第十三話 決められていた犯人役 前編
黒瀬莉愛は、偶然というものを信用していなかった。
本物の痴漢が撮影に適した時間と場所へ都合よく現れるとは限らない。
現れたとしても顔を隠し、素直に取り押さえられず、配信映えする言葉を口にしてくれる保証もない。
正義を安定して供給するには、相応の準備が必要だった。
「今日の犯人役は、この男━━」
中央駅近くの地下駐車場に停めたワゴン車の中で莉愛は一枚の写真をテーブルへ置いた。
三十代半ばの地味な男が駅の改札を通る姿を望遠で撮影したものだった。
「藤原圭介、三十四歳。介護施設勤務。独身で、SNSはほぼ使ってない。毎週水曜日は同じ時間の電車に乗る」
カメラマンの猿渡聡が資料を読み上げる。
「会社員じゃないのか?」
「介護士の方がいいでしょ。普段は高齢者へ優しくしてる男が電車では若い女に痴漢。落差がある」
莉愛の向かいには長い髪の若い女性が座っていた。
本名は真鍋杏奈。
莉愛の動画ではそのたびに違う名前を使っている。
盗撮被害に遭った専門学生。
酔客に絡まれた会社員。
そして二か月前には高梨直人から痴漢被害を受けた女性を演じた。
「ねえ、また私が被害者役?」
「顔はほとんど映さないから大丈夫」
「高梨の件で同じ人じゃないかって書いてる奴がいるんだけど」
「陰謀論で押し通す。証拠があるなら出してください、被害女性を特定する二次加害はやめてください。大抵はそれで黙るから」
莉愛は迷いなく答えた。
「今日の追加分、五万でいい?」
「十万。だって高梨の奥さん、まだ無実だって騒いでるじゃん。私まで晒されたら割に合わない」
「成功したら七万。失敗したら三万」
「痴漢されるのに歩合制なの?」
「ふふっ、いやいやされてないでしょう?」
莉愛が笑うと車内のスタッフもつられて笑った。
だが、杏奈だけは笑わなかった。
「あの人……本当に触ってなかったよね」
誰のことか確認する必要はなかった。
高梨直人。
莉愛の配信によって顔と家族を晒され、勾留中に命を絶った男。
「……今さら何?」
「私、あの人が死ぬなんて思わなかった」
「私たちのせいじゃない。アレは勝手に死んだの」
「でも……」
「杏奈」
莉愛は相手の目を見た。
「痴漢が一年で何件起きてると思う?」
「知らない」
「約二千三百件、捕まってない男はその何倍もいる。私たちはたまたま罪を証明できなかった男へ警告を与えてるだけ」
「高梨は痴漢じゃなかった」
「あの日は、ね」
莉愛は写真を指先で叩く。
「一度も女性を不快にさせたことがない男なんていない。妻と娘がいるくせに、若い女を見たことくらいあるでしょう」
「見ただけで痴漢にしていいの?」
「動画を見た女の子が警戒するようになれば、将来の被害を減らせる。大きな正義のためには多少の誇大広告も必要なの」
杏奈は何も答えることが出来ず、その反応に満足した莉愛はスマートフォンを開く。
今夜の配信予約には、開始前から二万人が待機していた。
題名は《女性の敵をその場で私人逮捕します》。
まだ被害も犯罪も起きていない。だが犯人だけは既に決まっていた。
* * *
昼休み。
祈が教室で四つ目のおにぎりを開けたところで机の前に葵が立った。
「祈、これ……」
一枚の便箋を差し出し、その便箋を祈が開くと三行だけ書かれていた。
『話を聞かなかったこと謝ります』
『祈の事件を最初から調べ直します』
『もう一度で良いので、話す機会をください』
祈は最後まで読み、便箋を折り直した。
「要約力が向上しましたね」
「昨日、三行にまとめてって言ったから」
「一行目に謝罪、二行目に行動、三行目に要求。構成も適切です」
「あの、作文の添削をしてほしいんじゃないの」
「では何を?」
「返事」
祈は五つ目のおにぎりへ手を伸ばした。
「二行目の完了後に判断します」
「調べ終わるまでは話してくれないってこと……?」
「現在も話していますが」
「そういう話じゃないって昨日も言ったよ」
葵は困ったように眉を下げた。
以前なら祈の方が折れた。
葵が少し不満そうな顔をすれば謝り、彼女が笑うまで話を聞いた。
だが現在の祈は包装を開けたおにぎりと葵を比較するように一度ずつ見たあと、迷わずおにぎりを選んだ。
「祈は……本当に何も感じないの?」
「空腹を感じています」
「私に対して」
「あなたと違い、昨日と意見が変わるほど僕は風見鶏ではありません」
葵は唇を噛んだ。
「それでも、私は諦めないから」
「何をでしょう」
「祈とちゃんと話せるようになること」
「現在達成されています、実績解除おめでとうございます。ただトロフィーが無いのは申し訳ございません」
「もう……!」
葵は怒りかけ、すぐに俯いた。
怒る資格が自分にあるのか分からなかった。
「放課後、図書室で昔の新聞を調べる。盗撮事件の記事も学校の記録も」
「ご自由に」
「分かったことがあったら、また三行で書く」
「四行目からは有料です」
「料金は……十三円?」
祈の箸が一瞬だけ止まった。
その行動に葵は初めてほんのわずかに祈の虚を突けたような気がしたが、すぐに気まずくなった。
「ごめん、冗談」
「縁起でもありません」
祈は再び食事へ戻る。
葵は自分の席へ向かいながら何度も振り返った。
教室の後方では一ノ瀬が開いた扉の陰から二人を見ていた。
葵が祈へ手紙を渡した。
祈に冷たくされても諦めないと言った。
自分が何度連絡しても葵から返ってくる文章は以前より短くなっている。
一ノ瀬はポケットの中で拳を握った。
同時に、祈が十三円という言葉へ一瞬だけ反応したことを思い出す。
偶然だ。
最近どこでも耳にするようになった数字。
そう考えても背中を流れる冷たい汗は止まらなかった。
* * *
「高梨直人の痴漢事件を洗い直す……?」
森川は書類から顔を上げた。
火村の机には二か月前の捜査記録と、黒瀬莉愛の配信を書き起こした資料が積まれている。
「正確には痴漢事件とそのあとの名誉毀損、脅迫、個人情報の拡散だ」
「本人は死亡、被害を訴えた女性は連絡先を変えて所在不明。駅の防犯映像も保存期間が過ぎています」
「だから放っておくのか?」
「そうは言ってませんけど……どうして急に?」
「昨夜、《ミモザ》で妻と娘が撮影されかけた」
「また、あの店ですか」
「あそこは事件を呼ぶ立地らしいな」
「疫病神が働いてたりして」
「それ店員に聞かれたら料理に何を入れられるか分からんぞ」
火村は黒瀬の動画から印刷した画像を三枚並べた。
一枚目は、高梨直人の事件で被害を訴えた女性。
二枚目は、盗撮被害者として黒瀬の別動画に出演した女性。
三枚目は、酔客に襲われたという動画の女性。
3枚とも被害者の顔の大部分にはぼかしが入っている。
それでも耳の形や首にある小さな痣、左手の爪に描かれた模様が一致していた。
「同一人物ですか」
「その可能性は高い━━」
「偶然、何度も犯罪被害に遭ったとか」
「もしそうなら黒瀬より先に、神社へ行くべきだ」
火村は別の紙を渡した。
「これを見ろ。三本とも同じ映像制作会社から編集担当が入っている、黒瀬の個人会社だ」
「やはり、被害者役を雇っている?」
「まだ推測だ。顔が似ているだけでは令状は取れん」
「高梨さんの奥さんはこのことを?」
「昨夜、県警の相談窓口へ資料を送ってきた。黒瀬の配信前から撮影者が夫を追っていたと主張している」
森川は時計を見る。
「黒瀬の次の配信、今夜七時ですよね」
「中央駅東口。俺たちも行くぞ」
「火村さんは今回Elが来ると思いますか」
「さあな……分からん」
火村は資料を閉じた。
「だが新しい被害者が悪によって作られるかもしれない状況で、ただボーッと配信を眺めているわけにはいかない」
* * *
午後六時五十分━━。
中央駅東口が帰宅する会社員と学生で混雑している中、黒瀬莉愛は駅前広場で配信を開始した。
「こんばんは、莉愛です。今日も女性が安心して歩ける街を作るために駅周辺をパトロールします」
白いジャケットの胸元には、《NO MORE CHIKAN》と書かれたピンバッジがついている。
猿渡がジンバルを持ち、二人のスタッフが少し離れた場所から別角度の撮影を始める。
そして杏奈は一般の通行人を装い、改札近くでスマートフォンを見ていた。
予定どおり藤原圭介が東口へ現れた。
灰色のコート、黒い鞄。
そして資料写真と同じ周囲へ注意を払わず歩く姿。
そんな彼に向かって杏奈が早速動き出した。
藤原の少し前へ入り、階段へ向かう。
その様子に猿渡がカメラの倍率を上げる。
莉愛は配信用の笑顔を保ったまま呼吸を整えた。
そして杏奈が階段の手前で立ち止まり、藤原と接触する。
三秒後に悲鳴。
振り返った藤原を莉愛が取り押さえる。
それが台本だった。
だが杏奈は階段へ着く前に足を止めた。
杏奈の視線が一人の少年へ吸い寄せられている。
それは黒い制服を着た華奢な高校生。
片手にはコンビニの大きな袋を提げ、もう片方の手で肉まんを食べている。
特別な服装ではない。
顔立ちも莉愛がこれまで広告や芸能の仕事で遠くから見た美しい少年たちと根本から違うわけではない。
それでも彼だけが今まで出会ったどんな少年よりも異様なオーラを纏い、周囲の景色から芸術のように浮き上がって見えた。
駅を行き交う女性たちもすれ違ったあとに振り返っている。
杏奈は自分の役目を忘れ少年を見つめた。
「杏奈、早く……!」
莉愛はマイクに拾われない声で指示した瞬間、少年がこちらを見る。
目が合った瞬間、莉愛の心臓が強く脈打った。
息を呑み、言葉が止まる。
配信のコメント欄が、一斉に少年の話題へ変わった。
〈え!? 今映った子誰?〉
〈ちょっと待って、今の何!?〉
〈やばい、顔が綺麗すぎる〉
〈そっちをもう一回映して〉
〈莉愛ちゃんその子にインタビューして〉
〈あの子……この前のファミレスにいた店員じゃない?〉
自分へ向いていた視聴者の関心が何もしていない少年へ奪われていく。
莉愛は胸の奥に生まれた感覚が果たして魅了なのか苛立ちなのか分からなかった。
でも恐らくその両方だった。
「こ、こんばんはー」
莉愛は少年へカメラを向けた。
「私たち、女性の安全を守る活動をしているんです。少しお話いいですか?」
少年は肉まんを咀嚼し飲み込んでから答えた。
「現在、豚肉が落下しないか安全を確認しておりますので」
「すぐ終わります。女性が安心して暮らせる社会について、どう思いますか?」
「素晴らしいと思います」
「では、私たちの活動にも賛成ですか?」
「拝見してから判断します」
少年の視線が杏奈へ向く。
「本日は、どの犯罪の被害者を装うのでしょうか━━?」




