八話
続きです。
神聖歴千二百年六月二十日。
この日、遂に夜光たちはエルミナ北方の地に足を踏み入れていた。
「凄いな……」
一万もの軍勢、その先頭を往く夜光が馬上で呟く。彼は視界に広がっている光景に驚きを隠せない様子だ。
無理もない。暦の上では既に六月――夏を前にする季節なのだ。だというのに北方の地は見渡す限り白――雪化粧をしていた。
驚きに包まれる夜光にクロードが説明する。
「エルミナ北方はたとえ夏であろうとも雪が降る地だ。何せ中央大陸に近いからな」
極寒の冷気を発し続けている中央大陸にほど近いエルミナ北方は基本的に万年雪で覆われている。
例外は南部の西から中央までの地域でそこは黒土地帯となっており、肥沃さを利用して農業が行われている。それは環境の厳しい北方の経済を支える要でもあった。
「反対に今我らがいる北方東部は毎日が雪でな、それは東端にあるベーゼ大森林地帯に近づくほど激しくなる」
エルミナ北方から東部にかけて広がるベーゼ大森林地帯は未開拓領域となっており、魔物の住処と化している。魔物たちは基本的には大森林から出てはこないが、何十年、あるいは何百年という単位で大挙して人族の領域へと侵攻してくることがあった。それを迎撃するためにバルト大要塞はベーゼ大森林地帯まで続いているのだが、北方には伸びていない。
何故ならエルミナ北方東部は万年吹雪に見舞われており、それが天然の障壁となることで魔物の侵攻を防いでいるからだ。
「ひとたびあの吹雪地帯に入ってしまえば誰であろうと――魔物であろうとも生きて出ることは叶わぬ。それほどまでに厳しい環境なのだ」
吹雪の中では方向感覚や時間の感覚が失われてしまう。加えて体力と気力を奪う寒さが合わさることで死の大地と化している。故に本能に優れる魔物は侵攻をする際に必ず避けて通る。その結果エルミナ北方はベーゼ大森林地帯の脅威を一切受けていない。
そんなクロードの説明に夜光は納得気に頷きを示す。
(こんな様子じゃ当たり前か……)
周囲を見回しても一面雪だらけ。草木の一つ生えていやしない。これでは生物が生存するのは困難だろう。
(それにしても結局〝なりそこない〟はあれ以上出てこなかったな……)
グロッタ湿原で邂逅した〝なりそこない〟という脅威はあの一体以降は全く姿を見せなかった。しかしたかが一体だけといえども効果はあった。更なる〝なりそこない〟の襲撃を警戒して〝光風騎士団〟の行軍速度を落とさざるを得なかったのだ。
(これがルイ第二王子の仕掛けたことだとすれば……実にいやらしい策だ。効果的ではあるけど)
向こうが欲しているのは時間だ。こちらが回り込む前に迎撃する体勢を整える時間を必要としている。だからこそ少しでもこちらの動きを鈍らせる策を取ってきたのだろう。
夜光からすれば邪魔なことこの上ないが、それでも相手のことを認めざるを得なかった。
(ルイ第二王子か……)
ふと敵の総大将について気になった夜光は隣を往くクロードに尋ねる。
「なあ、ルイ第二王子ってどういう人物なんだ?」
「ふむ……ヤコウはルイ第二王子に関してどこまで知っているのだ?」
「俺はただ郷土愛が強いってことくらいしか知らないな」
それを逆手に取ったのが今回の作戦である。けれども逆に言えばそれ以外は何も知らないということでもあった。
そんな夜光の様子にやはりエルミナ人ではないなと確信を深めながらもクロードは話し始めた。
「ルイ第二王子は王位継承権第三位の王族だ」
ルイ・ガッラ・ド・エルミナ。
現エルミナ王家の第二王子であり、王位継承権第三位を持っている。
彼の生家は北方にあったが、とある理由から今は存在しない。しかしながら親戚関係にあった北方における四大貴族レオーネ家の支持と庇護を受けたことで北方における地位を盤石なものにしている。
「今年で二十五歳、その若さと中性的な顔立ち、銀髪銀眼の容姿から〝雪華〟の異名で民に親しまれている」
というクロードの説明に気になる点を見つけた夜光は首を傾げた。
「……ん?王位継承権第三位?二位じゃなくて?」
この世界の男系継承の件を考慮したうえで普通に考えれば第二王子なのだから継承権も第二位でなければおかしい。そう夜光は疑問を抱いたわけだが、クロードは首を横に振った。
「第三位で間違っていないぞ。先の軍議でも話題に上がったが、ルイ第二王子は自らを支持する北方の地から滅多に動かない。政治の中枢である王都にほとんど顔を出さないことから継承権二位の座をアレクシア第一王女に奪われてしまったのだ」
ルイ第二王子は元は継承権第二位だった。しかしながら政治に興味を示さず、ほとんど北方でしか活動していなかった為に、継承権第三位であったアレクシア第一王女にその座を取られてしまったという経緯がある。
それでも彼は全く動じず、相も変わらず北方に居続けたのだ。
(でもこのタイミングで動いたってことは政治に……というか玉座に興味はあったわけだ)
でなければ中央が手薄になった状況で攻め込むような真似はしないだろう。ルイ第二王子は虎視眈々と力を蓄え、この時を待っていたに違いないと夜光は思った。
(北方を掌握するために長い年月をかけ、軍備を増強していたってことか。ダヴー将軍への懐柔工作も進めていたに違いない)
だとすれば主力が出張ったことで手薄になった北方にもなんらかの防衛力を残している可能性がある。
(向こうがこちらの策を読んでいるとは限らない。けど北方に敵対勢力が侵攻してきた際の備えくらいはあるだろう)
ならば、どうするか。夜光は思案げに瞼を下ろして――決断した。
「クロード、ちょっといいか?提案があるんだけど……」
夜光が己が考えを述べ終わった時、クロードは感心したとばかりに頷いた。
「その案は良いな。某も賛成だ」
「そっか、ありがとう。なら早速行動に移そうか」
騎士団に命令を下すクロードから視線を外した夜光は南西を見やる。
(ルイ第二王子……確かに今はあなたの方が何枚も上手だ。だけど――最後に嗤うのは俺だ)
まだ見ぬ強敵を思い浮かべて、口端を吊り上げるのだった。
*****
神聖歴千二百年六月二十五日。
エルミナ王国北域南部ジャサントの街。
この街は古くから北方と中央とを繋ぐ要衝として栄えていた。
北は北方四大貴族の本拠地ラヴィーネ、南は王都パラディースまで敷かれた国道〝雪の道〟に面しており、物流の一大拠点でもある。
こうした背景からたとえ内乱の最中にあろうとも人通りが絶えることはない。
今日もまたジャサントの街は人々の賑わいで活気づいていた。
「……それは確かかい?」
どのような都市にも光と影は存在する。
明るい大通りから外れた路地裏は喧噪から隔離された静けさを保っていた。そんな静寂に青年の声が落とされたことで対面する外套を深々と被った人物が首肯する。
『複数の間者からの報告ですので間違いないかと』
その返答に銀髪銀眼の青年――ルイ第二王子が嘆息した。
「ギャルテニアが陥落。しかも相手はクロード大将軍率いる光風騎士団か……」
つい先ほどのことだ。馬を走らせこの街へとたどり着いたルイ第二王子の元に密偵がやってきた。彼の報告によると二日ほど前に北域中東部に位置するギャルテニアの街がクロード大将軍の手によって陥落したとのことだった。
(ボクの予想通りにクロード大将軍が別動隊として動いていたわけだ。でも……この事態は想定外だな)
てっきりクロード大将軍はこちらの背後を一気に突いてくるものだとばかり思っていた。しかし実際にはかの大将軍はギャルテニアの街を陥落させたという。
(一体何が目的なのか……)
考え込むルイ。そんな彼に密偵が更なる報告をしてきた。
『クロード大将軍率いる光風騎士団はそのままラヴィーネに向けて進軍するつもりとのことです』
「ラヴィーネに?……それは妙だな」
一体どういうことなのか。確かにラヴィーネは北方における首都のようなものであり、現在は主力が出張っていることから守備は少ない。クロード大将軍ほどの人物であればさほど手間なく落とせるだろう。
(けれどこの情勢下で陥落させる利益は少ない。彼らにはそんなことに割ける時間なんてないはずだ)
ラヴィーネは北方でも北寄りに存在している。そこまでいく為の日数や攻城に使う時間などを考えると全くもって無意味である。仮にラヴィーネを陥落させたところで主力であるシャルロット第三王女率いる十万が破られればそこで終了であるからだ。
ここまで考えたルイは結論を出した。
(ハッタリだな。欺瞞情報に違いない)
そう考えたルイは指示を出すべく口を開こうとして――、
(いや、でも……もしも本当だとすれば?)
懸念が浮かんできたことで閉口する。
万が一にもラヴィーネ侵攻が真実だとするならば不味いことになる。北方四大貴族レオーネ家の本拠地であるラヴィーネは北方にとって、エルミナ王国でいうところの首都パラディースのようなものだ。それが落とされたとなればレオーネ家の権威が失墜しかねない。そうなればレオーネ家の支持を受けるルイの権力もまた地に墜ちる。
(北方だって一枚岩じゃない。長年かけてようやくまとめ上げたけど……)
北方は寒冷で過酷な土地柄が起因してか貴族諸侯も狼のように狡賢い連中が多い。要は生きるために手練手管を駆使するわけだが、それは団結して一つのことに当たるという事態にあっては障害にしかなりえないものだ。
ルイはレオーネ家の支持を受け、さらに長い年月をかけて貴族諸侯を説得、懐柔……時には武力を以って軍門に下してきた。そのせいで中央に中々顔を出せず、王位継承権第二位をアレクシア第一王女に取られてしまったこともある。しかしそのかいあって北方の貴族諸侯をまとめ上げることに成功し、結果今回の挙兵に至ったのだった。
だが、その裏では貴族諸侯による権力闘争が行われていることをルイは知っていた。王都パラディースを陥落させ、新政権を樹立した後の地位争いが水面下で起きているのだ。これにはルイも現金なことだと辟易したものだ。
(ラヴィーネが落とされることだけは避ける必要がある。……仕方がない)
ルイは決断すると片膝をつく密偵を見下ろした。
「ギャルテニアより北の各都市に連絡を、兵をラヴィーネに集結させよとね」
『は……しかし良いのでしょうか。それでは他の都市が手薄になりますが……?』
「かまわないさ。これがどこの馬の骨ともしれない輩が相手だったら不味いけど、今回の相手はクロード大将軍だ。彼ならば都市の住民に危害を加えることはないだろうし、略奪だってしないだろうから」
『なるほど……承知致しました』
と言って立ち去ろうとする密偵をルイは呼び止める。
「ああ、それと例の部隊はどうなっている?」
『脱走者が一名出たとのことですが、ルイ殿下のご命令通り行動を開始しているとのことです。現在はギャルテニアに向けて進軍中とのこと』
「そうか……わかった。彼らにはそのままギャルテニアに向かってもらうとして、ギャルテニアより南の各都市に通達してほしい。ここジャサントの街から北に位置するブルマス砦に集結せよとね」
『はっ!』
今度こそ去ってゆく密偵の気配を感じ取りながらルイは顎に手を当てた。
「ふぅ……流石はクロード大将軍といったところか。実に効果的な策を打ってくる」
欺瞞だろうが真実だろうが――どちらにせよこちらが無視できない方法を取ってきた。おそらく目的はこちらの兵力を分散させることだろうとルイは予想した。
「兵力の分散は戦術の基礎……それを戦略でやってきたか。まったく、やってくれるじゃないか」
けれども言葉とは裏腹にルイの表情は明るい。その美しい銀眼には好戦的な色がちらついていた。
「はは……だからこそ倒しがいがあるというものだ」
王族でありながらもルイはこれまで数々の実戦を経験してきた。だからだろうか、武人としての血が強敵の出現に騒いでしまうのは。
「クロード大将軍を通して見極めさせてもらうよ、シャル。キミの王としての器がどれほどのものなのかを。願わくばどうか――」
――ボクよりも上であって欲しい。
そんな矛盾した考えを抱くルイは天を仰ぐ。空はこちらの気も知らないでどこまでも広がる蒼穹で満たされていた。




