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冷たい太陽と海の花  作者: 木乃梢
4.謀略と愛
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 午後、オレーシャはフィオレナからお茶会に誘われた。もちろん喜んで参加の旨を伝え、オレーシャは自分の魅力を最大限引き出すべく朝食が終わってすぐに湯浴みをし、ドレスを選んで、準備をした。

(わたくしをお茶会に誘って、いったいどういう腹づもりなのかしら。忌々しい)

 小娘が王に抱かれたということが不快なオレーシャにとって、フィオレナの得意げな顔を見せられた日には、彼女への怒りが爆発しかねない。もちろんオレーシャも馬鹿ではないから表立って彼女に楯突くつもりはないが、それでも、女としての気持ちがオレーシャを怒りに向かわせる。

「オレーシャ様、こちらでいかがですか」

 気に入りの侍女の声に、はっと意識を目の前に戻す。鏡に映っている、美しい自身の姿と目が合った。

「ええ、素敵ね。これでいいわ」

 深い紅を身に纏いながら惜しみなく出された胸元は、美しく透けるレースの肩掛けで程よく隠した。それがまた妖艶な魅力を引き出すのだ。

「そろそろ時間? もう向かったほうがいいわね。王妃さまをお待たせしては、大変だもの」

 そう言って歩き出した彼女達だが、実は、フィオレナが提示した時間より三十分ほど早い。間違えたふりをして、バタバタと慌てる王妃の姿を見て恥をかかせてやろうという魂胆だった。しかしその作戦はすぐに失敗だったと気付かされるはめになる。

 呼ばれたサロンに近づくと、何やらいい香りが漂ってきた。それは、いつも白檀の香りをふんだんに身に纏うオレーシャが忘れかけていた、素朴ながら上品な紅茶の香りだ。

 ガラス扉の向こうでは、フィオレナが何やら穏やかに談笑していた。彼女は席には座らず、緊張した面持ちの少女|(オレーシャはパッツィーの名を知らない)と何かを覗きこみ指差しながら、感心したように頷いている。テーブルの上にはティーセットが完璧に配置されていた。

 オレーシャの侍女が扉を叩くと、二人ははっとこちらに顔を上げた。少女がさらに顔を強張らせる一方、フィオレナはにこやかに微笑んでいる。すぐに少女がガラス扉を開けて、オレーシャたちを招き入れた。

「いらっしゃい、お待ちしていましたわ、オレーシャ様」

 フィオレナは華美に着飾ってはいないものの、王妃の色である紺碧のシンプルなドレスを着こなしていた。昼の光に照らされて、深い色合いが柔らかく息づくようだ。しかしその姿を見て、オレーシャは内心で嗤う。なんて貧相で華がない小娘なのかしら、と。自身が時間よりも早く来るという無礼なことをしていることは棚に上げ、慇懃に礼をする。

「お招きいただき、ありがたき幸せにございます、王妃陛下」

「いいえ、私も嬉しいのよ。このお茶会を楽しみに思ってくださっていたのね、オレーシャ様」

 フィオレナは無邪気な笑顔で、胸の前で手を組んで瞳をきらめかせている。

「だって、待ちきれなくて、もういらして下さったんだものね? 私も楽しみで待ちきれなくて、朝から準備していたの」

 やられた、とオレーシャは臍を噛んだ。この娘はオレーシャが時間を早めて来たことを怒らず、むしろ良いことだと喜んでいる。オレーシャの思い通りにはいかないという彼女の強さとか、自分の夫たる王に寵愛される存在を認めようとする器の大きさだとかを、見せつけられた気がした。

(小娘のくせに……ほんと、イライラする)

 女主人(ホスト)であるフィオレナに、サロンの一席を案内されて先に座った。すぐに一人だけの侍女が二人分のカップを温めはじめ、その間にお茶菓子を運んできた。美しく並べられたケーキやクッキーに、スコーンにつけるための種々のスプレッド。目にも美味しく文句のつけようもない。

 その侍女が、先日フィオレナのベッドシーツを運んでいた少女だと分かって睨みつけていたのだが、彼女の入れた紅茶の色といい香りといい、完璧で、不覚にも驚いてしまった。大した華もなく、いつも先輩侍女たちにこき使われていた彼女をオレーシャは侮っていた。

「パッツィーのお茶は、本当に素晴らしいわね、オレーシャ様」

「……は、あ、ええ、そうね。色も香りも、とてもいい紅茶だわ」

「私に、こんなに有能な侍女を譲ってくださるなんて、オレーシャ様のお心遣いに感動いたしましたわ」

 オレーシャはにっこりと笑ってみたが、何も言えなかった。なぜなら、彼女にこんな技術があったなんて知らなかったし、知ろうともしたことがないからだ。いつも小動物のようにビクついて、雑用しかできない少女だと思っていた。王妃付きの侍女に回したのだって、ちょっとした嫌がらせのつもりだったのだ。だから、こんなに平然とこのお茶会に居合わせていることも完璧なお茶を淹れることも、意外でしかなかった。

「でも一つ、残念なことがありました」

 フィオレナの声音が、ふと、冷たくなった。

「私のために仕えてくれる大切な彼女に、無体を働いた者がいるのです」

 オレーシャは一瞬ひやりとした。このお茶会は、そういう意味があったのだ。

(この侍女を手荒く歓迎した私の侍女たちを、貶めようというのね)

「オレーシャ様、あなたの侍女たちが彼女の持っていた洗濯桶を蹴り上げたとか。全身ひどく濡れていたので、私が彼女から無理に聞き出したのですが……こうなってしまったのに、何か訳があるなら聞きますわ」

 フィオレナは変に言い回しをしたりせず、直球でオレーシャに回答権を与える。

 小娘がわたくしに戦いを挑むなんて、勝機はあるのかしら、とオレーシャは心中せせら笑った。

「わたくしにも、なぜだかさっぱり分かりませんの。侍女たちが彼女の邪魔をしだして、驚いたのですわ」

 経験の浅い小娘に、大人の女の戦いは出来まい。そう思ってオレーシャはあくまでも“慈悲深く謙虚な側室”を演じるつもりだ。洗濯女をいじめるような小さく姑息な手段など、自分は思いつきもしないというようなふりをする。その演技力の賜物か、フィオレナは眉を下げ、申し訳なさそうな顔だ。

(相手にもならないわ)

 そう勝利の笑みを浮かべようとした時――。

「まあ……残念ですわ、オレーシャ様」

 その声音が、予想以上に冷たくて。オレーシャはふと真顔になって、フィオレナを見返した。

「聡明で人徳のある方だとお慕いしておりましたが、私の買い被りだったのかしら。あなたは恥じてもいないし、ましてやお気付きでもないのですね」

 フィオレナはオレーシャの言葉を待った。しかし意味が分からなくて、オレーシャは何も言えない。

「あなたの侍女たちは、パッツィーを軽んじた……主人である、あなたの目の前で。それはあなたも容認したということよ。そして何より、主人であるはずのあなたにそんな姿を見せられるということは、あなたの可愛がっているはずの侍女たちは、パッツィーにしたのと同じようにあなたを軽んじているということ」

「……そんなはず、」

「では、本当に尊敬している人の前で、あなたはどんな態度をとりますか? 弱い立場の者を口汚く罵ります? それとも優しく手を差し伸べます? 尊敬する人と聞いてあなたが誰を思い浮かべたか分かりませんが、その人がするのと同じように、あなたも行動するでしょう」

 オレーシャは思わず、スヴァログのことを考えていた。彼の前でパッツィーを侍女たちと同じように扱うだろうか。

 答えは否だ。

「あなたは人の上に立つ者です。側妃なのです。侍女たちがすることはあなたの意思となってしまう。侍女たちは、主人としての自分を写す、鏡なのですから。だからあなたが私のことをどう思おうと自由ですが、私を世話してくれるかけがえのない侍女たちを非難するならば、それがたとえ侍女同士の諍いだとしても、主人である私たちの諍いとなる」

 その時オレーシャは初めて気付いた。眉を下げ、申し訳なさそうに見えたフィオレナのその表情は、オレーシャに恐縮しているのではない。それは、オレーシャを憐れむ顔。彼女の持論によると、“侍女に軽んじられている側妃”であるオレーシャに憐憫を感じているのだ!

「そんなこと……あなたに言われないでも、分かっていますわ。わたくしの侍女たちはわたくしが管理すべきですもの」

「ではパッツィーを手荒く指導したあなたの侍女たちは、あなたの意思。そしてそのパッツィーは私の身代わり。……あなたの私への気持ちが、これでよく分かりました。ええ、私を気に入らないというあなたのお気持ちはもっともです。だから私と無理に仲良しを演じろとは、言いません。人間誰しも嫌いな人物はいるものです。ただ、これだけはあなたにお伝えしなければならないわ」

 フィオレナは微笑んだ。その凄絶な笑みに、オレーシャの心臓がギクリと冷える。

「私にも立場と尊厳がある。私は無知で無力ですが、王妃となったからには、せめて近しい者が苦しんでいるなら全力で助けたい。それが、この国で何もできない私の、王妃としての罪滅ぼしなのです。

 あなたには言っておくわ。私は、売られた喧嘩は買います。だから遠回りして侍女同士の諍いをけしかけないで、私に直接いらしてくださいね。その方が事も断然早く終わりますし、あなた方も本望でしょう」

 私に直接手を下せるのだから、と、詩の朗読のようにフィオレナが言った。

 オレーシャは予想だにしなかった小娘の一面に圧倒されてしまった。いつものように、うまくかわせない。言葉が出てこなかった。

(この圧迫感は、なんなの。絶対的な存在感だわ……私らしくもない、怯えているというの?)

 オレーシャはゴクリと唾を飲んだ。いつの間にかサロンを包む緊張感にすっかり呑まれていた。

 嫌な沈黙が牙を剥こうとした瞬間、パンッ、と乾いた音がした。

「では、嫌な話はこの辺にして。始めましょうか」

 フィオレナが手を叩いたのだ。先ほどの恐ろしいまでのプレッシャーはどこへやら、フィオレナは娘らしく明るく笑って、お茶会の始まりを宣言する。パッツィーとかいう侍女がすっかり冷めてしまった紅茶を淹れなおし、再び良い香りに包まれる。

 しかしもちろん、オレーシャはお茶を楽しむ気分なんかにはなれなかった。目の前でニコニコしている小娘の、恐ろしいまでの強さに当てられ、驚きもあり、ショックでもあり……怒りも湧いた。

 ただただ屈辱だった。

(この異国人が食えないやつだということは、よーく分かったわ……)

 表情筋を総動員して、オレーシャは引き攣った笑顔を浮かべた。気に食わない小娘がますます憎たらしく感じた。それが自身の二度目の敗北だとオレーシャが気付くことは、彼女の虚構のプライドが邪魔して、叶わなかった。



 この日から、フィオレナには一人の味方ができた。パッツィーだ。彼女は、これまで自分を見ようともしてくれず、謂れもなく虐げてきた元主人を鮮やかに牽制した彼女に強く心を揺さぶられた。

 強くて、謙虚で、誠実で。フィオレナはパッツィーの理想の主人かもしれなかった。今はまだ、国や城の人々を変えられるだけの力を持たないだろう。だけどいつか、彼女のこの崇高な精神が、淀んだ空気を変えてくれる気がした。

(変えてくれる、じゃダメだ……私も行動しなくちゃ)

 パッツィーにだって、やれることがあるはずだ。異国からやってきたフィオレナばかりにこの国のことを背負わせるのは、グウィネイラ人としても情けなく恥ずかしい。


 フィオレナの燃える心が飛び火して、パッツィーに小さく灯った瞬間だった。


スカッと勝利!…なのか?

フィオレナは、まだまだ、頑張ります。

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