第二十五話 処刑だけは納期厳守 前編
第四成型工場の安全装置が半年ぶりに正常な動作を始めた。
人感センサーが熱源を検知する。
非常停止回路が接続されて作業区域へ入るための扉が施錠される。
天井の警告灯は赤く回転しながら工場内へ機械音声を流した。
〈安全確認を行っています〉
〈作業員は危険区域から退避してください〉
〈安全が確認されるまで、設備を起動しないでください〉
それは半年前、森谷翔太が死ぬ前に聞くことのできなかった声だった。
非常灯の下へ集まった黒煙が人間の輪郭を作る。
頭と肩、二本の腕。
顔も衣服もない身体の内側では、赤黒い雷が血管のように明滅している。
右手には、四段重ねの弁当箱が提げられていた。
『こんばんは、大槻宗一』
男とも女とも判別できない声が、工場内のすべてのスピーカーから流れた。
大槻の顔から血の気が引く。
「なっ……El……」
『正解です。午後の講演を拝聴しましたが、記憶力に少々欠陥がおありのようでしたので安心しました』
黒煙は床へ弁当箱を置き、風呂敷を解いた。
『ですがご自身のお名前は、まだ覚えていらっしゃるようですね』
大槻は後ずさった。
応接室で祈に見つめられたときと同じ感覚が背中を這い上がる。
姿も声も違う。
目の前にいるのは美しい高校生ではなく黒い煙の怪物だ。
それでも、自分が既に棺へ入れられたあとのように扱われる恐怖だけが酷似していた。
「ま、まさか……」
大槻の脳裏に祈の黒い瞳が浮かぶ。
だがその考えを形にするより早く銃声が響いた。
* * *
撃ったのは久我だった。
懐から取り出した自動拳銃を両手で構え、黒煙の頭部へ二発、胸部へ三発。
五発の弾丸は人型の煙を抵抗なく通過し、背後にある制御盤へ突き刺さった。
火花が散る。
黒煙は一度だけ自分の胸元を見下ろした。
『工場内での保護具を着用しない発砲は危険ですよ、久我征士郎━━』
久我の指が止まった。
「どうして俺の名前を知っている」
『本日の講師名簿にございましたので』
「俺は講師じゃない」
『人を事故死に見せかける方法をご指導なさっていたでしょう。大変実践的なOJTです』
久我の部下たちが一斉に武器を抜いた。
一人は警棒、もう一人はナイフ。
榊原の肩を踏んでいた男はその首へ腕を回して人質に取る。
「動くな! こいつの首を折るぞ!」
『どうぞ』
あまりにも淡々と返され、男の腕が止まった。
『その場合、あなたの罪が一つ増えるだけです』
「ふ、ふざけやがって……!」
男が榊原の首へ力を込めようとする。
その瞬間、床へ描かれていた黄色と黒のトラロープが液体のように立ち上がった。
それは細長い帯となって四人の手首と足首へ巻きつき、そのまま床へ縫いつける。
「何だ、これ……!」
警棒とナイフが落ちる。
久我も引き金へ指をかけた姿勢のまま両腕を背中側へ捻り上げられた。
拳銃が床を滑り、黒煙の足元で止まる。
『ご安心ください』
黒煙は弁当箱の一段目を開けた。
唐揚げを一つ取り出し、顔のあるべき場所へ運ぶ。
『今夜ご用意した棺は、一つだけです』
大槻が安堵したように息を吐いた。
『なぜ安心なさるのです?』
「え……」
『寸法は、あなたに合わせてあります』
大槻の呼吸が止まった。
久我は拘束から抜けようともがきながら黒煙を睨む。
「俺たちは、殺さないのか」
『今夜は』
「見逃すと?」
『まだ順番が来ていないと申し上げました』
黒煙の内部で赤黒い雷が瞬く。
『生還と無罪を混同なさらない方がよろしいかと。あなたほどの専門家なら、延期と中止の違いはご存じでしょう』
久我はそれ以上尋ねなかった。
脅しではない……。
目の前の存在にとって人間を今夜殺すか、別の日に殺すかは天気予報よりも確定した予定なのだと理解した。
黒煙が榊原へ向く。
『榊原修司』
「……はい」
『あなたは大槻の命令に従い、安全装置を無効化しました』
榊原は俯いた。
「俺が、切りました」
『危険だと知りながら?』
「何度も止めろと言いました。でも最後には……命令に従ってしまった」
『森谷翔太が機械へ入ることも知っていた』
「……はい」
榊原の声が震える。
「止めようと思えば、止められた。クビになるのが怖くて……翔太を行かせてしまいました」
「俺も、彼を殺した一人です……」
黒煙はしばらく榊原を見下ろしていた。
『録音を警察へ提出し、ご自分の関与もお話しになりますか』
「話します」
『会社から損害賠償を請求され、ご家族の生活を失う可能性があります』
「それでも……俺は話します」
『承知しました』
榊原を縛っていた縄が、黒い粒子となって消えた。
『あなたの判決は、人間共へ返却します』
榊原は自由になった両手を見たあと、床に落ちていた音楽プレーヤーを拾う。
「俺は、許されたんですか」
『いいえ』
黒煙の返答に迷いはなかった。
『許す資格を持つ方は、既に御社の機械で亡くなっています』
榊原は唇を噛み、プレーヤーを胸へ抱いた。
『あなたには、許されないまま証言する義務が残っています』
「……分かりました」
* * *
午後十時一分。
東央重工業の公式動画チャンネルが、予定にない生配信を開始した。
題名は━━《安全管理シンポジウム・実技講習》。
工場内にある二十四台の監視カメラが一斉に起動し大槻の方を見つめる。
大槻のスマートフォン。
久我たちが所持していた端末。
東央重工業本社の会議室、各工場の休憩所、駅前に設置された大型広告画面までもが同じ映像を映し始めた。
最初の視聴者は、午後の安全管理シンポジウムへ参加した三百人だった。
その中には九条美玲もいた。
帰宅途中の電車で通知を開き、黒煙の背後に大槻がいると気づく。
「また……El……」
周囲の乗客も次々と配信を開いた。
一万人。
十万人。
五十万人。
視聴者数は機械の生産数より速く確実に増えていく。
しかし、その注目された画面の中では黒煙が七緒の作った唐揚げを場違いの雰囲気で食べていた。
『本日は安全管理シンポジウムへお越しいただき、誠にありがとうございます』
黒煙の背後に、午後の講演映像が表示される。
『企業にとって最も大切な財産は、人です』
壇上の大槻が穏やかな笑顔で語っている。
だが現在の大槻は閉ざされた工場内で出口を探していた。
『事故は、たった一つの確認不足から起こります』
過去の大槻が続ける。
『人の命に勝る生産目標はありません』
映像が止まった。
『大変勉強になる講演でした』
黒煙は二つ目の唐揚げを口へ運ぶ。
『内容と講師の人生が、ここまで無関係な例は珍しい』
配信画面の端へ森谷翔太の事故報告書が表示された。
安全装置の稼働履歴。
管理者権限による無効化記録。
欠落した監視映像。
大槻の命令が入った音声。
そして、先ほど大槻が榊原の殺害を命じた映像。
〈なんだよコレ、全部会社ぐるみだったのか〉
〈大槻本人の声じゃん〉
〈今日、安全管理の講演してた奴だろ〉
〈社員を殺して昇進したの?〉
〈録画した〉
〈警察に送れ!〉
コメントが画面を埋め尽くす。
「捏造だ!」
大槻がカメラへ叫んだ。
「Elが作った偽物だ! 私を陥れるための映像だ!」
『便利な時代になりましたね』
黒煙は卵焼きを箸で持ち上げた。
『都合の悪い証拠はAI。都合のよい事故報告書だけは人間の誠実な仕事になる。まるで、勝手に二次創作しているのにAI生成された絵を否定する神絵師とやらのようです』
「私は何も命令していない!」
『では、先ほどのお言葉をもう一度確認しましょう』
工場内へ大槻の声が流れる。
『録音を消せ。榊原もだ』
『この工場なら簡単だ。機械へ巻き込まれたことにすればいい』
『死人は文句を言わん』
何度も何度もその声が反響する。
大槻は自分の耳を塞いだ。
「やめろぉっ!」
『お気に召しませんか?』
黒煙が小首を傾げる。
『午後の講演より随分と本音が込められております。経営者としてはこちらを公開なさるべきでしたね』
「私は常務取締役だぞ! 社員何万人の生活を背負っている!」
『一人分の命すら背負えなかった方が、随分と逞しい肩をお持ちですね。取締役よりアメフト選手の方が向いてそうです』
「森谷一人の事故で会社全体を潰す気か!」
『ご安心ください』
黒煙の中で白い歯だけが浮かぶ。
『今夜潰れるのはまず、あなたです━━』
* * *
工場中央にある大型成型機が低い唸り声を上げた。
全長二十メートル。
材料を送り込むローラー、加熱炉、油圧プレス、成型された部品を排出するコンベアが一つの生産ラインとしてつながっている。
半年前、森谷翔太を巻き込んだ機械だった。
安全柵の扉が開く。
すると大槻の足元から黒い煙が伸びて両足首へ絡みついた。
「やめろ……!」
身体が床を滑り、成型機の前へ運ばれる。
「待て! 機械を止めろぉっ!」
『安全装置を過信してはいけません』
午後の大槻自身の声が、工場内へ流れた。
『最後に自分の命を守るのは、自分自身の判断です』
黒煙は感心したように頷く。
『講師から大変有益な助言を頂戴しております。是非ご活用ください』
大槻の前に成型機の管理画面が移動してきた。
緑色の表示が点灯している。
〈人感センサー━━正常〉
〈非常停止装置━━正常〉
〈安全柵━━正常〉
大槻は画面へ飛びついた。
「そうだっ! 安全装置は動いている! 私が中へ入れば機械は止まる!」
『そのとおりです』
黒煙の声が静かに響く。
『半年前も、正常であれば森谷翔太は亡くなりませんでした』
画面に新しい文字が浮かぶ。
〈過去の管理者操作を復元します〉
〈操作日時━━半年前・事故発生三時間前〉
〈管理者━━大槻宗一〉
〈人感センサー━━手動無効〉
〈非常停止回路━━制限〉
〈警報履歴━━削除〉
一つずつ緑色の表示が赤へ変わる。
「違う! それを操作したのは榊原だっ!」
『あなたの管理者カードと暗証番号で行われています』
「あいつへ貸しただけだ!」
『部下へ命令して権限を渡し、結果だけは部下の判断ですか』
黒煙は白米を一口食べた。
『金銭は上に、しかし責任は上の階へ昇らないように素晴らしい設計をされた会社ですね。そのうち役員報酬と偽術の多さで潰れそうだ』
最後の緑色が消える。
〈すべての安全装置が無効化されました〉
搬送ローラーがうなりを上げて回転を始めた。
「戻せ! 今すぐ戻せぇぇ!」
大槻は管理画面を何度も叩く。
〈変更には管理者の承認が必要です〉
「私が管理者だ!」
〈管理者は、現在危険区域内にいます〉
〈安全上の理由により、操作を受け付けません〉
『素晴らしい安全設計です』
黒煙の声には本気で感心しているような響きがあった。
『責任者が危険な状態に陥ってからようやく責任者を守ろうとする。まさに御社そのものではありませんか』
大槻が非常停止ボタンを殴るとボタンは沈んだ。
だがローラーは止まらない。
〈管理者権限により、非常停止回路は制限されています〉
「ふざけるな! 誰がこんな設定━━、っ!」
途中で言葉が止まる。
自分だった━━。
半年前、納期に間に合わせるため保守作業中でもライン全体が止まらないよう変更させた。
黒煙が弁当箱から焼き鮭を取り出す。
『安全装置が動かない?』
骨を一本ずつ外しながら尋ねた。
『ええ、責任者の判断です。尊重しなければ失礼でしょう』
* * *
大槻は安全柵へしがみついたが黒い煙が異様な力で大槻の背中を押す。
回転するローラーに右足の革靴が触れた。
靴底が一瞬で挟み込まれる。
「待て! ま、待ってくれ!」
大槻は左足で床を蹴って身体を引き戻そうとしたが、右足は足首までローラーの隙間へ呑み込まれている。
革靴が裂けた。
続いて、人間の骨が圧力へ耐えられず砕ける音がした。
「ぎゃああああああっ!」
大槻の絶叫が工場を揺らす。
右足が靴ごと平らに押し潰され、二本のローラーの向こう側に赤黒い帯となって現れた。
血が機械の表面へと飛び散るが、それでも成型機は止まらない。
巻き込まれた足が、脛、膝へと大槻の身体を引きずっていく。
「助けろ! 久我! 何を見ている!」
安全線へ拘束された久我は大槻を見返した。
「契約内容が変わりました」
「金なら払う! いくらでも払う! だから助けろ!」
「皆様、最後は同じことを仰います」
大槻が絶望した顔で黒煙へ向き直る。
「全部認める! 私が命令した! 安全装置を切らせた!」
『よくできました』
黒煙は卵焼きを食べた。
『午後の講演より随分短くまとめられましたね。講演時間七秒です』
「警察へも話す! 辞任する! 遺族へ金も払う!」
『それは謝罪ではありません』
「何……?」
『機械に巻き込まれてから提出された、個人的な停止要望です』
ローラーが右膝を完全に砕いた。
太腿の肉が圧力で裂け、露出した骨も次の瞬間には薄い破片となる。
「あ゛あ゛あ゛あ゛っ! と、止めろ! 足が、俺の足がぁぁ……!」
『森谷翔太の停止要望は却下したのに、ご自身の申請だけ優先するのは公平ではありませんよ』
「俺は知らなかった! あいつが本当に死ぬとは思わなかった!」
『稼働中の成型機へ人間を入れると死亡する━━』
黒煙が大槻を見下ろす。
『五十二歳の衰えた判断力では難しい予測でしたか? その体たらくでよく工場長が務まったものです』
左足もローラーへ引き込まれた。
両脚が同時に押し潰される。
大槻は安全柵へ爪を立てた。
十本の指の爪が剥がれ、金属へ血の筋を残す。
搬送ローラーの先では潰された両脚が加熱炉へ入っていく。
高温の蒸気が上がり、焼けた肉と油の臭いが工場内へ広がる。
それは森谷翔太の社員証を変形させた時の熱だった━━。
「熱い! 熱いぃぃっ! 出してくれぇぇっ!」
『森谷翔太も同じ温度を経験しております』
「だから何だ! 私はもう反省して━━」
『感想を伺っただけです』
黒煙の中で白い歯が笑う。
『安全管理には、現場の声が重要ですので━━』




