第十一話 正義のカメラは、嘘を映す 前編
久世蓮司の著書『やり直す勇気』は、著者がやり直せなくなった翌朝、オンライン書店の販売ページから姿を消した。
街の書店でも、開店と同時に店頭からの撤去が始まった。
出版社は午前六時に公式サイトで出荷停止と回収を発表した。
蓮司を広告へ起用していた企業は契約を解除し、青少年育成事業を共同で行っていた団体は、彼の過去について「一切把握していなかった」と声明を出した。
つい昨日まで蓮司の言葉に救われたと語っていた者たちは、自分の投稿を削除した。
代わりに拡散されたのは三年前の映像だった━━。
十三歳の少女が蹴られ貯水槽へ落ちる。
水面へ戻り、必死に縁をつかんだ指を久世蓮司が踏みつける。
そして笑い声の中で白石美月は沈んでいく。
編集も切り抜きもされていないその動画はElの配信が終了したあとも増殖し続けた。
〈久世蓮司は人殺しだったんだ〉
〈メディアはこんなやつを祭り上げてたのか!?〉
〈更生したふりをして金を稼いでいた〉
〈少年法がクソみたいな殺人犯を守った〉
〈共犯者も全員同じ目に遭わせろ!〉
午前七時十二分。
桐谷颯斗は県警本部へ出頭した。
三年前に虚偽の証言をしたことや暴行を撮影したこと、美月を助けなかったことを認め古いスマートフォンを提出した。
警察が映像の解析を始めたという報道が流れると今度は颯斗の名前と住所を探す者たちが現れた。
家族構成。
卒業アルバム。
現在の勤務先。
真偽も分からない情報が正義という言葉を添えられて次々と投稿される。
その流れを断ち切るように、Elのアカウントが短い文章を掲載した。
〈桐谷颯斗は、人間の法へ返却済みです〉
〈関係者以外への攻撃は、新たな出品理由となります〉
〈担当商品の横取りはご遠慮ください〉
投稿から五分も経たないうちに、颯斗の家族を晒していたアカウントの大半が消えた。
誰もがElを殺人者と呼びながら、その恐ろしい悪魔の警告には従った。
* * *
祈の高校では、一時間目の授業が緊急の全校集会へ変更された。
体育館の舞台には昨日と同じ演台が置かれているが、『青少年更生講演会』と書かれた垂れ幕も久世蓮司の写真も撤去されていた。
校長は青ざめた顔で原稿を読み上げた。
「昨日、本校が招いた講師である久世蓮司氏に関し、重大な事件への関与を示す映像が公開されました。学校といたしましては関係機関から提供された経歴と、更生支援団体の推薦に基づいて講師を選定しており━━」
どこまで聞いても学校に責任はないという説明だった。
そして生徒たちは言い訳を並べる校長ではなく、二年生の列の最後に座る祈を見ていた。
「天羽ってさ、昨日あいつに白石美月のこと聞いてたよな」
「校長より昨日追い出された天羽の方が正しかったって事だよね」
「まさか、アイツ事件が起きるって知ってたのかな」
「でもあの質問をしたときにはお父さんが校門前に来てたんでしょ?」
「じゃあ、父親から聞いたんじゃない?」
「Elを呼んだのも、あの父親だったのかな……?」
囁きは体育館のあちこちで生まれ、祈まで届いた。
祈は気にする様子もなく膝の上に置いた栄養補助食品の袋を開けて食べ始める。
今朝、七緒から持たされた朝食はすでに食べ終えており、全校集会が始まってからまだ二十分しか経っていないが身体は次の熱量を要求していた。
「天羽」
隣に座る担任が小声で呼ぶ。
「さすがに校長先生の話を聞きながら食べるのはやめなさい」
「昨日の講師について、どこかの国際高校並みに学校には責任がないという自己弁護に食事以上の意味があるのなら教えて下さい」
「っ……!」
「どうやらこの学校には責任を飲み込む方がいらっしゃらないようなので、代わりにカロリーを飲み込んでいます」
「何の代わりにもなっていないぞ……」
担任が袋を取り上げようとしたため、祈は残りを一口で食べた。
前の列に座る女子生徒が振り返り、その横顔を見た途端、注意されたのが自分であるかのように頬を赤く染めて正面へ戻る。
少し離れた場所にいる結城葵も、祈を見ていた。
昨日、祈は体育館で蓮司へ尋ねた。
『過去と向き合うとは、自分が何をしたのか被害者へ正直に話すことでしょうか』
蓮司は答えた。
『自分の過ちを認めなければ、本当の更生は始まらない』
その言葉が今は葵自身へ向けられているように思えた。
祈が盗撮犯だとされた日、葵は一度も彼の話を最後まで聞かなかった。
購入履歴。
クラウドへ保存された動画。
小型カメラから検出された指紋。
証拠はすべて祈を指していた。
だから自分は間違っていない、そう思ってきた。
だが白石美月の事件にも事故だと判断するための証言と、途中までしか残っていない動画があった。
都合よく切り取られた証拠は、ときに真実よりも真実らしく見える。
『僕じゃないんだ』
あの日の祈の声がまた葵の耳に蘇った。
集会が終わったら話をしよう。
謝って許されるとは思っていない。
それでも、まず自分が間違っていたかもしれないと伝えなければならない。
葵はそう決め、膝の上で両手を握った。
* * *
全校集会が終わると、祈は生徒指導室へ呼び出された。
室内には校長、教頭、担任、それに昨日の講演会を担当した教師がいた。
祈だけがパイプ椅子へ座らされ、四人の大人が机の向こう側から見下ろしている。
「天羽くん。昨日、君は講演中に白石美月さんの名前を出しましたね」
「はい」
「どこで知ったのですか」
「校門前で、美月さんのお父様が説明を求めていました」
「毎年、貯水槽の写真が送られているという話も?」
「本人へ確認したところ、否定されませんでした」
「君の発言が久世氏を刺激し、あの事件へつながった可能性を考えなかったのですか」
祈は静かに校長を見た。
「お言葉ですが、人を殺したのは僕の質問ではなく昨日の講師です。呼び出す人間を間違えているのでは? まぁその方はもう墓から呼び出すしかなくなってしまったようですが」
「そういう意味ではないっ!」
講演担当の教師が机を叩いた。
「学校の許可なく、講師へ根拠のない疑惑をぶつけたことを問題にしているんだ!」
「根拠は昨日全世界へ配信されましたけど、まだ見てませんでした? 随分後進的ですね」
「結果論だ!」
「なるほど。結果が出る前は被害者の訴えを誹謗中傷と呼び、結果が出たあとは自分たちには分からなかったと説明するのですね。まるで虚偽のセクハラで草◯町をセカンドレイプの町と中傷したフェミニスト達のようです」
教師の顔が赤くなる。
「君は反省というものを━━」
「それは昨日の体育館でも聞きましたよ。まぁその本人は反省すらしてなかったようですけど」
祈は小さく微笑んだ。
「あなた方こそ今回の件で人を見る目の無さを反省し、講師の選定にはもう少し慎重になった方がよろしいかと」
誰も言葉を返せなかった。
校長は咳払いをし、話題を変える。
「ともかく、今後は軽率な発言を慎みなさい。君自身も長期欠席から復帰したばかりなのですから、余計な問題を起こさず━━」
「流石は校長先生、問題を即座にすり替えるのがお上手ですね。教員より手品師の方が向いてますよ」
「天羽!」
担任が制止する。
祈は四人の顔を順番に眺めると皆それぞれ顔を背ける。
正にここにいる大人達は半年前と同じだった。
彼らが欲しいのは説明ではない。
学校の判断が正しかったと認める、扱いやすい生徒の返事だ。
人間だった頃の祈は、それでも分かってもらおうと何度も言葉を重ねた。
だが現在の祈にはその必要すらなかった。
「自己弁護のくだらない話が続くのであれば、Ti◯Tok見てても良いですか?」
「まだ終わっていない!」
「では、先に昼食を取ってもよろしいですか」
「まだ二時間目だぞ!」
「空腹には個人差がありますので……。誰か炊き立ての炊飯ジャー持ってません?」
「そんなものあるか!」
「そうですか、では━━」
祈は鞄から七緒の作った二段重ねの弁当を取り出した。
四人の教師は祈の問題行動より先に広げられた弁当の大きさへ言葉を失った。
* * *
葵は生徒指導室の前で待っていた。
祈が出てきたら今度こそ声をかけるつもりだった。
しかし扉が開くより先に、一ノ瀬真が廊下の角から現れた。
「葵、こんなところで何してるんだ?」
「……祈を待ってる」
一ノ瀬の足が止まる。
「どうして」
「話したいことがあるの」
「昨日のことならアイツに近づかない方がいい」
一ノ瀬は葵の肩へ手を置いた。
「久世さんが殺された直前、祈はあの人を追及していた。もしかしたらElと関係があるかもしれない」
「……祈がElだって言うの?」
「いや、そこまでは言ってない。ただあいつが戻ってきてからおかしなことばかり立て続けに起きてるだろ? 偶然にしてはちょっと━━」
心配する先輩の顔。
葵を危険から守ろうとするその優しい声。
半年前ならそのまま信じていた。
だが今は一ノ瀬の言葉を聞くたびに別の疑問が生まれる。
「一ノ瀬先輩は、どうして祈が危険だと思うんですか」
「どうしてって、昨日のあれを見ただろ」
「祈が久世さんを殺したところを見たんですか?」
「そうじゃない。でも━━」
「証拠があるんですか?」
一ノ瀬の顔から、わずかに笑みが消えた。
そのとき、生徒指導室の扉が開いて巨大な弁当箱を抱えた祈が出てきた。
葵と目が合った。
その目を見た葵は胸の奥が強く締めつけられる。
「祈、あの……」
祈は立ち止まった。
以前と変わっているようで変わっていない顔が葵に向けられるが、その瞳には懐かしさも怒りもなかった。
「こんにちは、結城さん」
「っ……」
祈りの口から名前ではなく初めて名字で呼ばれた。
それだけで葵が用意していた言葉の半分が消えた。
「あの……少しだけ、話せない?」
「もう既に話しています」
「そういう意味じゃなくて……二人で」
祈は葵の後ろにいる一ノ瀬へ視線を向けた。
「それにしては相方の一ノ瀬先輩を連れていらっしゃいますが、芸人の楽屋挨拶ですか?」
「先輩が勝手に来ただけ。お願い……五分でいいから」
葵は祈の制服の袖へ手を伸ばしかけた。
だが触れる直前にあの日『私に近づかないで』と言った自分の声を思い出し、指を止めた。
「現在、僕は世間話より血糖値を優先しております」
「じゃあ……お弁当を食べながらでいいから」
祈は少し考え、廊下の窓際にある長椅子へ座った。
膝の上へ弁当箱を置いて蓋を開ける。
一段目には鶏の照り焼き、卵焼き、焼き鮭、野菜の肉巻き。二段目には隙間なく白米が詰められその上へ大きな梅干しが三つ並んでいた。
「タイマーをセットします。どうぞ」
許された時間ではなく、食事のついでに発言する権利を与えられただけだった。
それでも葵は祈の隣へ座った。
以前なら二人の間に空ける必要のなかった距離を、拳一つ分だけ残して。
その光景を一ノ瀬は立ったまま、二人を見下ろしていた。
「よく……食べるようになったんだね」
「5ヶ月間もまともに物を食べれなかった反動です」
「っ……。あのさ、昨日……白石さんの動画を見たの」
「多くの方がご覧になったようですね。巷ではゲームの長編トレーラーよりも再生されたとか、流石にそれは盛りすぎだと思いますが」
「事故だって言われてたけど本当は違った。証言も動画も都合のいいところだけ使われてた」
「はい」
「だから……祈の事件も、同じだったのかもしれないって」
祈は卵焼きを口へ運んだ。
「……かもしれない?」
静かな声だった。
責められていないのに、葵は咄嗟に目を伏せた。
「私には、まだ何が本当か分からない。でも……あのとき祈の話を最後まで聞かなかった。最初から犯人だって決めつけた」
「事実です」
「私、間違ってたのかもしれない」
「半年以上を費やした結論が、まだ"可能性"なのですね。やはり女性というのは主観で物事を考えやすい方が多いのかもしれません」
箸の動きは止まらない。
声にも怒りはなかった。
だからこそ葵の胸には深く刺さった。
「こ、怖かったの。自分の着替えてる動画が見つかって誰が撮ったのか分からなくて……。証拠が全部祈を指してて、それから一ノ瀬先輩が守ってくれて……」
「理解できます」
祈は焼き鮭の骨を外した。
「人間は恐怖を感じると、自分が最も安心安全になれるモノを選ぶそうです」
「そんな……他人の話みたいに言わないで」
「僕にとっては他人の話ですので」
葵の唇が震えた。
「祈は……私を恨んでる?」
「いいえ」
即答だった。
胸の奥に小さな安堵が生まれたのも束の間、祈は続けた。
「恨むには、相手への想いが必要です」
葵の顔から血の気が引いた。
「僕は結城さんを嫌っておりません。嫌うほどの興味がありません」
淡々と述べるその言葉が刃のように葵の心へと突き刺さる。
「……それなら、どうして話を聞いてくれたの?」
「五分で終わると仰ったからです」
祈は空になった一段目を重ね、二段目の白米へ箸をつけた。
「残り、一分四十二秒です」
「私、もう一度ちゃんと調べる。警察にも学校にも聞く。だからもし、祈が何もしてないって分かったら━━」
「分かったら?」
「昔みたいに……」
その先を言葉にできなかった。
祈は葵を見た。
それは深海よりも暗く、星空よりも遠い瞳だった。
「過去は二度と戻りません」
人間だった頃の祈がどれほど葵の言葉を待っていたか、現在の祈は記憶として知っている。
だが、それを待ち続けて孤独なった少年は海の底で死んだ。
葵が目の前にいる祈へ何を差し出してもあの少年にはもう届かない━━。
「おい、そんな言い方するなよ」
一ノ瀬が二人の間へ割って入った。
葵の肩を抱き、自分の方へ引き寄せる。
「葵は混乱してるんだ。これ以上傷つけるな」
祈は一ノ瀬ではなく、その手を見た。
葵の肩を抱く指に必要以上の力が入っている。
「痛いです、先輩」
葵が身を捩る。
一ノ瀬は慌てて手を離した。
「ご、ごめん。葵が心配で」
「さっきから何を見てたんですか? 結城さんが勝手に近づいて来ただけです。まさかこちらにも話のすり替えが上手い騎士の方が居たとは……次は女性へのAED使用について話すのですか?」
祈が淡々と言う。
「僕は待ち伏せをされ、五分間の会話を求められました。貴重なもぐもぐタイムを奪ったクレームはどちらへ送ればよろしいでしょう?」
「ふざけるな。お前が葵を━━」
「祈は何もしてません!」
葵が声を上げた。
廊下にいた生徒たちが振り返る。
その多く、とりわけ女子生徒の視線は一ノ瀬ではなく祈へ集まった。
祈はただ弁当を食べているだけだった。
それなのに誰もが廊下の中心にいるのは彼だと感じてしまう。
一ノ瀬は周囲を見回した。
以前なら葵は迷わず自分の後ろへ隠れたが、今は祈を庇い自分の手から離れた。
葵の瞳が祈を追っている。
その行動が一ノ瀬の胸に焼けつくような嫉妬が広がった。
祈を消せば葵は自分を選ぶ。
半年前、その願いは叶ったはずだった。
それなのに死んだ少年は以前よりも美しく、以前とは比較にならない存在感をまとい葵の心を再び奪おうとしている。
いや━━、祈は葵を奪おうとすらしていない。
葵が必死に手を伸ばしているのに興味も示さない。
その無関心が一ノ瀬には何より恐ろしかった。
恨んでいるなら復讐を警戒できる。
怒っているなら謝罪や金で取引できるかもしれない。
だが祈の中で自分たちが既に終わった存在ならなぜ死から戻ってきたのか。
一体何を待っているのか━━。
「五分が経ちました」
祈は弁当箱を閉じ、立ち上がった。
「待って、まだ━━」
「次回は要点を三行にまとめてください。今のままで社会に出ると苦労しますよ。まぁ専業主婦を目指すのであれば、昼間からSNSで夫を叩いておけば良いだけなので必要ないのないのかもしれませんが」
祈は葵の横を通り過ぎたが、一ノ瀬には最後まで視線を向けなかった。
そして葵はその背中を追いかけようと一歩踏み出し止まった。
話を聞かなかったのは自分だ、それなのに今さら自分の話だけは聞いてほしいと思っている。
その身勝手さを自覚した瞬間、祈の背中がひどく遠く見えた━━。
* * *
一ノ瀬は葵と別れると、誰も使っていない階段の踊り場へ向かった。
スマートフォンを開く。
祈を殺した夜のグループには、昨日から何十件ものメッセージが届いていた。
『久世の動画見たか』
『削除した動画も復元されるぞ』
『河川敷で撮ったやつ、本当に消えてるんだよな?』
『真、返事しろ』
一ノ瀬は三人へ何度も同じ指示を送った。
『余計なことをするな』
『全員で黙っていれば証拠はない』
『祈は生きて戻った。殺人事件にはならない』
先ほどまで既読だけがついていた。
やがて一人から返信が届く。
『俺、警察に話す』
一ノ瀬の指が止まった。
『桐谷は自首したからElに殺されなかった』
『今なら俺たちも間に合うかもしれない』
一ノ瀬はすぐに電話をかけた。
相手は出ない。
『馬鹿なことを考えるな』
『祈は生きてる。被害者なんていない』
送信すると、今度は別の仲間から返信が来た。
『じゃあ俺たちが海に沈めたあの死体は一体誰だったんだよ!』
一ノ瀬は画面を見つめた。
答えを書けなかった。
祈は確かに死んでいた。
毒で身体を動かせなくし、何度も鉄パイプで殴った。
呼吸も脈も確認し、重りを括りつけて海へ沈めた。
それでも祈は学校へ戻ってきた。
そして今、死者を裁く神が現れた。
一ノ瀬はグループの設定画面を開いた。
削除。
指を置いたまま動けない。
鷺沢怜央も記録を消し、そして昨日の久世蓮司も動画を消した。
それでも罪は戻ってきた。
廊下の向こうから誰かの足音が近づく。
一ノ瀬は反射的にスマートフォンを胸へ隠した。
だが現れたのはパンをくわえた見知らぬ一年生だった。
生徒は一ノ瀬に気づかず、階段を下りていく。
何も起きなかった。
それでも一ノ瀬の心臓はしばらく元の速さへ戻らなかった。
* * *
桐谷颯斗の取り調べは県警本部の小さな取調室で始まった。
机の上には証拠品用の袋へ入れられた古いスマートフォンが置かれている。
そして火村の向かいに座る颯斗は一晩で何年も老けたように見えた。
「動画を消したのは誰だ」
「俺です。蓮司に言われました」
「学校へ相談していたという美月さんの話を誰から聞いていた」
「担任から聞きました……。先生も大ごとにしたくないからこっちで話をつけろって」
記録係をしていた森川の手が止まる。
「担任が、そう言ったのか?」
「はい。でも蓮司は先生も俺たちの味方だって言ってました」
火村は新しい紙へ教師の名前を書いた。
Elの処刑によって事件は終わっていない。
久世蓮司が死んでも動画を消した経緯、学校が相談記録を隠した理由、三人目の少年が現在どこにいるのかは残っている。
「なぜ、今になって話す気になった」
颯斗は俯いた。
「怖かったからです……」
「Elが?」
「はい。でも……それだけじゃない」
颯斗は証拠袋の中のスマートフォンを見る。
「あの動画を見たら美月が死ぬ前に何て言ってたか思い出したんです。ずっと忘れたふりをしてた、でも忘れる事なんて出来ませんでした」
「罪を認めたら許されると思ったか」
「思ってません」
颯斗は首を横へ振った。
「俺が反省しても美月は戻ってこない。だから、許されなくていいです」
火村はしばらく何も言わなかった。
昨夜、Elが颯斗を殺さなかった理由。
神が許したわけではない、颯斗を裁く権利を人間に返しただけだ。
「桐谷」
「はい」
「お前がどれだけ後悔してもやったことは消えない」
颯斗が頷く。
「だが、これから何を話すかで見つけられる罪はある。全部思い出せ」
「……はい」
火村は席を立ち、廊下へ出ると森川が追いかけてくる。
「Elの言ったとおりになりましたね」
「何がだ」
「颯斗を人間の法へ返すって」
「俺はあいつから返品された覚えはないがな」
「でも、久世を殺して颯斗を残した。彼は無差別ではありません」
「いや……選んで殺している方が厄介だ」
火村は包帯の巻かれた拳を見た。
「自分だけは絶対に間違えないと思ってる奴ほど止めるのが難しい」
「ですがその本人は全知じゃないと自ら言っていました」
「ならなおさらだ。間違える可能性がある神様に人間の命を預けられるか」
火村は歩き出した。
「まずは人間の方を片づける。美月さんの学校と三人目を洗い直すぞ」
「Elの捜査は?」
「同時だ。だが、黒い煙を逮捕する令状はまだ出ない」
「そうでしょうね」
「笑うところじゃないぞ」
森川は小さく肩をすくめ、火村のあとを追った。
* * *
その日の《ミモザ》は、通常どおり営業を再開した。
鷺沢怜央が殺された駐車場には、いまだに報道関係者が数人残っている。
店へ入ろうとする客へカメラを向け、Elの処刑現場を見に来たのかと尋ねていた。
七緒は自動ドアに『店内および敷地内での無断撮影を禁止します』と書いた紙を貼った。
「飲食店だから、料理を撮らないでとは言えないのよね……」
「料理以外を撮影した場合、一枚につき出品料十三円いただいてはいかがでしょう? 震えて撮影しなくなるかもしれません」
「縁起が悪いからやめなさい、それに安すぎるし……」
七緒は苦笑し、入口のカーテンを整えた。
事件直後は客足が落ちると思っていたが実際には逆だった。
処刑現場を見たい者、動画で話題になった美少年の店員に会いたい者、そしてElが再び現れるのではないかと期待する者。
または窓際の席から駐車場を撮影し、動画サイトへ投稿する者。
七緒は無断撮影を見つけるたびに注意し、従わない客には会計を済ませて帰ってもらった。
「祈くん、九番テーブルのお客様にこれお願い」
「お子様ランチと、ホットミルクですね」
「あと、伝票は私に回して」
「店長権限による無銭飲食ですか。羨ましい……」
「私が払うの。あの親子、さっきからドリンクバーしか頼んでないでしょう?」
九番テーブルには二十代後半ほどの女性と、五歳くらいの可愛い少女が座っていた。
女性は帽子を深くかぶり、マスクで顔の半分を隠している。
足元には大きな旅行鞄が二つ置かれていた。
少女は空腹を訴えることもなく、テーブルへ置かれた一枚の紙を見つめている。
クレヨンで描かれた三人家族の絵だった。
中央にいる少女が、両側にいる父親と母親の手を握っている。
「お待たせいたしました」
祈がお子様ランチを置くと、少女は顔を上げた。
「これ、頼んでないよ?」
「当店からのサービスです」
「でも、ママ、お金……」
「本日の店長は、石◯軍団の炊き出しと勘違いしてるそうです」
レジにいた七緒が祈を睨んだ。
「聞こえてるわよ」
少女は少し迷ったあと母親を見ると、母親はマスクを外して七緒に頭を下げた。
「すみません。必ずお金は━━」
「いいんです。新メニューの試食をお願いしただけですから」
「メニュー表、八ページに載ってますけど」
「祈くんは黙ってて」
「すみません……。あ、美味しそう……」
七緒に睨まれ、祈は美味しそうなご飯をガン見しながら空になったトレーを持って下がった。
少女は小さく「いただきます」と言い、旗の立ったオムライスを食べ始める。
最初は遠慮がちだったスプーンの動きがすぐに速くなった。
母親はその姿を見ながら、笑おうとしていた。
しかし綺麗な目の下には濃い隈があり、テーブルへ置いたスマートフォンは一分も経たないうちに何度も震えた。
〈痴漢の美人妻〉
〈旦那を庇うお前も同罪〉
〈娘も将来、男を誘惑するんだろうな〉
〈保育園を特定した〉
ロック画面へ表示された通知を祈は通り過ぎる一瞬で読み取った。
女性は慌てて画面を伏せた。
窓際に座っていた若い男が九番テーブルを見ている。
自分のスマートフォンと女性の顔を何度も見比べ、やがて友人の肩を叩いた。
「なあ、あれじゃない? 例の痴漢の奥さん。結構可愛いな」
「マジ?」
「配信で住所まで出てた人。子供の顔も同じだろ?」
男はスマートフォンを持ち上げ、九番テーブルへレンズを向けた。
画面の前へ、白いメニュー表が差し込まれる。
「ほかのお客様の撮影はご遠慮ください」
祈だった。
「は? 料理を撮ってただけだけど」
「当店の料理は、別のお客様の顔が映り込むほど高く盛りつけておりません」
「そんなの別にいいだろ。犯罪者の家族なんだし」
男が椅子から立ち上がる。
その声を聞いた少女の手が止まった。
握っていたスプーンが、皿の上へ小さな音を立てて落ちる。
「パパは、犯罪者じゃないよ」
男は少女へカメラを向けた。
「ふーん。じゃあ何で警察に捕まったの?」
祈が再びレンズを塞ぐ。
「撮影を中止してください」
「お前、五日前の動画にもいた店員だろ。正義の邪魔するってことはお前も痴漢を庇う側?」
「あなたの正義は随分と視野が狭いのですね。目の位置を草食動物と同じ位置にした方がよろしいのでは? 注文した料理を今から牧草に変更しましょうか?」
「何だと!?」
「おや、まず直すべきは目より頭の方でしたか。思考力は五歳児以下でちゅもんね、レジにある無料のおもちゃを持ってきまちゅか?」
祈の赤ちゃんへ向ける口調に腹を立てた男が祈の肩を押そうとしたが、その手が触れる直前で七緒が間へ入った。
「お客様」
笑顔だった。
ただし、目は笑っていない。
「お会計です。今すぐお帰りください」
「んだと!? こっちは客だぞ!」
「だから代金を払って帰ってください。次にその子へカメラを向けたら警察を呼びます」
「犯罪者の家族を撮って何が悪いんだよ!」
「その子が何の罪を犯したの?」
七緒の声が店内を静めた。
「答えられないの? ならさっさと出ていって」
男は周囲を見回した。
「草食動物なのにフクロウより首回してますね。種族間違えてますよお客様」
「っ……! お前ぇ……!」
「精肉出荷されないだけありがたいと思ってください。ではお引き取りを━━」
味方する者がいないと分かると、悪態をつきながらレジへ向かった。友人も気まずそうにあとへ続く。
自動ドアが閉じたあと、少女は俯いたまま尋ねた。
「ママ。パパ、悪い人なの?」
母親の顔が歪んだ。
「違うよ」
「じゃあ、いつ帰ってくる?」
答えはなかった。
母親は少女を抱き締め、何度も背中を撫でた。
「パパは……もう、その……帰ってこられないの」
「どうして?」
「……遠いところへ行っちゃったから」
「花音がいい子にしてたら、パパ帰ってくる?」
母親は目から溢れる涙と声を押し殺し、首を横へ振った。
祈は二人を見ていた。
悲しみは理解できる。
だが共有はできない。
それでも、誰かの嘘によって家族から切り離された人間の記憶は天羽祈の中に残っていた━━。




