第5話 感情の名前(後編)
翌朝、エレオノーラとマノンはノールヴァルへの馬車に乗っていた。
片道二時間ほどで、リンデンへ帰るよりも近い距離だ。
エレオノーラは身軽な外出用のワンピースに、暖かそうなケープを羽織っていた。
「私は街で降りて宿を確保してきます。奥さまは騎士たちと一緒に旦那さまのところへ向かってください」
「クラウスさまはどちらに?」
「山の麓の仮拠点にいらっしゃいます。そこなら、奥さまも立ち入って問題ないそうです」
「そう。わかったわ」
エレオノーラは短く答えて窓にもたれかかった。
王都を抜けて田舎道に入ると、段々と雪がなくなってきた。
地形の関係で、北部は寒いが降雪は少ない。
街に着くころには、完全に雪がなくなっていた。
鉱山の街・ノールヴァル。
エレオノーラが覚えている数少ない地名の一つだった。
数多くの宝石が、この街で採れるからだ。
街でマノンを降ろしたあと、半刻もかからず騎士団の仮拠点に着いた。
護衛に手を引かれてエレオノーラが馬車を降りると、よく知った声がした。
「ノーラ!?」
近くのテントにいたクラウスだった。
クラウスは読んでいた書類を乱雑に放って、エレオノーラに駆け寄った。
「どうした? 何かあったのか?」
「いえ、物資を届けに来ただけです。あと、こちらもどうぞ」
エレオノーラは護衛が抱えていた巨大なピクニックボックスを指さした。
護衛はそれをクラウスに渡した。
「ガスパールさんからの差し入れです。騎士団の皆さまでお召し上がりくださいと」
「それだけか?」
「もう二箱ありますが、足りませんか?」
「いや、そうではなく……」
クラウスが言い淀んでいると、山の方から若い騎士が走ってきた。
「団長、そろそろお昼休みに――」
背は高いが幼い顔立ちをしたその男は、エレオノーラを見て固まった。
「ど、どどどど、どちらさまですか!?」
「妻だ」
「奥さま!? お、おおお世話になっております!」
相変わらずのエレオノーラの美貌の効力に、クラウスは苦笑いした。
騒がしくなりそうだと思いながらも、クラウスはピクニックボックスを騎士に渡した。
「テオ、皆を集めて昼食だ。差し入れが届いた」
「はい!」
騎士は目を輝かせて、全速力で走り去った。
* * *
ほどなくして、二十名ほどの騎士たちがテントの下に集まった。
昼食の準備が整い、エレオノーラが姿を見せると、いつも通りに時間が止まった。
簡単な挨拶が済むと、昼食会が始まった。
朝の労働で飢えた騎士たちは、取り合うように皿に手を伸ばした。
カトラリーを使わず食べられるよう、どの品も工夫が凝らされていた。
「うまいっす団長! ありがとうございます!」
「ああ。たくさん食べてたくさん働け」
クラウスは肉の串焼きをかじった。
同じ串焼きを、エレオノーラは慣れない様子で懸命に食べていた。
「かわいい……」
誰かがそうつぶやいた瞬間、クラウスの動きが止まった。
「おい、失礼だぞ奥さまに向かって。団長が怖い顔になっただろう」
先ほどテオと呼ばれていた騎士が、隣に座る男を肘で突いて言った。
「す、すみません……」
「お前ら、はしゃぎすぎだぞ。黙って食え」
クラウスはそう言ったものの、引き続きにぎやかなランチが続いた。
「奥さま、こっちのミートボールもうまいっすよ」
「バカ、それは食べにくいだろう。サンドイッチはどうですか?」
「やめろ。お前らみたいに胃袋が四つあるわけじゃないんだぞ。好きに食わせてやれ」
「人を牛みたいに言わないでくださいよ!」
次々に料理を勧めてくる騎士たちを、クラウスはシッシッと追い払った。
「じゃあこっちはいかがですか、奥さま」
テントを離れていたテオが、数名の騎士と一緒に皿を持って戻ってきた。
皿の上には、色とりどりのマカロンや焼き菓子が並んでいた。
騎士たちがおおっと歓声をあげた。
「甘いものは別腹って言うでしょう」
「私、胃袋は一つしかないのですが、食べても大丈夫でしょうか?」
エレオノーラは不安げな顔で聞いた。
クラウスは目を閉じて、先ほどの己の発言を反省した。
一瞬静かになったが、すぐにテオが腹を抱えて笑い出した。
「ははっ! 奥さまは面白いっすね! 天然だって言われませんか?」
「私はお母さまから生まれたので、天然ではありません」
とどめを刺された騎士たちが、声を上げて笑った。
「最高です奥さま!」
「噂のユーモアは本当だったのですね!」
楽しそうな騎士たちの間で、エレオノーラはただ幸せそうにマカロンを食べていた。
クラウスはその様子を見て、妙な苛立ちを感じていた。
人の妻に鼻の下を伸ばしている部下にも苛つくが、何より彼らは、エレオノーラの本質をまるで理解していない。
これは天然でもユーモアでもない。
そんな生ぬるい言葉に収まるものではない。
ずば抜けたバカという、エレオノーラだけの才能だ。
モヤモヤしながらエレオノーラを見ていると、海色の瞳と不意に視線がかち合った。
エレオノーラは普段より笑顔が多く、楽しそうな様子だった。
「どうかされましたか?」
「何でもない」
クラウスは大口でパウンドケーキにかじりついて、得体のしれない感情とともに飲み下した。
* * *
昼食を終えて騎士が作業場に戻ったころ、副団長がクラウスに声をかけた。
「団長、ここ一週間働き詰めですよね? 作業にも慣れてきましたし、午後は私一人で回せますので、今日はお休みください」
副団長の言う通り、現場はかなり落ち着いてきていた。
クラウスは、近くに座っているエレオノーラを一瞥して、小さく息を吐いた。
「わかった。では、お前に任せよう」
答えると同時に、クラウスと副団長の間を何かが走り抜けていった。
「奥さま、見てください! ヘーゼルサファイアの欠片です!」
テオだった。
名前の通りヘーゼル色に輝く小さな石を、手に掲げていた。
エレオノーラはテオから石を受け取ると、じっと見つめた。
「おい、テオ。ちゃんと提出しろよ」
「わかってますよ。ちょっと見せるだけっす。奥さま、これはここでしか採れない希少な鉱石なんです」
ゴツゴツしたまだらな色の鉱石だったが、所々に透き通った茶褐色が混じっていた。
エレオノーラは、しばしそれを光にかざしていたが、不意にクラウスの方を見た。
そして一度石に目を戻し、またクラウスを見た。
テオは不思議そうに、エレオノーラの動きを観察していた。
やがてエレオノーラの視線に気づいたのか、副団長と話していたクラウスが振り向いた。
「持って帰ったらダメだぞ、ノーラ」
「はい」
クラウスに言われて、エレオノーラはテオに石を返した。
「テオ、俺はこのあと不在にする。何かあったら副団長に伝えるよう、現場に言っておいてくれ」
「わかりました」
テオはクラウスの淡い茶色の瞳を見ながら、ひそかに口角を上げた。




