第2話 蘇る経理部長
前世の記憶を取り戻した俺は、改めてこの世界の構造を分析してみた。
どうやらこの世界は、前世のヨーロッパにおける17世紀から18世紀――中世から近代へと移行する過渡期の社会構造によく似ているように思える。
しかし、決定的に異なる部分も多い。
まず、俺たちのいるこの広大な大陸には、事実上ふたつの大国しか存在しない。かつてはいくつもの小国や領邦、自由都市が乱立していたようだが、強力な地域大国が中心となり、外交と軍事の両面から併合が進んだ結果、南北ふたつの巨大国家へと集約されたという。
一つは、俺が身を置く大陸南部の「エルディニア王国」。
肥沃な穀倉地帯と豊富な鉱山資源を擁し、潜在的な産業ポテンシャルは極めて高い。だが、前世でいう「産業革命」のような技術革新が起きない限り、その恩恵をフルに活かすことはできないだろう。形式上は絶対王政による中央集権国家を謳っているものの、実態は諸侯である貴族たちの力が未だ根強く、行政の現場には汚職と不透明な金の流れがはびこっていた。
一方、北部に君臨するのが「バルムート大帝国」。
圧倒的な軍事力と資本力を誇る巨大国家だ。賢臣と名高い宰相アーベル・フォン・ブラント公爵の統治のもと、徹底した効率主義と強固な軍事統制が敷かれていると聞く。
この両国は長年にわたり、泥沼の国境紛争を繰り返していた。
大陸外からの干渉を受けない閉鎖的な経済圏であるにもかかわらず、絶え間ない戦費調達と徴兵によって流通は途絶え、人々の暮らしは貧しい。経済活動の規模で言えば、前世の15世紀から16世紀――いわゆる「大航海時代」以前の停滞期に近いレベルにとどまっていた。
ただし、金融面に関しては少し特殊な発展を遂げていた。
この世界にも宗教や教会は存在するが、前世のカトリック教会のように『利息を取ることを教義に反する罪悪』として禁止するような教条主義は存在しなかったのだ。そのため、遠隔地決済に不可欠な為替手形や、穀物・鉱物の先物取引といった金融技術は、この時代の文明水準にしては例外的に発達しているらしかった。
――それだけに、経理のプロだった俺を最も愕然とさせたのは、金融の道具がこれほど揃っていながら、前世では13世紀のイタリアで既に確立されていた「複式簿記」の概念すら存在しないということだった。
これほど複雑な手形取引や膨大な軍備・国家予算を動かしていながら、未だに「いくら入って、いくら出たか」しか追えないお粗末な単式簿記に頼っているのだ。帳簿のズレや不正が多発し、文官たちが不毛な徹夜作業に追われるのも当然だった。
……待てよ。つまり、この国には「正確な原価計算」も「貸借対照表による資産管理」も存在しないということになる。
前世で培った会計知識と、30年の実務経験。これらをフル活用すれば、この不毛な泥沼の行政業務を劇的に改革できるんじゃないか?
◇
――そろばんの力でアーベルに一矢報いることができたとはいえ、手計算のスピードを飛躍的に向上させただけではこの膨大な作業地獄を根底から解消することはできない。どれほど計算速度を極めたところで、根本的な記帳ルールが「単式簿記」のままでは、転記ミスや不正のチェックに膨大な人件費と時間を奪われ続ける。作業地獄の真の原因は計算の遅さではなく、構造そのものの欠陥にあったのだ。
もともとこの国では、先代の国王が、「国家を近代化し、強力な軍隊を維持するためには、腐敗した地方貴族のどんぶり勘定を許しておけない」と考え、強力なトップダウンで「予算制度」を官僚組織に義務付けた歴史がある。
国王と貴族たちとのパワーバランスから、「あらかじめ互いに認めた予算枠を超過していないか」をチェックするための事前規制として、予算制度自体はしっかり定着していた。
しかし、日々の予算管理や決算で使われているのは、「現金がいくら入って、いくら出たか」だけを追う現金主義の単式簿記のままだった。事前規制だけをガチガチに固めたものの、事後の帳簿チェックがあまりにポンコツすぎるせいで、各省庁による予算の不自然な流用や辻褄合わせの不整合を解明するのに、俺たち下級官吏が膨大な手作業と不毛な徹夜作業を強いられるという本末転倒な事態が起きていたのだ。
こんな仕組みを放置しておけば、何万人もの下級官吏がすり潰されるだけで国家の財政再建など夢のまた夢だ。
やはり、現金主義の単式簿記では限界があるな……何とかして発生主義の複式簿記を導入しないと……。
現金主義の単式簿記では、ただ「金が出ていった、入ってきた」という結果しか記録されない。そのため、実際に物やサービスが動いた時点の「発生」が無視され、未来に支払うべき借金や隠れ負債が帳簿の死角にすっぽりと抜け落ちてしまう。
おまけに、左右のバランスを検証する仕組みがないため、一度数字が狂えば、どこでズレたのかを探るために過去の伝票を総当たりでめくるしかなかった。
これに対し、発生主義の複式簿記であれば、取引が発生した瞬間に資産と負債の双方を捉え、「なぜ金が動き、手元の財産や借金がどう変わったのか」という原因と結果を左右の二面から同時に書き込む。
右と左の合計が必ず一致する構造を持つため、不正や計算ミスがあれば一目でわかる――まさに雲泥の差だ。
俺は上司に複式簿記とそろばんの正式導入を提案することにした。
王国財務省――その頂点に君臨する大臣を筆頭に、「次官」、次官を補佐する「次官補」、各局を束ねる「局長」、そして実務の責任者である「主計官」や「副主計官」が置かれ、その下には現場を動かす「筆頭主事」や「主事」が控え、最下層のヒラとして俺たち平民出身の下級官吏が連なるという、厳格なピラミッド組織。
前世の日本企業に例えるなら、管理職は親会社からの出向や天下り連中にガッチリとキープされ、現場を知り尽くしたプロパー社員はどうあがいても一定の壁から先へ進めない――そんな息苦しい構造にそっくりだった。
俺はその組織の中で、まず直属の上司にあたる筆頭主事に新手法の導入を上申した。筆頭主事はすぐに副主計官に話を上げてくれたが、そこからの光景は、前世のサラリーマン時代に嫌というほど見てきたものだった。
彼らは自分では良いとも悪いとも判断を下せず、何より責任を取ることを極度に恐れていた。
主計官のハーゼンは気難しいことで知られており、下手に自分たちの口から説明して主計官の機嫌を損ねたくない。だが、もし上手くいくなら手柄の分け前にあずかりたい――そんな事なかれ主義の事象が働いた結果、彼らが下した命は実に都合の良いものだった。
「良し悪しの判断はハーゼン主計官にお任せする。発案者であるお前が直接、主計官へ説明して許可をいただいて来い。認めてもらえたなら、こちらとしても文句はない」
要するに、面倒な説明とリスクをすべて俺に丸投げし、成功した時だけ相乗りしようというわけだ。組織の害悪とも言える保身術だが、サラリーマン経験のある俺にとっては織り込み済みであり、むしろ願ったり叶ったりの展開でもあった。直接ハーゼン主計官を説得するお墨付きを得たのだから。




