第3話 女の戦い(前編)
コレットは何を言われたのか分からなかった。
困惑しているうちに、エレオノーラが立ち上がった。
見上げるほどの長身だった。
「私、エレオノーラ・フォン・エーレンベルクと申します。夫がいつもお世話になっております」
「『夫』ねえ……」
コレットはピクリと眉を動かして小さくつぶやいた。
椅子を引いて、エレオノーラの隣に腰を下ろした。
「そうでしたか、あなたがクラウス騎士団長の……ご結婚されるとは聞いていましたが、おめでたいことですわ」
「ありがとうございます」
長年憧れていた騎士団長の妻に、コレットは最上級の作り笑顔を見せた。
「エレオノーラさまは、もしかしてリンデン男爵家のご長女でしょうか?」
「はい。父をご存じなのですか?」
「田舎の小屋――失礼、小さなお屋敷でお暮らしだと聞きましたわ。うちの庭にスッポリ入ってしまう広さだとか」
「どうやって測ったのですか?」
「え?」
「まさか我が家ごと庭へお入れになったことが?」
エレオノーラの発言は、コレットの理解の範疇を超えていた。
「大変だったでしょう。よかったら、物差しをお貸ししましょうか? 子供のころに使っていたものがあるんです。家を運ぶよりは楽になると思います」
自分は煽り返されているのだろうか。
コレットは懸命に考えたが、わからなかった。
「どうかされましたか?」
エレオノーラに顔を覗き込まれて、コレットは我に返った。
「いえ。ただ、驚いたのです。王国民の憧れの団長さまに嫁ぐのは、うちのような伯爵家や子爵家だろうと……」
コレットの言葉に、エレオノーラは静かに扇子を広げた。
扇子の裏には、「こうしゃく→はくしゃく→ししゃく→だんしゃく」と小さく書かれている。
リンデン家を出る前、エレオノーラの母から贈られたものだった。
じっと扇子を見つめるエレオノーラに、コレットは勝ち誇った表情を浮かべた。
「あら、ごめんなさい。不快な気持ちにしてしまったかしら」
「ししゃくは……三番目……」
「ちょっと、聞いてますの?」
「失礼しました」
コレットの顔が露骨に歪んだが、横を通った給仕を見て、すぐに悪辣な笑みへと変わった。
「あなた、それをちょうだい」
「かしこまりました」
給仕はテーブルにグラスを二つ置くと、ワインを注いだ。
「その瓶もくださいな」
「しかしこれは少々強めの……」
「いいから!」
コレットは給仕から酒瓶を引ったくった。
「エレオノーラさま、よければどうぞ」
コレットはそう言って、エレオノーラにワイングラスを差し出した。
エレオノーラはお礼を言って、ジュースのように飲み干した。
世間では女神ともてはやされているが、酒でも飲めば化けの皮がはがれるだろう。
コレットもワインを飲むと、エレオノーラは少し驚いたような顔をした。
「コレットさまは、おいくつですか?」
「先日、二十歳になったばかりです。十代と間違えられてしまって、困っちゃうんです」
「そうですか。私と同い年ですね」
コレットはむせそうになった。
同い年の女が、周囲を感嘆させるほどの完成された気品を振りまいている。
悔しさと一緒に、ワインを一気に飲み下した。
「確かにコレットさまは愛らしい雰囲気で、お若く見えますね。その淡い色のドレスも、よくお似合いです」
落ち着いた受け答えをするエレオノーラに、コレットの苛立ちが加速していく。
「エレオノーラさまのドレスは、あまり見ない形ですわね。田舎ではそういうのが流行っていますの?」
「さあ。これは今日買っていただいたもので、詳しくは存じ上げないのです」
「そう」
コレットは三杯目のワインを飲み切って、次を注いだ。
エレオノーラはコレット以上に飲んでいるが、顔色一つ変わらない。
「それにこのドレス、コルセットを使わないのです」
「コルセットを……?」
「はい。この紐を締めると、自然と綺麗な形になるのです」
エレオノーラは腰の紐を示して言った。
両手で掴めてしまえそうなほど、細い腰だった。
コレットは唇を噛んだ。
苛立ちか酔いか、頭がフラフラとしてきた。
世の令嬢は、自分も含めて死ぬ気でコルセットを締め上げているのに。
コレットはグラスを空にして、ドンとテーブルに手をついた。
「もう許さない……」
「はい?」
「それは嫌味ですの!? 何ですの!?」
コレットはヨロヨロと立ち上がり、エレオノーラの腕をつかんだ。
「もうどっちだっていいわ! 決闘よ! 表に出なさい!」
舌足らずに叫んだコレットは、そのままぐらりと足をもつれさせてエレオノーラの膝に倒れ込んだ。
「あら、大変」
「お客さま!」
すぐさま近くにいた騎士が飛んできた。
コレットは一人で歩けない様子だった。
まだ何か騒いでいるが、騎士に支えられてどこかへ去っていく。
「ノーラ!」
騒ぎに気付いたクラウスも血相を変えて戻ってきた。
「大丈夫か!? 何をされた!?」
「ただお話をしていただけです。とても酔ってしまわれたようでした」
「そうか……よかった。一人にしてすまなかった。彼女はなんというか、騎士団のファンみたいなものでな……」
クラウスは頭をかきむしりながら面倒くさそうに言った。
「ずっと話していたのか? 食事はしっかり摂れたか?」
「はい。コルセットがないので、たくさん食べられました。他にもこういう形の服が欲しいです」
「そうか。また今度商人を呼ぼう。用も済んだし、今日はもう帰ろうか」
「はい」
エレオノーラはナプキンで軽く口元を押さえると、小さくたたんでテーブルの上に置いた。
クラウスはそこに残された空き瓶を見て、目を見張った。
「これ、ノーラが空けたのか?」
「いえ、コレットさまと二人で」
二人で飲んだにしても、相当の量だ。
「気分は悪くないか?」
「特には」
エレオノーラは何事もなかったように立ち上がって、クラウスの腕に手を添えた。
「行かないのですか?」
「あ、ああ……」
クラウスは歩き出した。
色々と気になることはあるが、妻についてまた一つ、わかったことがあった。
「……ザルなのか?」
クラウスのつぶやきは誰にも聞かれることなく、夜会の喧騒に消えた。




