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お嬢様は恋煩い  作者: 霧原善光
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第3-3話 池内桃香(2)

 

 

 閉店時間になり、最後のお客様をお見送りして、俺はふうと息をついた。

 今日もとりあえず何事もなく終わった。少なくとも、クレームを付けられたり事故が起こったりすることはなかった。

 桃香さんも覚えたばかりの注文受けから、出来上がった料理や飲み物を客のところに持って行ったりと積極的に仕事をこなしていた。前にも接客業の経験があるのかもしれないが、今日が初出勤とはとても思えないほどだった。

 メニューやレジ打ち、飲み物の淹れ方、簡単な料理の盛り付けなど、まだまだ覚えてもらうことはたくさんあるけれど、この様子ならすぐにそれらもマスターするだろう。店長夫妻の娘というだけあって、センスを受け継いでいるのかもしれない。期待の新人といえそうだった。

 今日については、あと残った洗い物を片付ければすべて終わりだ。

 洗浄機の使い方や皿を戻す場所を桃香さんに教えながら、俺たちはてきぱきと洗い物を進めていく。

「三人ともお疲れさん」

「お疲れ様ね」

 店長と奥さんが事務室から出てきて、俺たちに労いの言葉をかけてくれる。

 奥さんはちょうど忙しくなる時間帯に店に来て、今日もその卓越した料理の腕をいかんなく振るっていたのだった。

「皆、賄い食べる?」

「はい」

「食べるッス!」

「私も!」

 俺たちの返事に店長と奥さんは笑顔で頷くと、二人してぱぱっと五人分の料理を作り上げる。この息の合い方は、やはり夫婦ならではのものなのだろう。店長たちが賄いを作ってくれている間に、俺たちは人数分のコーヒーを、桃香さんに淹れ方を教えながら準備する。

 今日の賄いはイタリアントマトを使ったパスタだった。

 簡単だけれどもトマトとバジルの相性が抜群で、俺の好きなメニューの一つだ。こんなおいしい賄いが食べられることも、この店のバイトのいいところだった。

 店内で俺たちは、五人揃って店長夫妻が作ってくれた賄いを食べる。

 桃香さんがいるためか、雰囲気はいつもに比べてなんというか家庭的だ。バイト終わりに賄いをいただいているというよりかは、店長一家の夕食に同席させてもらってるような気分だった。

「おいしー!」

 桃香さんも店の賄いに大満足の様子。

 桃香さんは毎日店長夫妻の料理を食べているはずだが、やはり一働きした後に食べるとまた格別なものに感じられるのだろう。

「どうだった? 初めての仕事は」

「ん、楽しかったよ。まだまだ覚えないといけないことたくさんあるけど」

 そういう桃香さんは、今日の勤務中本当に生き生きしていた。楽しかったという言葉に、嘘はなさそうだ。

「けど桃香さん、初めてとは思えないくらいしっかりしてたッスよ! なんかバイトやってたの?」

「大学入ってからちょっとだけ都会のアパレルショップでバイトしてたんですけど、あんまり合わなかったんですよね。職場の雰囲気も悪かったですし。それで、お父さんとお母さんに頼み込んでここでバイトさせてもらうことになったんです」

 なるほどな……やはり働く上で一番重要なのは、職場の人間関係だ。俺もバイトを辞める理由はいつだって、上司や同僚と上手くいかなかったからだし。

 その点、この店のバイトの中にはそんなにおかしなヤツはいなかった。まあ、強いて言うならば俺がいるが。ともかく、店長夫妻はその人柄ももちろんだけど、人を見る目があるということなのだろう。

「お二人はここのバイト長いんですか?」

「俺はまだ半年くらいかなー」

「まだ半年なんですか? もっと長いかと思ってました!」

「そ、そうかなー」

 間接的に褒められて、島田はあからさまに照れている。確かに島田は少しおっちょこちょいなところはあるけれど、仕事を覚えるのは早かった。今では俺も、ある程度任せられるようになっている。

「先輩はどれくらいですか?」

「もうすぐ三年になるかな」

「へぇー、長いんですね! 道理ですごくしっかりしてるっていうか、落ち着いてるなって思いました!」

「多分一番長いッスよね?」

「まあ、多分な」

 もうすぐ三年か……なんだかんだで長いことお世話になってるんだな……。

 ここでバイトを始めた頃は、まさかこんなことになるとは思わなかった。

 まさかこんなに後輩ができるまで続けることになるなんて。まさか大学を辞めることになるなんて。

 まさか、麻夕ちゃんたちと知り合うことになるなんてなぁ……。

「二人とも、頼りにしてるよ」

 店長と奥さんの信頼に、俺は少々自信なさげな笑顔で応えるのだった。

 そうして賄いを食べ終わり、俺たちは最後の片づけをして、店を後にした。

 帰り道、タバコを吸いながらぼんやりと考える。

 池内桃香――か……。

 なんだか久しぶりに普通の女の子と知り合った気がする。ここのところ麻夕ちゃんや琴葉さん、さゆりちゃんという俺なんかからすれば半ば浮世離れしたような人たちと関わりあっていたからか、桃香さんとの会話は中々新鮮だった。

 桃香さんもとても良い子だし、可愛いと思う。それこそ、麻夕ちゃんたちに出会う前の俺ならば、桃香さんに婿入りしてブルーメを継ごうかと考えるくらいに。

 しかし、この店に入った時は俺が一番年下だったのに、どんどん若い後輩が増えてくる。

 明るい未来を胸に抱いた後輩たちが。楽しい人生の片手間にバイトに励む学生たちが。

 俺だけを置き去りにして、時はどんどん流れていく。

 そのことを手放しで喜べるほど、俺はまだ大人にはなりきれていないようだった。

 

 

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