第10話 信じる者たち
――王城最上階。若き国王アルフレッド4世は、1人窓辺に立っていた。
王都の夜景が眼下に広がる。だが、その瞳に映る景色は暗かった。
机の上には、1枚の報告書が読みかけのまま置かれていた。そこには「元主計局長ゲン・アルティザ 国家転覆および国庫横領罪」と記されている。アルフレッドは深く息を吐いた。
「……おかしい」
誰もいない部屋で小さく呟く。
ゲンの名は以前から知っていた。平民出身。養父はレナード・アルティザ男爵。財務省改革の立役者。優秀で清廉。敵も多い。だが、国のために働いていると聞いていた。
そんな男が突然、国家転覆および国庫横領罪。しかも証拠はほとんど公開されていない。
「私は王だ」
アルフレッドは拳を握る。
「――だが、まだ未熟だ」
父王が崩御して三年。王位に就いたばかりだ。御前会議では経験豊富な重臣たちに押し切られることも少なくない。中でもマルクス財務大臣は厄介だった。
常に理屈を並べる。証拠を示す。法律を持ち出す。反論しようとしても、経験の差で押し潰される。今回もそうだった。
「ゲンは危険人物です」
そう言われると反論できなかった。証拠が無いからだ。だが、どうしても違和感が消えない。
「何かが隠されている」
その時だった。扉が静かに開く。
「陛下」
老執事が頭を下げる。
「お呼びの者がお見えになりました」
アルフレッドは頷いた。
「……通してくれ」
王城の奥。王族だけが使う秘密の応接室。外から存在を知る者はほとんどいない。
数分後。フードを深く被った人物が部屋へ入る。
アルフレッドは立ち上がらない。ただ静かに告げた。
「久しいな……」
相手は沈黙したまま頭を下げた。国王は机の上の書類を見る。
「話は聞いた」
小さな沈黙。
「……やはりそうであったか」
アルフレッドが吐いたため息は重い。
「ゲンが冤罪である可能性は高い」
相手は強く頷いた。
「だが証拠が足りぬ」
国王は苦々しい顔をする。
「御前会議で私が異議を唱えても、マルクス大臣は必ず反対する」
……沈黙。
「他の大臣たちも同じだ」
アルフレッドは窓の外を見た。
「……余は真実を知りたい」
真っ直ぐ相手を見る。
「余にできるのは、法に則った裁きの場を与えることだけだ……。そのためには『ゲンの話を聞くべきではないか』そう皆に思わせるだけの証拠が必要だ」
部屋の空気が張り詰める。
「用意できるか……?」
……長い沈黙。そして、相手ははっきりと頷いた。アルフレッドは微かに笑う。
「そうか、ならばやってみるがいい」
そして声を落とした。
「御前会議の最中で構わん。余の耳にも届くように合図を送れ。衛兵には言い含めておく」
相手が顔を上げる。アルフレッドの瞳は真剣だった。
「だが、合図がなかった時は……余はマルクス大臣の提案を認めねばならぬ」
若き王の苦悩が滲む。王だからといって何でもできるわけではない。証拠が無ければ裁けない。正義だけでは国は動かない。
そこで初めて。相手が口を開く。
「――必ず」
短い言葉。だが、その声には揺るぎない決意があった。
アルフレッドは微笑んだ。
「ならば信じよう……頼んだ」
フードの人物は深く頭を下げる。
「これを持って行くがよい」
アルフレッドの指示で牢執事が羊皮紙の巻物を差し出した。
「地下牢の面会許可証だ」
フードの人物は息を呑む。そして、うやうやしく巻物を受け取ると、部屋を出る直前、ほんの一瞬だけ立ち止まった。
「……ありがとうございました」
その声は少し震えていた。
扉が閉まる。部屋に1人残されたアルフレッドは、遠ざかる足音を聞きながら小さく呟いた。
「まったく……昔から変わらんな」
そして机上の報告書に視線を落とす。
「ゲン・アルティザ……そなたは、多くの者に愛されているようだ」
若き王は静かに微笑んだ。
◇
御前会議の2日前。王国財務省の薄暗い書庫では、セリアが山のような書類と格闘し、凄まじい勢いでそろばんを弾いていた。
その傍らでシルヴィは、何も手伝えずにただ悶々と言い知れぬ焦燥感を募らせていた。
「くそっ、私は剣を振ることしかできん……。足手まといになっているだけの自分が情けない……」
シルヴィが歯噛みしながらそう呟くと、セリアは書類から一瞬たりとも目を離さぬまま、しかし温かく穏やかな声で微笑んだ。
「何を言っているのですか、シルヴィさん。誰にでも得手不得手――適材適所の割り振りはあります。それぞれがゲン局長のために、自分にできることをやればいいのです。私にはこの地味な計算しかできませんが、あなたには、あなたにしかできない大切な役割が、この先に必ずあるはずです」
部署の壁を越え、ゲンを想う2人の胸の内に、いつしか確固たる友情のような温かい絆が芽生えていた。
ふと、セリアが身を乗り出して高い棚の上にある帳簿を取ろうとしたが、あと少しのところで手が届かない。地下倉庫に脚立があったことを思い出したセリアは、シルヴィに重い脚立を運ぶ手伝いを頼み、連れ立って取りに行くことにした。
「これだな……。持ち上げるからちょっとどいてくれ……。ふんっ!……おっとっと……」
シルヴィが気合を入れて持ち上げたものの、勢い余って脚立の角をそのまま壁に激突させてしまった。地下倉庫に「バキッ!メリメリッ……」という音が響く。
「あっ……」
見事に壁へめり込んだ脚立を見つめ、セリアはこめかみを押さえて深い溜息をついた。
2人がかりで壁からどうにか脚立を引き抜く。壁には見事にひびが入っていた。
「……待ってください」
セリアは近づいた。
「ここだけ、周りの壁と少し色が違うような……」
違和感がある。
その時、セリアはゲンの言葉を思い出した。
『数字が違うなら理由がある』
『違和感を無視するな』
「――シルヴィさん」
「なんだ?」
「この壁……壊せますか?」
シルヴィは壁を見る。
そして、にやりと笑った。
「――得意分野だ」
次の瞬間。
『ドゴンッ!!』
地下倉庫に轟音が響いた。
壁のひびが蜘蛛の巣状に広がり崩れ去った。
濛々と土ぼこりが舞う。
「脳筋……」
「褒め言葉として受け取ろう」
土ぼこりが収まると、そこに現れたのは、壁の中に長年隠されていた小型金庫の扉だった。
「……これは!?」
その扉にはダイヤルも鍵穴も見当たらない。表面に刻まれていたのは、どこかの貴族のものと思われる奇妙な紋章――左右が完璧につり合った『天秤』の支柱部分が、一本の『古風な鍵』になっている複雑なデザインと、直径約2クエルほどの『丸いくぼみ』がぽっかりと開いているだけだった。
しかし、今の2人にはそれを開ける術がない。何よりゲンに頼まれた調査を優先するため、2人は付近にあった資材で穴の開いた壁を隠し、一旦その場を離れることにした。
◇
書庫に戻ると、セリアは今度こそシルヴィに運んでもらった脚立を使って棚から目的の帳簿を下ろし、再び猛烈な勢いで調査を再開する。
その時、どこかに姿を消していた黒猫のミーちゃんが、ひょっこりと書庫へ帰ってきた。
「おや、どこに行っていたんだ……?まったく……お前は気ままでいいよな……」
シルヴィは小さく微笑む。
「おっと、この子の面倒を見ることも、私の大事な役目だな」
ミーちゃんはシルヴィの差し出した餌をツンと冷たく拒絶する。それどころか、シルヴィの裾をくいくいと引っ張り、「みゃー」と鳴きながらどこかへ導こうとするのだった。
「おい、どこへ行くんだ?おい!」
◇
――ミーちゃんの後を追って財務省の建物を出たシルヴィがたどり着いたのは、夜闇に沈む見知らぬ高級邸宅の前だった。
高い石塀に囲まれ、手入れの行き届いた庭木が闇の中にうっすらと浮かび上がっている。
シルヴィは怪訝そうに眉をひそめた。
「ここは……一体どこだ?」
ミーちゃんは答える代わりに、軽やかな身のこなしでひらりと石塀へと飛び乗った。そして塀の向こうへぴょんと飛び降り、「みゃー」とまるで『早く付いて来い』と言わんばかりに促す。
周囲に人の気配はない。しかし、どう見てもここは個人の敷地であり、許可なき侵入――不法侵入であることに変わりなかった。近衛騎士として、決して褒められた行動ではない。
だが、シルヴィには、この猫が無意味な行動をしているとはどうしても思えなかった。
これまでも、地下牢で師匠を励ましたときも、書庫で突然姿を消したときも、この猫はどこか人間臭く、確信を持った動きを見せていたようだった。
そのとき、脳裏にセリアの言葉がふとよぎった。
「――あなたにしかできないことがあるはずです」
シルヴィはぐっと拳を握りしめた。
「……師匠のためだ!」
最悪、逃げた飼い猫を夢中で追いかけているうちに迷い込んでしまったと言えば何とかなるだろう。シルヴィはそう覚悟を決めると、助走をつけて石壁を飛び越えた。
国王が面会した相手は誰なのか?
地下倉庫の壁に金庫が塗りこめられてた理由とは?
ミーちゃんはシルヴィをどこに連れて行こうとしているのか?
次回以降の更新をお楽しみに!




