第十四話 決められていた犯人役 後編
杏奈の肩が跳ねた。
「な……何のことですか?」
「二週間前は盗撮、その前は酔客、二か月前は痴漢。あなたは随分と犯罪者に人気がおありのようで。駅に行く前にお祓いへ行った方が良いのでは?」
コメント欄の流れが止まった。
莉愛は笑顔を崩さなかった。
「被害女性を特定するような発言は二次加害になりますよ」
「特定ではなく、企画モノ出演作の確認です」
「この方は動画の女性とは別人です」
「そうでしたか。耳と痣と爪の模様が同じでしたのでてっきりシリーズ物かと」
杏奈が左手を背中へ隠すが、その仕草まで配信へ映った。
〈今、手を隠した〉
〈確かに……前の動画の女に似てるな〉
〈なになに仕込み?〉
〈この美少年何者だよ!?〉
莉愛はカメラの前へ出て、少年を画面から隠した。
「根拠のない決めつけで、女性を傷つけるのはやめてください」
「根拠のない決めつけで、男性を痴漢に加工するのはよろしいのですか?」
「か、加工?」
「失礼。加工ではなく事実を曲げる編集がお仕事でしたね、さすがフェミニスト様です」
少年はコンビニ袋から二つ目の肉まんを取り出した。
「素材と完成品を混同しました」
その間にも藤原は何も知らず杏奈の後ろへ近づいていた。
猿渡が目で合図を送る。
杏奈は一瞬迷ったが台本どおり藤原の前へ入り、自分から肩をぶつける。
「きゃっ!」
杏奈が悲鳴を上げた。
「こ、この人触りました!」
「え?」
藤原が足を止めたその隙に、莉愛は反射的に腕をつかんだ。
「逃げないでください!」
「何ですかアナタ、触ってません!」
「被害者の方が触られたと言っています!」
猿渡のカメラが藤原の顔へ寄る。
少年の声が割って入った。
「いえ、今接触したのはそちらの女性からです」
「黙っててください!」
「彼の両手は三秒前から鞄とスマートフォンを持っています、痴漢用の三本目の腕が生えていない限り不可能でしょう。もしくはそちらの痴女が自分から触りにいかない限りは━━」
周囲の通行人が藤原を見る。
確かに右手には鞄、左手にはスマートフォンが握られている。
「す、すれ違いざまに身体を押しつけられました!」
杏奈が言い直す。
「先ほどは触られたと仰っていました。監督の脚本に背いてセリフを勝手に変更したのですか? 蜷◯幸雄なら灰皿投げられてますよ?」
「脚本なんてない!」
「では、リハーサル不足ですね」
莉愛は藤原の腕を離さなかった。
「痴漢は手だけでするとは限りません。この男性が女性へ接触したのは事実です」
「そうなんですね。実は女性からぶつかった映像が三台のカメラに残っています」
「は? 私たちを盗撮してたんですか!?」
「おや? 先に撮影していたのはそちらでは?」
配信コメントが激しく流れる。
〈男の方、両手塞がってるじゃん〉
〈マジで女からぶつかってない?〉
〈スローで見たけど仕込みに見えるわコレ〉
〈くしゃみ助かる〉
〈莉愛ちゃん配信切った方がいい〉
〈美少年の言ってることド正論で草〉
〈この少年、顔と頭が良すぎww〉
莉愛は少年を睨んだが、その顔は近くで見れば見るほど美しかった。
怒りを向けているのに意識の一部がその唇や伏せられた睫毛へ引きつけられる。
正直このままお持ち帰りされて、自分がめちゃくちゃにされても良いくらいの気持ちだった。
でもそんな自分自身の反応が許せず、さらに苛立った。
「あなた、名前は?」
「通行人です」
「女性の勇気ある告発を潰した通行人として、顔を出してもいいんですね?」
「それは矛盾ですね、既に無断で配信されていますから」
「こ、この人が本当に痴漢だったらあなたも加害者側です」
「本当に痴漢でなかった場合あなたはどちら側でしょう。フェミニストを訴える方は例外なくダブルスタンダードがお上手のようで、流石はダチョウと揶揄されるだけありますね」
莉愛が答える前に、人垣の外から低い声がした。
「全員、その場を動くな」
火村と森川が警察手帳を掲げ、近づいてくる。
「配信を止めろ。今撮影した映像は消すな」
「なんですか急に! 警察が報道の自由を妨害するんですか?」
「私人逮捕は報道じゃない。今ここで何があったか確認する」
森川が藤原と杏奈を離す。
火村は祈へ目を向けた。
「ふぅ……またお前か」
「流石の僕も立地が悪いと思います」
「待て待て、今度はファミレスじゃなく駅だぞ」
「では街全体の区画整理が必要ですね。これではまるで江戸川コ◯ンの住む街と同じです」
火村はため息をつき、莉愛へ向き直る。
「黒瀬莉愛。高梨直人の事件についても話を聞きたい」
莉愛の目が細くなる。
「弁護士を通してください」
「任意だ。今夜の映像と使用した端末も任意で提出してもらいたい」
「拒否します。被害女性の個人情報が入っていますので」
「なら、保存しておけ。消したら証拠隠滅を疑う」
莉愛は配信へ顔を向けた。
「皆さん見ていますか? 女性を守る活動が警察と男性たちによって妨害されています」
だがコメント欄は、以前のように一色ではなかった。
〈お、おうw〉
〈うおw〉
〈何言ってんだコイツ〉
〈さっきの接触、女からだったよな〉
〈高梨事件も仕込み?〉
〈正しいなら警察に映像出せばいいじゃん〉
〈こんな絵面が汚ないブス女より美少年をもっと映して〉
莉愛は配信を終了した━━。
* * *
一時間後━━。
藤原は事情を聞かれたあと、解放された。
杏奈は被害を訴え続けたが、どこをどのように触られたのか説明が変わり、被害届を出すか尋ねられると黙り込んだ。
猿渡たちは撮影機材の任意提出を拒否した。
現時点で警察が莉愛を逮捕できる証拠はない。
莉愛は地下駐車場へ戻り、ワゴン車のドアを強く閉めた。
猿渡と杏奈はまだ駅員室で警察から事情を聞かれている。
車内にいるのは莉愛一人だけだった。
「最悪……!」
同時視聴者数は過去最高だった。
しかし切り抜き動画には、《私人逮捕系配信者、痴漢を捏造か》という題名がつき始めている。
「杏奈の馬鹿、何でちゃんとやらなかったのよ!」
スピーカーにした通話の向こうで、解放された猿渡が答える。
『あのガキが邪魔したからだろ』
『でも数字は取れた。あいつを使えば次はもっと伸びる』
莉愛はスマートフォンを見ると、視聴者が保存した少年の画像が既に大量に投稿されている。
〈謎の美少年〉
〈莉愛を完全論破した高校生〉
〈例のファミレスのイケメン店員〉
莉愛の動画より、少年だけを切り抜いた短い映像の方が再生数を伸ばしていた。
「探して」
『何を?』
「あの子。学校も名前も住所も、全部」
『もう特定班が動いてる。すぐ分かるだろ』
莉愛は通話を切った直後、ワゴン車の窓が二度叩かれた。
莉愛が顔を上げる。
そこには今話題にしていた少年が窓の外に立っていた。
片手にはまだコンビニ袋を提げている。
莉愛は反射的に髪を整えてから、そんな自分へ腹を立てた。
ドアを開ける。
「な、何の用?」
「先ほど、僕をお探しでしたので」
「盗み聞き? 趣味が悪いわね」
「窓が閉まっていても聞こえる程度の声量でした」
莉愛は少年を見上げたが、近くに警察の姿はない。
自分一人でも華奢な高校生を逃がす理由はなかった。
「乗って」
「誘拐ですか?」
「仕事の話」
「闇バイトの間違いでは?」
「嫌なら外で話す?」
「寒いので中で」
祈は躊躇なく車へ乗って莉愛の向かいへ座り、コンビニ袋からカレーパンを取り出す。
「あのさ、食べるのやめてもらえる?」
「会議に軽食はつきものかと」
「はぁ。率直に言うわ、あなた芸能活動に興味ない?」
「ないです」
「即答しないで。今日の切り抜きがもう三百万回再生されてる。私と組めばあなたを有名にしてあげられる」
「既に無名であることに満足しております。それにあなた方の動画のおかげで今は嫌でも有名です」
「嫌味はよして。いい? 今の時代顔がいいだけじゃ売れない、見せ方と物語が必要なの」
「なるほど、では僕を犯罪者に仕立て上げるんですか?」
莉愛の笑みが止まった。
「どういう意味?」
「見せ方と物語を用意し、無実の人間を痴漢として売り出す。素晴らしい物語だ」
祈はカレーパンを一口食べた。
「随分と手厚いプロデュースですね」
「まだ、そんなこと言ってるの?」
「高梨直人さんにも同じ企画をご用意したのでしょう」
「証拠は?」
「ありません」
「なら黙って。世の中は証明できたことが真実なの」
「配信に映ったものが真実と?」
「そう。誰も見ていない正しさに価値なんてない」
莉愛は身を乗り出した。
「高梨が触ってないって今さら誰が証明できる? 本人は死んだ。奥さんが何を言っても私の動画は二千万回見られてる」
「再生数が判決ですか」
「少なくとも、誰にも届かない無罪よりは強い」
「なるほど」
祈は感心したように頷いた。
「あなたのフェミニズムには、広告が挿入されるのですね」
「馬鹿にしてる?」
「尊敬しています。無実の男性を犯罪者へ再利用し、死後は追悼配信で収益化する。SDGsという"無駄"に配慮された阿保な事業です」
莉愛の頬が引きつった。
「あの男が死んだのは私のせいじゃない」
「では、誰のせいでしょう」
「本人が弱かったから」
「ご家族が攻撃されたことも?」
「私が書き込んだわけじゃない。視聴者が勝手にやったの」
「ですが、動画で奥様を取り上げましたね」
「反論したから。黙っていればすぐ別の話題に移ったのに」
「五歳のお子様も黙るべきだったと?」
「家族なら、本人のしたことを受け入れる責任があるでしょう」
祈の内側で、天羽祈の記憶が開く。
『犯罪者の父親と呼ばれるんだぞ』
『もう私のことを母親だと思わないで』
一人に貼られた冤罪が家族まで汚染していく……その仕組みを祈はよく知っていた。
「高梨直人さんは、痴漢をしていません」
「だから何?」
莉愛は初めて、否定しなかった。
「杏奈さんを被害者役として雇い、撮影スタッフへ彼を追わせた」
「そうだとしても、あなたには証明できない」
「なぜ彼を選んだのですか」
「絵になったから」
莉愛は苛立ったように吐き捨てた。
「妻子持ち、真面目な会社員、娘の絵を持ち歩くくらい大切にしている良い父親。そんな男が痴漢だった方が視聴者は怒り、再生数も伸びる」
「本当に痴漢である必要は?」
「ない」
車内が静まり返った。
莉愛は、自分が何を認めたのか遅れて気づいた。
「スマホを寄越せ!」
莉愛が手を伸ばす。
祈は自分から画面を見せた。
巨大フリマアプリ《エルカリ》の商品ページだった。
商品写真には、二つの結婚指輪が写っている。
販売価格、十三円。
「何、これ……」
「ご存じありませんか━━?」
祈は莉愛を肉眼で見つめた。
本人から反射した光が網膜へ届く。
顔。
本名。
高梨直人を選んだ理由。
冤罪の指示。
死後も続けた家族への扇動。
すべての因果が、一つの線として結ばれた。
灰色だった購入ボタンが、黒く染まる。
━━審理に必要な情報が確認されました。
「そのアプリ……まさかっ!」
莉愛の顔から血の気が引いた。
祈は黒い購入ボタンへ指を置く。
「本日は、犯人役ではなくご本人に出演していただきます」
「待って……あなた、何者なの……?」
祈は人間だった頃よりも美しく微笑んだ。
「通行人ならぬ通行神です」
購入ボタンを押す。
車内の照明が消えた。
「な、何……?」
三秒後に明かりが戻ったとき、向かいの座席から祈の姿は消えていた━━。
* * *
《ミモザ》のソファ席で、高梨沙耶のスマートフォンが震えた。
花音は隣で眠っている。
沙耶は恐る恐る画面を開いた。
出品した二つの結婚指輪の下に、一行の通知が表示されている。
━━Elが商品を購入しました。
その瞬間、中央駅地下駐車場に停められたワゴン車のすべての扉がひとりでに施錠された━━。




