第9話 愛情の種類(後編)
お茶を終えると、女性陣はドレスの試着に出て行った。
残された男性陣はテーブルでチェスを始めていた。
長年、チェス好きのジスランの相手をしていたため、クラウスも結構強い。
「ぐっ……そうくるか……」
「ハイド、それじゃだめだよ。こっちを――」
「父さまは黙っていてください、これは男と男の真剣勝負なんです」
ハイドに追い払われて、モーリスはしょんぼりと肩を落とした。
「そういえば、結婚指輪はしないのかい?」
盤面を目で追いながら、モーリスが問いかけた。
「式までに作ろうと思っています」
「お節介かもしれないが、王都に馴染みの宝飾店があるから、あとで教えよう。昔そこで、エレオノーラに特別な宝石を買ったんだ」
「特別な宝石?」
クラウスが聞き返すと、横からハイドが口を挟んだ。
「伯爵さまなら、指輪ぐらい早く買ってあげてくださいよ。まさか姉さんの宝石好きを知らないわけじゃないでしょうね?」
「実は結婚指輪を作るまで、代わりにと思って別の指輪を用意したんだが……」
「どこにあるんですか? 姉さんは指輪なんてしてなかったですけど、まさか着けてもらえないんですか?」
ハイドは駒を動かしながら、張り切ってまくしたてた。
「いや、その……」
クラウスは目を伏せて、難しそうな顔をした。
そして上着のポケットを漁ると、小さな箱を取り出した。
「ここに……」
「はあ!? 伯爵さまが持っててどうするんですか!?」
ハイドは立ち上がって声高に言った。
膝がぶつかった衝撃でテーブルが揺れて、モーリスが慌てて盤面を押さえた。
「伯爵さまのポケットに押し込まれてるよりも、姉さんの指で輝いていた方が宝石だって幸せです!」
ぐうの音も出ない正論だった。
エレオノーラと出会った日に渡しそびれて、そのままずっとクラウスが持っていた。
「落ち着きなさい、ハイド」
モーリスはハイドを座らせた。
不機嫌そうに足を組むと、ハイドはソファーにふんぞり返った。
「クラウスくん、ノーラはきっと喜ぶよ」
そう言って、モーリスは目を細めた。
エレオノーラと同じ青い瞳だった。
「だといいですが……」
言いながら、クラウスは駒を動かした。
その瞬間、ハイドが「あっ」と声を上げた。
「チェックメイトだ」
クラウスの圧勝だった。
* * *
ほどなくして、エレオノーラとルーシーが客間に戻ってきた。
「ハイド兄さま、姉さまはすっごく綺麗でした」
ルーシーは勝ち誇ったようにハイドを見た。
ハイドは露骨に悔しそうな顔をした。
エレオノーラはソファーに近づいてクラウスの隣に座った。
「どうだった?」
「とても素敵でした。お母さまのドレスを着たいです」
「そうか、よかった。時間を作るから、式のことはちゃんと考えよう」
クラウスが言うと、エレオノーラは嬉しそうにうなずいた。
そこへ、リセが遅れて帰ってきた。
手にはワインボトルを持っていた。
「これ、二人にお土産よ。夕飯前にいかが?」
使用人に準備を頼んで、食前の酒盛りが始まった。
赤ワインはリンデン地方の名産の一つで、エレオノーラも普段から好んで飲んでいる。
ハイドとルーシーには、上等なぶどうジュースが出された。
リセはノーラと並ぶザルだった。
恐ろしい勢いでグラスを空ける母子二人を尻目に、モーリスは早々にぶどうジュースに切り替えてベランダに座っていた。
「ご気分は大丈夫ですか?」
クラウスも外に出て、モーリスに声をかけた。
「ああ、大丈夫だよ。少し風に当たっているだけだ」
「お義母さまもよく飲まれるのですね」
「ノーラにそっくりだろう? そのうちハイドもルーシーもああなるさ」
モーリスは遠くを見ながら言った。
数刻一緒にいるだけだが、この家でのモーリスの立ち位置がよくわかった。
「ノーラはどうだい? うまくやっているかい?」
「ええ。お義父さまに聞いていたよりも、激しめの天然でしたが」
モーリスは苦笑いをした。
「すまない。騙すつもりはなかったんだ」
「騙されたとは思っていません。実際、ノーラを天然と言う人もいますし」
結婚が決まる直前、クラウスは一度モーリスと会っていた。
挨拶をしたいと、単身で屋敷にやってきたのだ。
今思うと、あれは娘に相応しい人間かどうかの面接だったのだろう。
クラウスはベランダに置かれた椅子に腰かけた。
テーブルを挟んで、モーリスも反対側に座った。
「ノーラはとても楽しそうだ」
室内を眺めてモーリスが言った。
エレオノーラはハイドとルーシーに囲まれていた。
「久しぶりのご家族ですから、嬉しいんでしょう」
「いいや、そうじゃない。リンデンにいた時よりずっと生き生きしている」
クラウスも部屋の中へ視線を向けた。
「いろいろなところで噂を聞くんだ。エレオノーラが夜会で飲み比べを吹っ掛けられて樽を空けたとか、騎士の間でも大人気だとか」
かなり尾ひれがついていたが、あながち間違いではなかった。
クラウスは黙って続きを待った。
「私たち家族は、社交の場であの子が人前に出なくていいようにフォローしていた」
モーリスは空を見上げた。
春の夜空は、冬と比べて目立つ星が少なくなってきた。
「でも時々、間違っていたんじゃないかと思うんだ。実際今、あの子は立派に社会生活を楽しんでいる。もっと早く、外に出してやるべきだったんじゃないかと」
クラウスの心の中で、モーリスの言葉が重く沈んだ。
彼の抱える葛藤も理解できたからだ。
一方で、今のエレオノーラを見ていてクラウス自身にも思うことがあった。
頭の中で言葉を整理しながら、ゆっくりと口を開いた。
「……私が言うのもおこがましいですが、間違いだとは思えません」
クラウスはグラスを置いて、テーブルに両手をついた。
背筋を伸ばして、モーリスを真正面から見据えた。
「ノーラは素直です。嘘をつかないし、誰に対しても平等です。ご家族が守っていなければ、ノーラはあんなに真っ直ぐな子にならなかったかもしれません」
モーリスは少し驚いたような顔をした。
やがて視線を上に向けると、ズッと鼻をすすった。
「……クラウスくん」
柔らかな笑みを浮かべると、モーリスは腕をついてクラウスの方へ身を乗り出した。
「ノーラを大切にしてくれてありがとう」
「お礼を言うのはこちらの方ですよ」
クラウスは小さく息をついて、グラスを手にした。
互いに何も言わずに、もう一度乾杯した。
しばらく風に当たっていると、ハイドがベランダに出てきた。
手にチェス盤を持っていた。
「伯爵さま、もうひと勝負してください」
「いいぞ」
部屋に戻って、クラウスはふたたびチェス盤に向かった。
夕飯が済んで夜が更けても、客間には笑い声が響き続けた。
* * *
翌朝、クラウスは二日酔いの頭を抱えて起きた。
エレオノーラは別室でルーシーと眠ったので、久しぶりに蹴られることなく朝を迎えた。
着替えて部屋を出ると、ちょうどエレオノーラがこちらに歩いてきていた。
「おはようございます、クラウスさま」
「おはよう、ノーラ。着替えか?」
「はい」
「先に降りてる」
そう言って通り過ぎようとしたが、エレオノーラに手を掴まれた。
「どうした?」
「昨日は、クラウスさまとほとんど話していません」
「そうか?」
「はい。ずっとハイドとチェスをしていらっしゃったので」
言われてみれば、そんな気もした。
「じゃあ、あとでたくさん話を――」
言いかけたクラウスの手を、エレオノーラが引っ張った。
そして、身をかがめたクラウスの唇にそっと口付けた。
「では、また朝食で」
エレオノーラはそれだけ言って、自室に入っていった。
扉が閉まると、クラウスは壁に頭を打ち付けた。
吹き抜けの下にはもう一人、抜け殻になっている男がいた。
うっかり現場を目撃したハイドだった。
* * *
朝食が済んで一休みすると、リンデン家の使用人たちが帰り支度を終えていた。
帰りたくないと泣くルーシーを家族総出で宥めて、何とか靴を履いてもらった。
「二人とも、ありがとう」
「楽しかったわ。また遊びに来るわね」
モーリスとリセが言った。
ルーシーはぐずぐずと鼻水を啜りながら、エレオノーラに抱き着いた。
「姉さま、お別れのぎゅうして」
「ええ。おいで」
エレオノーラはルーシーを抱き締めて、優しくその背を撫でた。
名残惜しそうに離れると、ルーシーは隣のクラウスを見上げた。
「クラウスさまも」
ルーシーに抱き着かれて、クラウスは一瞬驚いた顔をしたが、小さな身体をそっと抱き留めた。
「伯爵さま、チェスをしていただいてありがとうございました」
ルーシーが離れていくと、ハイドがクラウスの前に手を差し出した。
クラウスはふっと笑ってその手を握った。
「俺も楽しかった、ありがとう」
「指輪は早く渡してくださいね」
最後に太い釘を刺して、ハイドは一足先に馬車へ向かった。
「またルーシーがぐずるといけないから、見送りはここでいいわ」
リセがひそひそ声で言って、ルーシーの手を引いた。
エレオノーラとクラウスは家族の姿が見えなくなるまで手を振った。
* * *
その夜、エレオノーラは自室にマノンを呼んだ。
他の使用人はすべて下がらせて、部屋には二人きりだった。
「奥さま、どうされましたか?」
「マノンに相談したいことがあるの」
いつになく真剣な顔のエレオノーラにマノンは固唾を呑んだ。




