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パッツィーは体が熱くなるほどの高揚を抑えきれず、夕方の王妃の部屋にいた。
「王妃陛下。とても、とても……お美しかったです。神話に出てくる軍神のように、勇ましく崇高で、私……」
パッツィーの熱に浮かされた目を見て、フィオレナは申し訳なく思った。
「あなたの目にはそう映った? 本当の私は臆病で、姑息で、力も何も持たない小娘なのよ」
しかしパッツィーはそんなこと意にも介さないといった様子で、椅子に座るフィオレナの足元に膝をついた。
「いいえ、いいえ。王妃陛下。あなたは私を見てくれた。それだけで、あなたがいかに公平で気高い心をお持ちなのか、私にはよく分かります。……いままでの非礼を、心からお詫び申し上げます。どうせ私には何もできないと、卑屈になってお仕えしておりました」
「それは仕方のないこと。今は、あなたが目に力を取り戻せたことが、私は何よりも良かったと思います。……お家の人には、何もお話ししていないの?」
するとパッツィーは輝く瞳を陰らせて、俯いた。
「実家には何も、言えませんでした。かつてより衰退したと言っても、アヴェリン家の私が娼婦あがりの女に見下されているなんて……」
「娼婦ですって?」
たくさん聞きたい話はあったが、何よりも、その言葉が耳に刺さった。
「オレーシャ様はガラノフ男爵家の子女と伺っていたけれど」
「王妃陛下のお耳に入れるような話ではありませんが……このことを知る人は、そういません。私も実家の力なくしては知り得なかったことです。あの人は、今も昔も……ガラノフ男爵の情婦です」
思いもよらなかった言葉が飛び出して、フィオレナは息を呑んだ。
「な、んてこと……!」
側妃とはいえ、オレーシャは妃だ。王の女だ。その彼女と関係を持つガラノフ男爵も大概だが、それを受け入れるオレーシャもどうかしている。オレーシャは王を愛している様子だったのに、なぜなのか……フィオレナの胸が痛いほどに打つ。王への背信行為に他ならないのに、なぜ愛しているはずの彼を裏で欺いているのか、理解できない。
(私が欲しかったはずの彼の愛を、その身に受けているのに……)
何かが胸にプツンと穴を開けて、嫉妬と怒りが黒い血の玉のように滲み出た。
「陛下は、そのことを……?」
「それが分からないのです……。陛下はとても有能なお方ですから、知らないことはないと思うのですが、それでもオレーシャ様を寵するには、何か理由があるのかと……」
尻すぼみになるパッツィーの言葉に、フィオレナは苦笑した。彼女は素直で、心の綺麗な子だ。
「例え他の男のものだとしても手に入れたいほどの、魅力があるのかもしれないのね」
「でもっ! 私、悔しいです。陛下があの人を大事にしてるのが、悔しくてたまらない! 王妃陛下のような方こそ、この国で大切にしなくてはならないのに……この、閉塞した国に……」
パッツィーは、やっと見つけた理想の人がオレーシャと同等かそれ以下のように扱われるのが、嫌だった。
オレーシャがさも女王のように君臨するこの城で、パッツィーもまた軽んじられてきたのだ。パッツィーの生家であるアヴェリン家は、侯爵位を賜る古くからの名家だ。今は財力を落とし、政界でも中枢から退いているため、勢力としては乏しい。しかしその古くからの血脈は他を牽制するのに十分な力を持っていた。パッツィーは礼儀作法の勉強ということで王城にあがり、もしそこで結婚相手でも見つかればと期待されて送り出された。多くの人は優しかったが、オレーシャは違った。まだ慣れない新米侍女のパッツィーをいびる事で自分の周りに置く侍女たちを選別し、まとめた。パッツィー自身はアヴェリンの名に驕りは持っていないし、自分から家名をひけらかしたりもしなかった。そのせいか、オレーシャ達はパッツィーの出身を知りもしなかった。むしろ名前すら知らないままだった。
パッツィーはとても真面目で素直だったので、新人侍女らしく黙々と仕事をこなした。それをいいことに増長するオレーシャたちに、さすがのパッツィーも、持ち合わせもあまりないプライドが傷つき始めて。
正当な王妃として嫁いできたフィオレナの侍女に選ばれても、あまり喜べなかった。なぜなら、オレーシャはこの城の女王であり続けたから。城の女たちはフィオレナとオレーシャのどちらにつくべきなのか見極めなければならなかったが、その多くはあまり恐ろしいところを見せない大人しい正妃よりも、激情を持ったオレーシャを選んだ。そのオレーシャが正妃を憎むなら同じように憎み、追い出そうと裏で小細工を続けているのだ。その嫌がらせにも音を上げず、怒りもせず反撃もせずただ淡々と存在し続ける正妃に、ある女たちはつけ上がる。そしてまたある女たちは、自分のやっていることに疑問を持つ。
パッツィーは幸いなことに、その後者になれた。そして決定的に、フィオレナとオレーシャの格の違いを見ることができた。
「王妃陛下。私は何の力も持たないいち侍女ですが、あなたのお力になりたい。私にできることはありますか。何でも仰ってください、アヴェリン家もあなたのお味方になります」
パッツィーはつまり、オレーシャを糾弾しようと言った。側妃でありながら後見人の男爵と只ならぬ関係にあるのだから、罰されて当然だと。それを正妃の立場から訴えれば、さすがのオレーシャもただでは済まされないはず。そう考えたのだ。
しかし、フィオレナはゆるゆると首を横に振った。
「あなたの気持ちはとても嬉しいのだけど……きっと今の私がどんな声をあげようと、陛下は気にも留めてくださらないわ」
「そんな、国王陛下は……王妃陛下を求めたのでしょう……?」
「いいえ。私はもう、陛下の御心の隙間にも入り込めないの。陛下は、何かとても大きなことを成し遂げようとしている。……私の祖国を崩壊させることもただの過程にすぎないほど、大きな何かを……。そのためには私がこの国にいることが必要で、ただそのためだけに連れてこられた気がするの。私は、その思惑に抗うことに決めたわ。だからパッツィー、せっかく私を助けようと思ってくれているあなたを、私はきっと裏切るわ」
だから、今まで通り私にあまり関わらない方がいい。そこまで、言うつもりだった。だが心許せる人を欲する本心が邪魔をして、最後まで言えなかった。パッツィーは利用価値のある子だ。この国で戦い、祖国を取り戻すまで、きっと使いようによっては強大な戦力になる。しかしあまりにいい子だから、フィオレナは彼女を使役することに抵抗があった。
「裏切られても、それが王妃陛下の出した答えなら、所詮私もこの国も、そこまでの価値しかなかったということです」
フィオレナは言葉を失った。
心許せる人が欲しかった。戦おうとする自分を認めてくれる人が。しかしそれを手にした今、フィオレナの肩はずっしりと責任がのしかかった。自分の味方は、つまりこのグウィネイラに仇なすことになる。しかもパッツィーのように、自身の立場や命すら顧みないほどの信頼と憧憬を寄せられて、初めて自分のしようとしていることの怖さを見た気がした。味方であるはずの人の人生をめちゃくちゃにするかもしれない、その覚悟を、本当にはフィオレナは持てていなかった。
(そもそも、私には命を預けてもらえるほどの価値はないんじゃないの……? そんな輝くような瞳で見上げるほど、綺麗な志じゃないのに)
祖国を、愛する人たちを奪われたその憎しみだけが、フィオレナの力だ。なぜスヴァログがフィオレナの国を襲ったのか、その理由は知らない。だけどもしかすると、ティアータにもそうされて仕方のない相応の罪があったのかもしれない。もう引き返せないところまで来てしまってからその罪を知るような事があれば、フィオレナはこの国でただの反乱者にしかならない。ティアータにとってのグウィネイラのよううに、今度はこの国で、フィオレナが人々の憎しみの種となるのかもしれない。
(そんな私に、ついてきてほしいなんて、今の私は言っちゃいけない……)
だからフィオレナは逃げた。
「あなたがそう決めたのなら、私は何も言わない。私は私のやりたいようにやるわ、だからあなたも私を見限ったら、その時は、どうか何も言わずに私から離れて」
「……王妃陛下の、御心のままに」
パッツィーの丁寧すぎる最敬礼にフィオレナはなんだか落ち着かなくなって、苦笑した。
「“王妃陛下”は、なんだか落ち着かないわ。せめて二人きりの時は名前で呼んでほしいの」
グウィネイラでは、望まれていなくてもフィオレナは王妃だ。もう誰も呼んでくれない自分の名前を、忘れないために。“フィオレナ”がまだ生きていることを刻むために、そう呼んでほしかった。
その必死の思いを汲んでくれたのか、パッツィーはほんの少しはにかみ、小さな声でフィオレナ様、と言った。
それだけで十分だ、とフィオレナは思った。
たったそれだけで救われた気がした。
(大丈夫。私はまだ、死んでない。まだ、生きてる。――まだ、がんばれる)
小さくも熱く燃える心を、フィオレナはもう一度、そっと捕まえた。
お久しぶりです…!
フィオレナの味方発掘の回でした。
次回は久々の、スヴァログ兄さん登場、かも。




