第三話「英雄の相談室」
村というものは、勇者を放さない。
レンが気づいたのは、ロウダという小さな村に着いて、四時間が経った頃だった。
ロウダは街道沿いの静かな村だった。人口は百人ほど、畑と羊と古い井戸がある。一行が立ち寄ったのは補給のためで、宿に荷物を置いてすぐ出発するつもりだった。
つもりだった、という話だ。
アルドが宿の前に立った瞬間、村人が寄ってきた。最初は一人だった。
「勇者様、少しよろしいですか」
中年の農夫だった。帽子を胸に当て、目を伏せている。
「隣の家との境界線のことで、もう五年揉めておりまして。勇者様のような方に間に入っていただければ」
レンは内心首を傾げた。それは勇者に頼む話だろうか。
アルドは農夫を見た。一秒、二秒。
「わかった」
気づけば六人になっていた。
農夫、井戸の水量が減ったと悩む老婆、息子が旅に出たいと言って困っているという母親、羊が一頭いなくなったという若い牧童、村長が「せっかくですから」と加わり、最後は十歳くらいの子どもが「うちの犬が言うことを聞かない」と滑り込んできた。
アルドは宿の前の丸太に腰かけ、順番に話を聞いていた。
レンは少し離れた場所で記録をつけながら眺めていた。
アルドの相談の受け方は奇妙だった。助言をするわけでも、解決策を提示するわけでもない。ただ、聞いている。相槌すら少ない。それなのに、相手が話し続けているうちに自分で答えを見つけていく。
農夫は「そうか、あっちの石垣が基準になるじゃないか」と呟いた。老婆は「息子に頼めばいいだけの話ですね」と笑い始めた。母親は「旅に出た方が、あの子のためかもしれません」と、来たときより穏やかな顔で帰っていった。
アルドは何も解決していないのに、解決していた。
レンは感嘆して、魔法使いに小声で言った。
「すごいですね。みんな自分で答えを出してる。あれは誘導してるんでしょうか」
「さあ」
魔法使いは欠伸を噛み殺した。
「聞いてみれば?」
問題は、羊だった。
牧童の話を聞いたアルドは、珍しく立ち上がった。
「どの方角に放牧していた」
「東の丘です」
「見に行く」
一行が丘に着くと、羊は茂みの陰でのんびり草を食んでいた。迷い込んで出られなくなっていたらしい。アルドは茂みの枝を二本折って隙間を広げ、羊を追い出した。三分もかからなかった。
牧童は目を輝かせた。「勇者様はすごい!どうしてここだってわかったんですか!」
アルドは少し間を置いた。
「東の丘に放牧していたなら、風下の茂みに入りやすい。羊は臆病だから、入れたら出られない」
「そんなこと、よくわかりますね」
「羊を見ていればわかる」
牧童は感激して駆け帰っていった。レンも書き留めた。さすがだ、と思った。
隣で盗賊が呟いた。
「ねえ、あの羊さっき道の途中にもいなかった?」
「え?」
「村に入ったとき、道端で草食べてたじゃん。あれじゃなかった?」
レンは固まった。
魔法使いがため息をついた。
「一周して戻ってきたのね、あの羊」
「じゃあ勇者様は……」
アルドは何も言わなかった。牧童が帰った方向を見ていた。その横顔に、特に何も浮かんでいなかった。
犬の話は、最後だった。
十歳の子どもが「うちの犬が言うことを聞かない」と言った。アルドはしばらく子どもを見て、こう聞いた。
「何をしろと言っても聞かないのか」
「お座りだけは聞くんです。でも伏せが全然で」
「ほかは?」
「待てと来いは聞きます」
アルドは少し考えた。
「お座りと待てと来いができるなら、充分じゃないか」
「でも伏せができないと——」
「日常で伏せが必要な場面はほとんどない」
子どもはしばらく黙っていた。それから「……たしかに」と言って、帰っていった。
解決したのか、諦めさせたのか、レンにはよくわからなかった。ただ子どもは満足そうだった。
夕方になった。
ようやく村人が引き、一行は食堂に集まった。レンはアルドの向かいに座った。
「勇者様、今日の相談ですが」
「ああ」
「みなさん、話すうちに自分で答えを出していました。意図的に?」
アルドはスープを一口飲んだ。
「断るより聞いた方が早い」
「……断るより?」
「断るには説明がいる。なぜ断るか、申し訳なさそうにするか、納得してもらうか。面倒だ。聞いてうなずいていれば、向こうが勝手に解決する」
レンは言葉が出なかった。
アルドはスープの続きを飲んだ。
「羊は」
レンは少し声を低くした。
「道端にいませんでしたか」
間があった。
「いたね」
「では、丘まで行かなくても」
「子どもが探しに行ったという話だったから、見つけた場所に戻してやった方がいいと思った」
レンは黙った。
アルドはスープを飲み終えて、椀を置いた。
「それだけだ」
その夜、レンは記録帳に向かった。
第九十九日。ロウダ村にて停滞。相談、計六件。全員満足して帰宅。羊は道端にいた。丘まで行ったのは子どものため。犬の伏せは、必要ないとのこと。
書いてから、しばらく眺めた。
断るより楽だから聞いた。道端の羊を子どものために丘まで戻した。犬の伏せは必要ないと言った。
どこまでが省エネで、どこからが優しさなのか、レンにはわからなかった。
本人に聞いても、たぶんわからないと言うだろうと思った。
隣の部屋から、かすかに寝息が聞こえてきた。夕食が終わってから、まだ一時間も経っていない。
レンは記録帳を閉じた。




