第11話 レナードの遺産
――俺の刑が決まる御前会議を明日に控えた、最後の朝が訪れた。
静まり返った地下牢に足音が響き、セリアとシルヴィが姿を現わす。
立ち塞がろうとする看守に、セリアは躊躇なく何かの書類を差し出してみせた。看守は戸惑ったように書類とセリアの顔を交互に何度も見比べる。そんな看守にセリアは金貨を2枚差し出すとこう言った。
「ゲン局長と最後のお別れがしたいのです。一枚はあなたへの日頃のご苦労さま代、もう一枚は同僚の方々を美味しいお酒にお誘いいただくための経費です……『腹を下して席を外していた』と言えば、上にも十分言い訳が立つはずですわ」
破格の買収額と、一切の隙もない完璧な口実。看守は毒気を抜かれたように小さく頷き、鍵の束を音立てて揺らしながらその場を離れていった。
「……さすがだな、セリアくん」
「ふふ、上司の機転を見習ったまでです」
看守の気配が完全に消えたのを確認すると、シルヴィが抱えていた小さな鉄の箱を俺に見せた。継ぎ目が固着していたため、シルヴィが短剣の先を差し込んで強引にこじ開ける。
――プシュー、と密閉されていた僅かな空気が漏れる音が響いた。
「こ、これは……!?」
箱の中に納められていたのは、羊皮紙の巻物と紋章入りの指輪だった。密封されていたためか、どちらもあまり劣化していないように見える。ただ、羊皮紙にはところどころ茶色の血痕のようなシミがこびりついていた。俺は指輪を手に取り、燭台の灯りの近くで紋章を確認する。
俺の胸がドクンと波打った。これは、かつて親父が左の小指にはめていたシグネットリングだ!月日が流れたとはいえ、かつて親父から会計や財政について学んでいたとき、毎晩のように目にしていたのだ、見間違えるはずがない。ということは……?
俺は指輪をセリアに渡すと、巻物を手に取り、革紐に施された封蝋を慎重に外す。羊皮紙を広げると、中に書かれていたのは、レナードが発見したマルクス大臣の不正を告発する内容だった。養父が死んでも離そうとせず、手ごと切り落として回収したという証拠の品に違いない。
「当たりだ……」
俺はつぶやいた。
「……あ!」
指輪の紋章を見つめていたセリアが大きく目を見開く。
「ゲン局長!この指輪に刻まれた紋章……先日、地下倉庫の壁の破片の下で見つけた、あの『鍵穴のない金庫』の扉にあったものと、まったく同じです!」
セリアはまくし立てるように、先日地下倉庫の奥深くで発見したという、鍵穴すら存在しない謎の金庫と、そこに刻まれていた「天秤の紋章」について説明してくれた。
「……これは、我がアルティザ家の紋章だ。ということは……」
俺の中で、点と点が一つの線に繋がった。
その金庫は、親父のものだ。そして中には、彼が己の命を賭してまで遺した、告発状の内容を裏付ける決定的な証拠が眠っているに違いない。
「おそらくマルクス大臣もその金庫の存在には気づいていたはずだ。だが、開けようにも開けられず、持ち出そうにも重すぎたため、壁の中に塗り込んで隠すしかなかったのだろう……」
なぜ20年もの間、財務省に勤務していた俺がその存在に気づかなかったのか。その理由が、ようやく腑に落ちた。
……待てよ。鍵穴のない金庫……?脳裏に、幼い頃に親父から教わった「隠し鍵穴」のカラクリが鮮明に蘇る。
そして、親父から手渡されたペンダントの鍵の形状。それは、アルティザ家の紋章に描かれた天秤の「支柱」の形とまったく同じだった。親父は、最初から俺にあの金庫の鍵を託していたんだ!
「セリアくん、シルヴィくん。あの金庫には鍵穴がないんじゃない。表に出ていないだけなんだ」
俺は鉄格子の隙間から2人に顔を近づけ、静かに、しかし確信を込めて囁いた。
「指輪の紋章部分を、金庫の扉にあるくぼみにはめて、時計回りにゆっくりと回してごらん。指輪の裏に仕込まれた磁石によって内部のプレートがスライドし、隠された鍵穴が現れるはずだ」
「隠し鍵穴……!」
「そして、現れた鍵穴にこれを差し込むんだ」
俺は首から提げていた、親父の形見であるペンダントを外すと、手錠のかかった両手で丁寧に、鉄格子の隙間からシルヴィの手へと手渡した。
◇
牢を後にしたセリアとシルヴィは、息を弾ませながら財務省の地下倉庫へと向かった。
薄暗い倉庫の奥、崩れかけた壁の隙間に鎮座する重厚な金庫の前にかがみ込む。
セリアは手が震えるのを抑えながら、預かったアルティザ男爵の指輪を金庫の扉に刻まれた天秤の「くぼみ」へと差し込んだ。すると、まるで吸い付くようにぴったりと指輪が収まる。
「……回してみます」
ゲンの指示通り、指輪を時計回りにゆっくりと回す。
その瞬間――カチッカチッ、と静寂の広がる地下倉庫に、重厚な磁石シリンダーが持ち上がる金属音が響いた。指輪の磁力によって内部のプレートが静かにスライドし、それまで影も形もなかった真新しい「本鍵穴」が露わになる。
「すごい……!本当に鍵穴が現れたわ!」
「次は私の番だな」
シルヴィがゲンから手渡されたペンダントを外し、その先端にある異形の鍵を鍵穴へと慎重に差し込んだ。そして、力強くその手首をひねる。
――ゴト、と重厚なロックが解ける手応えが伝わった。
「「開いた……!!」」
ふたりの声が重なる。重い鉄の扉を押し開くと、密閉されていた金庫の中から、ゲンの養父レナードがかつて命を賭して護り抜いた大量の詳細な不正取引資料が現れた。
セリアがその中から一枚を手に取り、燭台の灯りに照らし出す。
だが、そこに書かれていた記録の様式は、あまりにも異様だった。
いくつもの文字や数字が、中央で左右に真っ二つに区切られている。
左側には『王国が受け取った物の価値』が、右側には『王国が支払った金額』が、事細かにびっしりと書き込まれていた。
だが、現代の帳簿のように記録方法は統一されておらず、明確な勘定科目の概念すら存在しない。
それはまるで、1人の天才的な職人が、暗闇の中で無数の試行錯誤を重ねた末にたどり着いた――未完成の設計図そのものだった。
◇
地下牢の静寂の中に、再び足音が近づいてきた。セリアとシルヴィの2人だ。
看守に再度金貨を握らせたのか、引き止める者は誰もいない。
2人から受け取った隠し金庫の書類――親父が残した手記の束に目を通していた俺は、思わず息を呑んだ。
「これは……帳簿というより、まるで研究記録ですね」
隣で覗き込むセリアが、不思議そうにつぶやく。だが、俺の胸は激しく震えていた。
「違う……。親父は、ここまで辿り着いていたのか……」
親父は、完璧な形での複式簿記そのものには到達できていなかった。だが、「支払った金額と、それによって得られた価値を常に対応させて記録する」という――複式簿記の真の核心部分に、たった独力で辿り着いていたのだ。
「もしあと10年生きていたなら……親父は、本当にこの世界で複式簿記を発明していたかもしれない」
この時代において、それは天地を覆すほどの偉業だ。親父の知性と執念の凄まじさに、目頭が熱くなるのを抑えられなかった。
「これでマルクス大臣の悪事を暴く証拠は完全に揃ったな!師匠!、今すぐここを脱獄しましょう!この鉄格子くらい、私の剣なら打ち破れる!」
力強く言い放つシルヴィに対し、俺は静かに首を振ってそれを押し留めた。
「待ってくれ、シルヴィくん。今ここで脱獄をすれば、マルクス大臣はそれを口実に、私を即座に殺そうとするだろう。……わざわざそんな危険を冒さなくても、向こうから『来てくれ』と言わせてやるさ」
「向こうから……?」
「ああ。ちょうど明日は御前会議が予定されている。そこで私の処刑について、国王陛下のご裁決をいただくことになっているはずだ。……2人とも、私に手を貸してくれ!」
俺の真剣な眼差しに、セリアとシルヴィは躊躇うことなく強く頷いた。俺は2人に近づくと、明日、御前会議の場でマルクス大臣の不正と罪を追い詰めるためのロジックをかみ砕いて説明した。
「――計画は以上だ。ただし、最大の問題は……当日、陛下が罪人である我々の言葉に耳を傾けてくださるかどうかだ……」
国家の最高決定機関である御前会議。そこへ飛び込み、国王の御前で発言の許可を得るのは容易ではない。
「……それについては、おそらく大丈夫だと思います」
不意に、セリアが自信を秘めた笑みを浮かべて言い切った。
「なぜそう言い切れるのだ、セリア?警護の兵や騎士たちに立ち塞がれ、力ずくで排除されるかもしれんぞ」
不審そうに尋ねるシルヴィに、セリアは悪戯っぽく微笑んで指をさした。
「……その時はシルヴィさん、あなたの出番です!」
「?よくわからんが……よし!私に任せておけ!」
任せろと言わんばかりに胸を叩くシルヴィを見て、俺は一瞬言葉を詰まらせた。
……2人の絆と能力は心から信じているが、なんだろう、この計画とは別の方向の強い不安は……?
シルヴィが御前会議の警衛を物理的に突破する絵面が脳裏をよぎり、俺は冷や汗を流しながら2人に向かって念を押した。
「……2人とも、頼むからくれぐれも危険なことだけはしないでくれよ……?」
次回からいよいよゲンたちの逆転に向けた挑戦が始まります。
お楽しみに!




