかでもこちらの戦力を削ぐべきだろうに……。
といったヨハンの考えと同様の思考をしたのか、副官が眉根を顰めた。
『おかしいですね。敵の指揮官は素人だとでもいうのでしょうか』
「それはないだろう。敵陣営にはクロード大将軍や先代〝王の剣〟であるテオドール卿がいる。前者は本隊から離れているようだが、後者は姿が確認されている。となればあの配置にも何かしらの意味があるのだろうよ」
敵の総司令官はシャルロット第三王女であるが、彼女には戦の経験がない。となれば実質的な司令官はテオドール・ド・ユピターであろう。
(テオドール……よもやこのような形で再会することになろうとはな)
ヨハンにとってテオドールは同じ四大貴族というだけの関係ではない。同じ学び舎で過ごし、共に戦場を駆けた仲である。
どちらも五十歳を過ぎた今となってはそういった機会はなくなってしまったが、それでも若かりし頃の実力は嫌というほど知っている。
(よもや腑抜けたというわけではあるまい。何か策を講じているはずだ)
だがそれでも――とヨハンは嘆息した。
「たとえ敵がどのような小細工をしようとも、この戦力差では大した効果はあるまい。そう不安がることもないだろう」
『……そうですね。こちらは三十万、対して敵は十万とこちらの三分の一しか保有していません。その上神器〝王剣〟の所持者であるクロード大将軍と彼が率いる無双の〝光風騎士団〟がいないのであれば万が一にも敵に勝機があるとは思えません』
「ああ、だから気負うことはない。いつも通りに行動せよ」
『はっ!』
威勢よく副官が敬礼した時――風に乗って角笛の音色が響いてきた。
全軍の準備が整ったという合図だ。
ならば、とヨハンは前に進み出る。本陣がある丘の上から眼下の大軍勢を見下ろして。
「全軍、進撃せよ!」
副司令官として命令を下すのだった。




