第12話 夫婦の形(前編)
ベルネの任務から一週間が経ったころ。
クラウスの擦り傷も綺麗に治って、すっかり穏やかな日常が戻っていた。
「ノーラ。そろそろ起きる時間だぞ」
「んー……」
エレオノーラはうめきながら布団の中をモゾモゾしていた。
芋虫みたいだと思いながら、クラウスは布団の端をめくった。
青い瞳が眩しそうに細められた。
「教会を見にいくんだろ? 準備しよう」
「はい……」
結婚式を行う教会の候補を、いくつか見に行く予定だった。
目を擦りながら、エレオノーラはやっと身体を起こした。
「着替えてくる」
ボサボサになったエレオノーラの頭を撫でて、クラウスは自室へ向かった。
* * *
準備を終えて、二人は馬車で市街地方面へ向かっていた。
「候補を三軒出しておいた。近いところからでいいか?」
「はい。楽しみです」
一軒目は、市街地へ向かう途中の住宅街にある小さな教会だった。
エーレンベルク家の人間は、この教会を使うことが多かった。
馬車を降りると、教会の前庭には色とりどりの花が咲いていた。
エレオノーラの手を引いて、白い石畳の上を歩く。
「いいお庭ですね」
「ああ。落ち着く場所だ」
中に入ると、高い天井と壁一面にはめ込まれたステンドグラスが二人を出迎えた。
エレオノーラの視線が、端から端まで教会内を巡った。
「きれい……」
腕に添えられていた手がスルリと離れた。
辺りを見回しながら、エレオノーラは奥の方へ歩いていく。
ガラスのきらめきから目が離せないようで、上を向いたままクルクルと回る姿にクラウスは思わず笑みをこぼした。
ひとしきり自由に見ると、クラウスのところへ戻ってきて言った。
「ここがいいです」
「いや、しかしまだ一軒目で――」
「ここで結婚式をしたいです」
エレオノーラの瞳に迷いはなかった。
忘れていた。
妻の異常なほどの決断の速さを。
「他は見なくていいんだな?」
「はい。せっかくご用意いただいたのに、ごめんなさい」
「いい。ノーラが気に入ったならそれが何よりだ」
馴染みの教会なので、クラウスとしても異論はなかった。
しかし、三軒回る予定で考えていたので随分と時間が余ってしまった。
馬車へ戻りながら、クラウスはジャケットのポケットから小さな手帳を取り出した。
結婚式に向けてやることのリストが書き連ねられていた。
上から順に眺めて、一つの項目に目が留まった。
「ノーラ、せっかくだし指輪も見ていくか?」
「はい」
「この前、お義父さまから馴染みの店を聞いたんだが、そこでどうだ?」
エレオノーラはコクコクと頷いた。
クラウスは手帳をめくって、モーリスに書いてもらった店の名前と住所を探した。
御者に行き先を伝えると、間もなく馬車は動き出した。
* * *
馬車を降りると、目の前に年季の入った宝飾店があった。
古さはあるが、品の良い雰囲気だった。
中に入ると、店主らしき初老の男性が丁寧に頭を下げた。
「ようこそお越しくださいました。何かお探しですか?」
「ああ、結婚指輪を」
「それはおめでとうございます。こちらでお待ちください」
店主が椅子をすすめてくれたが、エレオノーラは既にショーケースの宝石に夢中になっていた。
「いや、いい。見ながら待ってる。準備ができたら教えてくれ」
「承知いたしました」
店主はショーケースを開けて、商品を選び始めた。
途中、近くにいたエレオノーラを見て眼鏡を押し上げた。
「失礼ですが、もしかして、エレオノーラお嬢さまでしょうか?」
「はい」
「ああ、懐かしい。昔ご来店された時のことを覚えていますか?」
「ごめんなさい。ぼんやりとしか覚えていなくて」
「無理もありません。まだ五歳でしたから」
クラウスはその会話を聞いて、感心したように言った。
「よく気づいたな」
「リンデン家には昔からご懇意にしていただいておりまして。それに、こちらの宝石を覚えておりましたので」
エレオノーラの首元に光る青い石を示して、店主が言った。
たくさん持っている青い石の中でも、普段からよく着けているものだった。
「ファーストジュエルとして、エレオノーラさまのお父さまがお贈りになったものです」
「ファーストジュエル?」
「はい。リンデン地方の習わしです。子が五歳になった時に、その子の健やかな成長を願って親が子に宝石を贈るのです」
「そうだったのか」
頭の片隅でモーリスとの会話を思い出した。
「よければ、ネックレスのお手入れもいかがですか?」
「ありがとうございます。お願いしたいです」
エレオノーラはネックレスを外して、店主に渡した。
「お預かりいたします。もうすぐ指輪のご準備も済みますので、こちらへどうぞ」
二人は座って店主を待った。
* * *
色々と相談して、結局オーダーメイドで作ることにした。
すぐに決まるかと思ったが、エレオノーラは珍しくデザインに悩んでいた。
「今日決めなくてもいいんだぞ」
「いいえ、決めます」
指輪の縁の削り方を、一生懸命見比べているようだった。
「そんなに違うか?」
「違います」
「そうか。時間はあるからゆっくり悩んでいいぞ」
「はい、悩みます。一生使うので」
さらりと言われた言葉に、クラウスは久しぶりに真正面から刺された気持ちになった。
一生かければこの素直さにも耐性がつくのだろうか。
「奥さま、ネックレスのお手入れが終わりました。お帰りの際にお渡しします」
「ありがとうございます」
奥で作業をしていた店主が、ネックレスを載せたトレーを持ってきた。
トレーをテーブルの隅に置くと、椅子に座った。
「旦那さまは、こちらでよろしいですか?」
クラウスの前に置かれた指輪を指して、店主は尋ねた。
装飾のない、いたってシンプルなものだった。
「ああ。これが一番着け心地がいい」
「かしこまりました。着け心地重視の方には、内側に石を入れるのも人気です。よければご覧になってお待ちください」
店主はそう言って、新たな指輪を一つ、クラウスに渡した。
その内側を見ると、小さな宝石が埋め込まれていた。
「私も入れたいです」
いつのまにか、エレオノーラも身を乗り出して覗き込んでいた。
「かしこまりました。石のサンプルをお出ししましょう」
「これと同じ石はありませんか?」
エレオノーラは左腕を前に出した。
茶褐色の宝石がブレスレットの上で輝いていた。
「ああ、ヘーゼルサファイアですね。ご用意できます。旦那さまにはサンプルをお持ちしましょうか?」
その問いに、クラウスはしばらく考えた。
そしてテーブルの端に置かれたエレオノーラのネックレスを指さした。
「これは何の石なんだ?」
「アクアマリンでございます」
店主はネックレスを手に取ると、クラウスの前に置いた。
澄んだ海のような、淡く輝く石だった。
クラウスはエレオノーラに視線を向けた。
青い瞳は、指輪の縁に釘付けだった。
「では、俺はアクアマリンを頼む」
「承知いたしました」
店主は二人を見て、優しく微笑んだ。




