番外編 義父と婿(前編)
本編の前日譚
今年初めて雪の降った日だった。
リンデン男爵邸に一通の手紙が届いた。
見覚えのある封蝋に首を傾げながら、当主のモーリスは差出人を見た。
「ジ、ジジジジスラン王太子殿下!?」
思わず取り落とした封筒を、モーリスは慌てて拾い上げた。
「い、一体なぜうちに……」
震える手で封蝋を剥がすと、中には一枚の便箋と見知らぬ男の姿絵が入っていた。
姿絵を見て、嫌な予感がした。
そして手紙を読み進めてみると、予感は的中していた。
長女――エレオノーラの縁談の話だった。
モーリスが小さくため息をつくと、誰かが扉をノックした。
「あなた、何か叫んでいたけど、大丈夫なの?」
妻のリセの声だった。
「リセ、ちょっと来てくれるかい」
扉が開いて、リセが部屋に入ってきた。
モーリスが封筒と便箋を見せると、リセはわずかに目を見張った。
「この封蝋は……王家の……」
リセはモーリスから便箋を受け取ると、急いで目を通した。
そこに書かれた名前を見て、険しい表情を浮かべた。
「あなた、エーレンベルク伯爵って……」
「さすがの私も知ってるさ」
厳格で冷徹な王国騎士団長。
王都から離れたリンデンでも、その名と噂はよく知られていた。
「でも、王家からのご紹介を無碍にはできない。それに……あの子をいつまでもひとり身でいさせるわけにはいかないだろう」
「それは……そうなのだけど……」
リセはそう言って、便箋をモーリスに返した。
モーリスはもう一度、姿絵に目をやった。
真面目そうな若い男が描かれていた。
「一度、ノーラに話をしてみるよ」
「わかったわ」
手紙を握るモーリスの右手に、リセはそっと自身の手を重ねた。
モーリスはその上に優しく左手を乗せて、困ったような笑みを浮かべた。
* * *
「ノーラ、今いいかい?」
「はい」
手紙を持って、モーリスは娘の部屋を訪れていた。
部屋に入ると、娘はソファーに座って宝石を磨いていた。
小さいころから、キラキラしたものが好きな子だった。
モーリスは向かいの椅子に腰を下ろし、テーブルに手紙を置いた。
「ノーラに縁談の話が来ている」
エレオノーラは宝石を置くと、手紙を手に取った。
「どういうわけか、王家から紹介された方なんだ。ノーラが嫌なら、交渉してみるが……」
モーリスは口を濁した。
一介の男爵が、王家の紹介をそう簡単に断れるはずもなかった。
エレオノーラは手紙を読み終わると、目を上げて尋ねた。
「どんな方なのですか?」
「父さんも会ったことはないから、詳しくは知らないんだ。これは噂だが、厳しい方らしい」
歳はエレオノーラより三つ上の二十三歳。
数年前に家督を継いで、騎士団長をしながら伯爵家の当主も務めている。
田舎の男爵家には縁遠い、華々しい肩書だ。
「少し急ぎの縁談のようで、すぐに返事が欲しいそうなんだ」
詳しい事情は知らないが、選ばれた理由は一つだろう。
娘の、この現実離れした容姿だ。
モーリスにとっては、赤子の時から変わらない、かわいい娘だ。
しかし世間からしてみれば、その容姿は高い価値を生むらしい。
「姿絵もあるから、見てみなさい」
エレオノーラは、手紙に添えられた姿絵を見た。
しばらくそれを見つめていたが、不意に顔を上げて言った。
「お受けしたいです」
「え?」
娘の言葉に、モーリスは目を見開いた。
「ど、どうしてだい? 今まで全て断っていたじゃないか」
「目が……」
「目?」
「アレクサンドルとよく似ているので」
エレオノーラが微笑むと、ちょうど窓の外からアレクサンドルが鳴く声がした。
「そ、そうか……」
モーリスはソファーにもたれて、天井を見上げた。
どの辺が似ているのか、よくわからなかった。
娘の感性は昔から独特だが、その直感が外れたことはない。
それに彼女はもう二十歳だ。
信じて、送り出すときなのかもしれない。
「わかった。ノーラがそう言うなら、父さんも前向きに考えよう」
「はい」
「その姿絵は、ノーラが持っていなさい」
便箋と封筒だけ手に取って、モーリスは部屋をあとにした。
* * *
翌日、モーリスは従者とともに馬車に揺られていた。
手に握られた紙には、従者に調べてもらったエーレンベルク邸の住所が書かれていた。
娘は受けたいと言ったものの、やはり噂のことが気がかりだった。
「モーリスさま、間もなく王都です」
「わかった」
前方から、御者が大きな声で言った。
その言葉通り、馬車は十分ほどで停車した。
御者は扉を開けると、モーリスに問いかけた。
「エーレンベルク邸までは少し歩きますが、ここでよろしいのですか?」
「ああ。手土産を買っていきたいんだ。君は宿に行っててくれ」
「承知しました」
御者と別れ、従者と共にモーリスは近くの菓子店に入った。
「どれがいいと思う?」
「今日会えるとも限りませんし、日持ちする砂糖菓子などが良いのではないでしょうか」
従者は色とりどりの砂糖菓子が詰まった箱を指さした。
エレオノーラが喜びそうな菓子だった。
「それもそうだな。では、これにしよう」
「かしこまりました」
家族への手土産もいくつか買って、店を出た。
「ここから歩いてすぐのようだから、私一人で行ってくるよ。君も宿に戻っていてくれ」
「承知しました。お気をつけていってらっしゃいませ」
従者とも別れて、モーリスはエーレンベルク邸へ向かった。
昨夜、挨拶をしたい旨を早馬で送ったが、エーレンベルク伯爵はまだ読んでいないかもしれない。
突然の訪問は迷惑になるかもしれないと思いつつも、返答の期限も迫っていたため、いても立ってもいられなかった。
「ふう……ふう……すごい坂だな……」
歩いて十分もかからないと聞いていたが、高台にあるようで坂がきつかった。
息切れしながら歩いていると、途中に小さな教会を見つけた。
庭に置かれたベンチでしばし休憩させてもらった。
チラホラと降り始めた雪に背中を押されて、モーリスはまた歩き出した。
そうしてたどり着いたエーレンベルク邸は、リンデン邸の三倍はありそうな豪邸だった。
衛兵に事情を話すと、ほどなくして老年の執事が出てきた。
「リンデン男爵さま。遠いところを、ようこそおいでくださいました。私は執事長のジェラールと申します」
「突然押しかけて申し訳ない」
「いえいえ。お手紙は拝見しておりました。あいにく主人は仕事へ出てしまいまして、よければ帰るまで中でおくつろぎください」
「それはありがたいが……迷惑にならないか?」
「とんでもございません。未来のご家族になる方かもしれませんので」
ジェラールは穏やかな笑顔で言った。
モーリスは恐縮しつつも、ありがたくその申し出を受け入れることにした。
案内された客間は、落ち着いた品のある雰囲気だった。
ふかふかのソファーに座ると、いい香りのする紅茶が出された。
「主人には連絡を入れたのですが、帰るまで少しかかるかもしれません。お待たせして申し訳ありませんが、それまでごゆっくりお過ごしください」
「助かるよ。あとこれ、お口に合うかわからないが、伯爵さまに渡してもらえるかい」
「ありがとうございます。お預かりいたします」
手土産を受け取ると、ジェラールは下がっていった。
モーリスは緊張しながら屋敷の主の帰りを待った。




