第三十三話 二人の祈りは、同じ男を指す 後編
和泉家の台所で祈のスマートフォンが二度震えた。
祈は深夜の食事として、七緒が作り置きしたカレーを鍋から皿へ移していた。
━━新しい商品が出品されました。
━━新しい商品が出品されました。
「随分と重なる夜ですね。ミルフィーユが食べたくなってきました」
二つの通知を開く。
娘の切れたネックレス。
九年間の無実ノート。
出品者の名前も失ったものも異なる。
だが、説明欄に記された名前だけが一致していた。
真壁誠司。
二つの商品ページが黒い画面の中で並び、一つに重なる。
━━同一人物に対する二件の祈りを確認しました。
━━審理情報を統合します。
祈は非公開資料を開いた。
小宮山澪死亡事案。
取調室の配置図。
故障したとされる録画装置。
退室した警察官の最初の供述と、三日後に書き直された供述。
搬送先の医師が記録した、壁への衝突だけでは説明できない複数の皮下出血。
紛失した澪の衣服と真壁の左頬に残った傷。
切れたネックレスの留め具には、澪以外の皮膚片が僅かに挟まっていた。
それは当時の鑑定では照合されなかったものだった。
山科浩平放火殺人事件。
真壁が取調べ前に閲覧した現場資料。
その後、山科の自白へ追加された犯人しか知り得ない情報。
録音のない時間、無罪判決、そして半年前の天羽祈に対する事情聴取記録。
『被聴取者は不合理な否認を継続』
『証拠を提示しても反省の態度が見られず』
『被害者への共感性が欠如している可能性』
人間だった祈が何度違うと言っても、記録の上では否認を繰り返したという一行へ変えられた。
真壁はあの日も同じことをした。
欲しい答えを先に決め、そこへ人間の言葉を押し込んだ。
祈は購入画面を開いた。
ボタンは灰色だった。
━━審理に必要な情報が不足しています。
━━対象者本人の言葉を確認してください。
「二人分でも、まだ足りませんか」
祈は鍋に残ったカレーをすべて皿へ追加した。
「随分と念入りだ」
自分で作ったシステムに文句を言い、食事を再開する。
画面の中には現在の真壁の予定が表示されていた。
翌日午後七時。
場所━━《ミモザ》。
予定━━天羽祈への任意聴取。
「おや、予約客でしたか」
祈は灰色の購入ボタンを閉じた━━。
* * *
翌日の午後七時。
真壁は火村と森川を連れ、《ミモザ》へ入った。
七緒は三人の警察手帳を確認しても、店の奥へ通そうとしなかった。
「祈くんへの話なら、私も同席します」
「任意の事情聴取です。部外者は外してください」
真壁が答える。
「祈くんは未成年です」
「あなたは保護者ではない」
「本人が私の同席を望めば、拒む理由はないはずです」
七緒は真壁から目を逸らさなかった。
「祈くん。どうする?」
客席で大盛りのドリアを食べていた祈が顔を上げる。
「もちろん、七緒さんにお願いいたします」
「だそうです」
真壁は祈と七緒を見比べた。
「随分、信頼されているようだな」
「保護されて以来、眠る場所と食事を提供していただきましたので」
祈はスプーンを置いた。
「人間関係としては、産んだだけの方々より堅固です」
「口が達者になったな、天羽祈」
「褒め言葉ありがとうございます、真壁警視」
祈は真壁の顔を見た。
「去年の夏は何を申し上げても聞いていただけませんでしたので。今回は沈黙の方がお好みに合いますかね?」
真壁が祈の向かいへ座る。
「あのときの証拠はすべてお前を指していた」
「あなたの取調べは大英博物館に似ておりますね」
「何?」
「持ち主の同意なく真実を持ち去り、自分のものとして展示する」
森川が咳払いをして笑いを隠した。
火村は額へ手を当てる。
「天羽、話を進めるぞ」
「火村さんがなさるのですか」
「その予定だ」
「私は取調べ指導官だ」
真壁が遮る。
「質問は私が行う」
火村は不満を隠さず、それでも敬語で答えた。
「真壁さん、ここは取調室ではありません。本人も任意で応じています」
「分かっている」
真壁は祈へ顔を向けた。
「学校の端末から、Elの配信に関係する通信が見つかった」
「学校法人が作成した資料には、そのように書かれていましたね」
「事実か」
「僕の端末が通信した事実はありません」
「証明できるか」
「それは通信したと主張する側が証明するものかと。魔女裁判も随分前に廃業しましたよ」
「質問に答えろ」
「既に答えました。お気に召さない回答を未回答として扱う癖は依然として矯正されていないようですね。口腔外科への通院をお勧めします」
真壁の指が、机の上で一度動いた。
「鷺沢怜央、久世蓮司、黒瀬莉愛、大槻宗一。お前は四件すべてへ関わっている」
「以前と比べ、僕も大変社交的になりました」
「ふざけるな」
「真面目です。なにせ以前は五か月間、誰からも連絡がありませんでしたから」
七緒の表情が曇る。
真壁は構わず続けた。
「Elについて知っていることを話せ」
「知っていること、と申しますと?」
「正体、居場所、次の標的」
「それにつきましては真壁警視の方が、次の標的に心当たりがおありなのでは?」
真壁の目が止まった。
「どういう意味だ」
「動揺ですか? 冗談ですよ」
祈は静かに微笑んだ。
「心当たりのない方ほど、この質問にはよく笑うそうです」
真壁は笑わなかった。
「坂口航平が供述を訂正した」
「ええ。録画が停止したあと、随分と記憶が改善されたそうですね」
火村が祈を見る。
録画停止については外部に公表していない。
「━━誰から聞いた」
真壁の声が低くなる。
「あなたの取調室では、カメラがよく気絶すると伺いました」
祈は真壁の左頬へ視線を向けた。
化粧と年月で目立たなくなっている、三本の細い傷。
「不思議ですね。記録が眠っている間だけ、容疑者の"爪"は随分と研ぎ澄まされたようで」
真壁の顔から僅かに血の気が引いた。
「……何を知っている」
「それを尋ねているのはそちらでしょう? 口だけでなく記憶力まで矯正が必要ですか?」
「小宮山澪のことを、どこで聞いた」
火村の表情が変わる。
祈は小宮山の名前を口にしていない。
真壁自身が、自分から言った。
「小宮山……澪さん?」
祈は初めて聞いた名前のように小首を傾げる。
「どなたでしょう」
真壁は答えなかった。
祈のポケットの中で黒いスマートフォンが震える。
一般の人間には見えない画面へ、一行が追加された。
━━審理対象による被害者の認識を確認しました。
灰色だった購入ボタンの半分が黒く染まる。
祈は真壁を見つめた。
「真壁警視」
「何だ」
「あなたは九十七パーセントの方から自白を得たそうですね」
「それがどうした」
「墓地なら百パーセントが黙っております。次のご栄転先として、ご検討なさってはいかがでしょう」
「あまり調子に乗るなよ、小僧」
「おや、心を開く刑事とは心の扉を蹴破る意味でしたか」
真壁が椅子から立ち上がると、七緒も反射的に祈の前へ出ようとした。
火村が先に間へ入る。
「真壁さん。今日はここまでです」
「退け」
「任意聴取です。本人を威圧するなら続けられません」
「私は県警の取調べ指導官だ」
「だから何だ━━」
火村の敬語が消えた。
「録画のない場所でしか仕事ができない輩を、天羽の前へ立たせておけるか」
「火村」
「小宮山澪とは誰だ」
真壁の頬が引きつる。
「古い事件の被疑者だ」
「天羽は名前を言っていない。なのにどうして、あんたが先に出した」
「この傷を見たからだろう」
真壁は左頬へ触れる。
「あの女が暴れたときにつけた傷だ。警察内部では知られている」
「十九歳の女を、取調室でどう暴れさせたらそうなる」
「火村、言葉に気をつけろ!」
「それはこっちの台詞だ、真壁」
火村は真壁から目を逸らさなかった。
「小宮山澪の死亡記録を、俺が洗い直す」
「勝手にしろ」
真壁は鞄をつかみ、出口へ向かった。
自動ドアの前で一度だけ祈を振り返る。
祈は既に真壁ではなく冷め始めたドリアを見ていた。
真壁はそれが気に入らず再び祈に口を開く。
「天羽」
「何でしょう」
「お前が何者でも、必ず口を割らせる」
祈はスプーンを取った。
「その台詞を、過去の被害者の前でも仰ったのでしょうね」
真壁の目が鋭くなる。
「ただ、一つ忠告いたします」
祈は顔を上げる。
「次に録画が止まったとき、救われるのがアナタとは限りません」
闇のようにドス黒い気配を放つ祈に、真壁は何も答えないまま店を出ていった。
自動ドアが閉じると火村は真壁の背中を見送り、祈へ向き直った。
「小宮山澪について、何を知っている」
「先ほど初めて伺いました」
「嘘をつけ」
「では、正直に申し上げます」
祈はドリアを一口食べた。
「冷めました」
「飯の話じゃない」
「重要な問題です」
七緒が祈の皿へ手を伸ばす。
「温め直そうか?」
「お願いいたします」
「店長まで甘やかすな! ったく、どうなってんだこの店はよぉ」
「祈くんの食事を邪魔したのは、そちらでしょう」
森川は二人のやり取りを見ながら、小さく息を吐いた。
「火村さん」
「何だ」
「真壁警視のこと、本当に嫌いなんですね」
「今更気づいたのか」
「敬語を使ってたので」
「礼儀と好意は別だ」
火村は、真壁が触れていた左頬の傷を思い出す。
「それに、嫌いだから犯人にするわけにはいかん」
「調べるんですね」
「ああ」
火村は祈を見る。
「誰かが処刑する前に人間の方でな」
祈は何も答えなかった。
温め直されたドリアを受け取り、静かに食事を再開する。
ポケットの中では二つの祈りが同じ男を指し続けていた。
購入ボタンは、まだ半分だけ黒い。
審理に必要なのは真壁誠司自身の言葉。
そして録画されなかった四十七分間を知る、もう一人の警察官だった━━。




