第4話 鬼の笑顔(前編)
「ア、アルマンさま! 困ります、玄関でお待ちください!」
「なんだ、クラウスはいねえのか」
ジェラールが早足で玄関に向かうと、一人の男が衛兵と揉めていた。
貴族らしからぬ、クタクタのシャツとジャケットを着た長髪の男だった。
アルマン・フォン・エーレンベルク。
クラウスの実兄で本職は画家だ。
成人するや否や家の継承権を放棄して、今は田舎に引っ込んで暮らしている。
ジェラールは衛兵を下がらせ、にこやかに告げた。
「アルマンさま、お久しぶりでございます。クラウスさまは先ほど、急な騎士団のお仕事に行かれてしまいました。ですから今日は……」
「つまんねえな。王都まで来たんだから、茶ぐらい出せ」
「アルマンさま!」
アルマンはジェラールを押しのけて、ズカズカとリビングに入り込んだ。
ソファーに座るアルマンを見て、ジェラールは肩を落としてメイドにお茶を頼んだ。
ほどなくして、メイドが震えながら紅茶と茶菓子を運んできた。
アルマンは紅茶を啜ると、即座に舌打ちした。
「相変わらず味がしねえな」
「も、申し訳ございません!」
メイドは目に涙を浮かべて下がっていった。
「そういえば、クラウスは結婚したんだろう。親父から聞いたぞ。嫁はどこにいるんだ」
「それが、奥さまは体調を崩されて――」
ジェラールが言いかけたとき、リビングの後方の扉が開いた。
そこにはエレオノーラとマノンの姿があった。
二人の元へ、青ざめたジェラールが大股で近づいた。
「お、奥さま、どうしてこちらに……」
「クラウスさまのお兄さまがいらしたと聞いて、ご挨拶をと」
「しかし、まだご体調も悪いでしょう」
「いいえ、眠ったら治りました」
申告どおりけろっとした様子だったが、ジェラールは心配だった。
万全のクラウスでさえ、アルマンの対応には手こずるからだ。
「おい、何をコソコソ話してる。お前がクラウスの嫁か?」
マノンはピクリと片眉を動かした。
エレオノーラはアルマンの近くに歩み寄ると、カーテシーをした。
「はい。エレオノーラ・フォン・エーレンベルクと申します。ご挨拶できておらず、申し訳ございません」
「ふーん。彫刻みたいな顔だな。まあ座れ、妹よ」
着席したエレオノーラの横で、マノンは警戒するようにアルマンを見ていた。
「クラウスから俺のことは聞いているか」
「いいえ」
「ふんっ。俺が継承権を放棄したから伯爵になれたっていうのに、少しは感謝ぐらいしてほしいものだな」
言いながらマカロンを一つかじると、アルマンは顔をしかめて皿に戻した。
「そうですか」
エレオノーラは淡々と答えた。
それが余計にアルマンを苛立たせたようだった。
「おい、何だその態度は」
「申し訳ありません、エレオノーラさまは少々人見知りでして」
マノンがそう言って前に出た。
その瞬間、アルマンの怒りが爆発した。
「侍女ごときが俺に話しかけるんじゃねえ! これだから女は嫌いだ!」
マノンは両手を握りしめた。
ジェラールが助けに入ろうかと迷っていると、エレオノーラが口を開いた。
「配慮が足りず申し訳ありません。女性が苦手だったのですね」
「は?」
「ここからは、執事長を通してお話ししましょう。ご希望でしたら、部屋も別にいたします」
「お前、ふざけてるのか? それでどうやって話すんだ?」
「ですので、執事長に伝言していただいて……」
「バカなのか!?」
部屋にいる全員が思っていることを、アルマンが言った。
エレオノーラだけが、真剣な表情でアルマンを見据えていた。
「お前ら寄ってたかって俺をバカにしやがって! この菓子も、何でこんなに苦い! 料理人を全員呼んでこい!」
「アルマンさま、彼らにも仕事がありまして……どうかご容赦いただけないでしょうか」
ジェラールは落ち着いた口調でアルマンを宥めた。
厨房は、ちょうど夕飯の支度で忙しい時間帯だ。
「口答えするな! 早く呼べ!」
しばらくジェラールが粘ったが、アルマンを落ち着かせられなかった。
なすすべがなく、リビングにはガスパールと料理人が集められた。
ガスパールに向かって、アルマンは食べかけのマカロンを突きつけた。
「これはお前らが作ったのか!? 何だこの苦い菓子は!」
「お口に合わなかったようで、申し訳ございません」
ガスパールは謝ったが、反抗的な鋭い目つきをしていた。
アルマンはその目が気に食わなかった。
「もしや毒でも混ぜたか? 使用人総出で、邪魔な俺を消そうってか?」
「何をっ……!」
ガスパールは拳を握ったが、ジェラールがすかさずその腕を掴んだ。
料理に毒など混ぜるわけがない。
ガスパールは誇りを汚された気分だった。
「いらないのなら、いただいてもいいですか?」
ソファーに座っていたエレオノーラが、ふと言った。
アルマンの皿に残っていたマカロンを取って、返事も待たず口に入れた。
「奥さま、はしたないですよ」
マノンは小声でたしなめた。
「でも、余ったらもったいないわ」
エレオノーラは幸せそうにマカロンを咀嚼する。
皆が見守る中、それを飲み込むと、アルマンを見て首を傾げた。
「アルマンさま、このマカロンは甘いです」
「だからなんだ」
「これを苦いとお感じになるなら、お医者様に診ていただいた方がよいかと」




