第八話 加害者Aは笑っている 後編
「白石美月さんには何を認めたのですか?」
体育館から音が消え、蓮司の笑顔も消えていた。
それはほんの一秒だけだった。
すぐに困惑した表情を作り、小首を傾げる。
「……誰の、ことかな」
「三年前、使われていない浄水施設の貯水槽で亡くなった中学一年生です」
「知らないね」
「本当に?」
「ネットで何を読んだのか知らないけど、無関係な人間を犯人扱いするのはよくないよ。鷺沢怜央の事件があった直後だからこそ、根拠のない情報には慎重になるべきだ」
自分を被害者の側へ置き、観客の良心へ訴える。
昨日までなら、それだけで教師も生徒も蓮司を信じただろう。
「そうですか。では、もう一つだけ」
「まだあるのかな?」
「命の大切さを語る方が、毎年その少女の父親へ貯水槽の写真を送るのはどのような教育的意図でしょうか。煽り運転を助長する教育でしょうか?」
蓮司の右手が、マイクを強く握り締めた。
「天羽、もう座りなさい!」
担任が立ち上がった。
「講演会を妨害するつもりか!」
「まだ質問への回答をいただいておりません」
「根拠のない中傷を質問とは言わない!」
「いいんですよ、先生」
蓮司が穏やかな声で止めた。
「最近、俺を陥れようとする人たちがいるんです。過去を公表して活動している以上こういった言葉も受け止めなければならないと思っています」
祈へ向けて、傷ついたような微笑みを浮かべる。
「君も、誰かに嘘を吹き込まれた被害者なのかもしれない。だから責めるつもりはないよ」
「嘘を吹き込んだ側が言うと滑稽ですね」
体育館のあちこちから蓮司へ同情する囁きが聞こえた。
教師は祈の腕をつかみ、体育館の外へ連れ出そうとする。
「お年寄り側からの介護なんて無くても自分で歩けますよ、先生」
祈が静かに言っただけで、教師はなぜか反射的に手を離した。
祈は紙袋を抱え、無数の視線を受けながら体育館を出ていった。
扉が閉じる直前、後方の来賓席に座る火村と目が合った。
火村は険しい顔で祈を見ていた。
白石美月の名前も、毎年送られてくる貯水槽の写真も公表された情報ではない。
祈がそれを知る経路はどこにもないはずだった━━。
* * *
講演終了後、蓮司は生徒会役員との写真撮影を笑顔で終えた。
地元紙の記者には「心ない言葉も更生への試練だと思っています」と答えた。祈からの質問まで自分をより善良に見せる材料として利用した。
「さっきの生徒については、学校側から厳重に注意するそうだ」
マネージャーが言った。
「気にしてません。きっと彼にも事情があるんですよ」
「本当に君は大人だな」
「先に車へ戻っていてください。校長先生へ忘れ物をしたと伝えてきます」
「分かった。十分後に出るぞ」
マネージャーの姿が見えなくなると蓮司の笑顔が剥がれ落ちた。
講演中に見た校内図を思い出しながら人気のない特別教室棟へ向かう。
目当ての祈は校舎裏の自動販売機の前にいた。
紙袋の食料をすべて食べ終えたらしく、今度はカップ入りのコーンスープを飲んでいる。
「おい」
蓮司が低い声で呼ぶ。
祈は振り返った。
「プレパラートより薄っぺらい講演お疲れ様でした。自称ショートスリーパーの動画より勉強になりました」
「白石の親父から、何を聞いた?」
「誰のことでしょう」
「とぼけんな!」
蓮司は祈へ詰め寄り、制服の胸倉をつかんだ。
人目もカメラもないことは確認している。
「あの親父がまた余計なことを吹き込んだんだろ。学校まで来てやがったのは知ってるんだ」
「毎年、そういえば貯水槽の写真を送っているそうですね」
「証拠は?」
「ありません」
「だったら妄想だ。証拠がなければ何を言っても事実にはならない」
「さすが、経験に基づく助言は説得力がありますね」
「ふざけてんのか?」
「少年院で臭い飯を食べていたゼンカモンよりは真面目ですよ。今はどの程度更生しているのか確認しているだけです」
祈は蓮司の手を振り払おうともせず、その目を何処までも暗い闇のような瞳でまっすぐ見つめた。
「美月さんは、あなた方が下級生から金を奪っていることを教師へ話そうとした」
「関係ないくせに正義の味方ぶって首を突っ込んできたんだよ」
「だから浄水施設へ呼び出したと?」
「少し脅せば黙ると思っただけだ」
蓮司は口にしてから自分が質問へ答えていることに気づいて少し動揺した。
だが、目の前にいるのは一人の高校生にすぎない。
証拠も録音機器も持っていないと考え、再び余裕を取り戻す。
「あいつが勝手に逃げて、足を滑らせた。それで終わった話だ」
「美月さんの制服の背中には、不鮮明な痕が残っていました」
蓮司の瞳が揺れた。
「水に浸かって消えかけてた。誰の靴痕かなんて分からなかっただろ」
「僕は、靴痕だと申し上げておりませんよ」
蓮司の手から力が抜ける。
祈は穏やかに問いかけた。
「美月さんの背中を蹴ったのは、あなたですか?」
「……一回蹴っただけだ」
「その結果、貯水槽へ落ちた」
「俺が落としたんじゃない。あいつが縁で足を滑らせたんだ」
「美月さんは水面へ上がり、貯水槽の縁をつかんだはずです」
「だから手を踏んで離させた。俺まで引っ張られたら危なかったんだよ!」
蓮司の声が校舎裏へ響いた。
祈は瞬きもせず、その顔を見ていた。
そして本人から反射した光が、祈の網膜へ届く。
顔、本名、三年前の行為、現在も続く脅迫、そして悔恨の欠如━━。
審理に必要な情報が一つずつ結びついていく。
「なるほど……」
祈は小さく頷いた。
「アンケートは以上となります。ご回答ありがとうございました」
「お前……最初から俺にしゃべらせるために……!」
「過去と向き合うには、まず自分の過ちを認める必要があるとさっき体育館で(少年)院卒の人に教えていただきましたから」
「今の話……誰かに話したら殺すぞ」
「まさか、前回と同じ方法で?」
蓮司は祈の胸倉から手を離し、そのまま拳を振り抜いた。
その拳が祈の頬を正面から捉えて鈍い音がした。
しかし祈の顔は一ミリも動かなかった。
殴られたという事実を認識していないように、表情さえ変わらない。
代わりに、蓮司の右手から骨の軋む音がした。
「ぐぉっ……!」
蓮司は拳を押さえて後ずさる。
指の付け根が赤く腫れ、曲げようとするだけで激痛が走った。
「何だ、お前……!」
「コーンスープを飲んでた質問者です。社◯党よりもつまらない講演の続きを伺っております」
「今のことを誰かに話したら、お前もあの女と同じ目に━━」
「貯水槽へ落としますか?」
「黙れ!」
「ご安心ください。今回落ちるのは僕ではありませんよ」
祈が微笑む。
その美しい顔に傷一つついていないことが、蓮司には人間の形をした悪魔のように見えた。
「それと、更生した方の拳は随分頼りないですね。もっとピル◯ル飲んだ方が良いですよ、僕みたいになれます」
「お前、本当に何なんだよ……!」
校舎の角から足音が近づいてきた。
「天羽!」
火村だった。
蓮司は咄嗟に祈から距離を取り、いつもの笑顔を作ろうとしたが右手の痛みで頬が引きつっている。
「ここで何をしている」
「この生徒に講演中の発言について確認していただけです」
「お前は、確認のために拳を使うのか?」
火村は蓮司の腫れた右手を見たあと、祈の顔へ視線を移した。
殴られたはずの祈には、痣どころか皮膚が赤くなった様子さえない。
「こ、転んで壁に手をついただけですよ」
「壁は殴っても逃げんぞ。俺の拳で実証済みだ」
火村が包帯の巻かれた手を見せる。
蓮司は何も答えず、逃げるように校舎裏を去った。
火村はその背中を見送ってから祈へ向き直る。
「お前、久世から何を聞いた?」
「更生にはかなりの時間が必要だそうです」
「それだけか?」
「美月さんの背中を蹴り、貯水槽へ落とした。水面へ上がって縁をつかんだ彼女の手を踏み、沈むまで見ていたそうです」
火村の表情が変わった。
「本人がそう言ったのか」
「はい」
「録音は?」
「ありません」
「証人は?」
「僕だけです」
火村は舌打ちし、蓮司が消えた方向を見る。
「……それだけじゃ逮捕できん」
「人間の法律は、ボイスメモがなければ耳まで無効になるのですね。だから警察官にボディカムが搭載されるようになるわけですね」
「皮肉を言ってる場合か。それより、お前はどうして白石美月を知っていた」
祈のポケットでスマートフォンが震えた。
━━審理に必要な情報が確認されました。
画面を開くと灰色だった購入ボタンが黒く染まっている。
「質問に答えろ、天羽」
「刑事さん」
「何だ」
「久世さんは、過ちを犯した人間にも時間を与えてほしいと仰っていました」
祈は火村を見ながら、黒い購入ボタンへ指を置いた。
「……僕はそう思いません」
商品価格━━十三円。
祈は購入ボタンを押した━━。
学校から少し離れた駐車場で、白石孝則のスマートフォンが震えた。
火村へ音声を渡したあとも帰る気になれず、運転席で娘の写真を見つめていた。
《エルカリ》から届いた通知を開く。
━━Elが商品を購入しました。
「美月……」
孝則は助手席に置いていた片方だけのローファーを胸へ抱いた。
喜んでいいのか、恐れるべきなのか分からない。
ただ、三年間どこへ訴えても届かなかった言葉が、ようやく誰かへ届いたのだと理解した。
* * *
久世蓮司は右手の痛みに耐えながらマネージャーの車へ戻った。
「その手、どうしたんだ?」
「階段で転びました。大したことありません」
「腫れが酷い……病院へ行った方がいい」
「先に帰ってください。一人で行けます」
不審がるマネージャーを追い返し、蓮司は校門近くのベンチへ座った。
祈の顔が頭から離れない。
全力で殴った。
そして確かに頬に拳が当たった。
それなのに殴った自分の手だけが壊れ、アイツはまるで綿が触れたかのように平然としていた。
「何なんだよ、あいつ……!」
スマートフォンが震える。
桐谷颯斗から新しいメッセージが届いていた。
『今夜十一時、あの浄水施設へ来い』
『削除する前の動画を持っている』
『俺は警察に全部話す』
蓮司が返信しようとした瞬間、画面が勝手に予定表へ切り替わった。
日時━━本日、二十三時十三分。
場所━━旧浄水施設。
予定━━過去と向き合う。
「は?」
削除しようとするが、何度触れても予定は消えない。
画面の下に一文が浮かび上がる。
〈過去は変えられなくても、人は変えられます〉
蓮司は青ざめたあと、やがて自分を落ち着かせるように息を吐いた。
「颯斗の野郎が……変なアプリまで使って脅してんのか」
Elの仕業かもしれないという考えを蓮司は無理やり頭から追い出した。
自分は鷺沢怜央とは違う。
証拠は消した。警察も学校も三年前に事故だと認めている。人を殺した罪で裁かれたこともない。
自分は、少年法によって人生を救われた成功例なのだ。
蓮司は桐谷への返信欄を開いた。
『分かった』
『三年前の場所で、全部終わらせよう』
送信すると、画面に表示された予定が赤黒く染まった。
━━取引場所が確定しました。
久世蓮司はまだ、自分のいう「全部」と、Elのいう「すべて」が、まったく異なる意味を持つことに気づいていなかった━━。




