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第四話「決戦前夜の演説」

 魔王城は、本当にあった。

 当たり前のことだが、レンには実感が追いついていなかった。


 大陸の北端、枯れた大地の果てに、それはあった。黒い尖塔が空を裂くように立ち、麓から見上げると雲の中に消えている。周囲の草はすべて灰色で、風が吹くたびに乾いた土が舞った。鳥もいない。虫の声もない。


 一行は城から一里離れた岩陰にキャンプを張った。明日の夜明けに攻め込む、とアルドが言った。それだけだった。


 夕食は無言だった。


 盗賊はいつもより静かで、携帯食を半分残した。僧侶は目を閉じて何かを祈っていた。魔法使いは地図を広げていたが、何度も同じ場所を見ていた。


 レンは火を見ていた。


 怖い、と思った。明日、自分は何の役に立てるのだろう。戦えない。魔法も使えない。記録をつけて、荷物を運んで、それだけだ。それで十分なのか。


 アルドは焚き火の向こうに座って、目を閉じていた。


 眠っているのかと思ったが、背筋が伸びていた。考えているのだろう。明日のことを、あの静かな頭の中で整理しているのだろう。レンはそう思った。


 夜が深くなった頃、アルドが立ち上がった。


 全員が顔を上げた。


 アルドは焚き火を背にして、四人を見渡した。その目は静かで、いつもと変わらなかった。変わらないのに、空気が変わった。


「明日のことを話す」


 誰も口を挟まなかった。


「城の構造は把握している。魔王の側近は三体、配置はここ数日の偵察で掴んだ。正面突破は囮で、本命は転移魔法で最上階に直接入る。問題は魔力の消耗だが、回復魔法があれば持つ。盗賊、道中の罠はお前に任せる。レン、お前は外で待機しろ」


 指示は正確だった。無駄がなく、各自の力量を踏まえていた。レンは待機という言葉に胸が痛んだが、頷いた。


 それから、アルドは少し間を置いた。


「お前たちと旅をして、一年になる」


 声が、わずかに変わった。


「俺一人ではここまで来られなかった。魔法使いの魔法に何度も助けられた。僧侶がいなければ三ヶ月目の峠で終わっていた。盗賊、お前のおかげで通れた道が何本あるか数えていない。レン、お前が記録をつけ続けなければ、俺たちはとっくに道に迷っていた」


 レンは息を止めた。


「明日、全員で帰る。それだけだ」


 焚き火が静かに揺れた。


 盗賊が鼻を啜った。僧侶が目を細めた。魔法使いは横を向いていたが、その耳が少し赤かった。


 レンは羊皮紙を広げようとして、手が震えていることに気づいた。


 その夜遅く、レンは眠れなかった。




 お前が記録をつけ続けなければ、道に迷っていた。




 本当だろうか。お世辞かもしれない。仲間を鼓舞するための言葉かもしれない。でもあの目は嘘をついているようには見えなかった。道を間違えたこと、羊を見失いかけたこと、あの人は地図より記録の方を頼りにしているのかもしれない。


 そう思ったら、少し笑えた。


 水を飲もうと外に出た。


 焚き火はほとんど消えかけていた。その前に、アルドが座っていた。


 やはり起きていた。明日の決戦を前に、眠れないのだろう。あの冷静な目の奥で、どんな覚悟が渦巻いているのか。レンは声をかけようとして、足を止めた。


 アルドの頭が、少し前に傾いていた。


 がく、と揺れた。


 戻った。


 また傾いた。


 レンはしばらく眺めた。


 焚き火の前で、居眠りをしていた。


 翌朝、アルドは夜明けより早く起きていた。


 完璧な立ち姿で、城を見ていた。


 レンは後ろから、その背中を見た。


 昨夜の演説を思い出した。それから、焚き火の前で傾いた頭を思い出した。


 あの言葉は本物だったとレンは思った。眠りながら考えたとしても、本物だった。


「レン」


「はい」


「荷物、頼む」


「はい、勇者様」


 荷物を渡した。アルドはそれを受け取り、城の方向へ歩き始めた。


 レンは記録帳を開いた。


 第百十二日。決戦前夜。勇者様の演説、完璧。なお焚き火の前で居眠りをしていた。頭が三回傾いた。演説の内容はいつ考えたのか、不明。


 書いてから、最後の一文を少し眺めた。


 消さなかった。


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