第三十一話 嘘は証拠の服を着る 後編
会議が一時中断されたあと、美玲は生徒会室で来校者記録を開いていた。
祈が第一会議室へ呼ばれたことは既に校内で噂になっている。
Elとの関係を学校が調べている。
警察まで来た。
危険だから自宅謹慎になる。
事実と憶測が混ざり、昼休みを待たずに生徒たちのスマートフォンへ広がっていた。
生徒会には混乱を避けるため情報を外へ漏らさないよう指示が出ている。
だが、その指示自体が美玲には不自然だった。
「九条先輩、何を調べてるんですか」
後輩の役員が尋ねる。
「昨日、学校へ来た外部業者の記録」
「端末管理の人ですか?」
「ええ」
来校者記録には情報管理会社の社員二名が記載されている。
訪問目的━━貸与端末の緊急調査。
入校時刻━━午前八時二十分。
退校時刻━━午後四時五十五分。
しかし、学校がEl関連の端末調査を教職員へ通知したのは昨日の午後一時だった。
業者は正式な調査決定よりも四時間以上前から学校にいたことになる。
「先に来てもらって、あとから正式に決めたんじゃないですか」
「それなら、何を根拠に業者を呼んだのかしら」
「理事長が決めたとか」
「そうかもしれないわね」
美玲は来校者記録を閉じた。
それだけで一ノ瀬親子を疑う理由にはならない。
Elの事件が続く中、学校法人が事前に独自調査を始めても不自然ではない。
だが、手続きの順番だけが逆になっている。
答えを見つけてから、答えを出すための会議を開いたように見えた。
美玲は記録をスマートフォンで撮影しようとして、手を止めた。
無断で内部記録を持ち出せば自分も手続きを破ることになる。
代わりに日付と時刻だけを手帳へ書き写した。
「九条先輩も、天羽くんがElだと思いますか」
後輩が小声で尋ねた。
「分からないわ」
「……怖くないんですか?」
美玲は少し考えた。
「分からない人を怖いと思うことと、その人を犯人にしていいことは別でしょう」
手帳を閉じる。
「少なくとも私は、本人のいないところで出た答えをそのまま信じたくない」
* * *
午後四時三十分。
理事長室のブラインドはすべて閉じられていた。
一ノ瀬真と父親は、情報管理会社の責任者をモニター越しに見ている。
『警察からの保存要請を受けました』
男の顔には脂汗が浮かんでいた。
『報告書の通信記録はご指示どおり作成しました。しかし、管理サーバーの原本とバックアップには存在しません』
「今から追加できないのか」
『通常のデータベースだけなら可能です。ですが監査記録と毎晩作成される暗号化バックアップの整合性が取れません』
「なら、バックアップを消せ」
『保存要請を受けたあとです。消去の記録まで残ります』
父親の指が机を叩く。
「サーバー障害として処理しろ。機器を交換し、データが失われたと報告すればいい」
『四件分だけでなく、生徒全員の端末記録が消えます。警察が故障した機器を鑑定すれば、意図的な破壊だと━━』
「契約を切られたいのか」
『そ、そういう問題では……』
「父さん」
一ノ瀬が口を挟んだ。
「全部消す必要はありません」
父親と画面の男が同時に一ノ瀬を見る。
「原本がないなら、警察へ渡す原本を作ればいい」
『簡単に言わないでください。バックアップには作成時の署名があります。過去の日付へ戻したファイルを置くだけではすぐに分かります』
「署名を作った鍵は、どこにあるんですか」
『管理サーバー内です』
「ならその鍵まで含めた複製を作る」
『え……?』
真は机の上にある端末管理システムの構成図へ指を置いた。
「明日、全校生徒のタブレットを緊急回収してください。名目はセキュリティ更新」
「回収した端末に報告書と同じ接続先を使う管理プログラムを入れる。そして現在の管理サーバーは更新中の障害で停止したことにして予備に切り替える」
『ですが、過去の通信は━━』
「古いバックアップを復元する作業中に破損が見つかり、修復したと説明すればいい。予備の方には修復済みという形で通信記録を入れておく」
『警察が解析すれば、修復の痕跡を調べます』
「だから全端末へ同じプログラムを入れるんです」
真は感情のない声で続ける。
「現在の端末に実在する接続先と識別情報が残っていれば、過去の記録だけを完全な捏造とは断定しにくくなる」
「記録が正しいことを証明する必要はありません。誤りだと証明できなくすればいい」
画面の男が黙り込む。
父親は息子を見た。
「警察の保存要請はどうする」
「受け取った時点のデータは保存したと言えばいい。システムの保守と更新は通常業務です」
「任意の要請だけで全校の業務を止める権利はない。顧問弁護士にも、そう説明させます」
父親の口元へ、ゆっくり笑みが浮かんだ。
「その方法で進めろ」
『待ってください。これは報告書を作るのとは違う。証拠の改竄です』
「最初の報告書は違ったのか?」
父親が問い返すと、男は答えられなかった。
「既に同じ船へ乗っている。今さら岸へ戻れると思うな」
通話が切られる。
真は構成図を見つめた。
祈を海へ沈めた夜、四人のうち誰も引き返さなかった。
一人が鉄パイプを振り下ろせば、次の一人も殴った。
全員が共犯者になれば、誰も警察へ行けないと考えた。
今回も同じだった。
一つの嘘へ多くの人間を関わらせればその人間たち自身が嘘を守る壁になる。
「真」
父親が呼ぶ。
「何ですか」
「葵さんから連絡は?」
「まだありません」
「失敗したのか」
「いいえ」
一ノ瀬はスマートフォンを開く。
葵はメッセージを既読にしているが返信はない。
「今は、誰にも相談できずに考えているんです」
「それでいいのか」
「孤立した人間は、自分から差し出された手を選んだと思い込みます」
真は画面を伏せた。
「急ぐ必要はありません」
* * *
午後六時。
学校から、全校生徒と保護者へ一斉通知が届いた。
〈貸与端末における緊急セキュリティ更新について〉
〈外部通信上の問題が確認されたため、明朝すべての貸与端末を回収します〉
〈生徒は端末の電源を切らず、登校後速やかに担任へ提出してください〉
《ミモザ》のバックヤードで、祈は通知を読んでいた。
目の前には七緒が作った大盛りのナポリタンがある。
隣には、佐伯から返された現代社会の答案。
九十九点。
一点を失った理由になった文章に赤い線が引かれている。
〈国家が暴力を独占することと、その暴力が常に正しいことは同義ではない〉
祈は学校支給のタブレットを手に取った。
昨夜まで存在しなかった管理プログラムが更新待機に追加されている。
通信先は、偽造された資料に記載されていたものと同じだった。
「嘘を守るために、証拠の方を作り直すおつもりですか」
祈は小さく微笑んだ。
「何の話?」
七緒がバックヤードへ入ってくる。
「学校の宿題です」
「宿題をしてるところなんて初めて見た」
「今回は学校側が提出するそうです」
「祈くんは何もしなくていいの?」
「はい」
祈はタブレットを机へ伏せ、フォークを取った。
「採点する方が、もう既に向かっておりますので」
同じ頃。
県警本部の捜査車両が、学校の端末管理サーバーを保管する情報管理会社へ向かっていた。
助手席の森川が裁判所から発付されたばかりの令状を確認する━━。
「火村さん。保存要請を出したばかりなのにもう差し押さえるんですか」
「向こうが素直に待ってくれる顔をしてなかったからな」
「顔で令状は取れませんよ」
「海から出た証拠と坂口の供述、そしてEl関連の捜査資料。顔以外も揃えた」
火村は赤信号で車を止めた。
「嘘をつく奴ってのは、最初の嘘より二つ目を守るときに派手なことをする」
「何かされると思いますか」
「される前に着けば何も起きない」
信号が青へ変わる。
火村はアクセルをブラジルまで踏み込んだ。
「うわっ……! 火村さん! 頭◯字Dじゃないんですから!」
バックヤードで通知を閉じた祈は、ナポリタンを口へ運ぶ。
「提出期限に間に合えばよいのですが」
誰にも聞こえない声で呟いた。
「警察は、遅刻にあまり寛容ではありませんので」
壁の時計は、午後六時十三分を示していた━━。




