番外編 義父と婿(後編)
それから半刻ほどしたころ、ジェラールが当主の帰宅を知らせにきた。
ジャケットの襟を正していると、一人の男が客間に入ってきた。
大柄で整った顔立ちの男だった。
「お待たせして申し訳ありません。クラウス・フォン・エーレンベルクと申します」
モーリスは立ち上がって、丁寧に礼を返した。
「こちらこそ、突然押しかけて申し訳ございません。モーリス・アフ・リンデンです」
「お会いできて光栄です。座りましょうか」
「はい」
クラウスに促されて、モーリスはソファーに戻った。
「お仕事中でしたでしょうか?」
「はい。しかし、あとは部下に任せてきたのでお気になさらないでください」
言いながら、クラウスはティーカップを手に取った。
「ご用件は、王太子殿下からのご紹介の件ですか?」
クラウスの問いかけに、モーリスは静かにうなずいた。
「娘の……エレオノーラのことはご存じですか?」
「すみません、社交の場には最低限しか出ないもので……」
モーリスは少し驚いたが、同時にホッとした。
娘の美貌が王都でもてはやされていることを知っていたからだ。
モーリスが何も言わずにいると、クラウスが口を開いた。
「断りにくいようでしたら、こちらからお断りしておきます」
「ああ、いえ……そうではないのです」
額に滲む汗をハンカチで拭きながら、モーリスは続けた。
「まだ考えているところなのですが、お返事をする前に、どうしても一度伯爵さまとお会いしてみたかったのです」
「そうでしたか」
クラウスはそれだけ答えて、視線を落とした。
会話が途切れて、モーリスは静かにお茶をすすった。
口数は少ない人だが、噂に聞いたような冷たさは感じなかった。
何より、急に押しかけた自分のために時間を作ってくれて、家の立場についても気を遣ってくれている。
「伯爵さまは、今回の縁談のことはどうお考えでしょうか?」
「正直に言うと、迷っています。立場上、そろそろ身を固めないといけないのはわかっているのですが……」
クラウスは言いながら、苦い笑みを浮かべた。
「この通り、口下手なもので、女性にもあまり気の利いたことが言えないのです」
確かに彼の物言いは丁寧だが、ストレートで含みがない。
しかし、彼のその性質は、娘とは相性がいいかもしれない。
「それに仕事上、妻には負担をかけることになると思います。家を空けることも多いし、戦や災害があれば真っ先に現場に行かなければなりません」
クラウスの言葉は重かった。
もしエレオノーラが妻になったら、彼の言葉の先にある苦しみに直面する日が来るかもしれない。
それでも、モーリスはクラウスに心が傾き始めていた。
不器用だが実直で、仕事だけでなく未来の家族にまで責任を持とうとしている。
「怖がらせるようなことを言って、すみません」
「とんでもありません」
モーリスはそっと首を横に振った。
「正直に話していただいて、ありがとうございます。実は、娘にも以前から縁談の申し込みはあったのですが、良いご縁が結べずにいたのです」
「理由を伺っても?」
「娘は少々天然と言いますか、感性が独特なところがありまして、会話にクセがあるんです」
「クセ……ですか?」
「はい。それゆえ、人と話すのがちょっと下手でして……お見合いをしても、なかなか相性のいい方が見つからなかったのです」
顔を曇らせたモーリスを見て、クラウスはふっと頬を緩めた。
「私も人のことは言えないので、お互いさまですね」
モーリスは数度瞬きをした。
仕事柄もあって大人びた雰囲気だと感じていたが、笑うと年相応の若者の顔がのぞいていた。
息をついて、モーリスも小さく笑った。
「娘さんご自身は、今回の件にはなんと?」
「お受けしたいと申しております」
今朝、家を出る前に見たエレオノーラの顔を思い返した。
眠たそうにヨロヨロしながら、見送りのハグをしてくれた。
今では家族全員の習慣だが、始まりはエレオノーラだった。
物心ついたころから、出かける前にハグをしてくれるようになり、やがてそれが妻、長男、次女へと広がっていった。
「素直な……いい子なんです。あの子が、あの子らしくいられる人のところへ嫁がせてやりたいのです」
モーリスは姿勢を正すと、クラウスを真正面から見据えた。
「あの子なら、きっと温かくて、心休まる家庭を築けると信じています。伯爵さまも、前向きにご検討いただけると嬉しいです」
クラウスも背筋を伸ばすと、一度大きくうなずいた。
「わかりました。私も真剣に考えます」
「ありがとうございます」
まっすぐなクラウスの言葉に、モーリスは丁寧に頭を下げた。
* * *
王都に一晩泊まって、モーリスは翌日の昼過ぎにリンデン邸へ帰った。
リビングのソファーで休んでいると、エレオノーラが入ってきた。
「お父さま、おかえりなさい」
「ただいま、ノーラ」
いつものようにハグをしてから、エレオノーラは向かいに座った。
モーリスはテーブルの上の箱をエレオノーラの前に置いた。
「王都のお土産だよ」
「ありがとうございます」
箱の中に詰まった色とりどりの砂糖菓子を見ると、エレオノーラは目を輝かせた。
「宝石みたいできれいです」
「そうだろう。気に入ると思ったよ」
エレオノーラは早速一粒つまんで、口に入れた。
幸せそうな娘の顔を、モーリスはじっと見つめていた。
「ノーラ。伯爵さまとの縁談のこと、改めて考えてみたんだ」
菓子を飲み込んで、エレオノーラはうなずいた。
「父さんの気持ちを聞いてくれるかい?」
「はい」
エレオノーラは、青い瞳を父に向けた。
同じ海色の瞳で、モーリスは娘を見た。
昨夜から続いていた雪がいつの間にかやんで、雲の合間から光が差し込む。
娘の首元では、アクアマリンのネックレスがキラキラと輝いた。
「エーレンベルク伯爵はね――」
生真面目な青年の顔を頭に浮かべる。
二人を包む柔らかな日差しの中、モーリスは目元をほころばせながら言葉を続けた。




