第6話 予算を増やせ!
今回は、もう一人の相棒であるシルヴィが登場します。
「現場の苦労も知らん文官が!!」
近衛騎士団の分隊長シルヴィとの出会いは、激しいカチコミから始まった。
俺に予算申請を却下されたシルヴィが、主計官の執務室に怒鳴り込んできたのだ。
シルヴィは動きやすさを重視したスマートな白銀の軽装プレートアーマーに、深紅のインナーとマントを纏い、腰には愛用の長剣を帯びていた。
何としても俺に予算の却下を撤回させようと、意志の強そうなサファイアブルーの瞳が俺を睨む。怒鳴るたびに、プラチナブロンドの高めポニーテールと少し長めの前髪が元気に揺れるのを眺めながら、俺は全く別のことを考えていた。
この世界での戦場の主役は騎士だった。銃は存在していたが、一発撃つごとに弾込めが必要で、雨が降れば火薬が湿気て使えず、何より、銃丸と火薬の消耗品コストが高かった。特に、火薬の必須原料である「硝石」がこの大陸ではほとんど採れなかったため、銃器は『一部の富裕層や暗殺者が使う超高級品』扱いになり、一般の戦場には普及していない。そのため、戦場の主役はやはり剣技をはじめとする武術だった。
この世界には、ゲームのように火炎で敵を焼き払ったり、大爆発を起こすような魔法は存在しない。その代わり、人並外れた身体能力を先天的に持つ人々が存在する。こうした『神の恩恵』と呼ばれる能力で身体強化した騎士は、銃弾を鎧や剣で弾く・あるいは素早く回避することができるため、国の軍事力そのものといって良かった。
その中でもシルヴィは、ずば抜けた「剛力」の能力を持ち、その腕力と剣の技は、近衛騎士団の中でも一、二を争うほどだと聞く。見た目は華奢なお嬢さんなんだが……。そんな彼女が自ら怒鳴りこんで来たのだ。下手に怒らせたら、俺ごとき一撃で木っ端みじんに吹き飛ばされるだろう……。頬を冷たい汗が流れた。
俺は平静を装い、シルヴィが提出した大雑把な予算書をペンで示すと言った。
「シルヴィ分隊長。あなた方が申請したこの武具購入費、中間業者の手数料が3割も乗せられた粗悪品ですよ。市場ではもっと良質の武具が安価で取引されている。私が却下したのは、あなた方に安物のなまくら刀を持たせないためです。集中一括購買の相見積もりにすれば、同じ予算で倍の耐久性を持つ正規武具が揃う。……私は数字で、あなたたちの命を守っているんです」
「そ、そうなのか……?」
シルヴィは虚を突かれたような顔をした。あれ?案外ちょろい……じゃなかった、話が通じるな……。
その時、何の前触れもなく、若い男の騎士が剣を抜いて執務室へ乱入してきた。分隊長であるシルヴィの護衛として執務室の外で待機していたのかもしれない。しかし、顔が赤く足元がややふらついているところを見ると、おそらく酒に酔っているのだろう。
驚いたシルヴィが動くより早く、俺はスッと立ち上がり、前世で嗜んでいた合気道の所作で滑り込むように肉迫。振り下ろされた剣をかすめるようにかわしつつ、相手の手首と肘の関節を極めて鮮やかに腕抑えで床へ押さえつけ、一瞬で無力化してみせた。
シルヴィに不逞騎士の拘束を任せながら、俺は平静を装いつつティーカップを傾ける。酔っ払いが剣を振り回して乱入してくるなんて、警備は何をしているんだ?勘弁してくれよ……転生してから人に技をかけたのは初めてだったけど、何とか決まって良かった……ああ、まだ心臓がバクバクしてる……俺の血圧は大丈夫だろうか……?
不逞騎士の拘束を終えると、シルヴィは俺に掴みかからんばかりにして言った。
「ゲ、ゲン殿!ぜひ私にもその技をご教示いただきたい!」
俺はあっけにとられた。あと、距離が近い、近すぎる!そんなに近くで俺のことを睨まないでもらいたい。……心臓に悪いから。
「え……?いや、私はただの文官で、騎士の方に手ほどきできるような技など、何も持ち合わせていませんが……」
「いや、そんなはずはない!あの動きは、何年何十年も修練を積んだ武の技だ!他の者の目はごまかせても、私の目はごまかせないぞ!」
……どうやら予算の話はどこかに行ってしまったようだ。
続けてシルヴィは恐るべきことを口にした。
「そうだ、ゲン主計官は毎朝欠かさず、同じ時間に走っているだろう?明日から私も同行させてもらう!」
「!?な、なぜそれを?」
前世で「長時間のデスクワークは血流を低下させ、1時間座り続けると余命が22分縮まる」という話を聞いたことがあった俺は、記憶を取り戻して以来、毎朝のランニングを欠かしていない。そしてランニングの後は、前世で子供の頃に習った合気道の所作を思い出しながら、体操代わりにイメージトレーニングすることが日課となっていた。
まさか見られていたとは……。
「では明日からよろしく頼む!」
動揺する俺を尻目に、シルヴィは嵐のように去っていった。その肩に、一回り以上大きな不逞騎士が軽々と担がれているのを見て、俺は内心つぶやいた。
……どう考えても合気道なんか教わる必要はないだろ……?
翌朝から、シルヴィは俺がランニングのために自宅を出るのを待ち構え、ついてくるようになる。根負けした俺が合気道の手ほどきをすることになると、シルヴィは押しかけ弟子として、いつの間にか俺のことを「師匠」と呼ぶようになっていた……。
◇
実はシルヴィは日頃から、朝の冷気が残る王宮の庭園を走り込む1人の文官の姿を、時おり見かけていた。ロマンスグレーの髪に、眼鏡をかけたその男――ゲンは、毎朝欠かさず同じ時間に走り、その走りは驚くほど無駄がなく、体幹が全くブレていなかった。
(ふん、文官のくせに妙に真面目に体を鍛えている男だな。まあ、どうせ机上の空論を語るだけの、ひ弱なもやしっ子に違いなかろうが)
当時のシルヴィにとって、ゲンは「ちょっと変わった、真面目そうな文官」の1人に過ぎず、特に気にとめる存在ではなかった。彼女の関心はあくまで剣の腕前と、強者との手合わせだけに向けられていたのだから。しかし、その認識はある日一瞬で覆ることになる。
近衛騎士団の分隊長として現場の過酷さを背負っていたシルヴィは、自分たちの現場を知りもしない文官たちが勝手に決めた予算削減に怒り心頭に達し、主計官の執務室へと怒鳴り込んだ。
「現場の苦労も知らん文官が!」
そこで彼女が目撃したのは、大雑把な予算書を冷静な瞳で見つめ、ペン一本で流通の不正と中間マージンの構造を鮮やかに解剖していくゲンの姿だった。
「……私は数字で、あなたたちの命を守っているんです」
その言葉に、シルヴィは圧倒された。文官でありながら、誰よりも騎士たちの安全を本気で考えている。胸を突かれるような衝撃を受けた直後、さらなる事件が起きた。
予算を削られて逆恨みした酔っ払い騎士が、抜いた剣を片手に執務室へ乱入してきたのだ。シルヴィが慌てて身構えるよりも早く、件のロマンスグレーの文官――ゲンがスッと優雅に立ち上がった。――次の瞬間、シルヴィの目は点になった。
ゲンは荒々しく振るわれた剣を紙一重でかすめるようにかわし、まるでダンスのステップを踏むかのように相手の懐へ滑り込んだ。大男が繰り出した腕の関節を寸分の狂いもなく極めると、流れるような所作で床にうつぶせにして制圧したのだ。
一滴の血も流さず、力比べすらせずに、一瞬で大男が無力化されていた。
(なっ……!?なんだ今の技は……っ!?)
シルヴィは息を呑み、動けなくなっていた。
体格で圧倒的に勝る酔っ払いの騎士を、あんなにも細身に見える文官が、まるで子供をあしらうように一瞬で地面に這いつくばらせたのだ。殺気すらない、流れるような美しい体さばき。
(あ、あれは……!毎朝ランニングですれ違った時に見た、あの驚異的な体幹の美しさ、ブレなさは……この技を極めるためのものだったのか……!?)
これまで「私より弱い男と結婚する気はない」と豪語し、周りの男たちを鼻で笑ってきたシルヴィの胸のなかで、雷鳴が轟いたような衝撃が走った。
力任せの武骨な剣技しか知らなかった彼女にとって、相手の力を利用して無力化するその神秘的な武術は、世界がひっくり返るほどのカルチャーショックだった。そして何より、その技を涼しい顔してやってのけたロマンスグレーの知的な背中が、あまりにも、あまりにもカッコよかった。
(強い。この男は、力に頼らずとも、私より遥かに強い……っ!)
翌朝から、シルヴィはゲンがランニングに出るのを待ち伏せし、ぴったりと並走するようになった。ランニングの終わった木陰で、ゲンの見よう見まねで合気道の所作を真似るのが彼女の日課となり、いつしかゲンのことを「師匠」と呼ぶようになっていた。
師匠の隣で汗を流し、そのしなやかな筋肉と知的な横顔を間近で見上げるたびに、シルヴィの胸の高鳴りは増していく。そして、あの朝の執務室で見せた圧倒的な強さと優しさが頭から離れず、彼女は自覚せざるを得なかった。
(あぁ、もうダメだ……私、完全にあの人に惚れてしまった……っ!)
自分より強い男などこの世にいないと思っていた女騎士は、こうして恋する乙女へと変貌を遂げていくのだった。




