6.
「なあ、俺たち新規採用組ってさあ?試用期間が終わったらあの5人と同じ給与になるんだよな?」
「ああ、俺もそう聞いてるぞ。この間正式採用後の給与額も提示されたじゃないか。」
「だよなあ。……お前はさ、おかしいなって思わないか?」
新規採用組の話が聞こえて来た。愚痴ではない。なんなら採用された事を感謝しているという話だった。
代官として雇われる事で、収入が上がることは間違いない。以前の仕事と比べれば雲泥の差だ。妻にささやかなプレゼントを贈るくらいの余裕は出るだろう。
でもさ。
そう彼らの話は続いていく。
「でも?」
「そう"でも"だよ。あんなに豊かな暮らしができると思える金額だったか?」
子供を学園に通わせる
毎年2,3着は新品の服を誂える
夏は避暑地で過ごす
「特にドイゼル男爵の夫人なんか、贅沢しまくってただろう?」
「ああ、あそこは夫人の父上が甘いらしいぞ。」
「いやいやいや、もう隠居して何年になるよ?それにさ。」
「俺の嫁さんさ、夫人の実家の伯爵夫人、つまりあの人の兄嫁だな、が従姉妹なんだよ。」
「そうなんだ。それで何か聞いたのか?」
「ああ。その兄嫁さんの代になって援助はどんどん減らされてるはずなんだってさ。いやあ、ドイゼル夫人てこの辺に馴染んでるとは言えないじゃん?なのに実家ともあんまり折り合い良くないみたいでさ。」
「あーお前の嫁さん!結構嫌がらせされてたっていうもんな。」
「そう。だから仲良くする気はないんだけどさ。まあそれはともかく、嫁さんは援助もほぼ無しであの生活が出来るなら随分生活楽になりそうね!って喜んでたんだよ。」
二人、顔を見合わせる。
「どういう事なんだ?」
彼らに気づかれないようそっとその場を離れる。
彼らがもう少し仕事に慣れて、過去の帳簿を見るような事があれば。
代官たちの豊かな暮らしの真実が知られれば。
そしてそれは自分たちには決して回ってこない甘い果実だったと知れば。
「爵位を返上してどこかに行くべきなのかもな。」
ミエラもタクヴェインも猛反発するだろう。だが今までの豊かな生活も、尊大な態度も。
どちらももう私たちの手から零れ落ちた。ならば深手を負う前に自ら立ち去ることで、守ってやりたいと思うのはいけない事だろうか。
そう思いながらずるずると半年ほど過ごした頃、とうとう恐れていた事が起こった。
普段領地にいない辺境伯夫妻が、年に二度開催している慰労を兼ねた夜会での席だった。
ミエラの声が響き渡る。
「ちょっと!貴方たちいい加減になさい!わたくしは男爵家の夫人ですよ!立場というものが分かっていらっしゃらないのかしら!」
ぷっ、くすくす。冷ややかな笑いが広がっていく。
ミエラは顔を真っ赤にして怒っているけれど、誰も慌てる者はいない。
「……何か揉め事かしら?」
主催である辺境伯夫人が現れた。
「いいえ、わたくしたちはただ質問していただけなのです。」
「ええ。この1年、男爵夫人のドレスが毎回同じなので何か思い入れのある物なのかしら?と思って。」
「ええ。そうしましたら男爵夫人が急にお怒りになって!」
皆分かっている。何故毎回同じドレスなのか、なんて。
……ミエラが周りにしてきた事だ。
「夫人、何がご不満なのかしら?主催としては揉め事は見逃せないのだけれど?」
先ほどまで身分を振り翳していたミエラだが、相変わらず人を敬う気はないらしい。
「貴方には関係ないでしょう!少し身分が高いくらいで偉そうに!」
目をまんまるにした辺境伯夫人だったが、耐え切れず笑い出した。
「ふっ、ふふっ。そうね、少し身分が高いくらいで偉そうにするのは滑稽よね。わたくしも気をつけるように致しますわ。」
笑われた事でさらに激昂したミエラが扇を振り上げる。
「こっ!この!そもそもあんたのせいで!」
だがその扇が振り下ろされることはない。
何故なら。
ふふっ。クスクス。ぷっ。ほほほ。
取り囲んだ女性陣からの失笑。
「少し身分が高いくらいで偉そうに、って。男爵夫人は今"鏡"か何かとお話しなさっているの?」
「もしかしたら、"自己紹介"のおつもりなのかもよ?」
一際大きく笑い声が起きる。
それは更にミエラの自尊心を傷つける。
「わたっ、わたくしは男爵夫人なのよ!平民のあんた達なんかに!」
「わたくしは、辺境伯の、夫人、です。だから、あんた、なんかに。」
冷たい目で、ひとことひとこと区切って。
「あんたなんかに偉そうにされる筋合いはないわ。」
ギリッ!有無を言わさない、鋭い視線で睨みつけながら。
「辺境伯夫人への非礼の数々、許す気はないわ。さあ、どうするの?身分が上の貴族夫人に対しての謝罪は?」
ギリギリと聞こえてきそうな歯軋りをし、扇を握り締め睨みつける。
「そう、それが貴方の答えね。…じゃあ。」
「アティシア、そこまでだ。」
夫人の夫である、ナディウス・ミズリアン辺境伯が割って入った。
……何故かミエラが勝った顔になっている。訝しんでいると理由はすぐに分かった。
「ナディウスさまっ、貴方の奥様にわたくしっ虐げられて…酷いのですっ」
涙ながらに縋ろうとするミエラに周りが驚愕する。
この状況でまだ辺境伯が自分に有利に動くと思っていることに。
手を伸ばし、辺境伯の胸に縋ろうとするミエラだったがそれは叶わなかった。何故なら。
「ミエラ・ドイゼル元・男爵夫人。」
周囲が騒つく。それはそうだろう。
ついさっきまで男爵という身分を振り回していた筈なのに
「えっ、元ってどういうこと?」
「だって、先ほどまで男爵夫人だって威張り散らしてたわよ?」
皆の疑問に答えるように、辺境伯が答える。
「君はまだ男爵夫人を名乗っているのか?先週には通達が来ている筈だぞ!おい!ドイゼル元・男爵はどこだ!」
「ミズリアン辺境伯、大変申し訳ありません。先日より言い聞かせているのですが、未だ現実を受け入れてくれないのです。」
「貴方っ!わたくしは認めないわよ!わたっ、わたくしはっ!由緒ある伯爵家に生まれて、貴方が望んだから男爵家なんていう底辺に嫁いでやったのに!」
元男爵は哀しい目をした後、首を横に力無く振った。
「やはり俺なんかには過ぎた相手だったんだ。いくら伯爵様からの願いだったとしても丁重に辞退するべきだったな。」
「そ、そうよっ!お前が!男爵如きが名門伯爵家の令嬢を手に入れようなんて!」
見苦しい罵りを続けるミエラは見るに耐えない。そろそろ止めに入ろうかと思った時、ナディウスが元男爵に語りかけた。
「なあ、もう諦めもついただろう?先日の提案は受け入れてくれるな?」
「はい、辺境伯。ご迷惑をおかけいたしますが何卒、何卒よろしくお願いいたします。」
ナディウスはミエラに目を向けると、話し始めた。
「君のことだ、また都合の良い解釈を撒き散らしかねないからな。衆目のある今のうちにはっきり言っておく。」
そう宣言されたと言うのに、ミエラはこの後に続くナディウスの言葉に顔を明るくした。
「ミエラ元男爵夫人をこのままこの地に置くことはできない。だから、明日私たちが辺境へ帰る時に一緒に連れて行こうと思う。」
ああ、この人は本当に。なんて言葉の足りない人なのかしら。そんな言い方をするから!
ミエラの目はもう潤んでいる。
「ありがとうございます!ナディウスさま!このご恩は一生忘れません。お側で、死がわたくしたちを別つまで、決して離れません!」
「ん?」
「ナディウス、貴方は彼女を第二夫人として迎え入れるつもりなのね。…それならいっそのこと正妻にして差し上げたら?わたくしはこの人を招き入れるくらいなら実家に帰りますから、夫人の座は空きますわよ?」
ナディウスはオロオロとしているが、殆どの者が同じように理解したであろう。
ナディウスは正しく理解していた従者から叱られている。
「ナディウス様!いつも申し上げていますが、貴方は言葉を省略しすぎです!今の仰りようだと、アティシア様のように解釈されて当然です!」
主人に対して容赦のない叱責が続く。
「ほら!この女も!そういう風に勘違いしているではないですか!ちゃんと最初から言葉を省かずに説明し直してください!」
大慌てでナディウスが説明し始める。
「第二夫人に迎える?そんな訳なかろう!辺境伯領への道の途中に彼女の実家の伯爵領があるんだ!彼女の兄上…現伯爵とも相談してそこまで護送する事になっただけだ!」
狼狽えたナディウスがわたくしに抱きつく。
「離縁だなんて…!冗談でもやめてくれ!しかもその後釜にあの女なんて!俺が…俺が学生時代めいいっぱいかけて回避した未来だぞ!」
「分かっているわよ。でもね、元はと言えば貴方のその言葉足らずが色々な災難を招いているの。少しは自覚なさい。」
しょんぼりするナディウスは少し可哀想だが、もっといくらでもこの未来を回避する方法はあった筈なんだから。
その一翼を担ってしまった責任はほんの少しだとしても彼にもある。
「出発は明日です。荷物は多くは積み込めません。息子さんと貴方、それぞれトランク一つずつにまとめるのよ。」




