第四十一話 偽りの家族会議 後編
午後七時十三分。
報道特別番組〈奇跡の再会━━五か月の失踪を乗り越えた家族〉が始まった。
都内のスタジオには祈の父親と母親が並び、その後ろの大型画面へ幼い祈を抱いた家族写真が映されている。
父親は濃紺のスーツを新調し、母親は番組のメイク担当へ目元を少し疲れて見えるよう頼んでいた。
同じ番組を湾岸地区のホテルで見ていた久我は母親が涙を浮かべる場面でノートパソコンを開いた。
割れたカメラから救い出したメモリーには祈の写真以外にも両親が一ノ瀬学園の顧問弁護士と接触した日時、番組出演料を交渉したメール、祈の肖像使用料を親権者の管理口座へ入れる契約案が残っている。
祈ならこんな資料がなくても両親を黙らせられるだろう。
しかし、祈があえて生放送へ出るのなら人間の世界で通用する証拠と制裁が必要なのだと久我は理解した。
久我は送信者情報を消し、番組の調査班へファイルを送った。
「これは依頼への裏切りではない」
誰もいない部屋で呟く。
「契約終了後の品質管理、そして彼へのファンレターだ」
司会を務める報道記者の高瀬美由は、二人の苦労を紹介してから母親へ話を向けた。
「祈さんが五か月ぶりに見つかったとき、どのようなお気持ちでしたか」
「生きていてくれた。それだけで十分でした」
母親は声を震わせた。
「毎晩、あの子が小さかった頃の写真を見てどうか無事に帰ってきてと祈っていました」
「お父様も、勤務先を休んで捜されたそうですね」
「はい。警察だけへ任せてはいられませんから、妻と二人で心当たりの場所を回りました」
画面には河川敷を歩く両親の再現映像が流れた。
だがそれは祈が実際に暮らしていた場所とは別の芝生と、遊歩道が整備された明るい河川敷だった。
スタジオから離れた《ミモザ》では窓際の一角へテレビ局の中継機材が組まれていた。
祈はカメラの前で大皿のミートソースを食べ、隣には額に小さな絆創膏を貼った七緒が座っている。
火村と森川や児童相談所の職員一名も店内におり、出入口には制服警察官が立っていた。
「それでは、祈さんにもお話を伺います」
高瀬の声とともに画面が二分されて両親と祈が同時に映る。
「ご両親はあなたを捜して五か月間各地を回ったとお話しされています」
「初耳です」
祈はフォークへパスタを巻きながら答えた。
「初耳……というのは?」
「五か月間両親から届いた連絡はゼロ件でした。僕が地上波に映った翌日には九件もございましたが」
母親の作った表情が固まる。
「祈。あなた、携帯を持っていなかったでしょう?」
「もうお忘れですか? スマホの契約を停止したのはそちらです」
「犯罪へ使われる可能性があったからよ」
「銀行口座も同時に止められております。息子の金融犯罪まで見越していたとは、息子に向けた身勝手な悪評だけは随分高かったようですね」
スタジオの空気が変わり、高瀬の手元へスタッフから新しい資料が渡された。
「えぇと……警察への捜索願について確認させてください。県警への照会では、天羽祈さんに関する行方不明者届はご両親から提出されていません」
「私たちは自分たちで捜していました」
父親が答える。
「その記録はありますか」
「家族を捜すのに、領収書が必要なんですか?」
「ご安心ください」
祈が口元をナプキンで拭いた。
「番組のギャラとタクシーの領収書は残るでしょうから今夜の家族愛だけは証明できますね、おめでとうございます。お二人に大きな拍手を」
七緒が祈の袖を引いた。
「少し言いすぎ」
「事実に最低限の礼儀を着せただけです。全裸のままでそこの席に座ってるあの二人は僕より見苦しいですよ」
番組のディレクターは今までの祈の言葉を読み取った結果、両親が想定していた方向から少しずつ番組内容が外れ始めた。
「祈さんが家を離れた日のことを教えてください」
「学校で問題を起こし、本人が出ていったんです」
「ですが玄関の鍵を交換した記録があります」
大型画面には失踪直後の日付が記された鍵業者の領収書が表示された。
「防犯上の事情です」
「息子さんの荷物を家の外へ放り出したことは?」
「自分で持っていけるようにまとめただけです」
「大変親切でした」
祈が頷く。
「国外追放でも普通は船と靴くらいは用意するものです。僕の場合は靴だけでしたので、経費の削減としては大変優秀ですね。それがサッカースパイクだったらU-21に出場出来た可能性もありますし━━」
「祈!」
父親の声が強くなる。
「家族の問題を面白おかしく話すな!」
「僕は大変真面目です。この中で笑える部分があるとすればご両親がこの、"感動番組"に出演している点でしょう」
高瀬は父親を制し、次の資料を示した。
「祈さんが発見された際、ご両親は警察署で引き取りを拒否しています。この記録については?」
「突然連絡されてこちらにも準備がなかったんです」
「僕の部屋は既に物置でしたので、確かに空きがありませんでしたね」
「一時的に荷物を置いていただけよ!」
「追い出した息子より、埃を被ったガラクタの方が信用されていたのでしょう」
スタジオの観覧者から小さなどよめきが起こる。
母親は涙を拭く仕草をしながら祈の隣にいる七緒を見た。
「あの人に何を吹き込まれたの? たった一か月一緒にいただけでしょう」
「はい」
「私は十六年あなたを育てたのよ!」
「ですが最後の一か月に全て欠席したお陰で全単位を落としたようですね」
「食べ物を与えられて懐いているだけじゃない!」
「それでは十六年分の養育が、一か月分の白米に惨敗したことになります」
祈は皿へ残ったパスタを見た。
「もっとも、量を考えれば一般家庭の十年分ほどですが」
店内のテレビ局スタッフが笑いを堪え、七緒は額へ手を当てた。
「なるほ……ふふっ……失礼しました。ではすみません、和泉七緒さん」
高瀬が呼びかける。
「祈さんへ、ご両親の悪い印象を与えるような話をしたことはありますか」
「ありません」
七緒はまっすぐカメラを見た。
「私は祈くん本人が話したくないことを無理に聞きませんでした。ただ、帰ってきたら食事を出してここにいていいと伝えただけです」
「それが洗脳なのよ!」
母親が叫ぶ。
「家族から引き離して自分だけを信じさせたんでしょう!」
「ほう、炭水化物による洗脳ですか━━」
祈は感心したように眉を上げた。
「それは随分と平和な宗教だ。教祖は農林水産大臣、祭壇には象◯の炊飯ジャーでも置くのでしょうか。それならヴィーガンも入信してくれそうですね」
「お前は黙っていろ!」
父親が机を叩いた。
「お前が今こうして学校へ通い、テレビへ出られるのは誰が育てたからだと思っている!」
「腐った木を切り倒しただけの庭師が、別の庭で花を咲かせたのを見て育成料を請求するとは……女子高生をひき逃げしたのに辞めない共◯党女性議員か、観光ついでに路上に排便する人種並みの図々しさですね」
祈は薄く微笑んだ。
「墓地の管理人でも、埋めた人間の将来までは所有しませんよ」
「親へ向かってその態度は何だ!」
「あなた方が昔捨てた子供の態度です。最後に見た親の背中がコレだったのでしょうね」
父親の顔が赤くなる。
「お前なんか、あの女に拾われなければ今頃野垂れ死んでいたんだぞ!」
その言葉が全国へ流れた瞬間スタジオから音が消えた。
父親自身も何を認めたのか理解し、口を開いたまま動かなくなる。
「面白い事を仰る。あなた方が僕を追い出したあと、僕が最後に触れた玄関のドアノブを除菌シートで拭かなければそもそも死んでおりませんよ」
「嘘……二人はそんなことまで……」
ドン引きする高瀬の手元にはさらに新しい資料が届いた。送信者の欄は空白だったがファイルには祈が注目を集めた翌日に父親が芸能事務所へ送ったメールと、母親が週刊誌へ提示した幼少期写真の価格表が含まれている。
「こちらは、お二人が祈さんの活動を管理するため作成した契約案でしょうか」
画面には〈肖像使用料の五十パーセントを親権者管理口座へ入金〉という一文が映る。
「……未成年の息子を守るためです」
「番組出演料について、当初提示額の三倍を要求した記録もあります」
「金額はテレビ局側から提案された!」
「メールには、お父様から〈祈の家族として独占なら三倍〉とあります」
祈は七緒へ顔を向けた。
「僕の価格が急上昇しておりますね。NDI◯IAの株価のようだ」
「嬉しくないでしょう」
「自分を捨てた方々が拾い直して再利用しようとする程度には。リサイクル事業の模範です」
「なんなんだよこれは話が違うじゃないか! こんな放送もう止めろ!!」
午後八時ちょうど。
父親が放送を止めるようスタッフにそう怒鳴った瞬間、日本中のテレビとスマートフォンへ同じ通知が届いた。
━━Elによる緊急配信が開始されました。
スタジオの大型画面が黒く染まり、人型の煙が父親と母親の背後へ立つ。
同時に番組画面は三分割され中央に黒煙、左に両親、右に《ミモザ》でパスタを食べる祈の姿が映し出された。
『大変心温まる家族会議でした』
男女の区別もつかない声が、すべての画面から流れる。
『暖房のない河川敷より、多少は温かかったかと』
「El……!」
父親が椅子から立ち上がる。
火村は即座に祈の隣へ移動してその肩へ手を置いた。
「天羽、俺を見ろ」
「食事中です」
「いいから答えろ。今朝、児童相談所で最初に誰が発言した」
「父です。内容は反省文の朗読でした」
祈が答えている間も画面のElは別の文章を話し続ける。
『天羽祈さんのご両親へ、お知らせがございます』
「次だ。俺が昨日、事故現場で最初にお前へ何を聞いた」
「移動方法です。刑事が負傷者の安否より通学手段を気にするとは、交通課に異動をご希望でしょうか」
『今夜、お二人の商品は出品されておりません』
火村は祈の脈へ指を当てた。祈は確かにここにおり、呼吸して食事を続け、質問へ即座に答えている。
スタジオでは黒煙が両親の周囲を歩き、《ミモザ》から百キロ以上離れた場所の司会者が投げた質問にも応じていた。
『従って購入も判決も、処刑も行われません』
母親が椅子の背へ手をつき、僅かに安堵した。
「では、私たちには関係ないでしょう!?」
『いいえ』
黒煙の手に、白い配送伝票が現れる。
『本日は息子さんからの返品です』
「返品……? まさか祈が……」
『お二人が息子さんへ送った五か月間を、差出人へ返送いたします』
「私たちは何も送っていない!」
『左様でございますか』
配送伝票の横へ、五か月間の記録が一つずつ表示された。
父親が祈の身体を玄関の外へ投げ出した映像。
母親が〈もう私を母親だと思わないで〉と告げた音声。
息子名義の電話と銀行口座を停止した履歴。
鍵を交換した業者への支払い。
そして、警察から連絡を受けても引き取りを拒否した記録。
『配送記録には、お二人の署名が大変よく残っております』
「それと今夜に何の関係がある!」
『一度放棄した親権を、息子さんの評判と出演料を回収するため再び利用なさいました』
画面には番組出演の契約案と児童相談所へ提出された親権者としての申立書が並ぶ。
『捨てた関係をもう一度所有なさるのであれば、その関係を使って発送したものもお受け取りください』
「祈が私たちを恨んでこんなことをさせているんでしょう!」
『そうでしたら息子さんにとっくに出品され、お二人は死んでいますよ』
『そして、残念ながら受取人に配送内容を決める権限はございません』
白い伝票が裏返り、返品規定が表示された。
〈返送事由━━放棄した保護者権限を利益及び支配のため再使用〉
〈返送内容━━住居、通信、財産及び保護者の信用を失った期間〉
〈返送上限━━天羽祈が両名の行為によって受けた損失〉
〈生命及び身体━━死亡、恒久的損傷を禁止〉
〈内容の追加、変更、延長━━禁止〉
〈判決及び本執行への算入━━該当せず〉
『息子さんがどれほどお二人を憎んでも、一秒も、一滴の苦痛も追加できません』
黒煙が両親を順番に見る。
『反対に、許したからといって差出人を変更することもできません』
『因果律は家族会議ほど柔軟ではございませんので』
『冬の路上、停止された電話と口座、閉じられた玄関、誰にも聞かれなかった言葉━━』
黒煙が伝票を読み上げる。
『内容物に不足はございません。しかし家族愛だけは……最初から梱包されていなかったようですね』
父親がスタジオの出口へ向かったが扉は開かない。
スタッフが外側から操作してもロックは解除されず、カメラだけが一台も止まることなく二人を映し続けている。
「祈! お前、何か知っているんだろ!」
父親が《ミモザ》の中継画面へ怒鳴った。
「大きい声を出さなくても僕はここにおります」
祈はフォークを置いた。
「本日の番組で、唯一証明された事実かと」
「Elを止めろ!」
「神へ命令できるのでしたら、まず出演料の返金からお願いなさってはいかがでしょうか」
「ふざけるな!」
「ご安心ください。テレビへ出れば家族の誤解は解けると仰ったでしょう」
祈の瞳へ、両親には見覚えのない静かな笑みが浮かぶ。
「望みどおり全国の皆様が正しく理解なさいました。なので僕を家から返品したように、僕もあなた方を返品いたします」
黒煙が指を鳴らす。
スタジオの床から冬の雑草が生え、照明器具は街灯へ変わって父親と母親の椅子が冷たい河川敷の砂利へ沈んでいく。高瀬と撮影スタッフは透明な壁の外側へ押し出されて両親の周囲だけが、祈が五か月間暮らした場所へ作り替えられた。
大型画面へ二つの時計が表示される。
〈現実経過時間 〇時間〇分〉
〈体感経過時間 〇日〇時間〉
その下へ、さらに一行が追加された。
〈返品完了予定時刻 午前一時十三分〉
「五時間……?」
母親が震える声で呟く。
『現実では、五時間十三分です』
Elが訂正する。
『ですが、お二人には五か月として提供されます』
「そんなことが許されるわけがない!」
『息子さんへ許可をお取りになりましたか』
父親は答えられなかった。
『今夜は処刑ではございません』
画面の隅に黒い文字が表示される。
━━非致死性返送。死亡及び恒久的な身体損傷は禁止されています。
━━返送内容は既に発生した損失を上限とし、本執行には算入されません。
《ミモザ》にある祈のスマートフォンにも、同じ通知が届いた。
━━次回の執行期限まで、百二十四時間十三分。
七緒は画面と祈の横顔を見比べる。
「祈くん」
「はい」
「これ、本当にあなたじゃないの?」
「僕は七緒さんの隣で、夕食を頂いております」
「距離が理由になる人なの祈くんは?」
祈は答えずに冷め始めたパスタへフォークを入れた。
火村も祈の肩から手を離さない。
「同時にいるから別人だとは限らん」
「世間では、それを"アリバイ"と呼ぶそうですよ。名探偵コ◯ンを一度ご覧になってください」
「人間に限ればな」
「僕の戸籍には"人間"と記載されております」
「戸籍に生物種を書く欄はない」
「それは行政の不備ですね」
スタジオでは父親が透明な壁を叩き、母親が祈の名前を呼び続けている。
「祈! 助けてくれ! 私たちは家族だろう! Elに交渉しろ!!!」
黒煙が二人の背後へ立った。
『家族であることが助ける理由になるのでしたら、五か月前にお使いになるべきでしたね』
河川敷の風景に雪が降り始める。
『ご自由にお帰りください』
「出口がないだろ!」
『息子さんにも、帰宅先はございませんでした』
母親が薄い衣服の胸元を押さえた。
「せめて、上着を……食べ物をください……!」
『素晴らしいご提案です』
Elは空の段ボール箱を二人の前へ置いた。
『半年前、ご自身で採用なさるべきでした』
「祈はどこにいるの……?」
『温かい店内で、洋食を召し上がっております』
画面が《ミモザ》の祈へ切り替わる。
祈は七緒から追加のパスタを受け取り、普段と変わらない顔で食べ始めた。
「祈くん。おかわりは三皿までだからね」
「本日は生放送記念の恩赦があるかと」
「ありません」
「人間の慈悲は、神より厳格ですね」
父親はそのやり取りを河川敷から見ていた。
自分たちには決して向けられなかった祈の素直な返事と、七緒が当然のように差し出す温かい食事。
五か月前に自分たちが閉めた扉の向こう側で別の人間が祈の家族になっている。
『それでは、五か月後にお会いしましょう』
Elが告げると、体感時間の時計が動き始めた。
〈一日目 午前零時零分〉
〈残り百五十二日〉
父親と母親の足元からスタジオの床が完全に消え、冷たい川風が二人の身体を包む。
透明な壁の外では司会者も撮影スタッフも助けることができないまま、全国へ向けてカメラを回し続けていた。
家族の誤解を解くために始まった生放送は両親が息子へ送った五か月間を、一秒も編集せず返送する番組へ変わった━━。




