第六話 罪は消えずに炎は広がる 後編
県議会議員、鷺沢彰彦の緊急記者会見は午後四時から始まった。
そしてその会見は三年前と同じ会見場だった。
壇上へ現れた彰彦は黒いスーツを着て、沈痛な面持ちで一礼した。
無数のフラッシュが焚かれる中、そのまま十秒近く頭を下げ続ける。
「昨夜、私の息子である怜央が正体不明の人物によって命を奪われました」
用意された原稿を読み上げる声は震えていた。
ただし、それが息子を失った悲しみによるものなのか自らの立場を失う恐怖によるものなのかは誰にも分からない。
「息子が生前、皆様へご迷惑をおかけしたことについて父親として深くお詫び申し上げます。しかし現在インターネット上で拡散されている発言は、生命を脅かされた極限状態で強要されたものです」
記者たちの間にざわめきが広がる。
「また、Elを名乗る殺人者が公開した文書についても捏造された可能性を否定できません。息子もまた、根拠のない誹謗中傷と残虐な暴力によって命を奪われた被害者なのです」
その言葉は、三年前とほとんど変わらなかった。
『息子もまた、根拠のない誹謗中傷に苦しむ被害者です』
水瀬咲良が命を絶つ前日に、彰彦が口にした言葉だ。
最前列の記者が手を挙げる。
「資料には、先生の政治団体から秘書の管理会社へ二百万円が支払われた記録があります。その三日後、怜央さんの指示を実行した四名へ合計百六十万円が送金されています。これも捏造でしょうか」
「政治団体の支出については、すべて適切に処理しております」
「では、残りの四十万円は何に使われたのですか」
「現在確認中です」
「秘書の桐生正臣氏と連絡が取れません。先生は居場所をご存じですか」
「個々の職員の行動について私から申し上げることはありません」
彰彦は用意された答えを繰り返した。
さらに別の記者が立ち上がる。
「水瀬家へ告訴を取り下げるよう圧力をかけたという音声も公開されています」
「私はそのような指示をしておりません」
「警察が踏み込む前日に怜央さんの端末が水没した件は?」
「存じ上げません」
「息子さんは先生の秘書が処分したと証言しています」
「先ほども申し上げましたが、あの発言は殺人者によって強要されたも━━」
会見場の後方にある扉が開いた。
何人もの捜査員を連れ、火村が入ってくる。
両手には白い包帯が巻かれていた。
「会見中に失礼します、鷺沢先生」
彰彦の顔が強張る。
「火村刑事……何の真似ですか」
火村は壇上の前まで歩き、一枚の令状を掲げた。
「あなたの議員事務所と自宅に対する捜索差押許可状です」
「Elの作った証拠だけで裁判所が令状を出したと?」
「昨夜から、こちらでも確認を進めた」
火村は記者たちの前で資料を開いた。
「Elの文書に記載されていた送金日時と金額は、銀行側の記録と一致した。実行役の一人が提出したスマートフォンからも怜央の指示と秘書からの入金履歴が見つかっている」
「それは息子と秘書が勝手にしたことだ! 私には関係ない!」
「秘書の桐生は、今朝警察へ出頭したよ」
彰彦の表情から、初めて政治家の仮面が消えた。
「……なんだと?」
「端末を破棄し、実行役に金を配るよう指示したのはあなただと供述している」
「嘘だ!」
「三年前、水瀬由美子さんへ告訴を取り下げるよう圧力をかけたことも認めた。録音も提出されている」
彰彦が後ずさる。
報道陣のカメラが一斉にその姿を追う。
「待ってくれ。私は県議会議員だぞ!? こんな場所で何の断りもなく━━」
「だから何だ……!」
火村の声が会見場を静めた。
「息子もまた被害者だと、あんたは三年前にも言った。その言葉で本当の被害者を嘘つきにした」
「息子はもう死んだんだぞ!」
「水瀬咲良さんも死んだ」
火村は彰彦から目を逸らさなかった。
「だがあんたは生きている。生きているなら法廷へ立てる」
「Elが公開した違法な情報を、警察が利用するのか!」
「ふっ……勘違いするな」
火村は捜索差押許可状を彰彦の前へ突き出した。
「Elが示した情報を俺たちが一から調べ直した。あんたを裁くのは神じゃない、人間だ」
捜査員たちが壇上へ上がる。
彰彦は何かを叫ぼうとしたが無数の記者が浴びせる質問に声をかき消された。
会見終了から三十分後。
彰彦が所属する政党は彼の除名処分を発表した。県議会議員の辞職勧告決議案が提出され、後援会は解散。
彼の一族が経営する企業からは複数の取引先が契約解除を申し入れた。
警察車両へ乗せられる彰彦の映像を、水瀬由美子は自宅のテレビで見ていた。
画面の中の記者が、咲良を「虚偽情報によって命を奪われた被害者」と呼んだ。
それは三年前からずっと聞きたかった言葉だった。
由美子は娘の写真を胸へ抱いた。
「咲良。やっと……みんな、信じてくれたよ」
笑おうとした唇から、嗚咽だけが漏れた。
* * *
その日の夜、火村は《ミモザ》の事務所にいた。
店はまだ営業を再開しておらず、客席の照明も半分しかついていない。窓の外では、鑑識員が駐車場の調査を続けている。
机の上には、回収した紙袋が透明な証拠袋に入れて置かれていた。
《ミモザ》のロゴが印刷された、ごく普通の持ち帰り用紙袋。
指紋も唾液も検出されなかった。
黒煙が素手で触れ、ハンバーガーを食べていたにもかかわらず付着していたのは店内の空気中に存在する微量の埃だけだった。
「本当にこれをあの化け物が持ってたんですか?」
若い女性刑事が尋ねる。
「ああ。俺が見た」
「でも、中身を食べてたんですよね。神様がハンバーガーなんて食べます? 神様の正体はニューヨーカーとかですかね?」
「俺に聞くなよ、宗教学は専門外だ」
火村は防犯映像へ視線を戻した。
画面には怜央たちが店を出る様子が映っている。
その三十秒後、黒いごみ袋を二つ持った祈がバックヤードから現れた。
「ここからだ━━」
映像の中で祈が裏口を出る。
二十秒後、店内と駐車場のカメラが同時に暗転した。
三秒間の空白。
映像が戻ったとき、駐車場には鏡の立方体が出現している。
祈の姿はどのカメラにも映っていなかった。
黒煙が消えたあとも祈が店内へ戻る瞬間は記録されていない。気づいたときには、厨房の隅でオムライスを食べていた。
「まさか火村さん……この子がElだっていうんですか?」
「そんなことは言ってない」
「でも、疑ってるんでしょう」
火村は答えなかった。
映像を少し巻き戻す。
祈が厨房で七緒と会話している場面だった。
防犯カメラの音声は不鮮明だが、店内の混乱に備えて七緒が録音していた業務用端末には二人の声が残っている。
『あのお客様のステーキは、カットステーキかつウェルダンでお願いします』
『カットもするの? 注文はミディアムじゃなかった?』
『生焼けのものを出してあとから腹痛を訴えられても困りますので。まぁ結局、彼はこのあとカットステーキになりますけど』
火村は音声を止めた。
事件が起きる一時間前。
祈は怜央が切断されることを予告していた。
冗談だったと言われればそれまでだ、偶然にしては悪趣味で出来すぎているというだけで逮捕はできない。
「この天羽祈という少年、どうします?」
若い刑事が尋ねた。
火村は一時停止した映像を見つめた。
画面の中で祈は裏口を出る直前にわずかに顔を上げている。
防犯カメラの存在へ気づいたようにも、これから映像が途切れることを知っていたようにも見えた。
「しばらく監視対象に置く」
「本気ですか? どう見ても普通の高校生ですよ?」
「普通の高校生は人間が切り刻まれる一時間前に、カットステーキになるとは言わん」
「そんなの……ただの悪趣味な冗談じゃないですか」
「そうかもしれん」
火村は映像を再生した。
祈が裏口の向こうへ消え、二十秒後に画面が暗転する。
「だが、刑事が偶然を信じたら現場に残った必然を見落とす」
今のところ、天羽祈とElを結ぶものはこの曖昧な映像と火村の勘だけだった。
証拠とは呼べない。
だからこそ火村は焦らず、もう一度最初から映像を見直した━━。
* * *
深夜、《ミモザ》は一日だけの臨時休業を終えた。
客席の照明は落とされ、窓の外に残っていた規制線も、警察による現場検証が終わるとともに撤去されている。あれほど大勢いた報道陣も姿を消し、駐車場には冬の冷たい風だけが吹いていた。
祈は誰もいない窓際の席で、遅い夕食を取っていた。
七緒が作った大皿のナポリタンを三皿食べ終え、四皿目へフォークを伸ばしたところでエプロンのポケットに入れていたスマートフォンが短く震える。
━━新しい商品が出品されました。
一般利用者には表示されない通知。
祈が画面を開く。
商品写真に写っていたのは、片方だけの黒いローファーだった。
泥と乾いた藻がこびりつき、爪先には深い傷がある。内側の白い布には、幼い文字で持ち主の名前が書かれていた。
━━白石美月。
商品名━━娘の片方だけのローファー。
商品の状態━━傷や汚れあり。
価格━━十三円。
出品者は、白石孝則。
商品説明には、父親が三年間書き直し続けたような、長い文章が記されていた。
『娘の白石美月は、十三歳で亡くなりました』
『娘を貯水槽へ突き落としたのは、当時十五歳だった二人の少年です』
『ですが、二人は娘が自分で足を滑らせたと証言しました』
『娘が暴行される様子を撮影した動画も、貯水槽へ落とされる直前の部分だけが削除されていました』
『学校は、娘が彼らの恐喝について相談していた事実を隠しました』
『二人は別件の恐喝と傷害について処分を受けましたが、娘を殺した罪では裁かれていません』
祈は非公開資料を開いた。
三年前、美月は同じ中学校の三年生たちが下級生から金を脅し取っている場面を目撃した。
被害に遭った生徒を助け、翌日には教師へ相談するつもりだった。
その日の夕方、美月の端末へメッセージが届いた。
『話し合いたい』
指定された場所は、町外れにある使われなくなった浄水施設だった。
美月を待っていたのは、二人の中学三年生。
全員十五歳だった。
彼らは美月を取り囲み、告げ口をしないと約束させるために暴行を加えた。その様子を笑いながら撮影し、最後には貯水槽の縁まで追い詰めた。
警察に提出された動画は、そこで途切れている。
二人は美月が勝手に逃げようとして足を滑らせたと主張した。学校も以前から恐喝が行われていたことや美月から相談を受けていたことを否定した。
美月の死は事故として扱われ、殺人を裏づける証拠は見つからなかった。
少年たちの名前も顔も公表されなかった。
ニュースの中で、彼らは最後まで少年A、少年Bと呼ばれていた。
主犯格の少年A━━久世蓮司は、現在十八歳。
恐喝と傷害によって少年院へ送られた過去を公表し、今では「非行から立ち直った若者」として講演活動を行っている。
出版した自伝の題名は『やり直す勇気』。
動画配信では命の大切さを語り、少年法によって人生を救われた経験を笑顔で話していた。
その一方でかつての共犯者を当時の動画で脅し、口止め料を要求し続けている。
そして美月の命日には、白石家へ差出人不明の封筒が届く。
今年の封筒には、浄水施設の貯水槽を撮影した写真と短い文章が入っていた。
『美月も、ちゃんと足元を見ていれば大人になれたのにね』
出品説明の最後に孝則の言葉が残されていた。
『あの少年は更生していません』
『娘を殺したことを、今も楽しんでいます』
祈はナポリタンを口へ運びながら、添付資料を一つずつ確認した。
神は全知ではない。
父親の訴えだけで判決を下すことはできなかった。久世蓮司が本当に美月を突き落としたのか。現在も罪を悔いていないのか。審理には、本人の言葉と祈自身による確認が必要になる。
資料の最後には、蓮司の講演予定表が添付されていた。
三日後、祈が通う高校の体育館で全校生徒を対象とした講演会が開かれる。
講演題目は━━『過去は変えられなくても、人は変われる』。
「素晴らしい題名ですね。僕より皮肉が効いてる」
祈は感心したように呟いた。
「亡くなった方の過去だけは、何一つ変わらないようですが」
画面の下にある購入ボタンは、まだ黒く染まっていなかった。
━━審理に必要な情報が不足しています。
祈はローファーの写真を閉じ、残っていたナポリタンを口へ運んだ。
三日後。
久世蓮司は、命の大切さを語るために祈の学校へやって来る━━。




