第6話 未着の本音(後編)
突拍子もない内容に、クラウスは面食らった。
「でも、違って、アレクサンドルは――」
「待て、アレクサンドルは誰なんだ」
「家族です」
「君の弟か?」
エレオノーラは考えた。
アレクサンドルはオスで、十歳だ。
「はい」
「そうか、君は家族と仲が良かったもんな。故郷が恋しくなったのか?」
エレオノーラは戸惑っていた。
元々言葉が苦手な彼女に、未知の感情を言語化するのは至難の業だった。
「よくわからなくて。アレクサンドルに会いたいと思っていたはずなのに、ここに来てからは思わなくなったんです」
「それは……よかったのか……?」
家族に会いたかったが、旅行が気晴らしになって、その気持ちが薄まったということなのだろうか。
クラウスは懸命に、エレオノーラの言葉を分析した。
エレオノーラは、何かを訴えかけるようにクラウスを見た。
「私は、寂しかったんでしょうか?」
「俺は家を出たことがないからわからないが……家族が恋しかったら、遠慮なく里帰りしていいんだぞ」
海色の瞳がわずかに揺れた。
少し悲しそうな顔をして、手元に視線を落とした。
クラウスは動揺した。
今まで見たことのない表情だった。
「もしかしてずっと我慢してたのか?」
「いいえ」
エレオノーラは短く答えて、また黙ってしまった。
フィナンシェを食べる横顔が、どこか曇っていた。
そんな顔をさせてしまった自分が情けないと思うのに、どう慰めればよいのか見当がつかず、クラウスもそれきり口を閉ざした。
しばらくして、クラウスが空を指さした。
「ノーラ、陽が沈んできたぞ」
青空が消え、天高くまで橙色が広がっていた。
夜空との境界が美しいグラデーションを描き、所々で星が瞬いた。
「きれい……」
エレオノーラは立ち上がり、前方の柵に手をついて身を乗り出した。
気温が下がってきて、吐息が白く濁った。
クラウスも横に並んで、空を見上げた。
「一緒に見られてよかった」
「はい」
ふと零れた言葉に、エレオノーラはいつものように柔らかく微笑んだ。
その笑顔に、クラウスは少しだけ安堵した。
* * *
二人で一度宿に帰ったあと、クラウスは騎士団が泊まっている宿に顔を出した。
明日の着替えを回収して、ついでに副団長に軽く状況を確認した。
すぐに戻ったが、エレオノーラがソファーで寝落ちしていた。
海辺に打ち上げられたクタクタの布のようだった。
どうすればソファーでこんな芸術的な寝相を創り出せるのか、クラウスは心底疑問だった。
夕飯はどうしようかと考えながら、エレオノーラをベッドに寝かせた。
ベッド脇に置かれた鏡台の椅子に座って、クラウスはスヤスヤと眠る妻の寝顔を眺めていた。
「来てくれて嬉しかった」
不意にそんな言葉が口をついて出た。
同時に、本当はこっちを伝えるべきだったのだとクラウスは気づいた。
頬にかかったエレオノーラの髪の毛をそっとよける。
物資もありがたいが、エレオノーラの顔が見られて嬉しかった。
ただそう言ってやれば良かったのだ。
「ん……」
エレオノーラが呻いて、クラウスはパッと手を離した。
寝返りを打ったエレオノーラの左手が、バシンと目の前に叩き下ろされた。
舞踏会が始まったようだ。
クラウスは、左腕に嵌まったままのブレスレットを外して鏡台の上に置いた。
燭台の灯りを受けて、薄茶色の宝玉が仄かに光った。
「ノーラは何を伝えたかったんだ?」
眠る妻に、クラウスは静かに問いかけた。
華奢な手を取って、薬指を撫でる。
エレオノーラは世辞も言わなければ建前も使わない。
言葉も行動も、素直で直線的だ。
しかし時折、真っすぐすぎて予想外の方向に突き抜ける。
おそらく、今日の夕方がそれだった。
何かを汲み間違えてしまった。
最近エレオノーラを上手く読解できることが増えて、調子づいていた。
もっと粘り強く、わかるまで聞いてやるべきだった。
頭の中を巡る後悔をかき消すよう、クラウスはふうと息を吐いた。
「帰ったら、ゆっくり話そう」
明日も早朝から仕事だ。
残念ながら、のんびりしている時間はない。
エレオノーラの手の甲に口づけを落として、クラウスは立ち上がった。
夕飯を買っておこうと振り返った時、鏡台に映る自分と目が合った。
その下には、先ほどエレオノーラの腕から外したブレスレットがあった。
クラウスはそれを見て、しばし動きを止めた。
「……まさかな」
キラキラと輝くヘーゼルサファイアと、鏡の中の自分を交互に見た。
不意に、テオがヘーゼルサファイアを見せに来た時のことを思い出した。
あの時、エレオノーラはクラウスと石を見比べていた。
今まさに、自分がしているのと同じように。
宝石をねだられているのかと思ったが、違った。
エレオノーラはそんな回りくどいことはしない。
ほしいなら、ほしいと言ったはずだ。
去り際のテオのにやけ顔も、妙に頭に残っていた。
クラウスは、胸の奥がジワジワと熱を持つのを感じた。
「いや、待て、ノーラだぞ。ノーラがそんなこと考えるか……?」
たまたま見た石が、その後訪れた店にあった。
宝石好きのエレオノーラなら、この地の名産をほしがっても不思議ではない。
さまざまな可能性が頭を巡り、クラウスはついに考えることを放棄した。
「ノーラは何を伝えたかったんだ……」
そうつぶやくと、再び座り込んでシーツに顔を埋めた。
燭台の炎がゆらめいて、その頬を赤く照らした。




