第四十七話 子供の声はよく売れる 後編
毒島を乗せた黒いセダンが《ミモザ》から二つ先の交差点へ入ると、路肩に停まっていた別の黒い車も静かに動き始めた。
後部座席にいる久我は望遠レンズを毒島へ向けていない。
祈から七緒を画角の中心へ置くなと警告されたため、車両のナンバーと走行経路だけを小型カメラで記録している。
「久我さん。あの女も一ノ瀬理事長の依頼ですか」
運転席の男が尋ねた。
「依頼人ではない。依頼人へ仕事を与える側だ」
毒島の車は一ノ瀬学園へ向かわずに市内にある会員制ホテルの地下駐車場へ入った。
久我は車を降りず、以前仕掛けていた駐車場の監視装置へ接続する。
毒島はエレベーター前で一ノ瀬理事長と合流した。
さらに二人を待っていたのは、灰色のスーツを着た中国人の男だった。
その男の名前は梁国華。
東亜青少年交流基金の日本担当理事であり、中国の党幹部と近い関係を持つ対外事業の責任者でもある。
三人は最上階の個室へ入った。
駐車場の監視装置だけでは室内の音声までは取得できない。
しかし久我が理事長から祈の調査を依頼された際、このホテルの会談場所も監視対象として指定されていた。
依頼終了後も撤去していなかった集音器が三人の声を拾う。
『和泉七緒はノートを渡さなかった』
毒島が先に報告した。
『六年前の相談記録なら、既に処理したはずでしょう』
梁が流暢な日本語で尋ねる。
『学校側の記録は書き換えました。しかし本人のノートに私の発言と当時の実証事業について記載がある可能性があります』
『実証事業の記録まで?』
一ノ瀬理事長が聞き返す。
『集団内の対立を教師の介入でどこまで抑制できるかを調べた事業です。数字上はいじめの認知件数を減らせましたが、当時の指導内容を記されていれば現在の選別手順と照合される恐れがあります』
『生徒が一人死んだのでは?』
『認知件数には含めていません』
毒島は迷いなく答えた。
『本人の家庭環境を主因として処理しましたから』
『和泉愛理は、海外交流候補の中でも最上位だったはずですね』
梁が確認すると、毒島は資料をめくる音を立てた。
『当時十五歳。容姿評価は最高位、主たる養育者である姉は夜間勤務が多く家庭から学校へ介入される可能性も低い。商品価値としては、同年代の候補者で最も高額な協力金が提示されていました』
『商品価値ではなく、交流適性と呼べ』
一ノ瀬理事長が、感情のない声で訂正した。
『この部屋で言葉を飾る必要がありますか』
毒島が僅かに笑う。
『必要だ。選考表に商品価値と書けば、それを見つけた人間にも売買だと理解できてしまう。容姿は国際交流への親和性、家庭の抵抗は海外生活への適応性、支払額は現地団体からの教育協力金として統一しろと最初に指示したはずだ』
『失礼いたしました、理事長』
毒島は素直に謝った。
一ノ瀬理事長は毒島が相談者の中から候補を選別していることも、梁の関係者が国外で少女たちを受け取っていることも最初から知っていた。
毒島の法人だけでは未成年者を何人も国外へ送り続ければ必ず不審に思われる。
そこで一ノ瀬が学校法人と提携校の交換留学制度を提供し、成績証明、推薦状、保護者説明会、休学や転校の記録まで正規の教育事業へ見える形に整えていた。
毒島が値札をつけて一ノ瀬が制服と公印を与え、梁が海の向こうで受け取る。
三人の中で誰か一人が従属しているのではない。
それぞれが別の扉を管理し、子供を国外へ運ぶ一本の廊下を作っていた。
梁が面白くもなさそうに指摘した。
『言葉を飾る必要はありません。こちらが求めているのは身元が確かで、容姿が良く、帰国後に騒ぐ家族の少ない少女です。その条件を満たす名簿をあなたの法人が提供している』
『そして、あなた方だけでは一人も合法的に出国させられない』
一ノ瀬理事長は即座に返した。
『こちらが推薦し、学校の行事として旅券と同意書を揃えるから空港で誰にも止められない。受入先を変更したあとの処理まで含め、それを可能にしているのが誰なのかお忘れなく━━』
梁は反論せず、グラスを机へ置いた。
久我の指が集音器の録音感度を上げた。
子供の悩みを売っているだけではない。
毒島たちは相談に来た女子生徒の顔と家庭環境を値踏みし、留学や支援を装って梁の犯罪網へ送り出していた。
『愛理さんは、事前面談と写真撮影を拒否しました』
毒島の声には、死者を悼む響きが一切なかった。
『そのためクラス内で孤立させ、私だけを頼る状態へ誘導したあと国外の支援先を逃げ道として提示する予定でした。公開の場で相談内容を扱ったのも本人と周囲の関係を切るためです』
『それで対象者が死んだ』
一ノ瀬理事長が毒島を見た。
『移送前に自死した点は失敗です。ただし、その事例によって現在の選別と誘導手順は改善されました』
梁が小さく息を吐く。
『惜しい商品でした。あの見た目なら、提示額より上へ交渉できたでしょう』
『惜しいのは金ではない』
一ノ瀬理事長の声が低くなる。
『候補者を一人失い相談ノートを回収せず、六年後に姉の手元から計画全体へ辿れる証拠が出てきた。死なせるなら痕跡を残すな、生かして送るなら最後まで従わせろ。どちらもできなかったことが問題だ』
『学校と教育委員会の記録は、あなたが処理してくださったでしょう』
『私が処理したから失敗が事業へ波及せずに済んだんだ。家庭環境を主因とする報告書も、いじめを認知しなかった第三者調査もこちらの顧問を通じて整えた。和泉愛理の通っていた学校とは別の学校を経営する私が、わざわざな。今度はこちらへ持ち込む前に和泉七緒からノートを回収しろ』
毒島は笑みを消し、短く返事をした。
久我は一ノ瀬理事長が彼女の失敗を隠せる位置から、計画全体を管理しているのだと理解し無意識に眉を寄せた。
人を始末する仕事へ関わってきた自分でさえ助けを求めてきた少女へ値札をつけ、死ねば失敗事例として次の取引へ利用する発想はなかった。
『問題は過去の少女ではありません』
梁が机へ資料を置く音がした。
『天羽祈です。事故現場の映像、身体能力、Elとの時間的一致について本国は強い関心を持っています』
『本人へ近づくべきではない』
一ノ瀬理事長が答える。
『あの久我も同じことを言い、仕事から降りました』
『だからこそ、周囲から切り離すのです』
毒島の声が続く。
『和泉七緒の養育適格性へ疑義を出し、天羽祈を行政の施設へ戻す。そこで心理検査と身体検査を行えば正式な記録として情報を取得できます』
『結城葵の家庭情報は?』
梁が尋ねる。
『既に選別済みです。父親の中央政府および治安機関への人脈は、今後の協力対象として価値があります』
一ノ瀬理事長が低い声を出す。
『結城家の情報は私の許可なく国外へ渡すな。これは相談ではない』
『ですが、息子さんの恋愛事情を優先できる段階では━━』
『毒島』
一ノ瀬理事長は、毒島の言葉を途中で切った。
『あなたの法人が候補者を何人選んでも学校の推薦と公印がなければ梁先生のもとへ一人も送れない。私の管理する情報と、あなたに利用を許可した情報を取り違えるな』
『……承知しました』
『梁先生も、それでよろしいですね』
『結城家との窓口はあなたにお任せします』
個室が静かになる。
久我は音声を二つの記憶媒体へ複製した。
一つは自分の保険。
そしてもう一つは、あの火村陣へ渡すためだった━━。
* * *
午後六時十五分。
火村は県警本部地下の駐車場で久我と向かい合った。
「……あんたが久我か」
「写真より老けて見えますね、火村さん」
「初対面で喧嘩を売るな。天羽の真似か」
「あの少年ほど口も手も回りませんよ。それに私はリスクを承知で此処に来ています」
久我は薄い封筒と記憶媒体を差し出した。
「和泉七緒の事故を手配したのは、一ノ瀬理事長です」
火村の目が鋭くなる。
「証拠は」
「依頼時の音声、支払い経路、運転手へ指示を流した仲介人。必要なものは入っています」
「お前、自分も共犯だと分かってるのか?」
「監視と情報収集を請け負いました。事故の実行役は別です」
「だから無罪だと?」
「いえ、罪の値段を交渉するつもりはありません。そしてこちらが本題です」
久我は封筒から一枚の写真を取り出した。
会員制ホテルの地下駐車場で一ノ瀬理事長、毒島沙耶、梁国華が並んでいる。
「こちらは本日撮影しました」
「コレをどうして俺に持ってきた」
「契約した相手を間違えたからです」
「反省か」
「それもありますが、職業上の評価です」
久我は一瞬だけ、《ミモザ》がある方角へ目を向けた。
「何トンもの車両を止められる力がありながら運転手を生かし、歩道の子供まで傷つけなかった。私のように始末だけする仕事より、守る仕事の方が遥かに難しい」
「それは……天羽を褒めているのか?」
「さあ? どうでしょう。果たしてアレが天羽祈なのかElなのか、はたまた別のナニカなのかは私も知りません」
久我の声には恐怖と敬意が同時に混じっていた。
「ただ和泉七緒へもう一度手を出す側には二度と立ちたくないし、彼を敵に回したくない━━」
火村は記憶媒体を受け取る。
「証言してもらうぞ」
「必要であれば」
「逃げるなよ」
「逃げる相手は選びます」
「天羽からは━━?」
久我は僅かに笑った。
「ふっ……彼から逃げられると思うほど、私は己を高く評価していませんよ」
黒い車が地下駐車場から去ったあと、森川が柱の陰から出てくる。
「信用しますか」
「しない」
「即答ですね」
「だが信用と証拠は別だ。中身を確認する」
火村は写真を見た。
「ただ、理事長が息子の事件を隠すためだけに動いていたわけじゃないことは分かった」
「中国の基金と児童支援法人まで繋がっている」
「学校の相談記録が何に使われたのか調べるぞ。結城葵の名前も出ている」
森川の表情が変わる。
「本人と家族へ知らせますか」
「裏を取ってからだ。今知らせれば毒島たちにも確実に伝わる」
火村は記憶媒体を証拠袋へ入れた。
「子供の声を聞く法人が、外国へ何を喋っていたのか確認する━━」
* * *
翌日の午前、七緒は愛理の相談ノートの写しを持って県警本部を訪れた。
原本は《ミモザ》二階の缶へ戻してある。祈には火村へ相談に行くと伝えたが、十三円の出品画面を開いたことまでは話せなかった。
火村は昨夜からほとんど眠っていない顔で面談室へ七緒を通した。
「毒島沙耶について、調べてほしいんです」
「昨日、店に来たそうだな」
「どうして知ってるんですか」
「今は説明できない。何を言われた」
七緒はノートの写しを机へ置いた。
愛理が相談した日時、毒島からクラス全員の前で手紙を読まれたことや謝罪を強要されたこと、そして自分が悪いと繰り返し書かれた最後のページ。
「六年前、何度も警察と教育委員会へ行きました。でも学校の指導に問題はなかったって……」
「当時の経緯から確認する」
「本当に?」
「先に言っておく。少しだけ古い事案だから記録も人の記憶も失われている。毒島の行為が妹さんの死へ法的にどこまで結びつくかも今は約束できない━━」
七緒の顔が曇る。
「ただし、毒島と一ノ瀬学園の間には現在進行形の問題がある可能性が出てきた」
「現在進行形……?」
「詳しくは話せない。それでも、このノートは預からせてほしい」
「写しです。原本は渡せません」
「もちろん。原本の保管場所を絶対に人へ話すな」
火村は七緒を見た。
「毒島から連絡があっても一人で会うな。店へ来たら通報しろ」
「そんなに危険な人なんですか」
「子供の秘密を商品として扱う人間は、口より先に倉庫を守る」
七緒は意味をすべて理解できなかったが、静かに頷いた。
「火村さん」
「何だ」
「Elに頼むより、警察へ来てよかったと思わせてください。お願いします」
火村の目が僅かに動く。
「十三円で出品したのか」
「……してません」
「そうか、しようとはしたんだな」
七緒は答えなかった。
「すまない、俺は神より遅い」
火村はノートの写しを閉じる。
「間違えることもあるし証拠がなければ動けない。それでも、生きた人間を法廷へ連れていくのが俺の仕事だ」
「はい」
「だから、まだ復讐を依頼しないでくれ」
七緒は目元を拭い、もう一度頷いた。
* * *
七緒が県警本部から出た姿を、道路の向かいに停められた車の中から若い女が撮影していた。
前日、毒島とともに《ミモザ》へ来た法人職員だった。
画像が送られてから一分後、毒島は〈こどもの声〉本部の執務室で一ノ瀬理事長へ電話をかける。
「和泉七緒が、警察へ行きました」
『ノートを渡したのか』
「持っていたのは薄い封筒です。原本ではないでしょう」
『処分させろ』
「無理に奪えば天羽祈が動きます」
毒島は《ミモザ》で少年と目を合わせたときの感覚を思い出した。
あれは、自分がこれまで言葉で支配してきた子供たちとは違う。
脅せば怯えるのではなく脅した人間の方を何かの基準に当てはめて裁定している目、そしてなにより絶対的な底知れぬ恐怖……。
「本人へ触れる必要はありません」
『どうする』
「和泉七緒を一時保護委託の受け入れ先から外します。妹の死へ強く固執し、Elへ処刑を依頼しようとした疑いがあると報告すれば養育適格性の再審査は避けられません」
『出品した証拠があるのか』
「ありません」
『では使えない』
「疑いだけで十分です。子供の安全に関する制度は疑いを無視できませんから」
毒島は微笑んだ。
「天羽祈を施設へ戻したあと、当法人が心理評価を引き受けます」
『あの少年が従うと思うか』
「従わせるのは、私たちではありません」
机の上には児童相談所へ提出する意見書が開かれている。
「和泉七緒自身に、祈のためだと思わせます」
* * *
同じ時刻、《ミモザ》の二階で祈は一人、黒いスマートフォンを見ていた。
七緒が準備した商品は既に一般画面からも非公開画面からも消えている。
毒島沙耶に対する祈りは届いていない。
したがって購入も、審理も、執行もできない。
それでも神の画面には、〈こどもの声〉が管理する外部サーバーの情報が表示されていた。
登録された子供と保護者、相談内容、学校、家族の勤務先、政治家や官僚との関係。
三千件を超える記録の一部は中国に置かれた梁の管理サーバーへ複製されて利用価値に応じて赤、黄、青の印をつけられている。
その中に、一般の職員には表示されない〈国際特別交流候補〉という分類があった。
十三歳から十七歳までの女子生徒だけが並び、顔写真や年齢、旅券の取得状況、家族が異変へ気づく可能性、帰国を求めて行政へ訴える危険度、そして〈受入先協力金〉と称する金額まで記載されている。
候補者ごとの記録には毒島沙耶による一次選定、一ノ瀬理事長による教育交流枠の承認、梁国華側による受入先指定という三段階の欄があり、いずれか一つでも欠ければ手続きは先へ進まない。
一ノ瀬の承認欄には電子署名だけでなく学校法人の公印番号が残っていた。
国外へ送られた少女たちは毒島の独断で奪われたのではなく、学校法人の理事長が一人ずつ資料へ目を通して自ら通行許可を与えていた。
留学先へ到着済みと表示された少女の記録を辿ると受入家庭でも教育機関でもない梁の関連組織へ行き着き、その日付と同じ日に〈こどもの声〉の口座へ多額の寄付金が入っていた。
子供の声に値段をつける法人は、顔にも同じことをしていた。
結城葵の記録には赤い印がある。
父親の中央政府および治安機関への影響力。
一ノ瀬真との交際関係。
天羽祈の盗撮事件における被害申告。
その隣には祈自身の名前もあった。
分類━━最重要観察対象。
推奨措置━━家族および保護者からの分離、管理施設における継続観察。
祈は画面を下へ送る。
六年前の古い資料には和泉愛理の名前が残っていた。
事案名━━学校適応支援実証事業における対象者死亡。
選定時年齢━━十五歳。
容姿評価━━S。
家庭介入危険度━━低。主たる養育者は姉。夜間勤務により不在時間が長い。
予定経路━━東亜青少年交流基金による短期留学後、梁国華指定団体へ身柄を移管。
交流枠承認者━━一ノ瀬学園理事長。
候補者管理記録━━事前面談を拒否。相談内容の公開、学級内での孤立化および家庭環境への罪悪感を利用し担当者への依存を誘導。
取引結果━━対象者死亡により中止。
処理結果━━家庭環境を主因とする自死として整理。
対外説明━━いじめの認知なし。
事業評価━━成功。
最後の二文字を読んだ瞬間、祈の指先でスマートフォンの縁に細い亀裂が入った。
購入ボタンは現れない。
七緒が出品を取りやめた以上毒島は商品ではなく、祈は裁くことができない。
「成功、ですか」
祈は独り言のように呟いた。
画面へ新しい通知が表示される。
━━国際特別交流候補一名の移送手続きが開始されました。
━━出国予定まで、四十二時間。
━━和泉七緒に関する養育適格性意見書が作成されました。
━━提出予定時刻、明日午前九時。
祈の瞳が、ゆっくりと暗くなる。
神は祈られるまで罪人を裁けない。
しかし、帰る家を守るために祈りが必要だとはどの規則にも書かれていなかった━━。




